見出し画像

炎の魔神みぎてくん草野球①

1.「あ、ユニフォームは任せてねっ!」

 バビロン大学魔法工学部も、七月の終わりになるとずいぶん暇になる。前期試験が終わって学部生が夏休みに入るからである。九月の終わりごろまではほとんど開店休業状態なのである。
 もっとも大学院生となると、さすがにそこまで暇ではない。夏前の学会発表は終わったものの、いろいろな雑務やら次の実験準備やらがあるからである。そういうことでまったく学校へ来なくても良いというわけではない。いや、なんだかんだいってもほとんど毎日学校へ顔を出すことになるのが、院生のつらいところである。

 それに加えてコージの家ときたら、夏の昼間ともなるとにさすがに人間が住むところではなくなる。とにかく相棒と一緒にいると、室内はおそらく四十℃を超えるサウナ風呂状態である。冷房なんて気の効いた物などあるわけはない。古ぼけた扇風機だけが唯一の冷房設備である。これでは家にいるのは地獄にいるのとさほど変わらない。とにかく相棒は暑苦しいのである。なにせ相手はこまったことに正真正銘の炎の魔神なのだ。これでは暑いのも当然であろう。
 実際こいつが一緒にいるだけで、平均気温が三℃は上昇する(と、思う)。無論そろそろこの魔神との夏も三回目なので、こうなることは判ってはいるのだが…暑いものは暑い。しかたがないのでコージは研究室へ避難することになる。もちろん暑い原因である相棒も一緒なのだが、研究室には冷房があるのでまだましである。

「コージ、そろそろ昼だぜっ。弁当買ってくるけど何食う?」
「オムライス大。あとアイス」
「うげっ、俺さまがアイス食えないこと知ってて言うし~」
「真夏にアイス食わずに人間族やってられない」

 ちょうど昼になったということで、相棒の魔神は弁当の買出し担当である。こいつは魔神らしく体格はすばらしい…分厚い胸板と、ちょっと見上げるような背丈、丸太のように太い腕や脚なのである。プロレスラーみたいなものといったら判りやすい。もっとも人間族と違って髪の毛は炎だし、額からは小さな角が生えている。丸っこい目がちょっとそれらしくないが、やはり立派な魔神族なのである。これだけ大きな体だと当然食欲も旺盛で、飯時になると一番うるさいのもお約束どおりだった。

 コージと魔神の騒ぎを聞きつけて、隣の教授室から黒髪の美女が顔を出す。彼らの担当教官、セルティ先生である。見かけはグラマーな美女なのだが、実は結構いい歳で、見かけにだまされるとひどい目に遭う。魔法の大学ということで、教授は魔女なのである。

「みぎてくん、弁当買いに行くのね。じゃあとんかつ弁当二つよろしく」
「あ、おっけ。まとめて買ってくるからみんなで食おうぜ」
「そうね、じゃあ教授室でお茶準備しとくわよ」

 「みぎてくん」というのはこの魔神の名である。「みぎてだいまじんさま」という自称なのである。もっとも本名はフレイムベラリオスというのだが、どういうわけか恥ずかしがるのである。そういうわけでコージや他の友人も彼のことを「みぎて」と呼んでいる。まあ名前なんてものはニックネームでも普段は一切困るものではない。

 しかしまあこうなってしまうと、せっかくだから講座全員分を買いだして来たほうがよいということになる。さすがに全員分となるといくら力自慢の魔神でも一人では持ちきれないかもしれない。腕力の問題というより、かさばるからである。
 あれよあれよという間に、魔神は弁当を6人分買ってくる羽目になった。こうなるとさすがに一人では無理である(弁当だけならともかく、付属の味噌汁が難問である)。魔神は頭をかいて呆れ顔のコージに言った。

「コージも来てくれよ、一人じゃ持ちきれねぇよ」
「安請合いするからだって」

 困りきったようなまん丸の目のみぎてに、コージはしかし笑みを浮かべた。こういうとことんお人よしのところが、この魔神の素敵なところなのである。しかし素直でないコージは、こういうときに魔神をちょっといじめるのが好きだった。これも相棒の特権である。

