【読了】作品は作者の個性から逃れられない
世界の十大小説
世界の十大小説(The Novels and Their Authors)/サマセット・モームを読み終えた。あまり時間をかける気もないので簡単な紹介と心に残った点を備忘録としてまとめる。
上巻の始めはモームの「小説とは何か」という問いに対する持論から始まる。そして10の偉大な小説の紹介があり、最後には10人の著者たちが会合したらどのようであるかを考えた一種の創作に続き、彼らが偉大な小説の著者に成り得た理由の考察を重ねる。
モームの挙げた10篇の小説は以下の通り。
1.トム・ジョーンズ/ヘンリー・フィールディング
2. 高慢と偏見/ジェイン・オースティン
3. 赤と黒/スタンダール
4. ゴリオ爺さん/バルザック
5. デイヴィッド・コパーフィールド/ディケンズ
6. ボヴァリー夫人/フローベール
7. モウビー・ディック(白鯨)/メルヴィル
8. 嵐が丘/エミリー・ブロンテ
9. カラマーゾフの兄弟/ドストエフスキー
10. 戦争と平和/トルストイ
ランキング形式ではなく、小説の特質から並び順を決めたようである。例えば、モウビー・ディック、嵐が丘、カラマーゾフの兄弟は同じ括りの小説として順に取りあげられる。
優れた小説とは何か
モームが優れた小説の特質として、何よりも「小説は楽しくなければならない」と主張したのは、既にnoteやTwitterでいくらか書いたので割愛する。
楽しく読めるとはどういうことか、数ページに渡りいくつかの観点から条件が紐解かれる。そのうち「最後に、小説は楽しくなければならない」としたのは(文章の切り方を誤っていなければ)8番目の主張である。
以下、そこに至るまでの要旨をまとめる。
①主題は広範囲にわたって興味を起すもの(地域性、特定の世代向けではない)
②主題はいつになっても興味が失われないもの(時事的ではない)
③作者が物語る話は、首尾が一貫していて説得力を持つもの
④一つ一つの挿話は、本当らしく思えると同時に、主題を展開させるだけでなく話の筋から生れ出てくるもの
⑤作中人物の行動がそれぞれの性格に由来する
→「この人物はきっとこんな風に振る舞うだろう」という読者の期待に応える描写
⑥作中の人物の物の言い方がその人物の性格に由来する
⑦文章は分かりやすく、文体はぴったり内容に合う
⑧小説は楽しいもの
⑤・⑥に関連したつぶやきを少し前にした。これは小説(創作)とは別時空での思い付きであったが、小説家にはまさしくこのような気持ちを起こさせる責務があるということだ。
もっともらしく物語る小説家にはこの側面が重視されるであろう。しかし実際の人間で首尾一貫した人生の動機を持ち、常にその行動指針に従う者は恐らく多くない。対人関係にこれを期待する私は少し考え直した方がよいのかもしれない。友人は創作の人物ではない。
モームの重視したこと
この本は10篇の小説を紹介したものと書いたが、実際には紹介というほど親切ではない。この本の読者は取り上げられた各小説を既読のものと想定して、作品を批評し、また著者の人生に迫った。
この本の解説ではこう述べられている。
モームは小説家と作品の不可分な関係性を重視した。
小説家と作品の結びつきは二つの観点より説明することができると考える。
個性
第一に、小説の出来事は全くの空想ではなく個人的な経験あるいは個人的に感銘を受けた伝聞に由来する。自信の恋愛を元に起きたこと・起こせなかったことを記述した者もいれば、友人に聞いた事件をそのままプロットにした者もいる。出来事だけでなく他人の見解を拝借する者まである。モームは、このことには問題を見出さなかった。
ある小説が偉大な芸術作品たるためには、珍しい材料・考え方が必要なのではない。むしろありふれた出来事を芸術作品に昇華する力が求められるのだ。
出来事が作品に仕立てられた際の精工さの評価として、内容が違和感なく頭に入ってくるか、文章に引っかかることなく頭に入ってくるかというチェックポイントがある。これらは「優れた小説とは何か」で挙げたいくつかの項目と重なる。
