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トラベラーズノートを買おーか、買うまいか(と、ずーっと悩んでいる)

手に馴染んだものって良いなぁと思う。
履き慣れた靴のように良いものだなぁと思う。
飽きっぽい自分なので、手に馴染む前になんだか飽きてしまったり、他のものに目移りしてしまって手に馴染んだものってあまり多くない。
ひとつだけ例を挙げると、それはKensington EM7(Expert Mouse)で、こいつは今使っているものが二代目で、通算すると使ってる期間は10年以上になると思う。
途中で、Magic MouseやMagic Trackpadに目移りしたし、実際に使ってみたけれど、結局はEM7に戻ってしまう。
二代目の今ではもうすっかりスクロールリングがボロボロになってしまったので、三代目の購入を検討している。
今度はコードレスのにしようかな。

あ、話がずれた。
そう、手に馴染むものを持ちたいんだった、そうそう。
それが筆記具や手帳なんかだと、「もう一生離さないよ」な感じになるんだろうな。
で、自分のお葬式の時には長年使い続けた手帳と筆記具を一緒に棺桶の中に入れてもらうのだ。
う〜ん、これは良いなぁ。
クタクタの手帳と筆記具、筆記具は万年筆だとなお良い。
そこにEM7があるよりも絵になるだろうな。
なにしろEM7はデカすぎるし、プラスティックを多用している製品なので、葬儀に来ていただいた皆さんから見ると愛着感を理解してもらえないのではないだろうか?
材質がプラスティックなものって、経年による美しさよりもビンボ感の方が勝る気もするので、やはりここは革製品を選んだ方が良いかもしれない。
そんな革製品に対する憧れもあって、「あ、トラベラーズノート」ってピッタリじゃんと思うに至った。
手帳には以前から興味があって、たとえばバレットジャーナル(ビュレットジャーナル?)を極めようとしたことがあった。
極めようとして、あれこれ考えているうちに、そんな毎月のカレンダーを自筆で作るなんてあり得ないと思い、バレットジャーナルは断念した。
そんな経験があるので、紙の手帳に憧れる反面使いこなせないのではないだろうかという恐れがあるのだ。
もう少し正直になると、コクヨの野帳を使おうとして、野帳用のカバーもいくつか買った。
しかし、どうも手書きが良くないらしい。
iPhoneなどを使っているので、「今さら手書きなんてできるかよぅ」である。
いつも持ち歩いているバッグにiPad miniがピッタリ収まるので、iPad miniを持ち歩ける手帳にしようかと思ったこともある。
そのためにAppを探したし、FileMaker Proを使って自分専用の手帳アプリを作ってやろーかとさえ思った。
でも、そうしていても、どこかで紙の手帳に愛用の万年筆(またはこだわりのボールペン)で手帳になにかを書き綴りたいなぁと言う気持ちはいつまでも燻り続けるのだ。
ま、そんなふうに手帳を開いてそこになにかを書き綴る自分の姿を想像しては喜んでいるのだが、では、そこにいったいなにを書き綴れば良いのだろう?

以前、バレットジャーナルを始めようとしたことがあると書いた。
その時にはスケジュール管理とToDo管理をしようとした。
すでに、iPhoneでGTD(Geting Things Done)を実行していたにもかかわらずである。
スケジュールやToDoの効率的な管理だけを求めるのなら、そりゃiPhoneの方が適しているに決まっている。
当然、バレットジャーナルはすぐに飽きてしまった。
なにしろ、日付と曜日の入ったカレンダーを作るところから始めるのがバレットジャーナルである。
おいしい料理を作るのに、野菜作りから始めるのがバレットジャーナルである。
もちろんそこにも楽しみはあるけれど、効率的なものをそこに求めるのはまちがっている。
そんなわけで、6月から始めて8月のカレンダーのレイアウトを書いているところで、やめた。
6月のカレンダーを書いているときは、あれこれレイアウトを考えるのが楽しかった。
7月のカレンダーを書きながら、要領よくカレンダーを書くコツとタイトルのデザインが決まった。
8月のカレンダーを書きながら、これを毎月分作るのかと思ったら、うんざりしてやめた。
おそらく二日も続かなかったのではないか?
飽きっぽいというか、判断が早いというか、やめる時は(傷を広げないうちに)さっさとやめるに限るのだ。
では、「紙の手帳に愛用の万年筆(またはこだわりのボールペン)で手帳になにかを書き綴りたい」自分をどうやって作るのか?

カレンダーもToDoも、そんなものはiPhoneに任せちゃえば良い。
住所録だってそうだし、メモだってそう。
noteの下書き記事だってiPhoneのノートパッドに入力しとけば、すぐに記事をアップできる。
そして、自分にはなにかをスケッチしたり、デッサンするような器用さはない。
そんな自分がなにを書き綴れるだろう?
トラベラーズノート派の人たちはいったいなにをしているのだろう?
ネットで調べてみた。
なにかの記録を残す人が意外と多い。
そもそもの始まりは旅の記録を残すものらしい(本当かしら)。
自分の場合にはスタートにバレットジャーナルがあるので、記録を残すと言う発想がなかった。
そ、そうか、なにかの記録を残すのか、そうかぁ。
なにかをファイリングしてけば良いのかな?
記録、ファイリング。
困った、自分には記録に残すものがない。
いや、日記くらいはつけているが、それはまたちょっと違う。
毎日、家の近所を散歩しているが、コースもほぼ決まっていて、なにかを残せるとしたら、どこそこの花が蕾だったとか、その蕾が開いたとか、どこそこの道路に穴が空いていたとか、雨が降り止んだ翌日の朝、その穴に水溜まりができていて、太陽の陽が反射して美しかったとかは、おもしろそうではあるけれど、近所を細かく観察している気持ちの悪い人と紙一重ではないだろうか?
そもそも、そんな散歩の時にあのごっついトラベラーズノートを持ち歩いて、なにかを見つけるたびにペンを走らせる?
もう、完全に気持ちの悪い人そのものではないか、だめだ、だめだ。
では、どうすれば良いのだ?

<続く>

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トラベラーズノートを買おうか、買うまいか(もしかしたら)/3
トラベラーズノートを買おうか、買うまいか(とりあえずの結論)/おしまい


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