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炎の魔神みぎてくん 大HANABI ①

① 妹ってなんだか大変なんだな

1.「わ、笑ってる場合かよ~っ」

 バビロンの街はこの地方ではバギリアスポリスについで歴史を誇る、いわば古都である。街の基礎は千年以上前に形成された商業民族の交易都市であるし、それ以降もさまざまな民族・種族が集まる海陸の要衝の街として栄えてきた。

 もっともバビロンの街が現在の姿となったのは、およそ三百年ほど前のことである。エピックヒーロー、つまり伝説の英雄とよばれている者のうちもっとも最近に現れた英雄、ダン・スタージェムがこの街を拠点としたからである。わずかな仲間とともに混沌神と戦いつづけた英雄を支持し、支援したのがこの街だった。それ以来ダン・スタージェムはここバビロンの守護聖人として篤く信仰されているのである。

 ダン・スタージェムの伝説(伝説というにはあまりにも近世の人物なのだが)については別のところで読んでいただくとして、とにかくこのバビロンで一番大きな寺院というのは、この英雄神を祭るお社である。年に一度の祭礼はいまやバビロンのカーニバルとして世界的にも有名になるくらいのにぎやかなものとなっていた。街中に思い思いのど派手な仮装を凝らした人々が練り歩き踊りまくり、飲み放題食い放題のドンちゃん騒ぎという按配である。厳粛な宗教儀式とはかなり違っている。まあもっともこのバビロン市にはさまざまな民族や種族が寄り集まっているので、宗教色が強い儀式にはいろいろ反発も多いのだろう。

 とにかくこの真夏のバビロン大カーニバル三日間はバビロン市民誰もがもっとも楽しみにする一大イベントなのだった。当然のことながらお祭りが見るからに大好きな炎の魔神も、半年前から指折り数えてこの日を待っているというのはいうまでもない。

*     *     *

 七月も終わりに近づくとバビロン大学の前期授業も大体終わりである。あとは特別講義が少々と、それからレポートの提出や追試験が少々、それが終われば晴れて九月いっぱいまでは楽しい夏休みというわけだった。少なくとも学部生はそうである。
 ところが今のコージはそういう気楽な身分ではない。なにせ今年から魔法工学部機能性魔法物質講座の院生である彼は、夏休みというものは有るような無いようなという状況である。学部生がいない研究室にこもって論文を読んだり実験をしたり、果ては先生の論文書きを手伝ったりという雑用があるからだった。

 もっとも彼の場合自宅(つまり下宿)に冷房があるわけではないし、幸い(または不幸)にして同居人も同じ講座所属ということもあって、家にいるのと研究室にいるのとで生活は(食事やら雑用やらを含めて)ほとんど変わらないか、むしろ環境がよいという事実も有る。少なくとも昼間は灼熱の自宅にいるよりは楽である。

「コージどう?調子は?」

 コージの部屋…院生共同研究室に金髪の青年が顔を出した。同じ講座の院生であるヴェーンディレルである。海洋種族であるトリトン族の彼は、ちょっと見た感じは穏やかでやさしそうだが意外とがっちりとした逞しい体の持ち主だった。ただ実際あまりに穏やかで気がやさしくて、しかも面倒見までいいもので、講座では万年幹事をさせられてしまうという非常に損なキャラクターである。ちなみに彼の実家は結構古くからやっている銭湯で、コージたちも何度も利用したことがある。人当たりのいい彼なので、客商売もうまいのかもしれない。
 やってきたディレル(ヴェーンディレルのことである。長いのでコージは省略してこう呼ぶ)に、コージはさも面倒でたまらないような表情を返す。机の上にはなにやら鉛筆や定規や、果ては模造紙とか絵の具までおいてある。どう見ても普段の研究と関係があるグッズではない。

