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炎の魔神くんシュプール①

炎の魔神、ゲレンデへ

1.「俺さま運動は大の得意だぜっ!」

 「アナトリア・ホワイトバレー」というのは、コージ達の住む街バビロンから飛行呪文でちょうど半日のところにある大きなスキー場である。初心者コースから上級者コースまでがそれぞれ雄大なアナトリア連山が楽しめる上に、豊富な湯量を誇る温泉までついていると言う事で、シーズンになるとバビロンやらアンティオキア、はてははるばるバギリアスポリスやイックスシティーからもスキーヤーが訪れる。大型の空飛ぶじゅうたん(といっても箱型でバスみたいなものだが)でたくさんの客があちこちからやってきて、わいわいスキーを楽しむというわけである。当然ナイター設備やら、アフタースキーの遊び場所(ボーリング場やらディスコやらゲームセンターやら)も完璧である。

 しかしいかに完璧なスキー場であるといっても、それは「普通の種族がスキーを楽しむ」ということを前提としているのは言うまでも無い。どう考えても「炎の大魔神」がこんな雪と氷の世界に現れてスキーを楽しもうとするということなど一切念頭に置いていないのはあたりまえの事だった。しかし…その明らかに常識はずれのことが、ここアナトリア・ホワイトバレースキー場開設以来初めて起こってしまったのである。誰も考えてもいなかったシチュエーションなだけに、それがどういう騒ぎをもたらすか、誰一人として予想することもできなかったのは言うまでも無かろう。

 当然、騒ぎの中心は「みぎて」である。

*      *      *

 バビロン大学魔法工学部セルティ研究室の年中行事の一つに「講座スキー」というのがある。夏の講座旅行、冬のスキーツアーは教授のセルティ先生、准教授のロスマルク先生を含めてほぼ全員が参加する一大イベントだった。もしかするとセルティ先生などは学会発表などよりも熱心かもしれない。とにかくこの美貌の女学者は講座スキーのシーズンになると幹事役の学生にいろいろこまめに希望やら参加者の取りまとめやらを、それこそ毎日のように言うのだから本当に楽しみにしているのである。

 今年の幹事は夏の海水浴に引き続きディレル、コージやみぎてと仲の良いトリトン族の青年である。長い金色の髪の毛とエメラルドグリーンの瞳をした色白の若者だった。もっとも海洋種族のトリトン族だから体格は決してきゃしゃではない。魔法使いの卵であることを考えると相当逞しいほうだと言っても良いほどだった。

「コージくん、みぎてくん!えっと、その…恒例のスキーなんだけど…」

 研究室で実験もせずにおしゃべりに興じていたコージとみぎてにディレルはちょっと苦笑して声をかけた。いつ見てもこの二人は息があっている。まあ同居しているのだから当然と言えば当然だが、それにしてもここまで変わった取りあわせと言うのは珍しい。なにせコージはディレルと同じように魔法使いの卵で、ありていに言えばごく普通の学生である。漆黒の少し短い髪の毛と細く鋭い目、濃い褐色の瞳がエキゾチックといえばそうなのだが、それ以外はごくどこにでもいる西方人の若者だった。

 ところがその相棒の「みぎて」はといえば、こいつはもうディレルが見上げるような背丈で、肩も胸板もまるでレスラーのような凄い厚みである。いや、それだけならバビロンの街でも時々見かける放浪の戦士や傭兵と同じようなものだ。ところがこの「みぎて」の場合それだけではなく、髪の毛はどう見ても真っ赤な炎、背中に燃える炎の翼、そして額からは小さな角まで生えている。近くにいるだけで熱気が感じられるのであるから尋常ではない。正真正銘の「炎の魔神族」である。炎の大魔神フレイムベラリオスというのが、この「みぎて」と名乗る青年の本当の名前だった。

