見出し画像

Σ 詩ぐ魔 第7号


透明な生活

市原礼子(大阪)

透明な時間が過ぎてゆく
そこでの生活は透明で見えない
なつかしい声をたよりに想像する
よみがえる言霊
言葉の力に繋がれてゆく

窓から見えた公園の光景
走り回る子どもをはなれたところで見守る親
お弁当を広げている親子
ありふれた光景を
少しのあいだ並んで見ていた
 …いいですね…

その一言に繋がれた
ありふれているけれども
かけがえのない
そのような日々を誠実に生きている人
透明な生活をしている人

恋しがっても
谷間にかわらけを投げるように
深い森に吸い込まれて
木霊もかえってこない

最後の日
会うことは叶わなかったが
私が去った後に来てくれた
それでよかった
会っていれば悲しくて
涙を見せてしまった

この同じ時間を
一日を
どのように過ごしているのか

ありふれた
かけがえのない生活は
透明で見えてこない

木(そこで恐竜は口を開けて叫んでいたフクロウ)

小笠原鳥類(岩手)

堀口大學訳『シュペルヴィエル詩集』(彌生書房、〈世界の詩〉、1972)の鳥。〔 〕ルビ、数字はページ
「小鳥がさっと翔び過ぎて
戸口の明〔あか〕りを截るだろう。
人は一人もいないだろう、人は一人も!」9
魚が、メダカになる・クジラとタツノオトシゴ。化石アンモナイト生きている化石チョウザメ
「僕の網膜が咥〔くわ〕える、海から飛び立ち
草原を翔ぶので一層軟かい一羽の小鳥を。」12
ケーキと、地面というものについて、ワニが人形のように語っている魚と、石。土
「透明な風が揺すぶる
別のもう一羽の鳥のように。」13
金魚のようなカマボコが、メダカ図鑑でも見たナマズとシーラカンスと庭
「林の小鳥たちよ、
微温の大気の中で君らは凍えている」34
サメを見ていて、新鮮な看板(青いペンキ)をリュウグウノツカイが見ているようだった
「人間も、馬も、魚も、鳥も、虫も、誰も、
二度とふたたび見ることの出来ないものだった。」37
犬が歌うシーラカンス。そのトンボ
「海の底を往き来している
小鳥たちや月たちの間を抜けくぐって、」37
あの建物でチーズを食べることが。できるのだろうか
「船あしをもっと出そうと
鷗たちは大童。」39
クイナ、というものは、写真で見られるネッシーではないイモリではない夜と昼。絵の具クレヨン
「あかつきの紅鶴がこうしていま生れ出る
彼らは光りの中に巣を作り
地平線の絹糸と
金いろの風で翼を作る。」42
ゾウがゾウの絵を、動物園で描いているのをハトが見ていたテレビ。ペンギンわーと言う
「次いで両手を開く。夥しい数の鳥が放〔はな〕たれる。

夥しい迷い鳥が街路になり、
影になり、壁になり、夕ぐれになり、林檎になり、彫像になる。」55
イグアナが、ムクドリではないだろうヒヨドリではない。木(そこで恐竜は口を開けて叫んでいたフクロウ)
「駈けているあの馬、あの犬、あの鴉、
皆に腰をのばさせてやるがよい、彼らの番が来たのだから。」72
椅子が、まるいテーブルだ。いくつかの金属と(ヌープ硬度)ヌープ硬さ
「僕には自分の頭の中を駈け旋〔めぐ〕る或る声が聞える
籠の中の一羽の殆ど人間に近い鳥のような。」73
あっカモメだ(ウミネコが言う)ウグイス、あおさぎ、虫を探すカマキリだ。映画で体操が走っている水泳
「不動の鷗を浮べて空気は困り切っている
あの鷗たちの心臓は羽毛の下で氷島だ。」79
たくさんの種類のイカと、コイ(ネッシーのようでもある雪男と、魚と、屋根)金魚。小屋に走っていく動物カモシカ
「「鳥魚〔とりうお〕」が
あのあたりを往来〔ゆきき〕して
泡〔あぶく〕を雲へ運んでいる。」89
カワウソは、コウモリでは、ないだろう。ないだろうか。しらたき(糸のようなコンニャクのような)
「昼となく夜となく
翔〔と〕びつづけ
音も立てずに
地球のまわりを廻り
しかもいつになっても
とどまりもしなければ
とまりもしない鳥が飛ぶ。」93
花を食べる料理とアイスクリーム、お茶。
「聳え立つこの思い出の高いあたり
探せ、小鳥らよ、探せ、
そのわななきの止まぬ間〔ま〕に
かつて君らの巣であった場所を。」94・95
透明な小さい魚は、多いだろう犬のようなものだ、建物にいて道にいるハトのような、キジバトである。アオバトが遠いなあ妖怪を見ていた、どのような楽器も数百年でバクテリアのようなものだ円熟クラシック音楽
「鳥が木に棲むようにそれは空中に巣くうのだから」101
どこにいてもテレビ
「昼は羞かしい夜鳥たち、
さっさと暗の中へと消える、」109
サメたくさんいるウニ。(ゾウをたくさん集めたら、アメーバに、なりました)

