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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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「さよなら」はごっこ遊びのように——杜野凛世「さよならごつこ」考察・感想【シャニマス】

さよならごっこは慣れたもんさ でも手を振ったら泣いちゃった
僕らの真っ赤な嘘だけが 濡れる 濡れる そして朝が来る
離れ離れになるってことは 一度は一つになれたかなあ
諦めと呼べば後ろめたい さだめ さだめ そう君は呼んだ

「さよならごっこ」amazarashi

 2022/1/1、杜野凛世pSSR「さよならごつこ」が実装されました。普段何気なく口にするお別れの挨拶——お疲れ様、いってらっしゃい、よいお年を——がとても愛おしく、切なく思える。そんな、目頭が熱くなるコミュでした。
 引いては、「アイドルマスター シャイニーカラーズ」の魅力を再認識できるコミュでもありました。静謐な日常の中でふと芽生える言語化しがたい感情。それが掘り起こされ、肥大化されることで、何気ない日常が"輝き"、"色づく"。そんなエブリデイ・マジックを存分に味わうことができました。

 ありがとうシャニマス。正月からこんなに素敵なコミュを用意してくれて。それでは感謝を込めて歌います。聴いてください——


フェス衣装のコピー

「凛世の胸を盛るな高校校歌」斉唱!!😡💢


可愛いからOK

……でも可愛いのでOKです!😁👍

 ……えー、前置きはこの辺にして。
 以下、個人的な解釈を多分に含みますが、「さよならごつこ」の感想・考察・元ネタ解説などをまとめます。他の凛世コミュと同様、今回も暗喩や婉曲的な表現が巧妙に組み込まれていました。彼女の物語をより楽しむための一助となれば幸いです。

(※以下、「さよならごつこ」および杜野凛世関連コミュのネタバレを含みますご注意ください)


君離る——年の瀬に

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 物語は年の瀬から始まります。凛世とプロデューサーは仕事帰り。何だか浮かない顔をしている凛世に、プロデューサーは悩み事があるのかと訊ねます。すると、凛世は年末年始の休暇で帰省することを打ち明けます。

 プロデューサーは言葉をかける。そうか。ゆっくり休んでくれ。何か力になれることがあったら連絡してくれ——なんてことはない年末の会話のはずですが、

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画面は突然暗転。
不穏なBGMが流れ始め、
どこか素っ気ない選択肢が表示されます。

 ……なぜか? これは凛世の心情を反映した演出なのです。

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選択肢「来年も、よろしくな」

 凛世は、帰省でプロデューサーと離れてしまうから浮かない顔をしていました。プロデューサーを再びお目にかかれる来年が遠く、遠く、感じられる……

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 しかし、プロデューサーは水を差すように「正月休みは短いぞー」と軽口を叩き、さらには「休みは嬉しいけど……短い方がいいな 大切な仕事があるからさ 凛世が、楽しくて、嬉しくなってくれるための仕事」と仕事の話を持ち出します。
 他の選択肢でも、凛世は深刻に考えているのに対して、プロデューサーが軽いノリで答えている様子が描かれます。その事実に凛世がショックを受けたからこそ、不穏な雰囲気が漂う演出になっているのです。

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 一連の会話の途中で暗転し、電車の音が挟まります。コミュ冒頭で電車に揺られる風景が描かれているので、凛世は故郷へ向かう電車に乗りながら、プロデューサーとの会話を思い出していることがわかります
 凛世は虚しく響く電車の音を——貴方さまを離れる音を聞きながら、プロデューサーとの会話を思い出して胸を詰まらせたのでしょう。物理的にも、心理的にも、プロデューサーとの距離は遠い……

円香

「あなたの脳内は仕事だけですか? ミスター・ワーカホリック」

 と、心の中の円香が騒ぎ出しますが……プロデューサーは決して凛世を邪険にしているわけではないんですよね。凛世を労り、正月休みを楽しんでほしいと純粋に思っている。だから軽口を叩くし、「休みが終わっても楽しいことは待ってるからな!」と励ましているのです。
 また、社交辞令として年末の挨拶を言い慣れている、という心理も感じられます。

