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炎の魔神みぎてくん健康診断 2.「この年で高血圧はいやですよね」 

2.「この年で高血圧はいやですよね」

 健康診断の当日の朝は、幸い薄曇りで暑くもなく寒くもないという、とても過ごしやすい陽気だった。まあもう少し夏に近づくと、会場までの往復が暑くて、それだけで行く気が萎えてしまうことになりかねない。かといって真冬の検診だと、どうしても厚着をして行くことになるので、会場で服を脱ぐのが大変である。そういう意味でもこのシーズンが健康診断には一番向いているといって間違いない。

 とはいえ傍らを歩くみぎてはといえば、もうこれは見ている方が笑いたくなるほどしょぼくれて、ここだけ春じゃなくて真冬ではないかというような、情けない表情だった。なんだか今にもぶっ倒れてしまうのではないかという気がしてくるほどである。
 まあ何せ今朝は飯抜き、昨夜もあまりたくさん食べてはいけないと言われてしまうと、人間族だって結構つらいのである。大食らいが歩いているようなこの炎の魔神にとっては拷問どころか地獄の行進のような気分だろう。通りを歩いて行くと朝から空いているパン屋さんの良い香りやら、喫茶店のコーヒーの香りやらがするのだからよけいに悪い。いや、みぎてだけでなく、コージだってなんだかかなりつらいという気がしてくる。
 会場のそばで待ち合わせをしていたディレルは、情けない表情のみぎてを見るなり言った。

「みぎてくんほんとに倒れちゃいそうですねぇ。健康診断大丈夫かなぁ…」
「健康診断で不健康になっちまいそうだぜ、俺さま…」
「まあダイエットと思って我慢すること」

 そういいながらも本音ではコージだってちょっとこの「飯抜き健康診断」はかなりきついなと思っているのである。これはとにかくさっさと済ませて、なにか食べ物にありついた方がいいだろう。
 というわけで三人は早速健康診断会場である、バビロン健康医療協会へと向かったのである。

 バビロン健康医療協会というのは、バビロン市の外郭団体のようなもので、こういった健康診断や予防接種、それから啓発運動とかをやっているところらしい。市庁舎からほど近い大通りに面したビルがその建物だった。裏側にはなんだか大きな駐車場もあって、奇妙な箱型のバスみたいなものが何台も並んでいる。

「コージ、なんだか変な車だな、あれ…」
「あ、あれか。検診車とか献血車だな」

 よく見ると車の横には赤い十字と、車の名前らしきものが書かれている。「集団検診車 やすらぎ三号」とかそういう感じである。とはいえ集団検診車と明記するのはともかく、「やすらぎ」という名前はなんだか微妙という気がしてくる。

「あっちはレントゲン車ですね。すこやか二号って名前ですけど…」
「名前聞いただけでなんだかもろに病院センスだよな…」
「もう少しすてきな名前ありそうなもんですけどねぇ…」
「うーん…インフルエンザとか」
「それだけはダメです」

 たしかにどう考えてもこのネーミングは病院か老人ホームらしすぎる。かといってここで「大腸二号」とか「インフルエンザ三号」とか、そんな名前にするわけにもいかないだろうが…なかなか名前というのは難しいものである。

 さて、駐車場の脇を抜けて、いよいよ三人は健康医療協会ビルに到着した。外から見たところ、そんなに新しいビルではないが、なかなかロビーはこぎれいである。隣にはチェーンのコーヒーショップがあって、素敵すぎるうまそうな香りが香ってくる。

「げげげっ、また拷問じゃねぇか…帰りに食おうぜ」
「まあ健康診断終わった人目当てなんでしょうねぇ…もろに」
「うーん、それ判るけど…それよりこっちが気になる」

 空腹のみぎてはコーヒーショップの方ばかりが気になっているようだが、実はコージは反対側のショップがすごく気になっていた。どういうわけか仏壇屋があるのである。

「…これってある意味すごくシュールですねぇ…」
「うーん、一気に不安をかき立てる光景だよなぁ…」

 病院に葬儀屋が併設されているとかいうレベルではないものの、やっぱりなんだかシュールな光景に見えてしまうのは仕方がない話だろう。

*     *     *

 エレベーターで五階に登った彼らは、いよいよ集団検診の会場へと到着した。エレベーターホールの真向かいがガラスドアになっており、どうやらその向こうが会場のようである。といってもおもしろいことにエレベーターホールに銀行の窓口のような順番待ちカード発行機がおかれている。

「結構人数多いんじゃないですか?こんなの置いてあるってことは…」
「うーん、ありえる…待ち時間すごそう…」
「えええっ!俺さま泣けてきた」

 受付待ちカードがあるということは、間違いなく結構な人数が健康診断を受けるということである。事実まだ八時過ぎ(受付開始は八時半)なのだが、待合室には十名以上の人が座っている。空腹で目が回りそうなみぎてはもちろんのこと、コージやディレルだってこの人数を見れば一抹の不安がよぎってしまう。下手をすると検診終了はお昼頃になるのではないかという気がしてくるのである。
 とはいえ今更しっぽを巻いて帰るというわけにも行かないので、三人は順番に受け付けカードを受け取って、待合室に入る。ともかく八時半の受付開始まで、ここで雑談でもしているしかない。

