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Σ 詩ぐ魔 第6号

らせん階段を君が

市原礼子(大阪)

らせん階段を君が下りてくる
見上げているわたし
うれしさにはじける子どものように笑う
君は父親のように優しくほほ笑む
ひな鳥が親鳥の後を追うように
盲目的について行きたい
 
君はらせん階段を上って帰ってゆく
わたしはここに残らなければいけない
片腕をもがれたアバターだから
こころを回復するために訓練が必要
痛いけれど我慢すれば
トレーニングが終了すれば
人間に戻れる
 
バイバイと
手を振ったわたし
君の声がする
お互いにがんばりましょう
 
朝の目覚めで
両腕を挙げて
思いっきり伸びをする
バンザーイ できた
 
がんばりましょう
声が遠のいてゆく
 
予想していました
優しい声がよみがえる
 
君の声が聞こえてくる
らせん階段を君が下りてくる

おお、この本の、カバーに、ドードーは、描かれている版画

小笠原鳥類(岩手)

「」の引用は、エドウィン・A・クランストン(グレーテルの会 訳)『水野るり子の詩――皿の底の暗がり』(思潮社、2016)から、クランストンの文章と、水野るり子の詩の言葉。この本の装画(ドードー)は田代幸正
「謎めいて……動物たちがさまよっている。」
ゴムが、ガラスを見ている窓。そこに銀色とイルカ(イワシが水槽に少ないとウナギ)
「やがて象が登場してくる。」
ウニを宇宙は見るだろうアンモナイト。そこにいる、チョウザメと池が、それから、すばらしい
「動物分布図まで記入されている」
イルカがメダカであるとき、オオカミとタヌキ。謎を見る魚が、沢を、思っている
「他に魚についての興味深い記述がある。」
チーズを棚が見ているから、チョコレートはコーヒーだ、粉である。それは船
「それは花の化石に似ています」
箱が、くだものだろう。それは大きい顕微鏡と、乾いているトカゲの理
「鳥たちの世界が恐怖、」
ウニ……エビ。この建物は、映画の木ですね、トマトがスプーン
「たとえば…干魚」
いろいろな骨がないナマコではない虫を見て、これは図鑑だ、四角いヒトデ
「鳥と卵は、水野の詩にたえず立ち現れてくるイメージである。」
帽子があれば、布があってウサギがハトでもある青。それが海水を飲むセミ
「水野は、ある作品でキャベツの内部世界を描写している。」
金色の題名が彫刻されている楽器で、アコーディオンが思っている部屋である隣の部屋。そこの窓からフルートが入ってくる(飛んで)
「キャベツの内部が見えることがあります」
トマトとヨーグルトを見ているのが、うどんだな、そこの上に消しゴムを並べる気分だ。醤油
「象から鳥に 鳥からトカゲに トカゲから貝に 貝からヒトに」
いつグライダーとカモメを組み立てるんだろうと、イタチが思って見ているのが、窓に描かれたシーラカンス
「まさに村上昭夫の『動物哀歌』の影響だと考えてよいだろう。」
紫色の魚が、表紙にいたキラキラのバクテリア(と、ふくろう)だから、みんなと肺魚の体操・フラフープ
「ぼくらはモアのことをよく話した 翼の退化した鳥モア」
いつでもペンギンは、カナリアだよ 部屋はヴァイオリンなんだ
「動物であふれていて、それらが強く情熱的な文体で描かれ、」
風呂が置かれている緑色で、その石と液体を見ていたら、上からはカメも来る
「「ゾウと……」という作品において特に顕著である。」
アメーバが見ている牛は、それから、広場だな
「すなわち兎を取り上げなくてはならない。」
水槽がウナギを見ているドジョウが、それから、ナマズとサメのようなコイであるだろう金魚。それはめずらしい透明な人を食べると思って、こわいメダカ図鑑
「兎たちの登場場面は増えてくる。」
青いハトや動物が、逆さになることがあるアザラシであるアシカの映画。水槽はゴム
「“野原にはバッタがいるよ……”」
ピラニアが、ヒトデではないから光る。光るよと言っている水槽の砂が、テレビだ
「スリッパが片方落ちていたり……」
クラリネットが二本あると、布だな、コンピュータだ(ヒレが出てくる)
「地べたに粘土のどうぶつたちが置かれている それはバクのようでもあり ゾウのようでもあった だがよくみると泥の塊にもみえた」
レコードが回転するサメ。それらを見ていると、種類であった。一匹が横にいて、その後ろに数人が口を開けているのは、写真が会話をしているのか建物
「水野の作品の中の犬たちの意味は常に謎である。」
砂があってトカゲがある石は、それから、たぬきのようなツバメであるだろう。その上
「私はかれらの夕食が大きな白い蛾であるのに気づく」
オーケストラが、それから、屋根に塗られたペンキの光が青い。スヌーピーおはよう
「その夜リスは巨大な草食の竜となって屋根の上をわたっていった……」
魚が、イグアナになるのは、かわたれどきと言える。そのころ、ムクドリを見て、あれはチドリであると言うことが、時代劇の一種の砂
「《石灰岩=サンゴ・ウミユリ・フズリナ・貝類などの遺骸が
集積したもの。しばしば古生代の化石を含む…》」
砂浜は、犬になる。
「あれは幼ない夜々にぼくらが描きつづけたふしぎな動物たちの姿なのだ」
恐竜を、動物が動かしているのが、粘土だな、なかにはパンダが入っている。パンダは、隠れているだろう踊り
「水野は、犬は「私自身の影ではないか」と述べている」
時計がスプーンであるビルの、上に、カラスが高いところにいたテープはカセットテープがいい