十二月短篇

 こちらは「十二月短篇」の一幕。プロデューサーは、仕事相手宛ての年賀状に一筆入れる文章を考えていました。仕事柄、そうした機会は多く、彼にとって年末の挨拶は事務的なものになったのかもしれません(そうならないように思いのこもった文章を必死に考える、というのが「十二月短篇」のコミュですが)

 仕事上がりの「お疲れ様」、背中を送り出す「いってらっしゃい」、年を締めくくる「よいお年を」——私達が普段から何気なく口にしているお別れの挨拶は、大切な人と離れてしまう時間の開始を告げる合図でもあります。言い慣れたから感覚が麻痺して、忘れているだけ。その悲劇的な事実にハッと気づかされるコミュです。


南天①——"赤"い南天と、"青"い空

 第2話「南天」。南天(ナンテン)はメギ科ナンテン属の植物。日本では古くから親しまれており、「難(を)転(じる)」という字を当てはめることで縁起物とされています。冬につく赤い実は、正月の飾り付けで用いられます。赤い実の花言葉は「幸せ」「よき家庭」「私の愛はますばかり」

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 コミュ内にもこの植物が登場します。南天の赤い実と、澄み切った青空が、言葉を呼びかわしているようだ——凛世はそう語ります。

われにかへれ2

 自然の声に耳を傾ける、という行為は「われにかへれ」にもありました。自然現象に自分の心情を仮託するのは、短歌の常套手段。それに慣れ親しんでいるからこその行為なのかもしれません。

 そして今回。凛世が言うには、青空は南天に「お前は美しい」と、南天は青空に「あなたは遠い」と言葉をかけている(「われにかへれ」では聞こえなかったが、今回は聞こえている——二人の関係が「われにかへれ」から変化したことの示唆?)

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W.I.N.G.「運命の出会い」より

 「お前は美しい」と語る青い空は、凛世をアイドルとして見初(みそ)めたプロデューサー。「あなたは遠い」と語る赤い南天は、プロデューサーに届かぬ恋心を抱く凛世。そう読み解くことができます。
 というのも……この「赤と青」という暗喩・対比関係、実は他のコミュでも登場していたのです。

われにかへれ

 代表例は「われにかへれ」。凛世の舌はかき氷のシロップでくなり、プロデューサーの舌はくなる。その色が二つに交わって紫になることはない——二人の気持ちは通じ合わない。そんな暗喩で二人の会話が描かれました。

風 嗚呼
風 嗚呼
紅みを秘める 青い紫陽花のような
この頬 照らされて また息吹く
常咲の庭
「常咲の庭」杜野凛世(丸岡和佳奈) 古屋真作詞

 杜野凛世ソロ楽曲「常咲の庭」には、青い紫陽花が登場します。その花言葉は「あなたは美しいが冷淡だ」参考サイト
 要するに、凛世が抱く恋心を「赤」に、そんな彼女の気持ちに応えられないプロデューサーを「青」に見立てる暗喩・対比関係があるのです。

 話を戻すと……赤い南天と青い空の会話は、「われにかへれ」のリフレインであるように感じられます。花言葉も合わせて考えると——

凛世の愛はますばかりだが、
プロデューサーには届かない。

 そんな自分の思いを、凛世は南天と青空に見たのです。

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 凛世は故郷で南天を見かけて、その時の会話を思い出しました。今は物理的にも「あなたは遠い」……しかし——


南天②——チョコレート、あるいはプロデューサーと過ごす日々

 しかし、凛世は同時に、あの会話の直後にプロデューサーから受け取ったものを思い出します。

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 真っなパッケージのチョコレート。これも凛世を暗喩したものと見て間違いないでしょう。

 チョコレートを受け取った凛世は「食べると失くなってしまう。失くなってしまうのはもったいない」と語ります。プロデューサーと過ごす時間は特別だ。でも、一緒に過ごす今日という日はあっという間に終わってしまう。それがもったいないと感じる。彼女のそんな心境を暗喩しているのでしょうか。
 そんな凛世に、プロデューサーはこう語りました——

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 これまた暗喩に富んだ選択肢です。各選択肢の会話内容と、私の解釈をまとめてみます。