「ええっ~」
「外いくの暑いじゃん。炎の魔神と違って暑いの嫌いなんだから」
「うぐっ、意地悪言うなよ~。さあ行こ行こ」

 一瞬魔神はあわてたが、次の瞬間コージの目が笑っているのに気がついたようだった。コージの手をとって弁当屋へと出発である。そう、これがいつもの二人なのである。

*     *     *

 コージは既にお判りのとおり、バビロン大学魔法工学部の学生…つまりごく普通の魔法使いの卵である。ごく普通の学生だし、両親や親戚が英雄とか大魔道士だとかいうわけでもない。ただたしかに漆黒の短い髪の毛と細い目が、多少エキゾチックな感じではあるのだが、だからといってこんな魔神の相棒ができるなどという理由にはならない。

 どういう経緯でこの炎の魔神「みぎて」がコージと知り合ったのか、という話に関しては、もう既に別のところでなんどかお話しているので、改めて詳しく述べることはしない。ともかく最初はコージが魔神に命を救われて、そのお礼に今度はコージが魔神が大学に通えるようにいろいろ手配したのである。そんなこんなで二人は同居暮らしをはじめ、そろそろもう三年になる。

 魔神との暮らしというのは、コージにとってはとても面白い。おそらく魔神「みぎて」にとっても興味深いことばかりだろう(と、コージは確信している)。もちろん細かいところで魔神と人間の違いもあって、いろいろ騒ぎにもなるのだが(最大の問題は食費がかかることである)、全体としてとても楽しいといっていい。なにせこの魔神はとても純粋で、お人よしで、そしてコージのことを気に入ってくれている。それが一番楽しい理由なのは当たり前だろう。
 それにこの魔神は不思議なくらい人に好かれやすい。ちょっと見た目には巨漢で、角まで生えているものだから恐そうにも見えるのだが、実はとても人懐っこく気がいいのである。あっという間に近所でも学校でも「陽気な魔神さん」ということで誰とでも仲良くなる。これはもう才能としか思えない。おかげでコージまでいろいろな知り合いが増えてくる。たとえば他の魔神や精霊族である。これは一種の役得なのかもしれない。
 いずれにせよ今のコージには、この相棒「みぎて」抜きの生活などまったく考えられないのである。ただし…この夏の暑さと食費の件だけは別問題だったが。

 さて、話は元に戻る。弁当6つ+おかず単品(みぎての分)+アイス(これはコージの分である)を買って、意気揚々と戻ってきた二人は教授室に直行した。といってももうとっくにお昼の時刻は過ぎている。ほか弁を作ってもらうのにそこそこ時間がかかった上に、コージが寄り道をしてアイスを買ったからである。
 教授室には既にセルティ先生やロスマルク助教授、それに講座仲間のディレルとポリーニが待っていた。

「寄り道してたんじゃないの?遅いわよ~」
「わりぃわりぃ」

 ポリーニはぷりぷりと怒ったような顔をして、二人を責める。彼女は同じ講座の仲間である以上に、実はコージの幼馴染でもある。三つ編みヘアーでそばかす眼鏡っ娘という典型的なスタイルをしている女学生だった。これだけならばどうということも無い、見ようによってはかわいい娘である。が、彼女の最大の問題点は「発明マニア」であることだった。いつも珍発明品を開発しては、みぎてやコージを実験台にするのである。もっともこの大学には変わった人物は他にもいるし、もっと厄介な発明マニアもいるので、彼女だけが困った人物というわけでもない。
 ほうっておくとポリーニの口撃が止まらないと見て取った隣のディレルは、苦笑して穏やかな声でとりなした。

「まあまあポリーニ、ご飯食べてからにしましょうよ。僕もおなか減りましたよ」
「えっ…まあそうね。あとにするわ、あとに」

 さすがは「講座の万年幹事」ディレルである。このトリトン族の青年は、いつもトラブルが起きるこの講座の行事を、見た目どおりの人当たりと面倒見のよさでなんとか遂行させる、稀有な才能の持ち主なのである。ただもちろん想像はつくと思うのだが、非常に押しが弱いという欠点もあるので、いつもわがままな講座生どもの板ばさみになってえらく苦労するはめになっている。「万年幹事」というあだ名も、結局頼まれて断れないという性格から来ているのは言うまでも無い。
 ともかくこの二人と、先生方二人と、そしてコージとみぎてが本日の主要メンバーというわけなのである。

 ということで、なんとかちょっと遅いお昼の会食が始まった。会食というほど大げさなものではない。食事は単なるほかほか弁当だし、お茶だって講座に備え付けの安もの緑茶である。それにすぐそばにあるテレビまでつけているという状態なので、どこかの定食屋とあまり変わらない。ロスマルク先生はどうも高校野球が気になるらしく、さっきからそっちばかり見ている。