「めんどい、ほんと。なんで俺がこんなの描かないといけないと思うくらい」

 口を尖らせてコージはいう。ディレルは苦笑するしかない。コージとの付き合いはもう数年になるが、とにかく彼のお得意のせりふは「めんどくさい」である。もちろん実際にそれほどめんどくさがっているのかどうかは別なのだが、とにかく口ではすぐそう言うのである。とうぜん周囲はそんなコージの口癖など百も承知である。問答無用で仕事を振れば、ぶうぶう言いながらもちゃんとやるから問題は無い。(そうでなければ本物のぐうたら野郎である。)
 しかしとにかく今回のコージの「めんどくさい」には、ディレルもかなり賛同できるものがある。ディレルはディレルで隣の工具室で大工仕事をしていて、ちょっとばかり面倒だと思っているところなのである。

「仕方ないよ~、くじ引きで決まったんだから」
「そりゃまあ判るけどさぁ…くじ運悪すぎ」
「大工仕事も楽じゃないって」

 ディレルはコージを慰めながら、机の上の模造紙を見る。そこにはずいぶんでかい文字がちょうど描きかけだった。明らかにこれは看板のサイズである。定規と鉛筆で輪郭を描いて、それをあとから絵の具やポスターカラーで彩色するというのだろう。見本があるのか知らないが結構きれいな活字体である。ディレルは感心したように言った。

「コージうまいじゃん。昔マンガ描いてたとか?」
「んなはずないだろ。マンガ描けるならこんなに苦労しないって…」

 正直な話コージはマンガや絵などまともに描いたことは無い。勝手な想像だがきっとディレルのほうがマンガならうまいような気がしているくらいである。(性格的にディレルは美術得意系と思う。)四苦八苦してやっとここまで描いてはみたが、なんとなく文字がカクカクしてぎこちないような気がする。いくらディレルがおだてたところで今ひとつうれしくない。
 コージはちょっと不満気にディレルに言った。

「で、ポスターカラーまだなのか?下書き出来ても絵の具無いとどうしようもないじゃん。」
「あ、うん。さっき頼んだから。もうすぐ届くと思うよ。寄り道しなければだけど…」
「?」

 どういうわけか頼りなさげな声のディレルである。誰か知り合いにでも買い出しを頼んだのだろうが、どこか不安な点でもあるのかもしれない。まあしかしディレルの「不安そうな」様子というのは、この心配性のトリトン族にはいつものことである。コージの「めんどくさい」と同程度といっていい。今の忙しい状況ではそんなことかまってはいられない。

「じゃあそっちのほうはどうなんだよ、看板。こっちが出来ても土台が出来ないと意味無いし」

 実はこの模造紙はディレル達が今作っている「看板」に貼り付けるものなのである。ベニヤ板製の土台に模造紙貼りの立て看板というわけだった。大学のサークルでよくある看板である。
 コージのチェックにディレルはちょっと笑いながら答える。

「順調といえば順調なんだけどね。みぎてくんがいるし…」

 ディレルのコメントを聞いたコージは信じられないというような表情になる。

「え~っ、あいつが活躍って言うのが信じられないんだけど」
「力持ちだから助かるよ~。意外と器用だし」
「それが余計信じらんない…あいつのことだからせっかくのベニヤを割ったりしてるんじゃないかと心配なくらいなのに」
「そんなことないって、わはは。見てみれば判るよ」

 あんまりコージが不思議がるので、ディレルは笑い出した。コージは「この目で見るまで信じがたい」というように席をたち、隣の工具室へと向かった。

*     *     *

 工具室にはドリルやらバンドソー(つまりバンド状ののこぎりの歯をぐるぐるまわして切る自動のこぎりである)やら、それこそ木工細工や金属細工がなんでも出来るいろいろな設備が所狭しと転がっていた。床にはベニヤ板や角材がころがっている。中央の作業台の上にはこれまたベニヤ板が二枚と角材で、かなり大きな立て看板(の出来かけ)が鎮座していた。そしてその上には(つまり机の上なのだが)これまた大柄な筋肉質の青年がしゃがんで手馴れた手付で釘を打っている。赤茶けた肌の色と真っ赤な炎の髪の毛、そして額の角と小さな牙…コージの相棒兼居候、ご存知炎の魔神の「みぎて」である。

