はじめて救急車に乗った話

こんな体験おそらく二度とないと思われるため、どんなことがあったか覚えておけるように書き残しておく。

発作性上室性頻泊という病気と付き合っていくことになりました。

ここ数ヶ月、私はデザイン学校入学、就職活動、退職と人生のライフイベントに連続で直面しており、Twitterでも逐一進捗は報告していたがなんだかんだ流石にちょっとかなーり疲れていた。
それこそ一気に転職活動の応募をした2/11から、毎日出勤しながら、夜は常にどこかの面接、どこかの対応、適性検査、能力テスト、これを20社以上分。
結果的に6社内定が出たもののこんなにやる必要あったか?と今でも思ってる
途中で見かねたのか家族が面接先最寄り駅でチョコラBB持って待ち構えていたくらいには疲れきった顔を多分家でもしてたのかもしれない。
その上、退職前に仕事も入園卒園新学期関連の繁忙期。
最後の仕事も佳境といったところで有休消化も後回しにしあくせく働いてた。
その他少し色々家の関係や、幼馴染の父母の話題などかなり追い込まれることが重なりかなりのストレス状況下にあったためか、3/20前後よりかなり体調など含め不安定であった。

3/21,3/22と具合の悪いまま精神的にしんどいのも含めて騙し騙し過ごしていた結果
3/23 未明に事件は起きた。

この日私は0時頃まで友人たちとゲームの約束だったが断り、あまりに具合が悪かったため19:30頃帰宅の後、早めに就寝した。

そして0時頃、謎の息苦しさで目が覚めて、呼吸が浅くなっていることに気付く。
最初は「なんかおかしいなー、息がメチャ吸いづらいな」って感じ。

部屋の酸素が薄いのかも💡
と思った私は窓を開けて外の空気を取り込もうとし、その時点で右手右足が痺れていることに気付く。
数十分、窓から外向けに呼吸していても症状は全く改善しない。
もしかして、過呼吸…?と思ったので部屋のすぐそばに何故か偶然落ちていたポリ袋(自部屋が汚くてこのときばかりは良かった)を使って呼吸を試みる。
これも数十分。やはり改善しない。

この時点でおそらく0時半過ぎくらいだったんじゃないかと思う。
呼吸がままならないままでだんだん意識の遠のく感じがあり、これはまずい気がする。と思ったので「#7119」へ電話
簡単に症状と取った行動について説明を試みるもすでにこの時点でほぼ声が出ない状態
先方も今すぐ救急車呼びますので!みたいなそんな感じ。
ちなみに「#7119」に電話するとそのまま119に転送してもらうこともできる、私はそうしてもらった。
自分でかける気力はもうなかったので大変ありがたかった、日本の医療万歳。

住所を伝え、症状を伝え、電話を終え、息苦しい中やばいなまずいな救急車来ちゃうのかぁ、なんて思いながらとりあえず一人でなんとかしないと…、と思い保険証と携帯を2つカバンにぶち込み、服を着てとりあえず家を出られる準備はした。

そのとき、ふと
「救急車がきたら、家に大量に人が押しかけてくる、家族に伝えず人を家に入れたら、怒られてしまう…、はるさん(猫)も驚いて大変なことになるのでは」とこんな時に働かなくてもいい常識センサーが起動
そんなことよりお前のほうが大変だ状態なのに何考えてるんだって感じですが、なんとか家族の部屋に這って辿り着き明日も仕事のある家族を起こす
「過呼吸じゃないの」と言われて渡された紙袋で呼吸しながらベッドに持たれて救急車を待った

救急車どのくらい待ったんだろう、全然このあたり聞こえていた音のことしか覚えていなくて、もう私は自力で動くのも難しい状態になってた。
インターホンがなっても立ち上がれず、これ家族いなかったら救急の人たち多分エントランスのオートロックに阻まれて家に入れなかった。

救急隊員の人が来て、次々処置が始まる
ひたすら意識がなくならないように何回も今日何月何日ですか?とかあなたの名前は?今日食べたご飯は??とか聞かれるけどちゃんと答えられたかも覚えてない、そもそも今日ご飯1食も食べてないし。
・脈が早すぎてモニタに映らない
・酸素の値がかなり低い
・手足の痺れ
・意識の混濁
このあたりで家で処置してた救急の人が不味いと思ったのか近くの救命のある大学病院へ搬送が決まった。(らしい)(私はこの時点でもう何もわからんになってる)

意識がない中で、付き添いで呼ばれてる家族に「来なくていい…来なくていいです(明日も会社あるのに)」ってうわ言で言おうとしてたけど声になってたのか伝わっていたのかは不明
このとき本当に何を思って付いてきてくれたんだろうなって、でもいなかったら色んなことがおそらく私1人ではどうしようもなかったのでこのときばかりは本当にひとり暮らしじゃなくって良かったって思った