 コージと「みぎて」の二人がどうして知り合ったのかについては、いくら同級生のディレルでも詳しい事は聞いていない。とにかくもう丸一年この炎の魔神はコージの下宿に居候しているし、ディレル達といっしょにここバビロン大学で勉強をしたり遊んだりする仲となっていた。最初は近寄る事も恐かったディレルだが、接しているうちにこの魔神は随分陽気で素直で気が良いということが判ってきたからである。今ではコージをのぞいてはおそらくディレルが一番仲の良い友人かもしれない。

 さて、ディレルに声をかけられた二人は振り向いて笑顔を見せる。魔神は機嫌よさげにディレルに返事した。

「よぉっ、恒例のスキーって?俺さま初耳だぜ」

 魔神は興味深げに、しかし不思議そうな表情をしている。まあそれも当然であろう。炎の魔神がスキーなど出来るわけが無い。という以前に雪すら見た事が無いかもしれない。夏の海水浴ツアーのときも、「海水浴とは何ぞや」という基本的な知識をまったく知らなかったこののんきな魔神だから、まず絶対にスキーなど知っているわけはないだろう。海水浴のとき、結局現地で大騒ぎになった(まあそれなりに楽しかったのだが)ことを教訓とするならば、今回は幹事の責任上「みぎて」にスキーとは何かという説明をあらかじめしておく必要があるだろう。

「今年も講座ででスキーに行くんだよ。みぎてくんはスキーは経験無いよね。」
「スキーって鍋のことだろ?この間コージが作ったぜ。俺さま結構好き。」
「それはすきやき。」

 コージが冷静に突っ込む。やはりこの魔神はまったくスキーが何たるか理解していないのである。ディレルは苦笑してみぎてにゼスチャー付きで解説することにした。

「みぎてくん、多分、雪って苦手だよねぇ…」

 「雪」という言葉を聞いた瞬間、この若き炎の魔神の表情は雪山の樹氷のように凍りついたのは言うまでも無い。

*      *      *

「やっぱりみぎてくんにはスキーは無理ですよ、コージ」

 一通り「スキーとはなんぞや」という説明を終えたディレルはコージにいさめるように言った。どう考えても無理である。海水浴も出来ないみぎてが万が一にでも雪の上で転んだらそれこそひどい。本人は凍傷で(海水に触っただけで真っ赤に腫れたのであるから、おそらく)一週間ぐらいは起きあがれないということになるかもしれない。いかに魔神とはいえ学生が怪我をしたとなれば大問題になりかねないし、なによりみぎて本人に悪いではないか…そう考えてディレルは止めに入ったのである。いや、ここでみぎての相棒であるコージにも頑張って止めに入ってもらわないと困る。

 ところがコージはディレルのこんな計算にまるで気がついていないようである。

「うーん、どうかなぁ。それほど心配いらないような気がする。みぎて、タフだし。」
「ええっ?コージぃ~」

 ディレルは半ば呆れ、半ばびっくりしたような表情でコージを見た。ところがコージはにやにや笑ったままでまったく動じる様子はない。これにはディレルもあわててしまった。

「みぎてくんはいいんですか?雪ですよ、雪」
「うーん、要するにこけなきゃいいんだろ?俺さま運動は大の得意だぜっ!」
「え、ええっ!?いやまあそうなんですけれど、そのですね…」

 この単細胞炎の魔神は事が「スポーツ」というだけでもう引っ込むつもりは微塵も無いようである。日頃街中で学生生活をしているせいで、運動不足なのだろう。暴れたいという欲求がそうとう高まっているのである。自信たっぷりにうなずく魔神にディレルはもう説得する意欲も無くなってしまった。

「はいはい、わかりましたよ。二人とも参加ね。くれぐれも怪我とか、喧嘩とかしないでくださいね。」

 げっそり疲れたような顔になってこのトリトン族の青年は手にした出欠表に丸印をつけた。そして一人ごとのようにぶつくさ文句を言いながらそそくさと部屋を出ていったのである。