「よぉ、そっちはどうだぁ?コージ」
「うわっ、本当にみぎてが大工仕事してる…」

 コージはさすがに半ばあきれたような表情で(みぎての質問には答えずに)うなった。彼の予想では力ばかり強くて器用とは思えないこの魔神のことだから、ベニヤ板を二、三枚はぶち割ってしまってディレルを困らせると思っていたのである。それがどうであろう、骨組みの角材はきちんと出来ているし、ちょっとかんなまでかかっている。これはコージにとってかなりびっくりものである。もう丸二年この魔神と同居しているが、こんな特技があるとは丸で気がつかなかった。あまり意外そうなコージの表情に魔神は不満そうに口を尖らせる。

「ちぇ~っ、俺さまだってこれくらい出来らぁ。魔界じゃ大工仕事結構やってたんだぜ。」
「うそみたいな話だな…家でのあのどんくさい様子とは大違いだ」
「うぐっ、うるせぇっ!」

 コージはいまだに信じられないとでも言うようにみぎてと立て看板を交互に見比べながらも、やはりいつものように軽口をたたいた。みぎては赤面しながらますます口を尖らせて不満の意をあらわす。そんな二人を見てディレルは笑うしかない。いや、つまり二人はディレルから見てもうらやましくなるくらい仲がいいのである。

 コージとこの炎の魔神「みぎて」が知り合ったいきさつについては、ディレルは大体のところしか聞いていない。とにかく冬山で遭難しかかったコージを助けたのがみぎてで、それが縁でコージの下宿に居候するようになったということらしい。それからコージや先生方の尽力で、この魔神はバビロン大学魔法工学部の聴講生兼バイトとなったというわけである。魔神の強力な魔力…精霊力というやつだが、これを大学の研究に活用するという契約なのである。実際今ではコージやディレル、そしてほかの学生や先生方の研究に彼のすごい精霊力が大活躍しているのである。
 とはいえコージはもちろんディレルにとっても、この魔神は単に「すごい魔力の持ち主」というだけの存在ではない。コージにとっては同居人、そして兄弟みたいな関係だったし、ディレルや講座の面々から見ても彼はとても気のいい仲間だった。コージやディレルから見れば頭ひとつ以上でかいし、炎の髪や翼をみれば明らかに魔神なのだが、とにかく彼は気がいい。慣れればこれ以上陽気で愉快な友達はいないのではないかと思うほどである。もっとも欠点として素直すぎて単細胞で、それに大飯ぐらいということもあって、同居してるコージに言わせればなかなか大変らしいのだが…
 しかしそれでもディレルから見れば、やはりコージとみぎてはうらやましいほど仲のいいコンビなのである。

「しかしみぎて、魔界で大工仕事ってなんだか…」
「そ、そうか?うーん、そうかなぁ…」

 コージの意見に魔神は意外そうな表情になる。確かにコージの言うとおり、魔界で大工仕事をするという光景はなかなか想像がつかない。というより魔界が人間界のように「大工仕事が必要な」世界なのだと言われても、行ったことの無いコージ達には今ひとつ実感が沸かないのである。いや、ひょっとすると「魔界」という言葉にだまされているだけで、実はこっちとさほど変わらない世界なのかもしれない。

「まさかとおもうけどみぎて…魔界って単なるちょっとした田舎だとか、ずっと畑が広がっているとか、こっちみたいに服屋とか居酒屋とかコンビニとかがあるとか、ガスや水道が普及してるとかそんなんじゃないだろうな?」
「えっ?あたりまえじゃねぇか。畑だってあるしコンビニだってあるぜ。ガスは炎の魔界じゃつかわねぇけど…」
「やっぱり…」

 コージとディレルは顔を見合わせる。意外と魔界は人間界と似たようものなのである。どおりでこの魔神が(少々のトラブルはあったにせよ)人間の街でそれなりにスムーズに暮らせるわけだった。

