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絵本読み聞かせ#8 (幼稚園にある絵本100冊)

4歳の長男は、絵本マイスターである。
これは小学校入学前までに絵本1,000冊に挑戦するという札幌市が企画する幼児向けプログラムで、昨年の2月から始め11月ごろに認定された。
同じ絵本を何回読んでもカウントに含めて良いため、厳密に1,000冊読んだわけではないのだが、300冊・500冊・800冊という節目ごとに缶バッチが貰え、1,000冊(というか回)読破したら記念品や賞状を頂戴できるので、子育ての一つのベンチマークとして、ワクワクしながら取り組んだ。
ただ1,000回読んだものの、読み手の自分の頭に残っている本は数少ないことに気づいた。絵本そのものを楽しむというより、数値目標のクリアにフォーカスしすぎたせいもあるだろう。思い返せば、ディズニーアニメを絵本化したものなども含めているけれど、数をこなす為に読んでいたことは否めない。(興味があるものを読めば、日本語も身につくかなという打算もあったけれど)
こうしてnoteに感想をまとめることを通じて、子どもにとっても読み手である私にとっても記憶に残る絵本にもっと多く出逢いたいと思い始めた。
なので、正味1,000冊の読破を目指して、これからも読み聞かせを楽しんでいこうと思います。

今回のおすすめは、「しあわせなふくろう」です。


#41 いのちの木

『わすれられないおくりもの』のオマージュ的な作品に思えた絵本。(作者にその意図があるかは不明)
年老いた狐は森の広場に横たわり、その命の灯を消した。すると広場には狐の毛並みのようにオレンジ色の実をつけた木が伸び、動物たちは狐と過ごした日々を思い出す。ありし日の思い出はいつまでもあたたかく、悲しみと感謝が入り混じりながらメメント・モリに耽る動物たちを通じて、狐の存在の大きさに気づく。
誰しも憧れる死後の此岸の光景の眩しさを感じた絵本だった。


#42 てぶくろ

本作はウクライナ民話であるが、これに似たお話がロシアにもある。
木の小屋を見つけた動物が、一匹また一匹と集まり、最後にクマがやってきた。先に入った動物たちは懸命に思い止まらせようとするもクマは無理やり入り込んだ。すると小屋は重みに耐えられず崩壊しちゃった、というお話だ。妻の母国カザフスタンにも伝わっており、子ども達はロシア語の絵本で何度も読んでいた。本作では小屋の代わりに手袋の中に動物達が次々に入っていくのだけれど、ストーリーの流れは共通している。
日本で出版されているロシアや東欧の絵本は、内田莉莎子さんの訳本が多く、我が家のバイリンガル子育てに大変役立っているのだけれど、本作の訳も秀逸だ。くいしんぼねずみ、ぴょんぴょんがえる、はやあしうさぎ、おしゃれぎつね、はいいろおおかみ、きばもちいのしし、のっそりぐまといった表現は、ロシア語のリズムや語感を残しつつ、動物の特徴を捉えた訳で小気味良い響きがある。多くの人に愛されている絵本だ。



#43 しまふくろう いきる

手島圭三郎さんの絵本。北海道の動物やアイヌ民話を描かせたら右に出る者はいないのではないだろうか。本作は自然の中で逞しく儚く生きるシマフクロウの姿を描いた。緻密に描かれた版画の絵が魅力的だ。”シマ”とは北海道を指すが、極東ロシア・沿海州にも生息しており、全世界では数千羽、ロシアでは250〜400羽北海道では200羽程度しか生息しない絶滅危惧種だ。翼開長は180cmと世界最大のフクロウである。本多勝一さんがまとめた『アイヌ民族』は、天地創造の章で天の神・地の神元に1羽のフクロウがやってきて目をぱちぱちして”何かしら”されたところ、たくさんの神が誕生したことが紹介しているが、このフクロウとはシマフクロウでないだろうか。動物園で見たことはあるけれど、自然の闇に翼を広げるシマフクロウを一度見てみたい。子ども達もシマフクロウが大好きだ。



#44 わたしと あそんで

「もりのなか」を描いたポール・エッツの作品。森の動物たちがあれやこれやと寄り集まって遊びに耽る「もりのなか」とは対照的に本作では女の子がいくら声を掛けても動物たちは見向きもしてくれない。仕方なく池のそばで静かに黙って座っていると、自ずから動物たちが集まってきて遊びが始まり、女の子は満足そうに家へ帰っていった。求めよさすれば与えられんというキリストの教えは、求めという行為が意識から外れたときに叶うことを指しているのかなと思いながら読んでいた。女の子が家の敷地の外=自然との境界に出ている様子を有刺鉄線の網で表しているところが印象的だ。