【食べない方が、もったいないぞ?(楽しまなきゃもったいないぞ)】
 だからといって、プロデューサーとの日々を味気なく過ごすのはもったいない。ちゃんと味わおう。
 プロデューサーはチョコレートを食べた後、「遠慮しないでくれ そんな珍しいものじゃないんだからさ」と語る。凛世は故郷でその言葉を思い返し、「珍しく……なくとも……あるのです……もったいない……理由が……」とつぶやく。プロデューサーと過ごす時間の中では、珍しくないものですら特別に感じられる。

【賞味期限が来ちゃうぞ(いつか終わっちゃうぞ)】
 賞味期限が来る——プロデューサーと過ごす日々は、いつか必ず終わりを迎える。
 プロデューサーはチョコレートを食べた後、「なくなったら、また買えるよ 美味しい時に食べれば、また食べたいって思える」と語る。凛世は故郷でその言葉を思い出し、「また……食べたいと思うから……心が……騒ぐのです……」とつぶやく。いつか終わりを迎えるからこそ、今日という一日をちゃんと味わう。しかし、味わったからこそ、余計に気持ちを抑えられなくなる。

【なくなるんじゃないよ(思い出に残り続けるよ)】
 プロデューサーはチョコレートを食べた後、「なくなるんじゃなくて 美味しいっていう、気持ちになる」と語る。プロデューサーと過ごす日々は、思い出として心の中に強く残り続ける。

 凛世が胸の内に秘めている言語化しがたい感情。それが暗喩・婉曲的表現で巧みに表現されているように感じます。いずれの選択肢でもプロデューサーがチョコレートを食べているのは、凛世の本心を掴めずとも、彼女と過ごす日々をちゃんと大事にしていることの証左でしょうか
 南天、青空、チョコレート……いやマジでどうやったらこんな表現思いつくんだよ……

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 「南天」に登場する一連の暗喩は、遠のくこと、離れてしまうことを予感させるものばかりです。しかし、第1話「君離る」から一転して、今話では暖かなBGMが流れており、凛世も終始微笑んでいます。凛世は遠く離れた故郷にいるからこそ、プロデューサーと過ごした日々を思い出し、そして大切にしようと思えたのではないでしょうか。

 大切な人と離れる時間は、辛くて、切ない。だからこそ、一緒に過ごす時間の大切さを実感することができるのです。


遠きにて——南天と青空が、言葉を交わすように

時系列

除夜の鐘らしき音が聞こえる、背景は夜、プロデューサーは「11時46分」と言及。年越しを迎える直前の出来事だと推察できます。

 続いて「遠きにて」。本記事の最後に述べますが、思い出アピール名「[510]ひかりにて」は、この時の出来事を指していると思われます。凛世にとって、それだけ思い出に残る出来事だったのでしょう。

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 大晦日のお祭り。凛世はと、姉の夫と屋台を巡る。凛世の姉は恒常sSSR「夜明けの晩に」「Landing Point」で登場。夫は今回が初登場です(!)
 ……凛世の家庭事情についてなんか書こうと思ったんすけど、「あ〜〜〜〜凛世が子どもの頃から成長を見守っている親族になりてえ〜〜……」以外のことを考えられなくなったので省略します。詳しくは当該コミュを読んでもろて。

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 凛世は姉と、姉の夫の会話を反芻します。これには二つの説あります。

われにかへれ3

 ひとつは、「われにかへれ」の出来事を思い出している説。凛世はかき氷にシロップで赤くなった舌をべーっと見せた。その時の光景を思い出している。

いろは

「283プロのヒナ - 恋愛いろは」より

 もうひとつは(私の独自解釈が強いですが)二人の会話を、自分とプロデューサーに置換している説。「りんご飴が食べたいです」「ははっ……口が真っ赤になるぞ?」「ふふっ……真っ赤になったら、面白いです」と。もしかしたら普段から、少女漫画のお気に入りのシーンや、短歌の情景を、プロデューサーに置換しているのかもしれませんね。「283プロのヒナ - 恋愛いろは」でもそんなシーンがありました。

