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特別なのは僕じゃない

自分が、職場のようないま置かれている環境で“必要とされている”と思って仕事をすることほど愚かなものはないかもしれない。

海外の著名な先生のいる研究所に留学し帰国したときに、空港に迎えにきてくれた人も次の就職先もなかった。恩師からこの話を聞かされた時(厳密には又聞きだが。)、驚きを隠せなかった。こんなに素晴らしい人でも、このような現実に直面するのかと思うと虚しくなった。

進学を機に活動拠点が変わった僕は、研究室の立ち上げメンバーとして微力ながら尽力し、これからを期待してもらっていた(と思う)。研究室の仕事をハンドリングしながら学生指導をしたり、それはもう様々なことをまかせてもらえた。「本当は残ってほしいけど」と惜しまれつつ、僕は新天地へと向かった。

その研究室で始めた仕事を新天地でも継続しながら2年が経った。「まかせてもらえた」と思っていたのは僕だけで、後輩たちが新しい知見を見つけ出した。すごく喜ばしいことではあるが、この時僕は冒頭で述べたことを思った。微力な尽力は、自分が大きく貢献しているはずだという慢心へと変わり、後輩の知見で焦りへと変わった。僕が特別ではなく、あの研究室でできる仕事がスペシャルであり、僕の代わりに推し進められる人材は多くいたのだ。

鳩が豆鉄砲を食ったようにもなり、他人に、なにより自分に期待することはやめた。自分にできることを精一杯やる、当たり前だが忘れかけていた初心を思い起こし、これから身を引き締めてやっていこうと思う。求めるべきは他人からの評価や羨望ではない。僕自身が納得できる答えだ。この分野に僕の名前が刻めるように。

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