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Σ 詩ぐ魔 第10号


カフカの絶望

市原礼子(大阪)


「判決が下った
おまえは溺れて死ぬのだ」

突然 父の声が聞こえた
聞こえたような気がした
なにかのまちがいだ
あの父が
父はやはりそのように思っていた

父の自慢の息子になりたくて
父のようになって
母のような人と結婚して
幸せになろうとして頑張ってきたのに
それを目前にして
そのようなことを言うなんて

何もかもが崩れていく
何もかもが色を失っていく
何のために生きてきたのか
何のため頑張ってきたのか

橋の上から見える黒い川は
絶え間なく波立ち 下方へと流れていく
この流れに身を投げれば
父の望む息子になれるのだ

欄干をつかんで
逡巡する間もなく
ゲオルクは川へ落ちていく
「お父さん お母さん 愛していました」
と呟きながら

言葉の一撃が
生きる望みを絶つ

今日もどこかで
一人のゲオルクが
橋のうえから
ビルのうえから
落ちていく

あの時あの人を
絶望の淵へ追いやった
その言葉がいま
私の胸に突き刺さる

橋の上で逡巡する



こんにちは

小笠原鳥類(岩手)

 
ひとでちゃん(文)、ワタナベケンイチ(イラスト)『海のへんな生きもの事典 ありえないほねなし』(山と溪谷社、2024。無脊椎動物の本)の「Part4 ほねなし図鑑」(101~147ページ)の、「34動物門すべて」についての文章から引用「」と、思ったこと
「どこまでが1個体なのかあやふやなところがある。」(海綿動物門)
動物がサイや、テレビを見ているだろう犀と、イグアナがやってくるイグアナだ。建物と木
「でもアメーバのように単細胞ではなく多細胞。」(平板動物門)
はじめての線、というものと、映画で見ているワニ(花と象。花と、象)
「クラゲとサンゴは一見、仲間には見えないが、」(刺胞動物門)
この庭に、宇宙からのトンボ(昆虫)のような、窓があるだろうカマキリ。蝉
「風船のような透明な体で浮遊するためクラゲに似て見えるが、」(有櫛動物門)
ペンギンであると、ゴムのようなテーブルは、言いたいのだろう、そのように思っているエビ
「プラナリアに代表されるように再生能力がとても高い!」(扁形動物門)
スポーツと、怪獣が地理であるのだろう地理である。翼竜……
「真っすぐにしか泳げない動物と思いきや、」(直泳動物門)
絵があって、座っている楽器たちのような、雀
「体長数ミリのニョロニョロとした生きもの。」(二胚動物門)
アコーディオンにも(いくつかの)種類・種類が、シーラカンスを思い出しながら、いる
「粘着物質を出して物にくっつくことができる。」(腹毛動物門)
走っている動物がコアラのように、テニスとボールであるだろうサメ(みつくりざめ)
「研究が進んでいないだけでたくさんいる可能性が高いが、」(顎口動物門)
作曲
「世界中に分布しているのかもしれない。」(微顎動物門)
クレヨンが版画のように、あるだろう金属と始祖鳥のようなものだ。そのような踊り
「両者には細かいところでいろいろな共通点がある。」(輪形動物門)
ムクドリを見て知らない動物であると、ハトのように思っていただろう来るアオバト。
「伸縮可能でよく伸びる。」(紐形動物門)
写真で見ると、印刷の点、点であるだろう。アザラシがトマトを食べる想像がキクラゲだ
「海藻やサンゴに間違えられることも多い。」(苔虫動物門)
金魚を見ながら、であるだろう布を見てもいるのだろうイカがいて、りゅうぐうのつかい
「水中の有機物をキャッチして食べている。」(箒虫動物門)
舞台が、塗られている
「二枚貝にそっくりな2枚の殻をもつ、」(腕足動物門)
カセットテープというものが、銀色・銀色と、サンショウウオを思い出している
「どこにでもたくさんいるので私たちにとって身近な種も多い。」(軟体動物門)
ヒレがある動物の絵を(そこにピアノがあって電気ウナギもいる)、いつでもオオサンショウウオのように
「ゴカイ、ミミズ、ヒル。」(環形動物門)
かもめ、であると、あの牛は、言いたいのではないだろうか
「一輪の花のような形をした水生の生きもの。」(内肛動物門)