 いずれにせよ、健気でかわいすぎてもりちゃんやば……じゃなくて! プロデューサーのことを考えたに違いない。離れていても、いや、離れているからこそ、凛世はプロデューサーのことをずっと考えてしまう。
 凛世はたまらず姉夫婦の元を離れます。年納めに電話をかけるのは迷惑かもしれない。「君離る」では、「もし何か力になれることがあったら 連絡してくれ。いつでもいいから」と言われたが、別に助けが必要なわけではない。それでも……10コール目で出なかったら諦めようと心に決めて、電話をかけます(「○コール待って出なかったら諦めるか〜」って何気に解像度が高い描写ですよね。あるある)

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「お姉さま」「お母さま」「樹里さま」で連絡先登録してるのかな。かわいい。

 ガシャ演出の指の動きに注目すると、少し躊躇した後にビデオ通話ボタンを押していることがわかります。迷惑かもしれないという迷い、はたまた、メッセージだけで済まそうかと考えたのか、着物を見てほしいからビデオ通話を繋げたのか……想像が膨らみますね。

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 電話のコール音が虚しく鳴り響く。1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9……まだ繋がらない……「遠い」という言葉がここでも強調されます。プロデューサーと再会できる来年が遠い、南天が青空に語る言葉は「あなたは遠い」……そして今も、遠くに感じられる。凛世の必死さ、切なさが伝わる反復表現です。

 そして、10。諦めかけた、その時—

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 プロデューサーに電話が繋がります。
 ここ、凛世とプロデューサーの指の動きが対比的です。凛世と違って、プロデューサーは躊躇せず、すぐに応答ボタンを押しています。仮に立場が逆で、凛世が着信を受ける側だったら、(このような時間に、プロデューサーさまから……!?)と、あわあわしながら電話に出ることでしょう。しかし、当然ながらプロデューサーにはそんな様子はない(意外には思ったかもしれないけれど)。「君離る」で描かれた、遠く離れることに対する思いの重さの違いが、二人の指の動きにも表れているように感じられます。

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 プロデューサーに電話が繋がり、凛世は驚きます(かわいい)

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 諦めかけたけど、電話が繋がった……!! 感極まって、はしゃぐように笑みを浮かべます。口の動きから察するに、「プロデューサーさま……!」と言っているのでしょうか(かわいい)

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 思わず感情が溢れ出したが、ふと"我に返り"、プロデューサーに見つめられていることに気づいて、恥じらう。こうした初々しい反応、ころころと変わるあどけない表情もまた、彼女の魅力のひとつですね(かわいい)

ガシャlast

 かわいい(『蝶のように、貝殻のように、捺花のように、人形のように、可憐な少女をガラス箱のなかにコレクションするのは万人の夢だろう』と、澁澤龍彦は「少女コレクション序説」で述べました。白雪姫がガラスの柩に閉じ込められて丁重に守られている情景のように、純粋無垢の象徴たる美少女をコレクション化したいという欲望は古今東西の物語に浮かび上がっています。凛世が文字通り手中に収まっているというこの構図が可愛らしく、そして、どこか背徳的な雰囲気があるように思えるのは、人間のそんな潜在的欲求をかき立てるからなのかもしれません)

 ……はあ〜(余韻)。ご飯3杯はペロリといけちゃいそうなガシャ演出ですね。素晴らしいの一言です。ありがとうシャニマス 。でも凛世の胸は盛るな😡💢

 ちなみに、このイラストも、凛世がいる場所は、プロデューサーがいる場所はで描かれています。南天と青空が言葉を交わすように、凛世は「あなたは遠い」と思いながら、プロデューサーは「(晴れ着を着た)お前が美しい」と言葉を送る……そんな会話が繰り広げられたのかもしれませんね。凛世が南天と青空の会話を想像したように、読者視点でも凛世とプロデューサーの会話内容を想像させられます。

 二人の通話内容は直接描写されず、凛世の「遠い……」という独白で幕を閉じます。「ロー・ポジション」でも、二人が「アイドルじゃない、凛世さん」「プロデューサーさまではない、プロデューサーさま」になった直後に幕を閉じ、会話は直接描写されませんでした。その演出を模しているように思えます。
 なぜ描写されないのか。かなり解釈の余地はありますが……あえてブラックボックス化することで、私的(プライベート)な時間であることを強調するため、でしょうか。読者視点では会話が見えないからこそ、その時間が二人にとって私的かつ特別なものであることを感じられます。