Buoy

かこい 伸太郎(東京)

ふくらはぎを攣って
しゃがみこむ
風の吹かない向日葵畑
いつもより遠い空が見える
 
空が丸みを帯びてひとつの
飛行船みたいだ
向日葵のつくる陰で
僕は丁寧にふくらはぎを揉む
 
ふくらはぎは第二の心臓だって 
だれかに聞いた    どこかで 
草いきれが起きると
 
空気中に散らばった水分は全て
僕の心臓   飛び込むたび
憧憬と後悔とが
全ての僕のポンプになる

夕立ち

佐相 憲一

核兵器のない世界を
と言いながらヒトは
核の脅しに屈しないために核抑止を
と言ってしまえばあとは
軍事同盟を強化して共に
と言うところまでくればもう
敵地攻撃能力を

戦争だけはイヤです
と言いながらヒトは
平和ボケしていないで戦争に備えるのも大事
と言うところで気分も変わり
自衛は堂々とやろう
と言うのは集団的自衛権のことで
この星のどこまでも出かけて自衛
よしと言って
戦争放棄を放棄する改憲へ

外国の戦地映像にむせび泣くその先は
やっぱり防衛よ
〇〇や×××が攻めてきたら困るな
どこの国だって軍隊は大事だろう
もう昔の日本じゃないから大丈夫だよ
ニッポン人ハユウシュウナンダ
(優秀、それとも、憂愁)

そしてまた8月
核兵器のない世界を
戦争だけはイヤです
この時だけは言っている
改憲政治家も武器商人もお涙の名演技
透けて見える日の丸軍事ビジネス
泣き顔とほくそ笑みの二重奏
核だから原発関連のおヒトもいるね
お抱え労働組合が野党分断もバッチリだ
すでにもう
約190か国中 第9位の軍事費だ
9条だから9位なのだろう

ことしの8月はひときわねじれた雲行きだ
素手のぼくの瞳から
世界の夕立ちが降っている

コズミック

豊田真伸(大阪)

世界大会のやり投げで
アメリカを飛び越え
アフリカを飛び越え
地球を飛び出した
 
君の詩想はコズミック
自然の摂理のハルカカナタ
何処へ行く?
何をする?
 