*      *      *

 感の鋭い人なら判るだろうが、実はコージには「みぎてが雪でひどい目に合う事はないだろう」というそれなりの確信があった。コージとみぎてが初めてであったのは丁度一年前、それも今回行くホワイトバレー・スキー場でだったからである。覚えておいでの方もいるだろうが、吹雪にあって洞窟に逃げこんだコージが、寒さの余り切羽詰まって呼び出したのがこの炎の魔神である。スキーが出来るかどうかは別として、雪くらいでどうこうなるような軟弱な魔神ではないというのは間違いない。

 命に別状無いということが確実だとすれば、あとは「大好きなスキーをみんなで楽しもう」…いや、もっと意地悪な楽しみ方として「雪が苦手でスキーなんてやった事も無いみぎてがうろたえるさまを見て楽しもう」という考えに走るのは当然の事である。もともとみぎてはいつも元気でちょっと騒がしいくらいである。雪原を目の当たりにして仰天する姿は想像するだけで面白い。その点については引率者のセルティ先生も十分承知していて(そうでなければディレルが騒ぐ前から先生が待ったをかけているはずである)、どうもこの爆笑できそうな計画にはじめから彼女は荷担しているらしかった。

 みぎての方はそういう悪だくみが水面下で進行しているとはまったく想像もしていないようだった。コージが妙に上機嫌に準備をしたり、わざわざこの魔神を連れてスポーツ用品店までスキーウェアーを買いに行ったりするのを、単純にスキーが楽しみなんだと解釈しているのである。まあたしかにそれも真実なので(結局出会いのときからスキー場なのだから、コージは元々スキーが好きである)この素直すぎる魔神が見抜けないのはあたりまえである。

 そんなこんなで瞬く間に十二月も終わりに近づき、いよいよスキー旅行の日がやってきた。これから起きる予定のお祭り騒ぎをコージやセルティ先生は楽しみに、ディレルは不安に面を曇らせて待っていた。しかし…実際に起きた事はコージやセルティ先生、そしてディレルの想像していた事とはまったく違う、もっととんでもない事件だったのである。

2.「えっ?こいつにのるのか?」

 スキーバスは最後のカーブを曲がると広い駐車場に滑りこんだ。窓から見える景色は白銀色である。天気のほうは快晴、真っ青な空に真っ白な山とゲレンデ、そしてその麓にいくつもの旅館やホテル、近くを歩く人は派手な色のウェアーにスキー板やスノーボードを抱えている…典型的なスキー場の光景である。アナトリア・ホワイトバレースキー場は人気が有るのでスキー客も半端な数ではない。

 バスの扉が開くと、いの一番に飛び降りたのは引率者であるセルティ先生だった。よほど年に一度のスキーツアーが楽しみだったらしい。

「雪よ雪!久しぶりだわぁ!」
「先生、転ばんでくださいね。スキー前から捻挫されたら、わしゃ悪がきどもを一人で面倒みんといけないですからな。」

 准教授のロスマルク先生は子供のようにはしゃぐセルティ先生に苦笑しながら言った。セルティ教授とロスマルク准教授という組みあわせはもう十年近いコンビなので、スキーツアーも同じ位の回数行っているはずなのだが、毎回同じようにはしゃいでいるらしい。まあ彼女はエルフ族なので外見はロスマルク准教授よりもずっと若いのだから、こういう時ははしゃいでもさまにはなる。やはり女性人口の少ない学者の社会ということで,普段は多少なりとも気負っているところもあるのだろう。こういう時のセルティ先生は学生とたいして変わらない。

 ディレルやコージ達が次々とバスを降りてからようやく、最後の最後になって大男が一人、傍目にも判るほどのこわばった表情で降りてきた。みぎてである。この魔神はいつものようなTシャツ程度の服装ではない。なんと初めて分厚いコートとごついブーツ、それから暖かそうなズボンに毛糸の帽子とマフラーまでかぶっての登場である。あんまり着こみ過ぎて(もともとがっちり体型だから)ほとんどたるのような情けない状況だった。これではバスのステップから降りるのが一苦労である。