別件ですが、宮澤伊織氏が「壁になりたいとか、観葉植物になって見守りたいとか、あるじゃないですか。僕はまったくそう思わないんですよ」「観測したくない」と語ったことがあります。その心境に近いかもしれません。


常盤——完璧ではなくとも、永遠ではないからこそ

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 第4話「常盤」では、「南天」の裏話・後日譚が描かれます。
 姉から常盤(緑色)の髪留めが贈られる。赤い南天、青い空、緑色の髪留め……3つ揃っていれば美しかったのに。凛世がそう振り返るコミュです。

 常盤(緑色)の髪留めは何を暗喩しているのか。これには2つの説があります。

 1つ目は、赤・青・緑で三原色を表している説。この三色を混合すれば全ての色を表現することができます。しかし、本コミュの最後に差し込まれる意味深なカットは——

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選択肢「締まらないよな、年の瀬なのに」「はりきるところじゃなかった」

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選択肢「綺麗な格好で、歩かせてしまって」

 赤と緑。赤と青。どの選択肢を選んでも、二色だけが映されており、三色が同時に映ることはありません(赤い縦線が入るのは、「凛世、ほら なんかなってる——」という台詞が、赤い南天の実を指していることを視覚的に表現するためか)
 赤、青、緑——三色が混ざることは決してない。全ての色を表現できない。すなわち、凛世(赤)とプロデューサー(青)が過ごす日々は、全てが思い通りになるわけではない。そんな暗喩として読み解くことができます。

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選択肢「綺麗な格好で、歩かせてしまって」

 それを踏まえた上で読むと、この会話が気になりました。凛世はプロデューサーから綺麗な格好だと褒められる。凛世は、緑のかんざしがあれば、もっと綺麗なのに——でも隣を歩ける嬉しさの方が勝る、とつぶやく。
 完璧な自分でいることはできない、プロデューサーとの日々は全てが思い通りになるわけではない。しかし、たとえそうだとしても、プロデューサーの隣を歩ける日々が嬉しい。
 あるいは、たとえ思い通りにならずとも、思い通りにならないからこそ、ひたむきに歩く杜野凛世という少女はこんなにも美しい。そんなことを考えさせられます(不憫や曇らせを求めているわけではありませんが)

 2つ目は、永遠を暗喩している説。常盤(ときわ)とは、常に変わらない岩のことであり、転じて永遠を意味します。
 永遠を意味する常盤の髪飾りが、肝心な場面で手元になかった。そして、遅れて届いた。これは、プロデューサーと過ごす日々は永遠ではないかもしれないこと、過ぎ去った後の思い出は永遠あることを想像させられます。いつまでもアイドルを続けられるわけじゃないからね。それに…………………………すまん、辛くなるから、これ以上は言わせないでくれ。察してくれ。
 この解釈は、「南天」の選択肢「賞味期限が来ちゃうぞ(いつか終わっちゃうぞ)」「なくなるんじゃないよ(思い出に残るよ)」にも通ずるものがありますね。

 大切な人と過ごす時間は、全てが完璧にこなせるわけではない——それでも、一緒にいられる時間はとても愛おしい。大切な人と過ごす時間は、いつか永遠に終わりを迎える——だからこそ、その日々を大切にしようと思える。思い出に残り続ける。そんな、愛おしさと切なさに溢れるコミュであるように感じました。


我に帰れ——「おかえり」の場所、対比表現の妙

兄さま

おいおいおいおいおいおい!!!!
待て待て待て待て!!!!

 やめてくれシャニマス 。凛世の兄さま呼びは私に効く……作中に姉の夫が登場したので、実兄ではなく義兄でしょうか。義兄のこともちゃんと兄さまって呼んでくれるんだな。杜野凛世、やはり礼儀正しい子だ……(後方腕組み)
 いや待てよ、仮に実兄なら凛世は三番目の子ってことになる。それは想像の余地があるな。「放課後☆肝試しパニック」でイタズラを仕掛ける凛世は、末っ子特有のわがままが成したものか。いや、姉の無邪気さから影響を受けたものか、はたまた——