スカーフの結び目を解いてあからさま
風がヒュッと空を跨いだ
我儘は頭から消え去って煙と化す
 
その吹き出しもコズミック
宇宙から確認できるはずだ

見知らぬ読者

苗村吉昭(滋賀)

駅前駐輪場のわたしの自転車のカゴに
一枚の紙切れが入っていた
 誤って自転車を倒してしまいました
 ライトを破損してしまいました
 本当に申し訳ございません
 弁償させていただきたいので
 下記までメールいただけると幸いです
 本当に申し訳ございません
某大学にあるコンビニのレシートの裏面に
丁寧な手書きで認めてあった
黙っていてもわからなかったろうに
今時めずらしい真摯さだ
私はメールを打つ
 古い自転車なので弁償には及びません
 どうか気になさらないでください
 それより正直にご連絡くださったこと
 心より感謝申し上げます
顔も名前もわからないし
同じ駐輪場ですれちがっても
気づくことはないだろうが
ずいぶんボロボロになってしまった私という自転車でも
見知らぬ読者と
まだ
心に橋が架かるようだ。

夏の縁側

速水 晃(兵庫)

陽は山の端にちかづき 風は川をこえ 暖か
さの残る縁側へ流れこむ 母は座布団にすわ
り 植林をおえた持ち山を見ている 川遊び
から帰ってくるぼく 暗がりから はじかれ
たように飛び出してくる幼稚園児の 姪ふた
り 井戸で冷やしたスイカを 運んでくる姉
たち お世話になるよ 笑みをうかべ 静か
にあらわれる義兄 長姉家族の夏休み 次姉
の夫は 役場で勤務中 陽だまりに無声の笑
いが連なり しなやかに動く腕や指先と 口
許 幾条の光に包まれ 静止する動き 夢な
のだ この世で触れられない人が 共にいて
── まどろみつづけて 光芒は 底へ沈む
 また会えたらいいな 芯から温かな 一日
が はじまる

慈恩の人

松村信人(大阪)

大きな手やのう
都ホテル大会場の見送り口
一人一人の手を握りひと言声をかける
瀧藤尊教師
手の温もりはいつまでも残っていた
 
『慈恩の生涯』出版記念会は
もう二十年近くも前のこと
今でも何年かに一度問い合わせがある
在庫はないが増刷には踏み切れない
 
おっと、本箱の隅の方に一冊見つかった
少し汚れが目立つが売れるかな
こんなところにも
山積みした本の下の方に微かに背文字がうかがえる
あらら、またまた見つかった
うれしくなってかき集める
まだまだあったじゃないか…
 
改めて本棚を確かめる
平積みした本の山を探しまくる
全く影も形もない
 
お盆のころになると
尊教師のことを思い出す
 
 
   滝藤尊教  和宗総本山四天王寺第百五世管長
  『慈恩の生涯』(二〇〇五年 澪標) 

ねえ、元気かい?

都 圭晴(大阪)

プリンを見ている
夜なにげなく
見ている

のっぺりとして
我関せず
時たま
震えている

風を感じているのだろうか
そうだったらいいな

そうでなくても
いいのかもしれないけど

僕とは違い
天地がひっくり返っても
それはそれで
構わない
きいろいフォルムの哲学

どちらでもあり
どちらでもない

僕はきいろい物体を
つついてみる

擬態の勧誘

柳沢 進(東京)

もうミイラと呼ぶのをやめます
かつての人間を傷つけたくない
でも 大丈夫 ミイラはミイラ
ミイラ取りも魅入られたミイラ

もうピアノと呼ぶのをやめます
かつての木材を傷つけたくない
でも 大丈夫 ピアノはピアノ
取りつくろってもピアノはピアノ

イギリスの博物館はミイラの人権に配慮して
「ミイラ化した遺体」と呼ぶことにしたが
たんなる言い換えは腫れ物にさわるようで
かえって物々しさを助長するばかりだった


<投稿規定>

●作品は一人一作で未発表のものに限ります。
●テーマ、行数、長さは自由です。
●原稿は返却いたしません。
●横組、文字フォント、ポイント、約物(。、記号など)処理、は編集部に一任させていただきます。
●タイトル、名前(ペンネームOK)、居住の都道府県名を明記してください。
●校正はありませんので、完全原稿でお願いいたします。校正は編集部で行います。
●その他お気づきのことがありましたら、何なりとお申し付けください。
 
入稿先
matsumura@miotsukushi.co.jp

Σ詩ぐ魔(第6号)
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発 行  2023年6月10日
編 集  松村信人
協 力  山響堂pro.
発行所  澪標 http://www.miotsukushi.co.jp/
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