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日本の現代アート史はバンクシー以降と以前でわかれる

バンクシーがにわかに日本国内でも注目されるようになった結果、現代アートは「作者の意図の“深読み合戦の場”」になってしまった。

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「Game Changer」と名付けられたこの作品は、欧米人の子供がバットマンやスパイダーマンではなく、有色人種の看護師の人形を手に取っている。この作品から「世界がコロナ危機に面した現代はアメコミキャラではなく、病院で働く看護師こそがヒーローだ」という作者の意図を読み取る者もいれば、「いやいや、結局カゴの中のバットマンやスパイダーマンと同じ、看護師も使い捨てにされるという運命を皮肉った作品だよ」とさらなる深読みをする者がいて、ツイッターは双方の意見で溢れかえっている。

伊集院光が「松本さんがスゴいのは“松本人志の本当の面白さがわかるのは自分だけ”とみんなに思わせることができる」と言ったかどうかは知らないが、バンクシーに対してもこの構図はそっくり当てはまる。「私こそが、バンクシーの社会に対するメッセージの真の意図を読み解くことができる!」という具合に。

バンクシー以降、「現代アート=皮肉を効かせた社会風刺」という認識がまかり通るようになったが、

バンクシー作品を読み解ける=風刺画を理解できる

であり、バンクシー作品の理解がそのまま現代アートの理解につながるわけではない。


最後に1つだけ。「バンクシーは既存のアートシーンに囚われずにゲリラ活動をする自由なアーティストだ」という意見は往々にして見られるが、「2020年の現代になんの批評性もなく、すべての作品が政治闘争から逃れられていない」という点でバンクシーは極めて不自由なアーティストだと思っている。

「アーティスト」というよりも「センスのある活動家」というべきか。

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