 待合室はビルの外壁の古さとは異なり、真っ白のきれいな部屋だった。壁には真新しい液晶のテレビがかけられて、どこかの放送局の朝番組を流しているし、それからベンチのそばにはこれまた銀行と同じように、時間つぶしのための雑誌が置かれている。

「『健康家族』…こっちは『自然食生活』ですね。やっぱり病院らしい本ですよ」
「特集、四〇歳からの腰痛対策…ってうーん」

 少なくともコージたちの年代では、こんな雑誌を見せられてもぜんぜんおもしろくないのは間違いない。これならテレビでも見ている方がましのような気がしてくる。が…

「テレビ番組もなんだかちょっと微妙ですよねぇ、健康電話相談ですよ」
「…朝のこんな時刻にテレビ見たこと無いけど、こんなのやってたんだ…」
「うーん、でも俺さま、ここで料理番組だったらやばかった」

 たしかに朝のこんな時刻は、クッキング番組などをやっていてもおかしくない。こんな空腹の状況で料理番組などを見せられようものなら地獄である。まあここはおとなしく三人で雑談でもしているのが一番いいだろう。

 さて、そうこうしているうちに、ようやく受付が始まった。混んでいると言っても三人は結構早いうちに到着したので、開始からは一〇分程度で受付完了である。が、周囲を見回せば既に待合室はいっぱいで、立って受付を待っている人までいる始末である。噂で聞く花粉症の時期の耳鼻科もかくやという有様であろう。

「結構きわどかったな、これ…今ごろついてたら終わるの昼回ってたんじゃ…」
「あり得えますよ…健康診断ってこんなにすごいものなんですねぇ」
「…これで検診車でやる奴らもいるんだろ?すげぇ人数だよな…」

 たしかにみぎての言うとおり、外にあった検診車は別にフル稼働しているのである。というより、コージたちの場合は研究施設の特殊検診なので、このビルに来ているのだが、ふつうの会社の人はたいていは検診車で受けているはずである。
 ということは、毎日健康診断を受ける人数は、この待合室にいる人数とは比べものにならないということになる。なんだか想像しただけで気が遠くなりそうな話だが、ここバビロン市の人口を考えると当たり前の話かもしれない。
 三人は街中の人が健康診断をしている姿を想像して、それだけでげんなりしてしまったのは当然だろう。
 と、そのときだった…

「フレイムベラリオスさん!いらっしゃいますか?」
「あ、俺さま!はいはいっ!」

 看護婦さんが呼ぶ声で、あわてて魔神は立ち上がった。フレイムベラリオスというのはみぎての本名である。普段はコージたちどころが大学の先生方すらニックネームの「みぎてくん」と呼ぶが、一応こういう書類上は本名でなければ都合が悪い。
 みぎてに続いてコージもディレルもいっぺんに呼ばれる。まあ受付したのが同時なのだから、検診の順番もほぼ同時なのは当然だろう。三人は彼らのカルテを持った看護婦さんに案内されて、待合室の隣にある部屋に向かった。そう…いよいよ彼らの健康診断がスタートするのである。それがどんなイレギュラーなものになるのか、誰にも予想はつかないのだが、少なくとも「バビロン健康医療協会」創立以来初の珍事が起きることだけは確実である…そうコージは覚悟を決めていたのは言うまでもない。

*     *     *

「まず視力検査からです。二番のプラカードがあるところで…」
「視力検査って…あれ?壁にある視力判定ポスターじゃないんだ」
「コージ、今時そんな視力検査やりませんよ。」

 三人の目の前にあるのは、横長の机と、両目でのぞき込むタイプの視力検査装置である。コージのイメージにある視力検査と言えば、片目を隠す立て札みたいなものを持って、壁に貼り付けてあるCの字のポスターを見てその向きを当てるという昔風のものである。が、ディレルに言わせれば今時そんな視力検査は無いらしい。まあ実際コージは視力の方はすこぶる良好で、めがねのお世話などになる必要が全くないので、視力検査といっても中学校の健康診断以来の超久しぶりである。今時の視力検査など知らないのも無理はない。むしろディレルがなぜ視力検査を知っているのかが不思議なほどである。
 するとディレルはあっけらかんと意外な返事を返してきた。

「えっ?知らなかったんですか?僕、コンタクトですよ」
「ええっ!ディレル近視だったのか!」
「俺さまもちょっとびっくり!ぜんぜん気がつかなかった」
「二人とも僕とのつきあい五年以上になるのに、気がついてなかったんですか…」

 ディレルは二人の観察力のなさにあきれかえるが、逆を言えばめがねの経験が無い二人では、他人が近視かどうかなど、こんなことがなければ気がつくはずはない。これはまあどっちもどっちというのが公正なところだろう。
 さて、そんな話をしているうちに、いよいよ実際に測定する番が回ってくる。まずはみぎてからである。