モームが取り上げたいくつかの小説は文章に優れて、主張に一貫性があった。作品の精度の点検をした際、問題なくチェックがついた。一方で、構成に粗が見つかり、文体が醜く、読みにくいという欠点を抱えながらも他の偉大な小説と肩を並べたものがあった。
この記事の読者の中にも、優れた小説たる最も重要な「小説の楽しさ」を担保するのが、上手く記述する文章の力だけでないことを理解している方がいるはずだ。
自身の経験あるいは伝聞した出来事を、独自の、個性的な見方で解釈する。真に重要なのは、この能力である。
色眼鏡
小説家と作品の第二の結びつき、それはどれほど優れた小説家であっても、自身の持つ個性的な物の見方から完全に免れた作品を創造することができない点にある。
モームは一人の著者を語るに当たり複数の伝記・伝記的文章を採用した。伝記を「作者の人間としての特異な性格を読みとる鍵をさぐりだすための資料体」と捉えてのことである。鍵は「人格の個性の特質」と読み替えて差し支えのないようだ。
例えばフローベールは10人の小説家のうち最も、あるいは唯一、文学を手段ではなく目的として求めた。著者自身の見解は控えた無私の描写に努め、文章の向上を試みた。しかし、フローベールの作品を読み、「人物が一貫して冷たい」と捉えた読者もいたようである。見解を控えたところで、フローベールの穿った世界の眺め方は登場人物に反映されており、完全に自然な人物像にはならなかったためである。
また、ドストエフスキーの登場人物の訳のわからなさを検討すると、ロシア人の特質というだけでは説明のつかない傾向が見つかる。何故なら、同世代ロシアを生きたトルストイの描くニコライ・ロストフのような「陽気で、無頓着で、贅沢で、勇敢で、愛情のある好ましい青年」はイギリス人にも見つかるからである。トルストイが地域に拠らず普遍的な登場人物を描き出したのに対し、ドストエフスキーの作品にはどうにも変わった登場人物が多い。ドストエフスキーの個性に基づく描写が、全ての人物に染みついているからである。
ここでは分かりやすく、二人の例から小説家の個性から免れた人物を描くことの難しさを述べるに留めたが、人物に限らず完全に小説家の個性から免れた状況・時代・見解等の描写は同様に困難を伴う。
小説家は、自身の生き方を通して備えた独自の視点を持ち世の中を解釈する。一方で、その個性にある程度縛られた表出方法しか取ることができないのである。だから、この二つの観点より、小説を理解する上で著者の人生を理解することは有用なのであると、モームは考えたようだ。
感想
読了の満足感のままノー推敲で突っ走ってきた。最後に二つ面白かった点を挙げて終わりにする。
モームの採点
以上紹介した優れた小説の条件、小説を理解する上で重要なことはどちらも、小説に限らず他の芸術作品に向き合う上でも有用であると感じる。文章の上手いモームによる説明により、いくつもの「優れた作品とは何か」、「作品の欠点は何か」という評価項目を楽しく身につけられた。
また、既にいくつか例を挙げた通り、小説の紹介においてモームは作品を褒めるだけでなく破綻している点の指摘もしている。論理的に説明のつく上品な悪口はそれだけで良質な読書体験でもある。
俯瞰する
小説をストーリーから切り離し、構造的に理解する。登場人物の性格を、その性格そのものから一歩引いて性格の与えられ方を考える。登場人物の動機を作者の性質に求める。モームの批評はこのような俯瞰した手法によって行われた。
内容の詳細にこだわらず一歩退いて物事を捉えるというのは、最近の私にとって重要なテーマであった。
世界の十大小説は、俯瞰した物の見方のトレーニングとしても良質な書物であった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
この記事で取り上げたのは一部に過ぎず、他の部分も紹介された作品を読んだことのある方ならば楽しめると思うので是非!
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