ランデブー

豊田真伸(大阪)

もしも君が僕より先に死んだなら
冬の空気より
雪の結晶より
透明な君のまごころ
君の灰を
まるで君のままのように柔らかく抱き締める

ランデブー
ナイロビの砂漠に浮かぶゴンドラ
と同じ月に僕らは運ばれる
それまでは
ミケランジェロより不恰好でも
太陽の塔のように胸を張り
サクラダファミリアよりも永遠に君を愛す

秋の夜長みたいに
ゆっくりと時間をかけて
僕たちは年をとる

紙幣

苗村吉昭(滋賀)

こどもの頃に人混みで
父ちゃんとはぐれたことがあった
ぼくは父ちゃんをみつけると
父ちゃんは手に一万円札を握っていて
その手に力を込めて
クシャクシャにしようとしていた
ぼくはなんでお金をそんなふうにするのか
悲しくなって
父ちゃんの握りしめた手をほぐそうと
こどもの小さい手をかけた
そのとき
その手が父ちゃんでないことにきづいた
ぼくは恥ずかしくなって
弾かれたように逃げ出し
ほどなくほんとうの父ちゃんと再会した
きっと あの人
ぼくがお金をとろうと思ったのだろうな
けれど あの人
あの硬く握りしめた拳
どうして一万円札を
あんなに憎しみを込めて
クシャクシャにしたのだろう
まるで人生に愛想を尽かされ
掌の紙幣のように疲弊して
重く重く歩いていたのは
なぜだったろう。

祇園囃子

速水 晃 (兵庫)

コンチキチンコンチキチン
落日に向う光を受けとめ
いっこうに進まないバスの座席で
夏を告げる合図の
上達していく協和音に取り囲まれている 

イタイイタイと崩れ落ちておまえは
救急外来に運び込まれ
熱気や騒音を遮断 静まりかえった病棟にいる
コンチキチンコンチキチン
治療から見放され 規則的な呼吸音が届く

チョウチョちがうチョウチョちがう
妹が生まれ長女になったね と
やさしく言われ泣き叫び
あきらくんのおよめさんになる と言っていたが
いつのまにか女盛りだ

コンコンチキチンコンチキチン
幾度枕辺へ通って
あの世へ渡るのを待っているのか わたしは
年端のいかぬ子どもをのこし
コンチクショウコンチクショウ
ひときわ高く 鉦(かね)がなる


銀行にて――大倉元の死を悼む

松村信人(大阪)

歓楽街の入口角に立つ
雑居ビル一階の小さな銀行
八月の昼下がり客はいない
行員たちは黙々とパソコンに向き合っている
相談に訪れた私一人
カウンター前に腰掛ける
係長代理の名刺を差し出した男は
まだ若い
何かと奥の上司にこそこそ相談

大した用でもなかったが
パソコンが暑さにやられたため立ち寄った
店内のデスクは空席が目立つ
ただ今故障中
主なき卓上パソコンの張り紙

外の通りは灼熱の日が降り注ぎ
人影はない
ああ、こんな時遠くからゲンさんの声が
ステージ4でなあ
もうアンタに会えることもないやろ


一生懸命に地球人

都 圭晴(大阪)

もう 鉛となった思考は
なにも掴むことなく
床に落ちた影と
沈んでいく

部屋のテレビには
こびりついた笑顔たちが
ある一定の賑やかさで
喋り続けている

彼らは認識を確かめ合っている
頑張るは尊い
コロナはこわい
子どもはかわいい
愛は純粋でないといけない

僕を枠にはめてみる

人間よりも人間
でない僕は
人間よりも人間くさい

僕は
僕でないといけない

いつしか 僕が映されていて
地球に向かって
この部屋は落ちていく


《投稿規定》

未発表の詩。投稿料は無料。自由に投稿していただいて結構です。掲載するか否かは編集部にご一任ください。校正はありません。行数、字数は自由。横書き、できればWordファイルで下記の編集委員のいずれかにメールでお送りください。メール文での作品を送っていただいても結構です。季刊発行で、3,6,9,12月の隔月10日の予定。各号の締め切りは2,5,8,11月のそれぞれ月末です。ご質問はメールにて受け付けております。

関連リンク随時募集中
澪標   https://www.miotsukushi.co.jp /

∑詩ぐ魔(第7号)
 ――――――――――――――――――――――
発 行  2023年9月10日
編 集  松村信人 matsumura@miotsukushi.co.jp
協 力  山響堂pro.
発行所  澪標 
――――――――――――――――――――――

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?