「はいここからのぞき込んで…大丈夫?」
「うーん、これ俺さま狭いし、額の角にぶつかるんだけど」
「みぎてくん頭でかいんですね」
「体でかい分だけそれに見合って大きいな…」

 視力検査ののぞき穴レンズは、当然ながら頭の大きさに合わせて左右の幅を変更することができるようになっている。が、みぎてほどの大きさの魔神となると、最大に開いてもなんだかすごく窮屈そうである。それにみぎての場合、ちょうど額の上の部分に小さいながらも魔神らしく角が生えている。これが視力検査装置に微妙に当たってなんだか非常に具合が悪い。まあもっともこういう機械は人間族かそれに近い種族に会わせて設計されているものなので、仕方がないと言えば仕方がないのだが…

絵 武器鍛冶帽子

 何とか顔の向きを斜め上にして、下目使いでレンズをのぞき込むことは出来たものの、これでまともな視力検査の結果が出るのかは全く判らない。が…

「順番にCの切れ込みが空いている方向をいってください」
「右、左、上…」
「みぎてくん、さすがすごく目が良いみたいですね…」
「っていうかあの機械ではかれる範囲絶対越えてるって」

 あっと言う間に全部のCの向きを言って、まだ余裕があるという感じである。まあこの辺はさすがに魔神族と言うべきだろう。
 ところが…検査はそれだけではなかったのである。

「じゃあ、この本見てください」
「?」
「このページ、なにか字が書いてありますか?」
「あ、色覚異常の検査ですね…あれ?」
「…みぎて?」

 奇妙なことにみぎてはページを見て、かなり困惑したような表情になっている。どうやらコージから見えているあのページ(緑の地に赤っぽい紫でケの字が書いてある)が読めないのかもしれない。
 今までコージも気がついていなかったのだが、ひょっとしてだが、魔神族であるみぎての視覚はコージたち人間族と同じではないのかもしれない。たとえば、一部の色が判らないとか…大いにあり得る話である。
 と、みぎては意を決したのか、言った。

「ケと、ユって二つ書いてあるように俺さま見える」
「はいOKです。可視光○、赤外○ですね」
「…赤外線かよ」
「そんな検査していたんだ…ぜんぜん知りませんでしたよ」

 考えてみればバビロンの街にはコージたち人間族やディレルのようなトリトン族意外にもいろいろな種族が住んでいる。みぎてのような魔神族は例外としても、ドワーフ族やオーク族のように赤外線まで見える種族もいるのである。そういう人々だって健康診断を受けるのだから、色覚検査に赤外線があるのは当然かもしれない。

「っていうか、気がついたんだけどさ…」
「なんですかコージ?」
「看護婦さん、ぜんぜんみぎてに戸惑ったりびっくりしてないよな…」
「…そういえば…」

 コージは首を傾げて周囲の看護婦たちを改めて観察してみた。今までの経験上、みぎてほどの目立つ魔神族が街を歩けば、必然的に周囲の視線を集めることになる。事実待合室でもほかのお客さんはみぎてたちのことを非常に興味深げに見ていたのである。まあ芸能人みたいなものと考えるしかない。
 ところが看護婦さんの方は、炎の魔神であるみぎてを相手にしても、驚くどころは全く平然と受付やら視力検査をしている。職業柄目立つ人はいろいろ相手にしているのかもしれないが、それだけではないような気もしてくる。たとえば…

「よく考えると、精霊力の大きさはかなり違うでしょうけど、精霊種族の人だっているんじゃないですか?ほら、サンドマン族とか…」
「あ、そっか、そういえばそうだな…」

 実はここバビロンにはコージやディレルのような通常種族以外にも、精霊界とつながりの深い精霊種族も住んでいるのである。砂漠の民であるサンドマン族(実は砂で出来たスライムのような感じの連中で、バビロンでは鎧を着て街を歩いている興味深い種族である)が代表的だが、ほかにも少数だがいろいろな種族がいる。もちろん本物の魔神であるみぎてはその中でも特別なのだが…医学的にはさほど違いが(といってもほかの精霊族との比較だが)ないのかもしれない。
 そう考えると、今回のみぎての健康診断は思っているほど心配しなくてもよいという気もしてくる。少なくともけが人がでるとか、そういう危ない事態だけはなさそうだ…そう判断したコージは、ほっとしたように表情になる。そんな表情の変化を見たディレルは笑いながらコージに言った。

「まあ健康診断はみぎてくんだけじゃないですからね。僕たちもあるんだし…」
「そうだな、あんまりみぎてのことばかり心配していたら、俺たちのほうがやばい結果が出そうだし…特に血圧が」
「この年で高血圧はいやですよね」

 二人は笑いながら、今度は安心して自分たちの視力検査をしてもらうことにしたのである。

(3.「「人間界の食い物ってたいていうまいんだけど」へつつく)

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