「要するにみぎて、魔界って単なる田舎みたいなものか…」
「田舎って…ちょっと田舎かも」
「つまりみぎては単なる田舎者」
「…」

 つまり結論としてはそういうことになる。魔神は反論しようにもせりふが思いつかなかったらしい。頭から煙が出そうな様子でただうめくだけだった。

*     *     *

 さて、不満そうなみぎてを見て笑い声をあげたコージ達だったが、そんなところにこれまた騒がしい声が飛び込んできたのである。

「ちょっとあんた達、ちゃんと作業進んでるの?」
「うわっ、出たっ!発明女!」

 扉のほうを見ればそこには白衣姿で三つ編みの、そばかす&メガネ娘が立っている。同じ講座のポリーニ・ファレンスである。普段は研究室で妙な発明品をいろいろ作っている変わった女性だが、実はコージにとっては幼なじみである。親しいことは親しいのだが、ある意味ちょっと苦手な相手だった。(なにせ昔のコージの知られたくない秘密…たとえば一度丸刈りしていたことがあるとか、そんなことをことごとく知られているのである。苦手でないほうがおかしい。)
 とにかく彼女はどかどかと工具室に入ってくると、立て看板をちらりと見ていきなり文句を言った。

「かんなのかけかたが甘いわよ、みぎてくん!もうちょっと丁寧にかけてよ」
「えーっ、めんどくせぇなぁ」
「文句言わないの。あとで見栄えがぜんぜん違うんだから!」

 コージが目を丸くした大工仕事も、このマニアックなメガネっ娘から見ればまだまだらしい。まあ彼女の場合発明マニアというかなりの変わり者なので、手作りということにはこだわりが有るのだろう。

「ポリーニ、そっちは進んでるのか?」
「あったりまえよ。あたしは仕事はやいもん。あ、ちょっと試作着てみてくれる?」

 コージの問いかけに待ってましたとばかり、彼女は手にした袋からなにやら服のようなものを取り出した。てかてかしたサテン地のような真っ黄色のえらく派手な布である。彼女はそれをみぎてに手渡した。どうやらタイツのようなものと、長袖のシャツらしい。

「あれっ?ちょっと俺さまには小さいんじゃねぇのか?」
「この生地伸びるからこれくらいでいいの!文句言わずにさっさと着てみてよ」

 みぎては半信半疑で服を着てみる。確かに生地は弾力があってよく伸びるようで、ぴちぴちながらもちゃんと(みぎてのでかい体格でも)着ることが出来そうである…が、あまりにピチピチすぎて筋肉の線やらなにやらがはっきりでてしまう。それにものすごい原色の黄色がちょっと赤面するくらいに派手である。これではまるでどこかの子供向けの特撮ヒーローである。

「ぷっ!」
「もろに戦隊ものヒーローじゃん、これって~」

 コージとディレルはげらげらと笑い始めた。あとはマスクをつければ完璧である。というか、明らかにポリーニはそれを意識して作ったのである。体の大きいみぎてはカレーの大好きななんちゃら「イエロー」という按配であろう。実際大食らいのこの魔神であるから似合いすぎている。みぎては恥ずかしいやらなにやらで真っ赤になってコージに言った。

「わ、笑ってる場合かよ~っ、コージ達も着るんだぜ!」

 言われてコージ達はそのまま笑顔が凍りつく。このピチピチウェアーはみぎてだけが着るわけではない。本番では当然ここにいる全員が着なければならないのである。足元に火がついたコージは思わず愚痴をこぼした。

「え~っ、こんなの恥ずかしいよ~。もろにコスプレじゃん」
「何言ってるのよ、仮装行列なんだからコスプレ以外の何物でもないじゃない!全員着るの。当然じゃない。」
「うぐぐっ」
「じゃ、作業に戻るわ。ちゃんとサボらず作業するのよ」