「みぎて、寒がりすぎ」
「う、うるせぇっ!」

 よたよたと雪の上を歩くみぎてにコージは突っ込む。今日のコージの服はといえば、セーターの上にお気に入りのダッフルコートとマフラーだった。ダッフルコートはコージにとって冬の定番アイテムである。

「このままのファッションでスキーしたらすごいわね、ビア樽が滑るみたいなもんじゃない?」
「滑るじゃなくて転がるになるのは自明ですね。」

 セルティ先生やディレルも(期待した通りの)みぎての情けないスタイルに大笑いである。反論したいみぎてだが、じたばたすると間違い無く転ぶ。おとなしく宿までは行くしかない。
 そうこうしているうちに一行は今回の宿、「ニューアナトリアホテル」に到着したのである。

*      *      *

 「ニューアナトリアホテル」というのは、ありていに言ってしまうと中級の、スキーヤー相手の良くあるホテルである。飯にせよ装飾にせよそれほど高級ではない。まあコージ達学生がそんな高級ホテルに泊まる金があるはずも無いし、こういうシーズンは良いホテルでもサービスが悪くなるのが普通である。スキーが目的なのだからと割り切れば、ゲレンデが近いこのホテルは最善の選択だろう。
 総勢十人と言う小規模なツアーなので部屋は三つである。女性はと言えばセルティ先生一人なので、残りの二部屋を九人で使うのである。幹事のディレルが宿代をけちったという声も有るが、学生旅行だからこんなもんである。

 一同は荷物を適当に部屋に放りこむと、時間がもったいないということで早速スキーウェアーに着替えることにした。さっさとゲレンデに飛び出したいと言うわけである。ところが…

「みぎてぇ、やっぱりおまえ着こみ過ぎ。」

 とっくの昔にスキーウェアーに着替え終わったコージは呆れ顔でそう言った。目の前にはもたもたと着替えにてこずっている魔神がいる。元々みぎては服を着るのが嫌いで、普段家では魔神らしく革のパンツに青い布の前垂れ程度のファッションである。さすがに街中に出るときは(コージがうるさく言ったせいで)Tシャツとかズボンは着るのだが、それ以上の服はほとんど着た事が無い。
 ところが今回に限っては普通の人が見ても着こみ過ぎと言えるくらい、それこそありったけの服を着ているのである。着慣れないコートやらマフラーやらが絡まって、ほとんど惨劇としかいいようがない状況となっている。これを全部脱いで、それからこんどはつなぎのスキーウェアー(これもついこの間初めて買ったばかりの新品である)を着るわけだから、時間がかかることおびただしい。

「どうやったらそこまでマフラーを絡めてしまえるんでしょうねぇ…」
「うーん、苦しいからほどくの手伝ってくれよ~」

 ディレルにまで手伝ってもらって、みぎてはようやくコートやマフラーの鎖から脱出した。この魔神はコージやディレルに比べて頭一つ以上背が高いのでこういう時も一騒動である。

 ようやくみぎてがスキーウェアー姿となった時には、セルティ先生が心配して様子を見に来るくらいの時間が経っていた。まあ苦労の甲斐はあって、ブルーとピンクのスキーウェアー姿は遠くから見ればそれなりに似合う。毛糸の帽子をかぶっているので炎の髪や角もちょっと見には判らないし、「あくまで遠景では」どこにでもいるスキーヤーという感じである。
 ところが近くに寄るとこの魔神の身体が大きいやら筋肉質やらで、なんだかはちきれそうに見えてしまうところがどうもすこぶる情けない。まるでサイズの合わない中古品を無理して着ているように見えてしまうのである。実はバーゲン品の一番大きい服を買ったので、本当にちょっとサイズが小さいのである。みぎては体型ががっちりしているうえに横幅も大きいので、まともにウェアーを買おうとするとかなりの値段になってしまう。貧乏な学生ということで、多少身体を服に合わせる羽目になってしまったのである。
 しばし呆れたようにみぎてのスキーウェアー姿を見ていたセルティ先生だったが、すぐに面白そうに笑うと一同に言った。