「地球で最も個体数の多いグループである。」(線形動物門)
彫刻は、絵である。カエルという動物、というもの
「針金のような細長い生きもの。」(類線形動物門)
鷲について書いたことが、なかったのだろう。――鶴――いくつかのフクロウを思い出すもの
「口のひげに付着して生活する海の生きもの。」(有輪動物門)
アンモナイトのように、歌っているだろう絵の具がクレヨンだクレヨンだ(粘土が箱のようになる)
「特に泥の中でたくさん見つかることから英語ではMud Dragon(泥の竜)と呼ばれている。」(動吻動物門)
カルガモは喜んでいる魚ではないが、壁の一部分が学校のようなものだ
「とてつもなく複雑な形をしている。」(胴甲動物門)
靴とスポーツであるだろう花が入っているものが、歩いている犬だ走っている
「じつはあのフサフサは鰓ではないことがわかっている。」(鰓曳動物門)
色を塗った。ラジオがピアノのようなものだ
「陸で暮らすものは土やコケの中に棲んでおり、」(緩歩動物門)
言っているテレビで昆布を見ていた。タオルをケーキは思い出すだろう・ワーと言う
「身を守ったり獲物を捕まえたりする。」(有爪動物門)
ペリカンを見て!極端なのではないか
「地球上で最も繁栄しているグループ。」(節足動物門)
楽器が入ってくるだろう、そのモモンガのようなものは、フクロウではないのだ。音。
「プランクトン採集でふつうに観察できる。」(毛顎動物門)
動物を持って体操をするのではないか未来が来ている。
「いまだ系統樹のどこに位置するか定まっていない謎多きグループ。」(珍無腸形動物門)

「とにかく棘皮動物にしかない特徴がとても多い。」(棘皮動物門)
サボテンでもないものを、並べて、透明に踊っていると思って、他の星から来て、驚いている見ている。畳の上
「ニョロニョロとした形で、」(半索動物門)
園(アライグマであるタヌキであると思っている公園――どんぐりきつつき――)――
「魚のような形をした海の生きもの。」(頭索動物門)
野・いくつかの野
「固着性または浮遊性の海の生きもの。」(尾索動物門)
むかしの印刷は、動物だったと思える科学の雑誌の、表紙で口を開けている動物だった。機械も喋りたいと思っています
「動物園で見られるのはほとんど脊椎動物。」(脊椎動物門)
鳳凰。



坂の海風

佐相憲一(東京)

 
坂道に吹く風が体の芯まで海にする
処刑の丘で彼方を見る聖人たちの瞳から
ドヤの巷で彼方を見る日雇いたちの瞳から
 
夕陽が血流に記憶の渡来の船を出す
造船ドックで炭坑の島で交わした笑顔
沖のはしけで埠頭の倉庫で交わした笑顔
 
殲滅を逃れた焼け野原は夢でまた焦がれる
ロザリオを骨に巻くステンドグラスと眼鏡橋
夢に大東亜などなく媽祖とジャズと大桟橋
 
密集した家屋の谷間を人は歩く
東シナ海のあおみどりの波を見つめて
太平洋のみずいろの波を見つめて
1950年代、1960年代、1970年代
1980年代、1990年代、2000年代
2010年代、2020年代、そして、
安土桃山時代から、江戸明治時代から
権力と観光の仮面に埋もれて暮らしの汗が
夢ばかり見ながら荒んだ裏通りに口笛吹いて
日本人という多民族混血児たちが
元気なふりしてたくましく泣きながら
 
得体のしれない勝負に負けた心優しい人たち
彼らの血は絶えている
いま生きている人類が傲慢さを捨てて
いま生きていない優しい先駆者の血流を
おのれの心深く合流させるのはいつだろう
 
長崎と横浜の
血祭りのたそがれ濃く回転を促す港に
片やトンビが旋回し、片やカモメが鳴く
丘と谷間の窓の明かりは夕もやのこの彼方
坂上る友愛の海風を甦らせるじゃないか
寂しい笑顔を混ぜてハイカラな革命の酒だ



理由

芝山 愛子(愛知)