#45 おおかみと七ひきのこやぎ

これまでも何度か読んだことがあるお話で、子どもも私もお気に入りの作品の一つ。原作はグリム童話。絵本や児童文学の世界ではオオカミが割りかし悪役になって懲らしめられたり殺されたりする結末が多いけれど、いわゆる西欧の物語の特徴であって、私が知る限りロシアや東欧のお話ではオオカミよりキツネやクマがその対象になっているのが興味深い。本作のオオカミは御多分に洩れず、こやぎを食べたものの、おかあさんやぎが寝ているところを見つけてこやぎを石に入れ替えたため、最後は井戸に落ちて死んでしまう。因果応報と言えばそれまでだけど、オオカミのやられっぷりには少し同情してしまう。


#46 しあわせなふくろう

オランダ民話を「スーホの白い馬」の大塚勇三さんが訳した絵本。
何度も読みたくなる作品の一つだ。百姓に飼われた鳥たちが、たべることとのむことばかり考え、喧嘩に明け暮れる中、ふくろうの夫婦は古くて崩れかかった石のなかで幸せに暮らしていた。鳥たちはふたりがしずかになかよく暮らしている訳を知りたいと思い、孔雀を使いに寄越した。孔雀の話を聞いたふくろう達は、鳥たちの前で滔々と話し出す。ふたりは、芽吹きと緑葉と無数の花々が開花する春を喜び、花の周りで羽音をたてて飛ぶ虫達から夏を感じながら森の木陰で気を安らげ、落葉を蜘蛛が巣に繋ぎ止める秋を過ごして、雪が地面を覆う冬に巣へ戻り静かに過ごす、という季節の巡りを愛でながら身を寄せあう生き様を紹介した。鳥たちは、ばかばかしいと一蹴し、そんなことでしあわせになれるはずがないと捨て台詞を吐いて、ふくろうたちを後にした。二羽のふくろうは、楽しい思いに耽って、元の生活に戻った。
ふくろう夫婦のささやかな喜びに溢れた日常に幸せを感じるところに、先に紹介した「しまふくろう いきる」との共通点を見る。


#47 おなじそらのした

「いのちの木」と同じ作者の絵本。
雲や雨の雫などを切り抜いて、おなじそらのしたで起こる共通の出来事をそれぞれの場面で繰り返し読めるようにした構成がおもしろい。遊ぶことも、愛し合うことも、歌うことも、嵐に見舞われることも、そして夜空に輝く月に思いを馳せることも、おなじそらのしたで起こっている。この星で生きるのは、平等だけと不公平でもある。妬まず嫉まず憎まず、希望を胸に生き続けることは苦しい。それでも、と思う時に心を和ませてくれる絵本だ。


#48 とんがりぼうしのオシップ

赤い糸から連想される通りのオチではあるけれど、小人のオシップが赤い糸をたぐりながらちょっとした冒険を乗り切っていくところが愛くるしく感じられる絵本。草むらの風景を赤い線で描いている表紙絵が印象的。イラストやグラフィックデザインを修めた作家の絵本は、驚きや発見、閃きに満ちていて読みながら面白く感じる。



#49 水の絵本

読み聞かせながら、ブルース・リーが"Be water, my friend"とインタビューで答えていたことを思い出した。水の特性は、かたちにこだわらず、青い地球を満たし、命にとってかけがえのないということ。簡潔明瞭、そしてユーモラスな詩が、清流のようにゆったりと心に沁みわたってくる。子どもが発した思いがけないと問いから、長田弘さんはこの詩を書いたそうだ。詩によって表象される情景を、かがやく水の美しさを、色彩豊かに鮮明に描く荒井良二さんとの共創絵本。幼稚園に寄贈した保護者に感謝である。



#50 空の絵本

#49と同じく、長田弘さんと荒井良二さんの共創絵本。天候によって表情を変える空の様子を、だんだん だんだん だだだだーん という時間の経過や一瞬の轟の音によって、そして色のコントラストやグラデーションによって、表現しており感性が刺激される。子どもは効果音が好きだから、それだけで楽しんでいたかもしれない。この2作品より前に、「森の絵本」という作品があるそうだが、幼稚園の本棚には見当たらず。合わせて読んでみたい。


今回はここまで。
改めてですが、読んでいただいたりスキやコメントをいただくことに感謝です。ありがとうございます。

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