「さあ、かなり時間を無駄にしてしまったわ。ゲレンデに行って一滑りしましょう!」

*      *      *

 というわけで、一同は早速ゲレンデに急いだ。昼過ぎに宿屋について、着替えに手惑ったということで既に時刻は三時近い。冬の短い日だから、今からではほんの一滑りしかできない。あせる気持ちは判らない事も無い。急いでスキー板を借り(毎年スキーに行くセルティ先生は自前のスキー板である)、それを担いでほとんど疾走である。(みぎての足サイズに合うスキー靴と板を探すのはちょっと大変だったが、種族によっては彼くらいのサイズもいるので問題はなかった。)
 ゲレンデについた一同は早速リフト券を買い、リフトに乗りこむ事になる。ところがここがまた難関だった。コージやセルティ先生にはおなじみのリフトだが、この炎の魔神にとってはいきなりの初体験である。

「えっ?こいつにのるのか?!うわっ!」

 スキー板を履いているせいでまともには歩けないみぎてだからリフトに乗る事すらかなりの難問である。いや、この天性のスポーツマンである魔神にとってはこの程度のことは…少なくとも一目セルティ先生の乗る様子を見れば問題無くこなせるはず、コージも先生も、そして当のみぎて本人すらそう思っていたのである。
 ところが実際やってみるとこれはなかなか大変なことだった。一番の難問はリフトの座席が狭すぎるということである。一人乗りリフトだとこの大魔神のお尻が入らないのである。これでは反射神経上は問題無くても物理的に乗れるものではない。いきなりリフトに背中をぶつけてあえなく転んでしまったのはいうまでもない。

「お、おいみぎてっ!」
「大丈夫ですか!?」

 コージとディレルが慌てて傍まで行ってみぎてを助け起こす。スキーウェアーでがっちり防備を固めているせいで凍傷などにはなっていないらしい。が、代わりに帽子が脱げていきなり炎の髪が満天下にさらされている上に、多少雪がついたのか白い湯気まで上がっている。周囲の(リフトの運転員含め)人々は、純白の雪に映えるみぎての炎の髪の毛にびっくりしたようだった。

「あ、彼はうちの学生ですよ。お気になさらずに。あ、お先にどうぞ皆さん。」

 とっさにロスマルク先生は周囲の人々に弁解がましく謝る。世界各地からいろいろな種族の人々が集まるこのアナトリアホワイトバレースキー場だから、珍しい種族の人もいるだろうということでの…いささか強引な弁明である。たしかにゲレンデにはコージやロスマルク先生のような人間族だけでなく、エルフ族(妖精族)や獣人族、ドワーフ族をはじめ、いろいろな人々がスキーやスノーボードを楽しんでいる。セルティ先生はエルフ族だしディレルは海が住処のトリトン族であるから、一人くらい炎の魔神のスキーヤーがいたところで良いではないか、という荒っぽい論理である。
 まあ実際周囲のお客にとっても、(リフトから転げ落ちたという点を除けば)この魔神が別段迷惑なことをしたというわけではない。というわけで、お客達は珍しそうに彼らの事を見ながらも、どんどんリフトに乗って行ってしまう。