そのまま初めての救急車
初めての酸素マスク
こんな意識朦朧としてなければめちゃくちゃはしゃいでいたと思う(はしゃぐな)

意識無くなりそうになるたびに、話しかけられて戻されるを何度か繰り返し、救急車は病院についた。多分これが2時前くらいだと思う

救命に運ばれて
ここでも脈早すぎてモニタ出ませんになり医療ドラマで人が死んだときの音みたいなのがしてた(ような気がする)
なんかもうあちこち針で刺されて
レントゲンとか心電図とかなんか色々検査してたっぽい 〜処置明細より〜
「心臓止めるお薬入れますので〜ちょっと心臓が遅くなる気持ち悪い感じになるからねー」と言われて、点滴から薬投与されてやっと落ち着く。
何時間くらい処置されてたんだろう
その間に「明日、会社いけますかねえ…
最終出社日、なんですよねえ……」とか言いながら付き添ってくださってる看護師の方を困らせていたのは私です。
(これが功を奏したのか、入院回避した)

その後も脈の機械と酸素の機械と点滴つけたまま3時間位車椅子で待機
なんか私のあとにやばい急患の方入ったみたいでそっちにみんなかかりきりになり、待合の廊下で待ってる間ぼーっとTwitterを眺めてた
このときに知らない天井ごっこやろうかなと思うも流石に不謹慎だわ、と思い辞めたのでここで供養させてください

結局、何だったんだろうな…
私の体調管理不行き届き(それはそう)かなあ…本当に巻き込まれた家族に悪いことをした…と思ってたら5時くらいにやっと循環器の先生が説明に来てくれて一言
「発作性上室性頻拍という心臓の病気です」
と告げた。

発作性上室性頻拍???
心臓の病気??
不整脈???
もしかして…心疾患………ってコト!?!!??

呆然としながら話を聞いていて、先生の説明は正直良く覚えてない。
簡単に話すと
心臓の脈打つ指示を送る電気信号が必要以上にループしてしまい、脈が早くなり酸素が行き渡らず呼吸困難になっていた、とのこと。
あまりに発作が多いなどの場合完全に治療するには、手術が必要とのこと

点滴抜いてくれている看護師さんに「この病気って先天性ですか…?」ときいたら「ストレスとかじゃないですか?先天性じゃないはずですよ」と言われたのでなんとも言えない気持ちになった。
ストレスで一生発作性の心臓病と付き合うことになってしまったのだから当然と言えば当然です
薬をもらえたけど対処療法でしかなく、頭痛起きたときの痛み止めみたいなもんだと言われた。なるほどわかりやすい。
ちなみに止まらなければすぐ救急車呼ぶようにとも言われた。救急車常連になってしまう(笑い事ではない)

本当に健康は大事です(今日のまとめ)


不整脈ごときで、と思うかもだけど発作性本当に呼吸できなくなるのでできればならないほうがいいです本当に

その後5時くらいにお薬を薬局で受取、タクシーで家族と一緒に帰宅し、私は現職最終出社日なので定時に這って出社した()
点滴跡みたみんなにかなりドン引きされたけど、最終日は本当に社内の人たちにちやほやされて会社行って良かったなと思いました
現職は、会社経営はとんでもなかったけど人は優しい方がとても多かったです(親会社からの出向転籍を除く)

頂いたお花薄桃だいすきだからわかり手〜となった

本当に紙袋2つに収まりきらないくらいの選別の品を頂いて、まだ一つも食べてません
ゆるゆる賞味期限早いのから頂いていかなければですわね…

そんな感じで私の怒涛の3/24は幕を閉じました

この前後でODしてやべーことなったメンヘラが身近にいたらしく、同じにされては困る!!!と思ったので長ったらしくなりましたが久々にブログなんてものを書いてみました。
楽しいですね長い文章かくのもたまには

色々ご心配おかけした皆様
付き添ってくれた家族
おとなしく待っててくれたはるしゃん
真っ先に心配してくれた友人の皆様
いっぱいお話聞いてくれた民(民)
ここ数日もいっぱいたくさんの人にあって話を聞いていただいて、叱咤激励いただき本当に人に恵まれてるなと感謝しかないです。

4月からはついに新しい会社!
色々今年度は挑戦したいことがたくさんある中で、一旦年度末締めとくか〜と投稿します。これからも頑張って生きてくぞ〜〜〜

PS
電車でよく見かけるヘルプマークのお世話になることはないと思ってたけど、発作起きたときにどうにもならないと大変なので対処法を書いてヘルプマークにつけて常に携帯することにしました。
私はジェットコースターに乗ることを諦めたくないのでそのうち多分手術もすると思います、入っててよかった入院保険。








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