 ……失礼。さて、TrueEnd「我に帰れ」これは全ての凛世オタクが衝撃を受けたタイトルです。「The Straylight」のタイトルが発表された時に「ストレイライト最終回か!?」って話題になったじゃないですか。それと一緒です。
 このコミュ名は言わずもがな、pSSR「われにかへれ」を踏襲したもの。本記事で言及した通り、「さよならごつこ」は「われにかへれ」を彷彿とさせる描写が多いです。自然の声に耳を傾ける、赤と青は混ざらない、りんご飴で舌が真っ赤になる……旅先での出来事を綴った物語、という点も一致します。

知らぬ顔

 「われにかへれ」だけではありません。本コミュでは「知らぬ顔」という言葉が出ますが、これは「ロー・ポジション」第1話のタイトル。凛世とプロデューサーの通話がぷつっと切れた演出もそうであったように、「ロー・ポジション」を彷彿とさせる描写も含まれているのです。

 で、実際、「ロー・ポジション」「われにかへれ」を踏まえて読むと、コミュの奥行きが広がります。ここからは、個人的解釈マシマシになりますが——

 プロデューサーの元にいる凛世は「アイドルの凛世」、故郷に帰った凛世は「アイドルじゃない、凛世さん」と見ることができます。その乖離があればこそ、「われにかへれ」「G.R.A.D.」では様々なすれ違いが起きました。
 ともすれば、「アイドルの凛世」とは、恋心を隠し、平静を装う偽りの姿であるように思えますが——実態はそうではありません。

いつからがアイドル

 「ロー・ポジション」では「いつが……アイドルで……いつが……そうではないのか……」とつぶやく場面があります。「G.R.A.D.」で求めること・わがままになることを覚えたからでしょう——どこからどこまでが「アイドルの凛世」なのか、その境界は曖昧になっていました。

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 そして、「Landing Point」では、アイドルとして「必ず……凛世が……(プロデューサーさまを)魅了いたしますゆえ……!」と宣言する場面があります。「アイドルの凛世」もまた、プロデューサーに思いを届けようとする、自分らしい存在なっているのです。

見知った顔

 「アイドルじゃない、凛世さん」としての場所が知らぬ顔になり、「アイドルの凛世」としての場所が見知ったものして近づいてくる。本当の自分とは何か。私は何者か。杜野凛世とは何か。確かに言えるのは、故郷だけではなく、遠く離れた場所も——

おかえり

 プロデューサーがいる場所も、自分でいられる場所である。「おかえり」の場所である。新たな一年が始まる場所である。

 「われにかへれ」は、我に"返"る=正気に戻る、という文脈で使われていました。今回は「我に"帰"れ」です。故郷へ里帰りするように、今の自分のアイデンティティを成す場所に帰る、その場所を再発見する、そうした意味が込められているのではないでしょうか。

 ……というのが私の解釈です。ここに関しては、かなり解釈の余地が広い部分だと思うので、あくまで参考程度に。何かしらの気づきを得るきっかけになれば幸いです。

近く

 ところで——「君離る」「遠きにて」では、「遠い」という言葉が強調されてきました。その対比として、「我に帰れ」では「近(づ)く」が使われます。

 「赤 - 青」「遠い - 近(づ)く」「われにかへれ - 我に帰れ」——「さよならごつこ」は対比表現が多いです。それを踏まえた上でコミュを読むと、より一層、感じ取れるものが多くなります。二人の距離を、近づいてゆくことを、杜野凛世という少女が辿って来た道を。そして、チョコレートや常盤の暗喩からは、別れや終わりがあることを。

 また、それらが直接的な表現ではなく、暗喩的に表現されていることが実に巧妙。私達の日常には、自分ですら気づかない些細な感情がいくつも眠っている。そのプリミティブな感情を、原型を保ったまま投射してくれる物語に仕上がっています。これはものすごく乱暴な言い方ですが、ぱっと見ただけでは「故郷に戻って、また帰ってくるだけ」のお話なんですよ。でも確かに感動できる。そこで映し出される些細な感情の変化に、人情の機微に、深く共感できるから。
 そんな儚くも美しい物語であるからこそ、最後の場面はじんわりと心が暖まるような感動に満ちており、こう感じさせてくれます——

