オーストラリア 「森が見た夢」より 第2話
200cc単気筒のたてる規則的なメカノイズ。
ブロックパターンタイヤがアスファルトを噛む音。
排気音は聞こえず、ただその二つがヘルメットの中で海のうねりのように響き続けていた。
視界にあるのは、気狂いじみた光の洪水の中に横たわる赤い土の大地、に真直ぐ北へのびる人工的な2車線の道路、のその地平線との交わる辺りは空に向かってせり上がり、溶け、まるで砂時計の砂の通過点のように、宇宙むき出しの青い空からその青を、この大地に搾り出しては流し込んでいるような景色。もしくは空へ飛び立つ長い滑走路。
時速60km。
この単調で広大な大地を何千キロも走ろうというのに、この速度ではまるで止まっているかのようだが、愛車をいたわってのことである。
大陸を走るにはあまりにもひ弱なこのバイクは、すでに砂漠横断でかなりガタがきていた。さすがにこの国道に出てから最初に辿り着いた街でタイヤチューブとプラグを交換したが、後輪のホイールはスポークが数本無くなっているし、驚いたのはこの熱さでエアクリーナーのエレメントが溶けて無くなっていたことだった。さらに走るその姿は荷物を満載したロバ君さながらなのだ。
それでもまだ旅は序盤で、最後までこのバイクで走りたいから、いたわりつつ走ろうというわけである。エンジンの音を聞いていても50~60km/hあたりが一番無理なく走れる速度のようだ。
目の前に広がる景色とスピードメーターを見ながら走る。そしてもうひとつ、見ているものがあった。路面である。
これはこの旅で発見した遊びの一つだった。日本で走っている時には体験できなかったことかもしれない。
普通バイクや車で走る時には、視点はどこか一点に集中させてはいられない。正面、ミラー、メーター、後方、何があって、何が起ころうとしているのか分析しながら走らなければならない。しかしここでは違う。どこまでも道路は直線であり、走っていても状況の変化があまりにも乏しいがゆえに、どこか一点を凝視していても何ら危険はなかった。つまり、景色を眺めているならば、走っていることさえ忘れて眺めていることができる。メーターならば、前方の事など気にせず、いつまででも針の指す60km/h付近を見つめていることができる。または、オドメーターが示す走行距離。
そんな単調な時間の中で見つけたのが、路面だった。
フロントフェンダーの先を時速60km/hで流れていくアスファルトの路面。それをずっと見続けていると、だんだんそれがうねる液体のように見えてくるのだ。
数十メートル先を走っているヒロキのバイクが水面をかき分けていく波紋のように、路面は波打ち、渦を巻き、そのうち流れる速度さえ無くなって、ただ目の前に白と黒のマーブリングがうねっているように見えてくる。
最初はこの極限状態による幻覚かとも思ったが、何度やっても同じようになるし、またヒロキにこのことを言うと、奴も同じことをしていたのが後で分かった。
さらにこれには副作用とも言える現象があった。休憩の際、バイクを止め、何気なく地面を見下ろすと、気持ちの悪いことに地面にある小石達が自分の足下に向かってじわじわとダニのように迫ってくるのである。また、相手の顔を見つめると、顔面の構成物、目、口などが顔面の中心すなわち鼻に向かってぎゅうっと寄っていくのである。
目の錯角か視角障害か、僕らはこれに一時ハマった。砂漠のまん中でぎゃーぎゃー言い合った。そして一日中、この路面のうねりを楽しんでいた。
しかし、この旅のすべてのものがそうであったように、その楽しみも長くは続かなかった。いや、すべてといっても表層的なことに限るが、不思議と一時的な感動はいともあっさりと流れていってしまうのだ。
最初、めちゃくちゃ感動していた360度の地平線、日本で見るより遥かに遠い地平線さえその感動はすぐに流れていってしまった。
考えてみれば、普段の生活においても喜怒哀楽、感動と呼ばれるものは、いずれ輝きを失い勢いをなくして自然に忘れられていくものだ。ただその心の動きに、目まぐるしく変化し情報が途切れることなく流れ込んでくる生活の中では、気付かないだけなのかもしれない。
この旅においては、日々することといえばただ一日中バイクにまたがっているだけで、進んでいるという実感もあまりないし、時間がすぎていくというのも、普段の時間の尺度とは別の流れに属している感覚があり、今自分がどこにいて、自分が過去に何をしてきて、これからどこへ行こうとしているのかさえ確認する必要のないもののように感じられた。
一歩踏み外せば、すぐそこに死がある。それに対する恐怖さえやがて流れ去り、それらの流れ去る様をじっと消えていくまで見つめ続けていた。ほかにすることがないからじっと見ている。その過程で邪魔が入らないから、いともあっさりと流れて消えていく。
そして、次第に感覚はバイクを操るに足る部分だけを残し自動化し、意識はその深みへと触手を伸ばしてゆく。
