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折り紙おりおりおりおりおり

 「最初に〇〇した人はすごい」という話で小一時間盛り上がることがある。ナマコを最初に食べた人とか、コンニャクを最初にこしらえた人とか、色々挙げられるだろう。そんな中で、折り紙とあやとりを最初に発明した人も見上げたものである。見上げても見えないくらいで、首が痛い。

 折り紙は日本人が子供の頃から親しむ遊びで、私も自慢じゃないが、折り鶴程度なら今でも折ることができる。本当に自慢にならないのも珍しい。あやとりも、「ゴムゴム」とか「飛行機」とかが作れるオールスターみたいなものであれば、おそらく今でもできると思う。二人(以上)でお互い取っていく「二人あやとり」も楽しいものだ(ちなみにマイ・ホームタウンでは「川」から始まる習わしであった)。

 折り紙にしろあやとりにしろ、今では上のような解説がインターネットですぐ手に入る。それ以前には書物もあっただろうが、だいたいは親子や地域社会を通じて、その技術が連綿と受け継がれてきたのだろう。それは歴史のロマンであり、溺れた栗は溺死のマロンである。そして何より、これらを最初にやってのけた人はすごい。初めから完成形が見えていて手順を進めていったのか、テキトーにやっていてたまたまああいう形になったのか。どちらにしても凄まじいことで、私のような凡人からすると人智を超えた力が働いている気がする。

 さて、折り紙は「ガミ」と濁っている。いわゆる連濁である。一方、あやとりは「アヤドリ」と連濁しない。似た音の親鳥は「オヤドリ」で連濁しているというのに、よくわからない。実際、連濁という現象はどのような環境で起きる・起きないのか、よくわかっていないのだ。

 ひとつ有名なのはライマンの法則というもので、後部要素に濁音があらかじめ含まれている場合、連濁は起こらないといわれる(山火事:やまかじ / *やまがじ」)。あとは、意味的に二つの要素が修飾ではなく並列である場合、連濁は起こらない(親子:おやこ / *おやご)。

 これだけで連濁のすべてが説明できるわけではなく、「あやとり」が連濁しない理由は謎のままだ。そういえば、「取る」由来の単語は連濁していない気がする。あやとりのほかに、ちりとり、すもうとり、虫取り網──。ただし、横取り、総取りなんかは連濁する。どうやら、前部要素がヲ格のつく名詞に相当する場合、連濁は起こりづらいらしい(下記サイト参照)。つまり、「ちりを取る」し「相撲を取る」が、「横を取る」とか「総を取る」とかはしない。連濁が起こるのは後者の場合というわけだ。

 「瓜売りが瓜売りに来て……」という早口言葉がある。これを「貝買いが貝買いに来て……」とパロディした場合、「貝買い」は「かいかい」と連濁しないのではないか。一方、「衝動買い」や「大人買い」は連濁が起こる。ここでもやはり、ヲ格名詞は連濁しないというルールが適用されているようだ。

 連濁って奥が深い。深すぎて底が見えないくらいで、首が痛い。

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