「俺さまみたいなでかい種族用のリフトは無いのかよぉ」
「みぎてくんはあっちの二人乗りリフトのほうがいいみたいですねぇ」

 ぶつぶつ文句を言うみぎてに苦笑しながらディレルは答える。ところが今度はコージが文句を言い出した。

「あれは初心者コースだって。つまんないって。」
「ちょっと待てコージ!俺さま初心者だって!」

 みぎてはびっくりしてコージに抗議する。実は一人乗りリフトの行き先は中級者大滑走コースなのである。滑り方すらしらないみぎてをいきなり放り出すのはちょっと無茶である。(スキーのそれなりにうまい人はそういう教え方をしたがるものだが、やっぱり無理なものは無理なのである。)

 天の采配というべきか、こういうわけでコージとみぎてとディレル、そしてロスマルク先生は少し離れたところにある初心者コースの方へと向かうことになったのである。

3.「空調が壊れたからって」

「しかしさすがにみぎてくん、スポーツ得意ですねぇ!」
「へへっ、そうだろ?でもおまえが丁寧に教えてくれたおかげだぜっ。誰かさんとちがってさー」
「ちぇ~、もうちょっとみぎてが転ぶ様、見たかったんだけどなぁ…」

 太陽が西の山に沈むと、スキーヤー達は次々とホテルに戻ってきた。当然みぎて達も同様である。わずか3時間弱とはいえ初めてのスキーを経験したこの炎の魔神は目を輝かせて随分うれしそうな表情だった。

絵 武器鍛冶帽子

 いや、実際この魔神の青年はたいしたものである。まったくの初体験、それも転ぶといきなり凍傷になりかねないという結構過酷な条件での初スキーだったのに、ディレルの説明と見本を見ただけでボーゲンを覚えた上、最後にはコージ達といっしょに中級者コースをこなしたというのだから、やはり天性のスポーツマンなのだろう。まあ端で見ているコージから見てもディレルの説明は、まるでスキー教室の先生のように丁寧だったし、さらにこの魔神はコージのところに転がりこむまで魔界や人間界でずっと冒険ばかりをやっていたらしいので、この手の運動ごとは得意中の得意なのかもしれないが、いずれにせよちょっとスムーズに行きすぎてつまらないくらいである。もちろん何度かはコージの期待に漏れず見事に転倒して周囲に湯気を巻き散らしたり、鼻の頭を凍傷で真っ赤にしたりということもあったのであるが…

「私も驚いたわ、さすがというべきね!」
「って先生、自分で楽しんでばかりで全然みぎてくんに教えてないですって」
「そうですな、こっちは結構大変だったんですから」

 セルティ先生は先の「みぎて、太すぎてリフトに乗れない事件」でいきなり彼らと別れた後、中級から上級コースをガンガンすべりまくり、最後の最後になって中級コースにやってきたみぎて達をちらりとみただけなのである。ディレルやロスマルク先生に突っ込まれてもこれはしかたがない。特にみぎてがリフトに乗り損ねて転んだときには随分冷や汗ものだったのであるから、こちらは多少なりとも文句を言う権利も有るだろう。

「あー、でも俺さま腹減った!久しぶりに暴れたからすっげー腹減ってる!」
「みぎて、これ以上太ったら二人用リフトも乗れなくなる」
「う、うるせぇっ!いくら俺さまでもそこまで太れねぇって!」

 リフト前での無様な格好を思い出したくないように、みぎては首を振って必死に弁明したのである。

*      *      *

 さて、ホテルに帰った一同は早速晩ご飯ということになる。さっきも言った通りこの「ニュー・アナトリアホテル」は決して高級なホテルではないし、さらに悪い事に今は一年で一番客の多い、一番サービスの悪くなる時期である。たいした飯が出るわけはない。一応それでもなんだかジンギスカン料理のような(あくまで「~のような」である)鍋という事で、こういう飢えた連中にふさわしい料理である事が救いだった。
 とにかく肉の食べ放題である。決して高級でない肉と、それからタマネギとかピーマンとかそういう野菜を鉄鍋で焼くのである。たれのほうも醤油と香辛料で味付けした「絶妙な味ではないが、食える」といういいかげんなものであるが、熱々に焼いた肉をすぐ食えるというだけでなんでもいけてしまうものなのだ。人の十倍以上筋肉である(としか思えない)みぎてなどには最高の料理かもしれない。いや、今日ばかりはコージもセルティ先生も目の前の料理をばくばくと平らげ、缶ビールをうまそうに飲み乾している。