この旅の始まりは、この時から数年前にさかのぼる。
大学に入学し、すぐに入部した探検部。新人合宿で島へ行き、日本アルプス縦走、洞窟、川下り、ひと夏を過ぎる頃には、新入部員もそれらしくなり、またこの部を去る者も何人かいた。
そんなおり、後期に入ってから入部してきた奴がいた。それがヒロキだった。ヒロキは僕と同じ写真学科だったが、学科にはあまり馴染みの少なかった僕にとっては初対面同然で、お互い何も、名前すら知らなかった。ただかすかな記憶として、授業中US-ARMYのジャングルハットをかぶっている妙な奴がいた、ということだけ。入部してきて感じた印象は、そのかすかな記憶を大きく覆す強烈なものだった。見た目は二枚目でヤサオトコ風なのに、ノリやセンスはここでは筆舌に尽くし難い。消えていった同期の部員たちには悪いが、奴となら何か面白そうなことができそうな気がした。
ヒロキは探検部での活動だけでなく、音楽やアート、精神世界に至るまで、様々な場面で僕に影響を与えた。僕の今の考え方や生き方における思想は、奴との出会いによって芽生えたといっていい。
反面僕は、奴からすれば何だったのだろうかと今思う。
探検部での活動はいつも相棒としてやってきた。しかし、僕の発想はいつも平凡で、実は奴の奇抜な発想を実現するサポート役だったのかもしれない。いや、それさえも奴のほうからすれば、無用だったのかもしれない。
ヒロキが入部してから半年が過ぎ、毎年恒例の一年生企画の時期になった。
それまでは、部長を中心とする先輩方の企画に参加するという形で活動していたのだが、年度の終わり、二年生になる前に、一年生だけの企画を実行するしきたりがあった。
その時、一年生は3人に減っており、内1人は活動しない在籍するだけの部員だったので、この企画は僕とヒロキの二人ですることとなった。
何をするかを話し合った結果、今まで得た知識や技術を試す為に、離島でサバイバル合宿をしようということになり、鹿児島県の吐喝喇列島にある宝島へ行くことになった。
最初はただ名前に惹かれて選んだだけだったが、調べていく内に、そこにある宝物伝説など、ロケーションとしても魅力は十分だった。周囲12km、人口200人の島だった。
その島で僕らが得たものは、その後の旅に多大な影響を与える貴重なものだった。まさに、僕の旅はここから始まったと言ってもいいくらいだ。それまで旅行気分で参加していたにもかかわらず、いくつかの経験で自分が大きくなったかのように錯覚していた僕は、この企画で強烈なショックを受けた。
日常や、揺るぎないものと信じて疑わなかったこの人間社会に対する違和感。
そして時間にはもっと大きな流れが存在すること。
生きるということの危うさと確かさ。
たった1週間足らずの企画がこんなにも深い意味を持ち得るのは、まさしく同行したヒロキのおかげであったといえる。
奴と行かなければ、もう少し僕の人生は平凡だったかもしれない。
この企画の最終日の夜にヒロキと、二人でやる次の企画について語り明かした。
何か、でっかいことをやりたい。ストイックで、挑戦的で、その時感じていたことをさらに追求できること。
その時出た話が、オーストラリアをバイクで走るということだった。先輩に言えば多分、そんなこと誰でもやってると非難されそうだったが、その時の僕らにはこの上ない夢だった。
二人ともバイクが好きで、僕はその時DT200Rを、ヒロキはXL250Rに乗っていた。
海外ツーリングという憧れもあったが、それを誓った瞬間の気持ちは、あらゆるものを超越して感じてみたい、であった。
それから数年が過ぎ、その間に僕は探検部の部長になり、毎年恒例の企画や行事、後輩の指導などに追われながら、あれ以来ヒロキにこの話をする機会もなかった。
ヒロキは部の企画に参加しつつ、ソロでの活動を何本かこなし、1人でインドへ行ったりもした。インド帰りの奴はさらに鋭さを増したような気がして、あの時の思いつきの夢を、僕は改めて奴に話すのを躊躇していた。
その後僕もインドを旅し、さらにわけの分らんものをしょって帰ってくると、ヒロキからふとオーストラリアの話が出てきた。
「アキラ、覚えてるか、あの時の話。オーストラリア行こうってやつ」
「ああ、宝島で話したやつだろ。お前が行かなきゃ、もう俺1人で行くしかないなって思ってたんだ」
「やるか、そろそろ」
「ほんとかよ、やるよ、忘れてなかったんだな、ヒロキ。
俺はもうお前は行く気ないんだと思ってた」
「忘れてねえよ。そりゃこっちの台詞だよ」
「そうか、じゃ、早速準備だな」
嬉しかった。その時僕らは三年生で、卒業後どうなるかまだお互いに分らなかったので、留年しなければ次の春が最後のチャンスだった。
僕らは資料を集めたり、OBの先輩の旅行会社でチケットをお願いしたりしながら、ひと夏をバイトに明け暮れた。
