専門職として、「今が一番勉強してる」とずっと言いたい
人生で一番勉強したのはいつでしょうか。受験の時?卒論を書いた時?国家試験の時?資格試験を受けた時?人それぞれあると思います。私はコロナ禍の経験を経て今年改めて勉強する場に身を置くことを決めたのですが、この数年は学びとは何かについて見直す良い機会となりました。
私にとって就職するまで、「学び」「勉強」というのは=試験のことで、試験のためにテストの対策をすることでした。「勉強をしたい」という主体的な気持ちよりは、必要に駆られて机に向かい、対策をすることの繰り返しだったと思います。好きな科目や苦手な科目はもちろんありましたが、好きな科目についても結局教科書の枠から出ることはありませんでした。勉強した成果はすべて試験の結果として返ってきて、合格か不合格か、〇か✕かといった評価軸で捉えるものでした。
大学を卒業して看護師として病院に就職したのですが、私の中ではそこから自分の中での「勉強」が始まったと思っています。最初の年こそ付いていくのに必死でしたが、慣れてくると配属された病棟の専門分野について、「お金をもらって働いているプロとして、知識が足りない」と思うことが多くなりました。お恥ずかしいことに、ここで初めて「勉強しなければ」と思うようになり、参考書を買ったり勉強会に出たりして、自己研鑽に努めるようになりました。色々と勉強するうちに、地域のことに興味を持つようになり、5年ほど勤めた後に保健師として転職することになりました。
保健師に転職してからも本当に日々勉強の必要性を痛感しています。特にコロナ禍では感染症業務をしていたのですが、毎日毎日住民から関係機関まであらゆる方が自分を含む感染症担当あてに相談や質問をしてくるのです。前例がなく日々新しい情報が更新される状況では、毎日新しい情報を即座にインプットし、それをかみ砕いた言葉で周囲へアウトプットしていくという作業が必要でした。自分より詳しい人は上司くらいでほとんどいません。「管内地域でコロナに一番詳しいのは私でないといけない。私はコロナについてプロなのだ」という自分の業務の専門性を突き付けられた瞬間でした。専門職としての矜持をもって、恥ずかしくないように、日々新しい情報をいち早く追い続けていたことが記憶に新しく感じます。
こういった勉強は合否が出たり採点されたりするものではありません。しかし他者から評価されないことで、逆に自分で自分をどう思うかにスポットが当たるようになりました。これくらい知っていればよいのか、それとももっと深掘りして学ぶべきなのか。他者に評価されないことで自由な勉強ができる一方で、自分を律しないと平気で甘えが出てしまうという側面もありました。正直全く勉強していない人もたくさんいると思います。
しかし、勉強することで知識が増え、仕事自体の面白さがどんどん出てくるようになりました。また、感染症の課題から派生してまた別の分野の課題が見つかることも多く、分野横断的に学びが自由に広がっていけるところにも面白さがありました。試験対策のように枠組みの決まった勉強とはそのあたりが一番違うのではないでしょうか。そしてそういった勉強には期限もゴールもなく、専門職として良い仕事をしたいと思う限り、続いていくのです。
改めてタイトルに戻りますが、人生で一番勉強したのはいつでしょうか。受験の時などは確かにかなりの時間を勉強に当てましたが、主体的な学びとしては、私は今が一番一生懸命勉強していると思っています。そしてできる限り、今が一番勉強していると言い続けられるような専門職でありたいと思っています。勉強は楽しいし、仕事の勉強をしたら仕事も楽しくなる。せっかく縁あって1日8時間くらい担当している業務なのだし、たくさん知見を深めて楽しく過ごしたいと思います。
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