 
馴染みのない風景に囲まれて
この道を歩いているわけを
静かに真剣に考える
 
大きな家々と広がる田畑
澄んだ空気 曲がった畦道
叢に咲いた黄色の花
 
此処に居るのが
わたしである理由を今一度
 
屋根と壁を覆うブルーシート
傾いた電柱 崩れ落ちた灯籠
危険と記された赤色の貼紙
 
冬の曇り空の下
生活は息を潜め
鳥の囀りだけがはっきりとしている
 
この道を歩く理由は
わたしである理由は
 
訪問した家の玄関で
何をどうしてよいかわからないと
堪えても溢れる涙の前に立った時
 
思わず一歩を前に踏み出し
考えていても出なかった
理由の答えを噛み締める
 
 
※石川県七尾市(2024.2)
   能登半島地震における保健師派遣より



 なだれ

豊田真伸(大阪)


自意識に触れる
 (地響きに揺れる)
僅かなわだかまりを
 (マグマのわだかまりを)
反省の意味で
 (満面の笑みで)
撫でつける
 (投げつける)
幾人も無しの
 (意気地無しの)
ただの白い
 (だだっ広い)
面影橋
 (重い架け橋)
硬い針の
 (空威張りの)
慟哭で記された
 (広告に照らされた)
対決色の
 (耐熱式の)
決め事を
 (秘め事を)
尖った靴履いて蹴り上げ
 (尖った口調で掻きむしり)
蔦絡まる思いは
 (忸怩たる思いは)
はしたない
 (明日には)
全体を通して
 (全体をして)
嘆きにもあらず
 (げに懐かしき)
倦怠感の花
 (近代のあだ花)
咲かす
明日に備えし
スローな現在



銃撃

苗村吉昭(滋賀)


スロバキア フィッオ首相 銃撃さる
撃ったのは71歳の男
文学クラブの創設者として詩集を出す活動などをしていた人物だという
詩ではなく5発の弾丸を放った遠い詩人の思いを
同じ詩を書く者としてわたしはずっと考えている
あの詩人は詩による共感よりも銃撃による分断を選んだ
そしてわたしもまた
銃弾を使わないまでも
相容れない考えの人たちを
嫌悪し罵倒し心の中で殺していなかったか
そしてわたしもまた
相容れない考えの人たちから
嫌悪され罵倒され殺されていなかったか
 
こんなふうに詩人は一人ずつ滅んでいき
人々はわかれゆく。



マネキン

mako nishitani(韓国)

 
ローウェストのワイドパンツ
襟の大きなクリーム色のシャツ
世界に対面させられて
鬱病を発症する首
体表から十センチほど内側のところで
まるで自身のひ弱さに
どうにか持ち堪えているようだ


 

知っているようで知らない

林 ケンジ(広島)

 
「トマトクリームポタージュ?」よりも
頂から飛び降るように(どっち?)
「もちろん。」という木だってある。
(もう少し小さな声で)
時間切れでもあります。「あたたかさ(ソフト)。」
誰の声だろう、電光掲示板だった
 
イエーツとかいう陽気で野球チームのような手触りでまとまっている? 
が転がっている「そっとしておこうよ。」と馬と
(見た目がいいトマトのような)本当にいる。仲がいいんだろう、が「ありがとう。」ハンラハン。どういたしまして、半裸のヒトは方角が西のほうだけど、ヒトであれ! 赤毛もいるし
らしくもある「半分にはさまれている。」と、おはようと。テーブルの上の「ラ。」の向こうへありがとうラララ「馬をちゃんとみててよ。」
朝(アサ)、を棒読みするどんどんズレる、耳たぶ(は医学用語で耳垂(じすい)といいます。)をツツツッと「足、気をつけてね尖ってるから。」ここはモニターだよ
散歩すればハンラハンが、動いている「トウ!」はまっすぐなソプラノで、「シリアル。」が、(まっすぐボウル)の中に(煮)ミルクをそそぐスプーンをカチャカチャいわせながら、熱さに気配りするフレーク(ス)なんだろうトーンを一定に塗られたトーストはシグナルを、ジャムしてる不定形なリズムの(さわやか)さ(差)の
踊っている、複数形がグレートに「完全メシだって。」メモリー、「馬来たよ。」優しいねと、「ドリンクのオーダーお願いします。」が、ヒラヒラと頬に触る、「祭りだね。」の隣はもう現金で「まったく冗談じゃねぇよ。」は、ノスタルジーは、牧草地とわたしは機械。「歌なんだって」を、払えなそう。ハンラハンは、「もう売り切れなんです。」だけが、飛(んでて)突き出している手が「あれはスカイツリーですか。」すっかり、しているんだろう
 