 ビシリとポリーニに言われてしまうとコージには反論の余地がない。げんなりしたようなコージ達を後目に、ポリーニは会心の笑みを浮かべて作業に戻っていったのである。

2.「あたしも超でたいな~」

 既に想像はついていることと思うが、つまりコージ達は例のバビロンカーニバルに参加するのである。もちろんあのめんどくさがりやのコージが積極的に参加するわけはない。第一大学祭ですら出し物を出す側に回ったことは無いのである。お祭りなんてものは浴衣を着てうろうろするとか、せいぜい踊り(ダンスパーティー、略してダンパ)に行く程度である。当然去年もそうだった。
 ところが今年になって突然、バビロン大学もカーニバルに参加するということになったのである。今はやりの「市民に開かれた大学」というやつで、公開講座やら研究の紹介やらをするはめになったというわけだった。まあこのご時勢、大学のほうも市民に宣伝をしないと理解が得られないというのは仕方が無いことなのだろう。

 そういうことでコージ達の講座も研究紹介のブースを作ったり、カーニバルでパレードに参加したり、とにかくそういうことをする羽目になってしまったのである。もちろんそういうことにそれほど予算が回ってくるわけは無い(零ではないのだが)ので、ほとんどが手作りになるのは当然である。だからコージはぶうぶういいながら看板描きなどをしているのだった。

 もっとも講座の全員がこのお祭り参加に不満というわけではないようである。コージの味方といえば毎度面倒な会計やら裏方ばかりさせられるディレルくらいなものである。教授のセルティ先生はもともと今回の企画の大学側実行委員だったし、今も見たようにポリーニなんてどこかの同人誌即売会と勘違いして、全員分のコスプレ衣装作成に燃えている。そしてなにより…相棒の「みぎて」が大乗りなのである。これではいかにめんどくさがりやのコージもどうしようもない。いや、これだけみんなが意気込んでいるのだから、いかにコージといえども少しはがんばらねばという気はしてくる。

 というわけでコージはまたさっきの続き…つまり立て看板の文字作成に戻ったわけだった。向こうの工具室のほうからはみぎての笑い声と、それからカンナを削るリズミカルな音(つまりやっぱりみぎては大工仕事手馴れているのである)が聞こえてくる。

 ところがせっかくコージが調子よく看板を描き始めたとき、また邪魔が入ったのである。研究室の入り口に人影が現れたのに気がついたコージはめんどくさそうにそちらを振り向いた。するとそこには一人の金髪の若い女性が立っていたのである。色白で金髪のショートヘアーである。瞳の色は明るいグリーンだから間違い無くトリトン族だった。しかしここバビロン大学のような理系の大学には珍しい、いまどきの派手な化粧&ミニスカートとタンクトップ姿である。大学生というよりむしろどこにでもいるちょっと柄の悪い女子高生という感じだった。
 いぶかしげな表情になったコージに、彼女は言った。

「あにきいる?」
「えっ?あにきって…」
「あっ、ごめーん。あたしヴェーンディレルの妹ですぅ」
「ディレルの?…あ…いるけど…」

 コージはもごもごと返事をしながら目を丸くして彼女を見た。たしかに同じトリトン族で、似ているといえば似ている…しかしあの穏やかでお人よしの兄からは想像もつかない「元気で今風の少女」、それかヴェーンディレルの妹だったのである。

*     *     *

「えーっ、あにき学校でも幹事なんだ、やっだーっ」
「そんなこと言ったって仕方ないだろぉ、頼まれちゃったらさぁ…」
「押し、ちょ~弱いもん、あにきは」

 珍客…ヴェーンディレルの妹を迎えて研究室は一気に華やかになった。いや、別に普段が地味だとかそういう意味ではない。実はコージのいるセルティ研究室はおそらくバビロン大学魔法工学部では一・二を争う女性の多い講座である。教授のセルティ先生が美貌の女性だったし、ちゃんと研究生にもポリーニのような女性がいる。にもかかわらずやはりあまり華やかという気がしないのは、やっぱり大学は学問の府であって繁華街ではないからなのだろう。ポリーニなどにいたっては白衣とTシャツとジーンズというそっけない服装ばかりで、今までこのかたおしゃれをした姿を(おさななじみのコージすら)見たことが無い。
 ところがディレルの妹、このセレーニア嬢はちゃんとメイクとかもしているし、服装はといえば今風のミニスカートである。シャツも夏らしいかわいいタンクトップの重ね着で、なんだか学生向けファッション雑誌から飛び出してきた人のような気がするほどである。いや、それだけではない。話し言葉も「~みたいな。」とか「超~」などという、うわさで聞く女子高生言語がぽんぽんでてくる。いや、実際彼女は現役ばりばりの女子高生ということで当然といえば当然なのだが…しかし生で聞くとなかなか新鮮である。