「あら、ロスマルク先生、高校野球お好きだったの?」

 セルティ先生がちょっと意外そうに聞く。この初老の学者は普段あんまり野球だのサッカーだのの話をするわけではない。セルティ先生とコンビを組んでもう十年以上になるはずなのだが、今までそんな話が出たことが無いのである。
 するとロスマルク先生は苦笑して言った。

「いや、今年は母校がいいとこまでいっておりましてな。もしかして予選突破できるかもとちょっと期待しとるんですよ」
「あ、それは熱はいるわよね。私の学校は全然ダメなのよ毎年…」

 コージやディレルにはこの二人の高校時代などまったく想像が付かないので、「母校」という単語が出てくるとちょっとびっくりである。言われてみればこんなおっさんでも昔はかわいい子供だったのだから、高校時代というのもあるのは当たり前である。

「そういえばロスマルク先生も高校の時って部活とかしてたんでしょ?」
「そりゃやってましたよ。補欠でしたが一応野球部にいたんですよ」
「ええっ!信じられないっ!」

 これは衝撃の事実である。こんな爺さんでも昔は野球をやっていたというのだから、コージを含めて全員目を丸くしてしまう。あんまり驚いたもので、コージの口からは恒例の毒舌が飛び出した。

「あんまり昔だから、ユニフォームがもんぺだったとか、グローブが布で出来ていたとか…」
「コージ君、あたしゃいくつだと思ってるんですか」

 いくらなんでもグローブを布で作っていたという時代ではなさそうである。ちょっとぶすっとした老学者の表情に、全員はゲラゲラ笑い始めたのはいつものことである。

絵 武器鍛冶帽子

*     *     *

「そういえば毎年恒例の『学長杯草野球大会』、今年もあるんですよね。」
「そうね、あれももうずいぶん続いてるわね」

 ふと思いついたように言ったディレルに、セルティ先生はうなずいた。『学長杯草野球大会』というのは、バビロン大学の講座やサークルが草野球で対決するという良くあるイベントである。もともとが講座・教職員対抗の福利厚生イベントなもので、当然レベルは草野球だが、毎年たくさんのサークルが参加するというにぎやかな大会となっていた。大体予選が今頃からぽろぽろと始まって、勝ち残り八チームが九月の終わりに大会をするというわけである。

「『学長杯』は経済学部や農学部の先生なんぞは、毎年教職員チームで出てますな」
「大講座制だと職員集まりやすいのよねぇ。うちなんてもう何年も出てないわ」

 たしかに大講座制…つまり一つの研究室グループに複数の教授や助教授をいっしょにまとめる講座制度だと、職員だけで十人くらいはすぐ集まることになる。バビロン大では経済学部などがそういう方式なのである。ところがここ魔法工学部や医学部のような小講座制(つまり講座一つに教授は一人)では、単独の講座でメンバーを集めるのはかなり難しい。学部生を含めてようやく参加可能という状況なのである。そういうわけでこのセルティ研究室でももう何年も学長杯には参加できていないというわけだった。出るとしても大体は複数の講座で連合軍である。
 セルティ先生はお弁当をやっつけながら、しばらくテレビ画面を眺めていたが、突然奮起したようにコージたちのほうを向いた。

「どうかしら?今年は参加してみない?連合軍でなら何とかなるわよ」
「言うと思った…」

 コージもディレルも「やっぱり」という顔になった。こういうお祭りネタになるとセルティ先生は研究そっちのけで燃えてしまうのである。まあ今の講座のメンバーはすこぶる息があっているというのもあるのだが、それ以上に本質的にイベントが大好きなのだろう。めんどくさいことが嫌いなコージとは正反対である。ディレルはディレルで、またいつもの通り手続きやら準備などをしなければならない(そういう発想に直行してしまうのが『万年幹事』たるゆえんである)のだから、渋るのも無理は無い。
 あきらかに躊躇しているコージたちにたたみかけるように先生は言った。

「みぎてくん、その様子じゃ野球やったこと無いでしょ?体験させてあげましょうよ」
「うっ、それ反則…」
「先手打たれましたねぇ、コージ」

 さっきから飯に熱中しているばかりで、野球の話はよく判らなそうに聞いている魔神の様子を見て、セルティ先生はしっかりと急所を突いてきたというわけだった。たしかに普段おしゃべりで騒がしいこの炎の魔神にしては、話を聞くばかりというのは珍しい。(興味が無ければ聞きもしないだろうから)つまりは野球というスポーツには興味あるが、やったこと無いのでよく判らないという状況が手に取るようにわかる。そういう点で、みぎては非常に判りやすい性格なのである。
 魔神はニコニコ笑ってうなずいた。「やっと聞いてくれた」という顔である。