「これから長くなるのね。」、って(さんざんジオラマだった)山盛りにしたら、「*そいつは参った、わたしゃ耕されるねぇ」クラっとグミを放り込まれ半グラタンだって粘土で作れ(命令形)オーダーだってできる(サラッと)フライだった、「完璧なフライだったよ。」をやっぱり打ち返すしかないのか。グレードをいじる(しか)ないのか、「隠れているのかわいいね。」「ありがとう。」歯科(ヒト)がいる。ウサギ歯科はある
 
塔の反対のモノーは(完全5度)いっしょにいるのなら、(ンデテって模様はキレイ)なミント味ぐらいが、「グリかグラ?」。どっちかっていうと丸カステラな合唱(のメイドインジャパン)ぐらいがミディアムレアな、「ベジタブルではないよ。」フィッシングなグリッドだよ四角だよ「こんがり焼ける」は。僕であり「こんがり焼ける?」はキミであるし食べれるし、ミーの髪の毛だってまっすぐと空に、「今夜ステーキ?」高すぎるって。手がニョキニョキここでは、ユニゾンだしね、しかしホラーみ
 
「*は僕の名はアラム ウィリアム・サローヤン 柴田元幸訳 新潮文庫  2016 P174」(オーバーミディアムだった)
 
ホラーミ陽性か? 菜。土地で



 

ずんずんおじさん ずんずんと   

速水 晃 (兵庫)

 
おっ いい酒吞んでるね辛口で
  自分へのお祝い たまにはいい酒吞まないとね 
  おじさん酒のことよくわかってらっしゃる アルコールがお好きで?
(特大のペットボトルの容器ぶらさげて)
  大好きだねえ おれのは安物 酔ってしまえば同じだから
いつものリュックに焼酎しまいこみ
いつもの薄い長そでで
いつもよりにっこりと頬ほころばせなめらかな口調で
  それじゃ お先に
ハイタッチ仕掛けると温かでやわらかな掌が応えて
おじさん 軽やかにディスカウントショップを出ていく
酔ってしまえばみな同じか
旨い酒のあても出てしまえばみな同じ 妙に納得させられ
いつものスーパーでおじさん買い求めている品物を思い出してみる
 
おじさんの家は確かこのあたり ずんずん行って
呑みはじめる時間を楽しんでいるのか
それとも湯舟でさっぱりとしているのか
ずんずんずんと歩き回って心臓には適度なアルコールが必要
一日の流れすべてをクリアーにするための準備をする
明日 おじさんはずんずんと家を出る
足元みつめてずんずんずんずんと行って
頭から首筋までの汗ふいているところで また会うだろう
 
私は一升瓶をそばに ずずーっと車で帰る 



過ぎ去りし時の影

松村信人(大阪)

 
マスク
ソーシャルディスタンス
多くの人が体験を共有してきた
ワクチン
人手不足
そして後遺症が残った
それらもいつしか忘れ去られていく
あの東京五輪1964年秋
あの大阪万博1970年春から秋
かつては胸をときめかせた記憶
一度の人生で二度もめぐり会えると喜び
されどゴタゴタ続きだった東京五輪2021年夏
後手後手に追われている大阪万博
もはや<共同幻想>の時代はとっくに終わっていたのだった



夏の運勢

都 圭晴(大阪)

 
誰もいない夜が
鞄の整理をしている
アルジャーノンに花束を
悪童日記
汚れつちまつた悲しみに……
決められた通りに
鞄のなかへと忍ばせる
窓を開けると 蝉の声
彼らのうたは
外に閉じ込められている
退屈でさわやかな朝を
連れていくことにした
鞄に閉じ込めて太陽を待つ
うたのなか 爆発を待っている



思いで

森下和真(京都)