「ディレルくん、なかなか良い場所選んだじゃない!」
「うーん、どうでしょうね、毎日これだったら困っちゃうんですが…」

 セルティ先生に名幹事とおだてられてもディレルはなんだか不安そうである。もしかしてひょっとすると明日も明後日も同じ献立かもしれないといういやな予感がしているのである。

「俺さま明日もこれがいいなーっ!肉食べ放題だしさ!」
「味音痴の筋肉馬鹿はほっとくこと」
「あーっ!コージひでぇっ!」

 そういいながらもみぎてもコージも上機嫌だった。楽しいスポーツと、心地好いビールの酔いごこち、そして腹一杯の料理でどうして文句が有るだろう。結局のところ本音は「今日は最高」というところでみんな一致していたのである。

 さて、晩ご飯が終わってから就寝までの時間は各人各様だった。ゲームセンターでちょっと古い格闘ビデオゲームに興じる者、夜の街に飛び出してお土産を探す者、日頃慣れない運動に疲れて早寝する者など本当に好き勝手である。セルティ先生とロスマルク先生は部屋でテレビを見ながら酒盛りである。二人ともお酒が本当に好きなのか、とにかくこういう時には缶ビールを手ばなさない。

 コージとみぎては熱々のお風呂に突撃していた。激しい運動をして汗もかいたし、窮屈な(みぎてにとっては本当に窮屈な)スキーウェアーを着込んでいたという事もあって、とにかく広いお風呂で手足を伸ばしたいのである。幸い大浴場はかなりの広さで二人の希望どおりだった。

「あっ、コージ達もお風呂なんだ!」
「よぉっ!ディレルもか~」

 浴室に飛び込んだ二人は先客のディレルを見つけて声をかける。このトリトン族の青年はプラチナブロンドの長い髪の毛を洗いおわったところだった。堂々風呂場に入ってきたみぎての見事な肉体を、まるで夢を見るようなほれぼれした目で見る。海洋種族のトリトン族であるディレルとて実はなかなかいい身体なのだが、この赤銅色の肌の魔神と比較すればとても及ばない。他の客も突然入ってきた大男にびっくりしたらしく、そろって彼ら三人のほうを見ている。こういう場所ではみぎてはちょっとヒーロー状態なのである。

「リフトのあの情けないざまとは大違いだな」
「それ言うなって、コージぃ」

 コージに突っ込まれたみぎては頭を掻いて赤面した。お湯で濡れた手が炎の髪に触ると白い湯煙が上がるので、ますます恥ずかしがっているように見えるわけである。そんな様子を見たコージとディレルが笑い出すと、つられてみぎても笑い声を上げたのは照れ隠しであろう。

 というわけで、炎の魔神のスキー体験初日は、予想をはるかに上回る好調な滑り出しであった。なにせ期待どおりにいくつもの傑作事件が起きた上に、結局はちゃんと全員…みぎても含めてスキーを楽しむ事が出来たのであるから、これ以上の結果は望むべくも無い。明日と明後日がこのまま楽しく遊べれば、今回のツアーは万々歳となるはずだった。少なくとも幹事であるディレルはそう祈っていた。

 ところが残念ながらそんなに平穏にこの旅行が済むわけはなかったのは、もうこれは「お約束」というか、御愁傷さまとしかいいようが無い話だった。ディレルの「嫌な予感」の通り、事件は向こうから転がり込んできたのである。それもただの事件ではない…たとえばみぎてが他の客と喧嘩してしまうとか、コージがはしゃいだ挙げ句転んで骨折してしまうとか、いわばディレルの予想範囲内の事件ですら無かった。

