僕と彼女が優しい理由

すごくどうでもいい前置き。
僕たちはとにかく喋る。
起きてる間はずっと喋ってる。
二人の空き時間の使い方は、ゲームを見たり動画を見たり。
別々に活動してようが一緒に活動してようが基本は喋ってる。
「お互いの昔話」「これから先のこと」「趣味の話」色々喋るけれど、最終的にお互いに議論をし始めがち。
「なんでそう思ったのか」「こういう経験があるから今はこういう人間」みたいな話になりがち。
前置き終わり。

昨日書いたnote。
ここで書いた大喧嘩の後の、彼女さんからの議題提供。

「お互いにお互いのことを優しいというけれど、何でそんなに優しいんだろう。」

哲学の話ですか?
まぁ、でもこういう議題を振られると、ついつい分析したくなる。
まず、お互いに何をもって優しいって言ってるかをお互いに言い合ってみた。
でも、お互いに言った優しいところは、大概、相手にとっては「それくらい当たり前」なのだ。
そしてお互いに優しくされたことに感謝を持っているので、そこですれ違いが起きる。

僕「彼女ちゃんめっちゃ優しい!!感謝してもしきれない!!」
彼女ちゃん「????????」

これが日々起きている。
じゃあ、優しさを「当たり前」と思うか「優しすぎる」と思うか。
その違いはどこから来るのか。
一つは前から分かっている。


お互いに「助ける人」なのだ。
エニアグラムという性格分類方法がある。

簡単に言うと人間の性格を9つに分類して、
どの性格の人から教えが得られるとか、余裕がなくなるとこっちの性格に変わる…みたいな知識が得られる。
その中で、僕も彼女も「タイプ2」「助ける人」「献身家」と呼ばれるタイプである。
このタイプは「人に優しくして感謝されることで自分を満たしている人」である。

僕も彼女さんも、前にこのエニアグラム診断をして、
僕たちは、「お互いがお互いに尽くして満足している」ということが分かって、お互いにこの結果に納得した上で、爆笑した。
客観的に自分達のことを見たら、確かにいつもそんな感じだ。
どちらかが相手に「ありがとう」って言っている。
それがすごく滑稽に思えて、二人でツボに入って笑い転げた。

このエニアグラムからして、
僕たち二人は「自己評価が低く」「相手に優しくしたくなって」「見返りを求める」。
自分なんかにはもったいのないくらい素敵で好きな人に優しくしたら、相手からもっと優しくされた、という構図が
自分からの優しさを「当たり前」と思い、相手からの優しさを「優しすぎる」と思うのだろう。



もう一つの理由、今回議論していて分かったこと。
それは二人の育った環境によって「優しい」の基準は変わるということ。
例えば、彼女さんは「家事を積極的に手伝ってくれて優しい」と言う。
僕はこれを当たり前だと思っている。

僕の父親はかなり積極的に家事をするタイプ・・・というか母がサボってるのを見てせっかちな父親が家事をやってしまうタイプである。
それを見て育っているので、家事をする父親という像に抵抗がない。
相手が忙しければ、積極的に家事をする。当たり前である。

一方で彼女さんのお父様はあまり家事をするタイプでなく、お母様にすごく怒られているのを見てきたらしい。彼女さんはそれを見て育っているので、「世の中で、家事をする男性の話聞くけど、全部嘘だと思っていた。」とまで言っていた。

他にも、
僕は妹がいる/彼女さんは一人っ子
僕の家族はゲームに偏見がある/彼女さんの両親はゲームする
などなどの育った環境の違いがある。

今でこそ妹と仲は良好だが、
思春期に妹とあまり仲良くできなかった自分からすれば、彼女さんにそれを重ねて優しくしているのかもしれない。例えば、昔、妹にゲームを教えるとき、僕はスパルタで、その厳しさに耐えかねて妹は全くゲームをしなくなった。だからこそ、彼女さんにゲームをしている時は、ものすごく優しく教えているし、彼女さんからは「普段よりゲームしている時の方が優しい」とまで言ってもらえている。
一方で彼女さんは「弟が欲しかった」らしくて、僕のことを「弟」だと思うことがあるらしい。僕の方が年上なのだけど、確かに向こうの方が「姉らしい」。

僕はゲームをしていると怒られる環境で育ったので、
ゲームをしていても放っておいてくれるどころか、一緒に遊んでくれる彼女さんの存在が嬉しくて嬉しくて仕方がない。
一方で彼女さんは、家族とゲームをするのが当たり前だったので、それを優しさだとは思ってない。



お互いの優しさの理由が分かったところで、
じゃあ、この気持ちのすれ違いを直すにはどうしたらいいかというお話。
今回の大喧嘩の理由になった「悪いところが見つからない」というのも
僕が彼女さんのことを「すごく優しい人」だと思っていて、
彼女さんの自己評価はすごく低い、というところから来ていた。
だから、こういう気持ちのすれ違いをできるだけ減らしたいね、という話になった。

とはいえ、優しさの基準を相手に矯正させるのは正しいことではないと思う。
それこそお互いが生きていた環境で育まれた優しさの基準なのだ。
「こんなことは優しさだとは思わないで」と相手に言うより
「こんな当たり前のことも優しさになっている」と認めて
自分の中に新しい基準を持つ方が二人にとって良いと思う。
彼女さんとの今回の議論の結果、そういう結論に至った。


ところで。
うちの彼女さんは、小学3年生男子みたいなスキンシップを取ってくる。
後ろから抱きついて甘えてくる可愛い彼女さんかと思いきや、首を絞めたりくすぐってきたり。あとは、よく噛みつかれる。
今も、二の腕に噛まれた跡があって、ちょっとした青痣になっている。
彼女さんはやんちゃするだけやんちゃした後に、「やりすぎた!」と気づいて、すっごく謝ってくるパターンが多い。
青痣に関しても、「ごめんなさいごめんなさい」とめちゃくちゃ謝られたけど、
僕からすればこの青痣も「優しさ」なのである。
彼女さんが、僕に心を許してないとそういうスキンシップは取ってこないわけで。
青痣=それくらい僕のことを信頼してくれる証なのである。
「だから、大丈夫よ。」ということを伝えた。

彼女さん、
いや、さすがにそれが優しさはキモ過ぎる。


優しさを認めてあげてください。



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