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自己紹介 - ゆとり発⇒閉鎖病棟(其の一)

はじめまして。こんにちは。
幼時のプロフィールは割愛しますm(__)m。

13歳で精神障がい者となった僕。小学校を(完不になったのは5年生で)ドロップアウトした時点から、「引け目」とか「背徳性」(学校、行ってない奴の抱く独特の感情です)を強く意識するようになりまして、特段、家にいてやることもなく、しごく汚く妄りな思案にふける日々でした。まあ、3時以降、下校している友達に会うのも厭で、外に出るのも、億劫でしたね。

14歳以降は、映画やアニメ(そう云や、それ以前、もっと幼いころは「赤ずきんチャチャ」が一番好きだったな、、、)を見て、それ以外はPCでカチャカチャ、掲示板なんかに書き込んだり、単調で退屈な日々ですよ。しかし、チャチャの最終回を迎えた日に至っては、僕は泣きながら自転車をこいでこいで必死に、空々しい空虚感を浴びて、ちょっとしばらく抉らせちゃいました。

それからもっと年喰って、大阪では朝8時に「幽☆遊☆白書」の再放送をやっていまして、毎日欠かさず観て、もう無我夢中。戸愚呂兄弟や、黄泉も好かったけれど、うっすら仙水忍の世界観に洗脳されそうになって、人類を呪う黒魔心が、僕の琴線に触れておりました。

カッケー仙水さん!!

★なぜ不登校?

男の子が怖かった印象があります。女の子は比較的やさしかった(今は女が強いんだけれど)。単純に回避したかった、学校の集団、ナチスばりの統一性から。例えば、朗読ね。あれ最悪ですよ。あんなことするから、学校きらいになるんですって。プールも運動会も最悪の行事です。どうして大人は、集団がまとまると思うんでしょうか。現に、これだけ諍いが起きている社会で、西ドイツと東ドイツ、カソリックとプロテスタント、大乗仏教と上座部のように、区分けされるのが、人間の社会、学校も会社も同じです。センセイは、みんなが一つの方向を向いて走ってくれると云うきれいごとを、昼夢見しているのでしょうか。

★名作との出会い

それから14、5歳でクエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』に出会って、映画監督になるぞと息んで、それより毎日、映画のことばかり夢想する日々でした。
逆に、本は読まなかった。難しいのは苦手で。小説は、三島由紀夫の『金閣寺』で、「手ごわい」と思ってしまって、うーん『潮騒』は平明で好かったけれど、まあ、こう云う世界もあるんだ、と感嘆。サルトルは最悪でした。

魅力的なミア・ウォレス。当時、夢中になった映画『パルプ・フィクション』より

★松本人志

ダウンタウンは、好きでした。いわゆる松本信者ではないですけれども、『ダウンタウンのごっつええ感じ』は、ビデオでしか観たことがなくて、『ダウンタウンDX』は、もちろん毎週観ていましたけれど、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで‼』は、当時関東ローカルだったと思うので、観れなかったですし、ラジオ『放送室』もこっちではやってなかったですね。まあ、『頭頭』とか『VISUALBUM』は大好物でした。今は、ダウンタウン系は、一切観ないです。別段、決めているわけじゃないですが。

★最初の入院

17、8歳の頃(正確に記録していなくて)、分裂病の悪化だったのか、ちょっと憶えていないですけれども、まあ、閉鎖病棟に入院したのですが、まあ、杜撰な病院で、まるでムショ暮らしみたい。ソッコー退院しましたけどね。あんなところは、人のいるところではないです。人生観、ひっくり返る。あそこで6年耐えれたら、釈尊なんて見下げれます。

★障がい者手帳

「精神障がい者福祉手帳」が初めて配付された時、「あゝ俺は障がい者だ‼」 と再認識し、ちょっと暗鬱(仕方ねえ)。渡世人にも、乞食にもなり切れず、只々、障がいとのエブリデイ・ストラグル。
そんな時は、耳に、ジミ・ヘンドリクスの即興演奏を入れるだけ。それに、クラシックで云えば、バッハはともかく、ベートーヴェンは異常なほどマッチする。

人類史上最高のギタリスト、爆誕。

(其の二)に続く。


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