 そう、たしかに原因はこの炎の魔神といえばそうなのだが、いきなり事件の中心となったのはなんとこのトリトン族の青年、ディレルだったからである。

*      *      *

 これだけ大暴れした一同だからさすがに就寝時間は早い。万年健康優良児のみぎては元々(宿題でもない限り)早寝であるし、この魔神の振りまわされっぱなしのディレルやコージもさすがに今日は夜更かしする元気はない。スキー場というリゾート地だというのにもったいないような気もするが、それより明日のスキーのほうが大事である。
 というわけで三人は風呂上がりに缶ビールを飲んでそのまま折り重なるように寝てしまったのである。いや、実は彼らだけでなくセルティ先生達も結局は(酒盛りを適当に切り上げて)早めに就寝してしまったのだから、やはり久しぶりのスキーは結構ハードだったのだろう。そういうわけで彼らは誰一人として、さっきまでの満天の星空がにわかにかき曇り、激しい風と粉雪が叩き付ける悪天候へと急変したことを気がつかなかったのである。

 夜もふけたころになって、コージはなんとなくトイレに行きたくなって目がさめた。まあ昨夜あれだけビールを痛飲したのだからトイレに行くのは自然の摂理である。みぎては彼の真横で大の字になってぐうぐう寝ている。困った事に太い腕がコージの顔のあたりに乗っかっているやら、いつのまにか炎の翼まで(普段は隠しているのに)部屋にだらしなく広がっているやら、とにかく随分迷惑な状態である。
 といっても実はコージから見れば、こういうだらしないみぎての寝相はいつものことである。炎の翼は毛布だと割り切っているし、腕やら足が乗っかってきても乱暴に押しのけて問題無い。この元気な魔神は寝るときもうらやましいくらいに健康的で、少々の刺激ではまず絶対に起きる事はないのである。
 というわけでコージはいつものようにみぎての丸太のような腕を動かして、もそもそトイレへと寝ぼけまなこで出かけていった。

 ところがコージが驚いた事に、ホテルの廊下はまるで氷のように寒かったのである。空調が壊れてしまったのか、それともどこぞの馬鹿が廊下の窓を開けっぱなしにしているのか、とにかく部屋から出たコージは余りの寒さに今までの眠気が一辺に吹き飛んでしまった。こんなに寒いととてもトイレまで(寝巻き代わりのTシャツと短パンでは)とても行き付けそうに無い。しかたなく彼はさっきまで彼がくるまっていた毛布をそのまま身体に巻きつけ、(格好悪いので)誰にも会わずに済むように小走りになってトイレへと急いだのだった。

(どうもおかしいな…空調が壊れたからってこんなに寒いかな?)

 廊下を歩き、トイレに立っている間もコージは釈然としないものを感じていた。これだけしっかりとした鉄筋コンクリートの建物である。寝るときにはまったく問題が無かった空調が、たとえその後壊れたとしても、ここまで急に寒くなるものだろうか?これではまるで外の気温と変わらない。
 早々にトイレを済ませたコージはみぎてに相談するために部屋に戻った。ドアを開けると彼らの部屋だけが相当暖かい。この炎の魔神の持つ強大な炎の精霊力が熱となり、天然の暖房となっているわけである。

 ところが部屋に入った瞬間、コージは意外なものを目にしたのだった。なんと部屋の半分が雪に埋もれてしまっていたのである。みぎてがこんこんと眠っているその周りだけが雪が無く、残りの部分はゲレンデと化していた。部屋の奥の窓ガラスは全開になっており、そこから暴風雪が吹き込んで、荷物も何も雪の中である。
 そしてさらに驚いた事には、雪山となった部屋の真ん中にはディレルと、そして一人の長い髪の少女が立っていたのである。

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