 うろたえるディレルのさまを見て、コージは笑いがとまらない。どうやらこのおっとりしたトリトン族の青年は自宅でもこんな感じらしい。妹が活発な分だけ兄の気の弱さが情けなく見える。本当に対象的な兄弟である。
 コージがくすくす笑うのを見て、ディレルは困ったように言った。

「だから妹つれてくるのいやだったんだよ…」
「え~、あにきのこと、よっく友達に頼んどかないと超やばいじゃん。このままだったら彼女できないよ~」
「そ、そんなことないって…どうかなぁ。」

 そこで自信もって平気だとか言わないところがディレルの弱いところなのである。いや、実際コージから見てディレルは顔は悪いとは思わないのだが、この押しの弱さはかなりのマイナス要因である。まあみぎてのように押し一辺倒というのも問題なのだが…そんなことをコージが考えてると、突然話題は自分に飛んでくる。こういうところもさすがは女子高生なのだろう。

「ねぇねぇ、ところでうわさの彼見せてよ」
「うわさの彼って?」

 コージはちょっとびっくりしたように答えた。いや、なんとなく判る…噂になりそうなやつといえば数えるほどしかいない。

「魔神くん。あにきがしょっちゅう噂してるよ。」
「…ディレル~…」

 ちょっと恨めしそうにコージはディレルを見た。おそらくこの優等生は自宅で家族にコージとみぎてのことやらなにやら、学校であったことをことごとくぺらぺらとしゃべっているに違いない。一応みぎてが本物の魔神族であるということは(騒ぎになるのが困るので)あまりおおっぴらにしないという約束になっているのにもかかわらず、である。もちろんディレルはますます困ったようにもじもじするばかりだった。
 とはいえこの研究室に遊びにくれば、みぎてを隠しておくことなどよほどの理由が無い限り出来る相談ではない。いや、放っておいてもすぐに顔を出すだろう。
 などとコージが考えているそばから「うわさの彼」が現れてしまったのである。

*     *     *

「コージ、腹減った。なんか買ってこようぜ…あれっ?」
「あ~っ!本物だ~、超でかい!」

 みぎてが(いつものようにせりふは「腹減った」であるが)部屋に入ってきた瞬間、彼女はびっくりして黄色い声をあげ、それから騒ぎ始めた。開口一番が「超でかい」である。いや、たしかにこの魔神はでかい…コージから見れば頭ひとつ以上背が高いし、魔神らしく筋肉がちがちで首だろうが腕だろうが丸太のようである。普段見なれてしまうと誰も指摘しない事実なのだが、たしかに彼女のおっしゃるとおり「超でかい」というのは正しい。
 しかし改めて「超でかい」と言われると、ちょっとみぎてとしても気恥ずかしい気になるだろう。思わず赤面して彼女と、それからその場にいるコージやディレルを見てうろたえている。まさかこんなおんぼろの研究室に、今時の女子高生が来ているとは想像もしていなかったのだろう。いや、それ以前にこの世間知らずの魔神は、女子高生がどんなものかまったく知らないのかもしれない。

「?!コージ?えっと、このねーちゃん…ディレルの?」
「きゃ~っ!しゃべる!」
「あ、あたりまえだって…俺さま本物の魔神だし、えっと…」
「超すごい~、ね、あにき、ちょっと触っていい?」

 黄色い声のパワーに押されたのか、みぎてはいつもの調子はどこへやら、しどろもどろのうろたえぶりである。いや、「あにき」ディレル、そしてコージすらどうしようかと困ってしまう。
 しかし彼女はディレルの返事も待たず、みぎてのそばに近づいて、さも面白そうにぺたぺたと触る。