 大切な人と離れる時間は、辛くて、切ない。だからこそ、「おかえり」という言葉は、こんなにも暖かい。そして、その言葉で、自分が何に安堵を覚えるか、自分が何者であるかを、見つめ直すことができるのだと。

神話学オタクの余談。神話学者ジョーゼフ・キャンベルは、古今東西の英雄譚には、出立通過儀礼(イニシエーション)帰還の類型があることを見出しました。
プロデューサーの元から"出立"することは、凛世にとって"通過儀礼"になり、それを乗り越えて成長して"帰還"した……そんな物語として読み解くこともできそうです。


最後に——ひかりさす、510、助詞のように、さよならごつこ

 小ネタ解説と、締めの挨拶です。

ひかりさす

 まずは、親愛度MAXの思い出アピール「[510]ひかりさす」について。

 「ひかりさす」は、斎藤茂吉の短歌「ひかりさす 松山のべを 越えしかば 苔よりいずる みづを飲むなり」が元ネタだと思われます。が差し込む故郷で、苔むす泉の湧水を飲んだ情景を詠った歌です。
 故郷で、祭りの明かり(ひかり)が灯る中、プロデューサーと電話したことは、さながら心を潤す出来事だった——そんな風に思い出に残ったのでしょう。ちなみに、斎藤茂吉の作品は「Landing Point」でも題材になりました(「紙幣鶴」)

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「さよならごつこ」は、この台詞から物語が始まります。

 続いて「510」。これには二つの意味があると考えられます。1つ目は、電車の音「ごとん」。これに「ご - 5」「とん - 10」と、語呂が合う数字をあてはめたものです。旅立つ時は、プロデューサーから遠ざかる音であり、寂しく思った。しかし、帰りにはプロデューサーから近づく音になり、胸が高なった。そんな心情が垣間見えます。
 しかし、なぜ「ごとん」を英数字で表現する必要があるのか——

コール音1

コール音2

 それが2つ目の意味、「電話のコール音」「5」, 6, 7, 8, 9, ……不安と期待を胸に待ち続ける。そして、諦めかけた瞬間、「10」で繋がった時の驚きと喜び。

 電車の音、電話のコール音。どちらも、無機的かつ断続的に繰り返される音であり、プロデューサーから遠ざかる音であるように感じていたその音が、プロデューサーに近づく音に変化した、という点で一致しています。その時の音、情景、感じたことが、凛世にとっては思い出に残ったのでしょう。

<2022/10/24追記>
 ……と思っていたんですが、ツユモシラズさんの説の方が説得力がありますし、何より素敵ですね。勉強不足を恥じるばかりです。


 ガシャイベント名「助詞のように、街あかり」、街明かりぽつぽつ灯る様子、助詞見立てたもの。……こんな感じでね
 思い出アピールといい、ガシャイベント名といい、マジでどうやったらこんな表現思いつくんだよ……(2回目)

 ……以上、思いのほか長文になりました。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。最後に——今回のコミュは、何気なくお別れを言うプロデューサーと、思いを秘めながらお別れを言う凛世の対比が、私は印象に残りました。そこで、「さよならごつこ」になぞらえた締めの文章を。

 お疲れ様です、いってらっしゃい、よいお年を——私達は普段から、何気なく別れの挨拶を口にします。社交辞令として。気軽なコミュニケーションとして。また出会えることが自明の理だから。必ずしも真剣に口にしているわけではなく、ごっこ遊びのように気軽に繰り返しています。
 しかし、そうではない人物もいます。大切な人と離れたくない、という自分の秘めたる思いを宿しながらも、目の前にいる人物を悲しませないために——明るい風を装って、別れの言葉を口にする。それはさながら、自分ではない何者かを演じるごっこ遊びのように。そんな痛切な遊びに興じる人物は、私達がそうと気づかないうちに辛い思いをたくさん背負っている。しかし、その分だけ、何気なく言われた「おかえり」という言葉が、とても暖かく感じられることでしょう。

人は「さよなら」を繰り返す。
ごっこ遊びのように。
ある者は、そうと知らずに。
ある者は、自分を偽りながら。
しかし、互いに、また出会う日を信じて。


<参考記事>

(三原色の解釈、「われにかへれ」との対比関係などを、上記記事から一部参考にしました。この場を借りてお礼申し上げます)