十二月のあたたかい日に
病室は静かにそこにあって
医療機器だけが
いつまでも動いているような

ベッドに横たわるのは
あれはイノチだろうか
痩せ細ったこめかみが
枕にそっと置かれた病室で

思い出のなかの面影が
その輪郭に交わることなく
行き場をなくしたままで
時間だけが過ぎていって

ベッドに横たわっているのは
あれは人間だろうか
あのおしゃべりな人はもういない
ガラス玉のような眼球だけを動かして

それしか動かせぬという悲しさか
それを動かせるという尊厳なのか
ちいさく動くそれは
いのちなのかもしれない

はげましの言葉や
アルバムの写真が
病室をからっぽにしていく

白い窓から
いかにも静かな光が差し込んで
何もないテーブルの上を照らしている
そんな日だった―

それから幾日かが過ぎた
雪の降る夜に
亡くなったと電話があった―

 雪が降る
 夜はつめたい隙間に
 とおい音を鳴らしているように
 思い出が
 不思議に光っている



林檎

八木真央(山口)


疑わない白雪姫を 愚かである と 笑えるか
林檎に毒を塗り手渡した魔女は 物語の住人か
 
絵本を閉じ 顔を上げれば 令和の世にも魔女は
至る所に隠れていて 微笑みながら 林檎を配る
 
おひとつ いかが と令和の魔女が手渡す林檎に
何が塗ってあるか 本当のところは誰も知らない
が ひと口囓れば相手が眠りに落ちるという事を
魔女だけは知り尽くして 今日も林檎を生み出し
せっせと配り歩く(貴方におひとつ)
魔女には他者が皆 おちょぼ口の白雪姫に見える
白雪姫達にも優劣があるらしいが 魔女の眼鏡の
歪み方などは 誰も知る由も無く 白雪姫達とて
林檎を差し出された姫を 差し出されない姫達が
愚かしいねと嗤う 林檎は踏み絵 と しぶしぶ
囓る姫も多く 王子のなかには中毒者も出たとか
魔女の林檎は苦くえぐみがあり それ故痺れるが
此の世界は そんな林檎のやり取りで回っていて
 
令和の魔女のもたらす痺れの成分を解析せずには
解毒の出来ない しかくしめんに愚直な姫がいて
子どもではあるまいし毒に慣れよ と呆れ気味に
諭される お転婆で愚かな姫がいて 愚かな姫は
手渡された林檎を あれからずっと 考えている
 
令和の魔女の林檎は 囓った者の身を焼く猛毒性
その様を傍で見る者の脳に甘い快感の走る中毒性
表面は磨けばそれなりに美しく しかし外面から
内面の成分は見えず どんな中身の調合がなされ
ようとも 他者にはどうすることも出来ぬ代物で
 
何かに似ている 何かに似ている と愚かな姫は
自分の胸に手を当てる と掌の窪みに林檎が一つ
在る 恐る恐る 自分のそれを 鏡に映してみる
自信なさげに 腐って萎んだ林檎が 映っている
その歪さに 姫も眠り崩れる 毒がゆっくり回る



編集後記

いよいよ「詩ぐ魔」も10号という節目を迎えた。それを待たずに5月18日発案者の和比古が息を引き取った。3号までこぎつけた矢先に原因不明の難病に侵され急遽入院、回復かなわず施設に転院していたのだった。思えば彼にとっても思いがけない病との2年近くにわたる長い長い戦いであった。私にとって稀にみる有能な人材を一人失ってしまった。彼がいなければ「詩ぐ魔」そのものがなかった。とはいえ、いずれは誰も通らねばならぬ道である。覚悟は決まっている。行けるところまで行く、振り返るのはずっと先の時点だ。(信)
 
*10号発行を記念して別冊を企画中です。小笠原鳥類責任編集・特別号です。乞うご期待!

 

《投稿規定》


未発表の詩。投稿料は無料。自由に投稿していただいて結構です。掲載するか否かは編集部にご一任ください。校正はありません。行数、字数は自由。横書き、できればWordファイルで下記の編集委員のいずれかにメールでお送りください。メール文での作品を送っていただいても結構です。季刊発行で、3,6,9,12月の隔月10日の予定。各号の締め切りは2,5,8,11月のそれぞれ月末です。ご質問はメールにて受け付けております。

関連リンク随時募集中
澪標   http://www.miotsukushi.co.jp /

∑詩ぐ魔(第10号)
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発 行  2024年6月10日
編 集  松村信人 matsumura@miotsukushi.co.jp
協 力  山響堂pro.
発行所  澪標 

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