「おっ、おいっ、くすぐったいって!」
「わ~っ、ほんとに超すてき~、あにきとはぜんぜん違うもんね~」
「コージぃ、助けてくれよ~っ!」
「セレーニアぁ、もうやめときなよ、みぎてくんびっくりしちゃってるよ」

 真っ赤になって困り果てる炎の魔神と、なんとかやめさせようとするディレルと、そんなことなどおかまいなしにきゃあきゃあ騒ぐ女子高生…人気が有るというのも考えものである。コージはあまりの展開におかしいやらかわいそうやら、とにかく苦笑するしかなかったのである。

*     *     *

 ひとしきり騒いだところで、ようやくディレルは話題をみぎてから引き離すきっかけを切りだした。

「ところでセレーニア、あれ買ってきてくれたの?」
「あ、とーぜんっ。はいこれ。」

 彼女は手にしたポリ袋から箱を五つ取り出す。一辺七センチ程度の紙の箱である。間違い無く絵の具…ポスターカラーの箱だった。例の立て看板用の絵の具である。さっきコージがディレルに頼んでいたのだが、どうやら代わりに妹が買いだしに行ったというのだろう。ディレルは箱を受け取るとそのままコージにそれを手渡す。

「コージ、これでいい?」
「サンキュ、十分」

 いくら立て看板が大きいといってもポスターカラーのビンがこれだけあればなんとかなりそうである。ほっとしたようにコージはうなずいた。

「あにき、結構おもかったよぉ。お駄賃くらいちょうだいよ」
「ええっ?う~ん…アイスおごるからさ」

 たしかにこんな絵の具でも、大きなガラスビンを七つもとなると相当の重さだというのは間違い無い。セレーニアの要求にディレルはあっさり折れた。奥の冷蔵庫からキリキリに冷えたミルク金時バーを持ってくる。
 彼女はそれをおいしそうにほうばりながら(当然コージとディレルもお相伴に預かる。冷たいものがだめなみぎてだけは代わりにおせんべいである)おもむろにうらやましそうに言いだした。

「でもいいなー、あにきは。バビロンカーニバル出るんでしょ?あたしも超でたいな~」
「ははは…でも準備が面倒なんだけどねぇ」
「え~っ?でもぱーっとすごい服着てパレードじゃん!サンバ踊ったりさ~、いいないいな~」

 「ぱーっとすごい服」というのが例の戦隊ものヒーローぴちぴちウェアーだと知ったら彼女はどんな表情になるだろう。とにかくみぎての笑うしかない試着結果を思い出すと、どう考えてもすごいというのは別の意味である。いや、しかし意外と面白がってきゃあきゃあ言って喜ぶのかもしれない。
 とにかくこれだけ元気な妹では、おっとりした性格のディレルはもちろんのこと、たとえみぎてやコージがその立場であってもてこずるのは間違い無い。実際さっきから(空腹を抱えているはずの)みぎてですらあっけにとられて、おせんべいをぼりぼり食いながらもこの騒ぎを見ているだけだった。とにかく「妹」という存在はコージやみぎてにとってかなりのカルチャーショックなのである

「コージ、妹ってなんだか大変なんだな…」
「俺もはじめてだし…むう」

 そんな二人の思いなどどこへやら、セレーニアのほうはディレルに陳情を始めている(もちろんどんな格好でパレードに参加なのか知っているわけはなさそうである)。

「ねえあにき、あたしもいっしょに出れないの?」
「そ、それはちょっと難しいんじゃないかなぁ…学校で申し込んでいるんだし」
「そこはあにきの顔でなんとかなるとか、みたいな。」
「う、う~ん、そんなに出たいの?大変だと思うけどなぁ…」

 二人の会話を聞いているとどうも完全に兄のほうが押されている。第一渋る理由が「大変だよ」では説得力がどこにもない。このままでは本当に彼女がパレードに(ポリーニさえ納得すれば、あのぴちぴち服を着て)参加ということになりかねない。

