結婚願望がなかった僕が決断した理由①
sigmaです。僕には最愛の妻がいる。「結婚してよかった」そう思う日々を送っている。なぜ結婚願望がなかったかというと、何にも縛られないから、である。この「縛られる」という発想が覆るのには、妻と出会ってそう時間はかからなかった。
大切な“時間”
幸いにも、好きなことを職業として行なっている僕は、朝は早く・夜まで仕事をしていたいタイプだ。家に誰かが待っていると気を遣うし、何より進捗スピードが大幅に落ちてしまうと考えていた。「長い時間」こそが仕事を進めるものであると勘違いしていたのだ。
こうは言ったものの、忖度のない発言をする当時の妻に好感を抱き、同棲を始めるまでにも時間は掛からなかった。ステレオタイプかもしれないが、意外にも妻の方が同棲に乗り気だったのである。だったら、ということでトントン拍子で様々な手続きをし(妻は退職してくれたり)、文字通り僕らの時間がスタートした。
空気ではなく、酸素のような存在
初めに言っておくが、依存しているわけではない。そこにいてくれることが自然である、ということだ。同じ空間にいながら、僕は仕事の続きを、妻は動画視聴を、といったように別のことをしている。一切の干渉はないが、確かにお互いの存在を感じているようなそんな感じ。うまく言い表せないことを残念に思うが、似たような感覚を持っている人は少なくないのでは?と思っている。しかしながら、この点は完全に妻が気を遣ってくれている(ストレスになるほどではないはず)。僕の性格を考慮し、何を言うでもなくそっと支えてくれる妻は、さながら酸素のような存在なのだ。
混ざり合ったことすら気づかない一体感
所詮は他人。そんな言葉をよく耳にするし、至極真っ当な考えだ。多様性や個の考えが尊重されるいま、同棲はぶつかり合いを生みやすいものになっているかもしれない。それでも僕らはぶつかり合わなかった。まるで昔から友人のような絶妙な距離感で生活を送っている。幸運とも呼べるいまの状況のありがたさと気づくと、「この人との結婚を先延ばしにする理由はない」という確信を持つことができた。何をするでもない時も、何かを計画して実行する時も、妻といれば大丈夫だろうとたかを括る僕もいるが、しばらくはこのままでいても問題はなさそうだ。
2人でいることの相乗効果
時間は、生きている限り等しく与えられるものであり、その濃度は1人で使うと足し引きでしか変えられないが、2人であれば乗除で変えられる。子どもができたら、それをもっと強く感じるんだろうと予想している。
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