この話が持ち上がってから時を経て、この企画に対する二人の目的は、さらにそれぞれの意味を深めていた。
僕はさらに精神的な旅を意識していた。ただ移動し続ける旅がもたらす、どこでもない場所いつでもない時間の感覚。旅にある時の精神状態をなんとか写真で作品にしたかった。そしてこの数年の間に得たことも、その状況の中で文章に書き留めておきたかった。
それらをまとめたものが、後に僕の卒業制作となった。
そのヒロキが、今僕の前を走っている。白線の上を。
この炎天下で路面の温度がかなり高く、道すがらバーストした車のタイヤがいくつも転がっている。しかし触ってみたところ、ただのアスファルトより路肩の白線のほうが若干温度が低かった。だから、僕らは走れるところはできるだけ白線の上を走るようにしていたのだ。
できるだけ、というのは時々この路肩に牛やカンガルーの死体が転がっているからで、多いところは数十メートルおきに死体があった。
このハイウェイを時速60kmで走っているのは僕らくらいで、たいていの車やトレーラーは100km/hを超すスピードだ。夜はカンガルーが飛び出してくる。放牧している牛も、跳ねたからっていちいち止まったりはしない。ほったらかしだ。このオーストラリアにおける牛の飼育状況を見たら、ありがたがってオージービーフを食べようとは思わないだろう。こんな枯れた大地でよく牛たちは生きられるものだと感心する。そういう意味ではありがたいが。
砂漠を走っている時に、振動で持っていった腕時計が壊れていた。時刻はとうに意味をなさなくなっていたから、別に不自由は感じなくなっていた。
休憩のタイミングはトリップメーターではかり、昼食と、その日の走り終わりは太陽の高さで決めた。
その時太陽が地平線の近くに傾いてきていたので、そろそろ今日の野営地を探さなければいけない。そんなことが気になり出すと、僕の意識は深いところから表層へと浮上していった。
止まるといえば、もうひとつこの旅で見つけた楽しみがあったので書いておく。
バイクを路肩に寄せエンジンを切ると、まったくの無音状態になる。
周りには僕ら以外音をたてるものが何一つなかった。
光は溢れかえっていても、風も吹かず、生き物もいないとあっては音がするはずもない。
手巻たばこを巻き深々と吸い込むと、だんだん耳鳴りがしてくる。一日中バイクのメカノイズを聞いているのだから仕方がないが、その耳鳴りは、できることなら人に聞かせたいくらい盛大荘厳な耳鳴りだった。まるでオーケストラが交響曲を演奏しているかのような、聞き惚れてしまうほど感動的な耳鳴りなのだ。
まったくこれが録音できたら、すごいことだと今でも思う。あの静寂さゆえの産物だった。
休憩ごとに、また毎夜ヒロキと話をする。
もちろん旅の話もするが、なぜか食い物の話も多い。
ほとんどの話では意気投合したが、ときどき、問答めいたこともした。
僕はその時、すべてのもの、出来事にはなんらかの意味があると考えていた。それが僕の考えの根幹だった。
しかし、ヒロキはそれに反論した。
「なんにでも意味があるというのは考え過ぎだ。例えばそこにある木はただの木だ。そこにあるのはただの石。ただそこにあるだけだ」
じゃあ、なんでそこにあるんだ、石に意志はあるのか、などと答えのない問答をしたこともあった。
そんな問答も含め、日中バイクに乗っている時は絶えず自分に問いかけていた。
そうすることに費やす時間は、有り余る程あった。
一つの疑問にひとつずつ自分で答えていく。それを休憩のたびにノートに書き留めていった。写真とあわせて、これがその時の僕自身の記録なのだ。
スチュワートハイウェイは中盤に差し掛かり、もうすぐエアーズロックへ向かう分岐点に辿り着こうというあたり、その夜、ヒロキは僕にこの旅の今後の話をした。
この旅はもともと二人で出発したが、途中で1人ずつに別れようということになっていた。それをどこにするかは最初は決めていなかった。しかし、やがて旅をするうちに、一つの目標地点が見えてきた、それがエアーズロックだった。
ヒロキはその夜、エアーズロックへ行った後、スチュワートハイウェイへ戻ってきたところで別れようと僕に言った。
地図を広げてみると、エアーズロックへの分岐点からさらに少し北へ行ったところに、スリーウェイという場所があった。一本は北へ、もう一本は東へ別れる。僕らにとっても別れ道と呼ぶにふさわしい場所だった。
ヒロキが言わなくても、僕もなんとなくそう感じていたので諒解した。
まだ数日あると分かっていても、なんとなく寂しい気持ちがこみあげてきた。不安もあった。奴がその時どう感じていたのか分らない。日本で再会した時も、なんとなく聞きのがしてしまった。
今でも、スチュワ-トハイウェイで見たあの気が遠くなるほど遠い地平線を思うと、胸が締め付けられるように、切なくなる。
……つづく
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