 ところがそんなところに、話をますますややこしくする人物がやってきたのである。

*     *     *

「そういう方をわたくしは待っていたのです!ようこそ、当研究室へ」

 突然のやさ男の声に、一同は驚き振り向いた。入り口の所には白衣で、ちょっとぼさぼさ髪の色白の青年が立っている。

「あーっ、変態発明男!」
「うわっ、シュリさん…」

 隣の講座のシュリ・ヤーセン助手である。既になんどか登場しているので覚えておいでの方も多いだろうが、いつも珍発明(なんでも吸い込む超強力掃除機とか、ランドセルみたいに大きな一人カラオケ装置とか)を振り回しては、コージ達を呆れかえらせるといういわくつきの人物だった。これでもここバビロン大学の正規の教員、助手先生なのである。もっともシュリの講座の教授といえば、これまた変人の名をほしいままにしているアイルシュタイン教授なのだから、似合いのコンビなのだろう。

「きゃ~っ、ちょ~変態っぽい」
「こいつマジで変態だって」
「失礼ですね、この偉大な発明家を指差して変態呼ばわりとは…」

 みぎての発言を軽くいなして、シュリはずかずかと研究室へ入ってきた。思わずコージとみぎては心の中で身構えてしまう。またなにか妙ちくりんな発明品の披露をして研究室をひっくり返したりするのではないかという警戒心である。もっともシュリは今日は完全に手ぶらである。変な装置とかその辺を持っている様子は無い。いや、もしかするとポケットの中に入るほど小さい発明品なのかもしれない。どちらにせよ警戒するにしくはない。

 しかし今日に限ってはシュリは何も取り出したり見せびらかしたりする様子は無かった。代わりにセレーニアの前につかつかと近寄ると怖いくらいににこにこ笑いかける。コージやみぎてのことなど眼中に無いというような態度である。

「美しいお嬢さん。こんな凡人達など放っておいて、うちの講座のクリエイティブでエキサイティングなパレードに参加いただけませんか?ちょうど人が足りなくて困っていたのですよ。」

 ほとんど無表情に、しかしとても丁寧にシュリはセレーニアにそう言った。同時に彼女の顔には喜色が浮かぶ。

「え~っ?ほんと?超らっき~っ!」
「げっ!シュリっ、てめぇ…」
「えっ…ちょっと」

 コージもみぎてもこれには仰天してしまった。いや、たしかに今のこの状況ならば当然の話の展開なのだが、それにしてもあまりにやばい。とにかくシュリのはた迷惑な珍発明は予想がつかない。いやほとんどの場合まったく馬鹿馬鹿しいかろくでもないものに決まっている。それにもし万一事故などがおきた場合、同じ大学の内側で騒ぎになる程度ならまだしも、あくまで部外者のセレーニアを巻き込むとなるとちょっとしゃれにならない。
 ところが当のセレーニア自身はもう有頂天である。まあ今までの経緯を彼女はまったく知らないというのもあるのだし、カーニバルに参加できるというのだけで大・大・大ラッキーであるというのも判らないことは無い。それにあにきディレルが通っている学校だから安心しているということもある。とにかく彼女が単純に喜ぶのは至極もっともな話なのである。それに肝心のディレルがあまりに弱い。

「ねぇねぇ、あにき、いいでしょ?ってゆーか」
「ええっ?うーん、よしたほうがいいと思うけどなぁ…」
「えーっ?じゃああにきの講座のほうに参加させてくれるの?みたいな」
「えええっ?うーん…でもなぁ」
「じゃ、いいよね!シュリさんのほうに参加しちゃうよ~」
「では早速詳細を説明します。私の研究室に参りましょう。」

 あれよあれよというまにセレーニアをつれてシュリは部屋を去っていってしまう。コージもみぎてもどうすることも出来ずにただ見送るしかない。

「こ、コージ、ディレル、いいのか…あれ」
「いいのかって…そう言われてもなぁ。はぁ…」
「妹、言いだしたら聞かないんですよ…」

 ため息をつきながら、コージは溶けかかったアイスキャンディーをほおばるしかなかった。ましてやディレルにいたっては困惑と諦めのようなものが入り混じった複雑な表情で二人が去っていったドアを見つめているだけだったのである。


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