「おうっ、なんか面白そうなスポーツだけど、ルール難しそうなんだよな。ストライクとかボールとか、どこが違うのかあんまり判んねぇ」
「魔界じゃ野球ってやらないのか」
「うーん、野球は人間界だけだよな。サッカーは魔界でも流行ってるんだけどさ」

 みぎては腕を組んで不思議そうに言う。どうやら魔界では野球は知られていないスポーツらしい。まあ考えてみると野球が流行っているのは、人間界でも一部の国だけである。世界的に見ればたしかにみぎての言うとおり、サッカーの方が一般的である。とはいえ、魔界のサッカーというのも想像するのが難しいが・・・(おそらくラグビーみたいに肉弾のぶつかり合いになるのではないだろうか。)
 セルティ先生はみぎての話を聞くと、うなずいてコージに言った。

「やっぱりみぎてくんに野球一度体験させてあげたいわねぇ。コージくん、教えてあげなさいよ」
「う~ん」

 セルティ先生のお言葉に、コージは「うわぁ」という表情になる。もちろんコージは野球のルールを知らないわけではない。というより正確にはかなり詳しいといってもいい。なにせ実は彼は中学の時は野球部だったのである。今のツンツン立った髪の毛からは考えられないかもしれないが、中学時代はなんと丸坊主だった。野球少年のお約束である。

 しかし野球のルールというものは、これは口で簡単に説明できるようなシンプルなものではない。ピッチャーがボールを投げてバッターが打つ、といえばそれだけなのだが、ストライクゾーンとは何ぞやとか、ファウルとか、はたまたボークとかなんとか言い出すと、用語だけで結構大変である。まあこれを全部教えないと野球ができないというわけではないのだが、基本ルールだけでも説明する必要はある。ぞっとするくらいめんどくさそうな予感がする。こうなったらなんとかディレルと共謀して、話を流してしまった方がよいかもしれない。どうせポリーニは女性だから、野球なんてやらないだろう(見るのは好きかもしれないが)という打算である。
 ところがコージの思案をあっさりと覆す予想外の発言が、当のポリーニから飛び出したのである。

「いいわねそれっ!あたしも乗るわよ」
「うぐっ!マヂ?」
「ポリーニ、野球できるんですか?応援だけじゃないですよ?」

 コージだけでなく、ディレルまでびっくり仰天である。この驚愕ぶりを見ればディレルがコージと同じように「なんとか流してしまおう」と考えていたことがよく判る。とにかくこれでは話が大幅に変わってくる。
 しかしポリーニは平然と言った。

「もちろんよ。あたしソフトボール得意だったんだから。少なくともルール知らないみぎてくんよりはましよ」
「…ソフトボールってありましたねぇ…」
「やられた…」

 たしかにソフトボールならば女性のチームもある。経験者なら草野球くらい充分こなせることだろう。これは完全に盲点だった。コージとディレルは参ったというように顔を見合わせるしかない。が、その時さらに二人を悶絶させるポリーニの発言が飛び出したのである。

「あ、ユニフォームは任せてねっ。ばっちり作ってくるから。新開発の…」
「げふっ!コージやばい!」
「は、発明品ですかっ?」
「当たり前よっ。どうせ寄せ集めのおんぼろチームなんだから、ユニフォームくらいでアドバンテージがないとダメよ。あ、後でサイズまた測るから。先生方もお願いね」
「わ、わしもかね…」

 彼女はやはり予想通り、恒例の珍発明品を野球のユニフォームで実験しようとしているのである。まさしく恒例…もういい加減にしてくれ状態である。が、そんなこと口に出来ようはずは無い。おそらく、いや確実にこのまま行くと試合中に突然膨らんだり、妙なランプが点滅するというわけの判らないユニフォームを着る羽目になるだろう。。またしても赤っ恥丸出しの珍野球大会になってしまう。
 しかし既に手遅れである。完全に乗り乗りの彼女を止めることはコージたちはもちろんのこと、先生二人にすら不可能なことだった。あとは彼女が大失敗作を作らないことを祈るしか、彼らに残された道はなかったのは言うまでも無い。

(②につづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?