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炎の魔神みぎてくんアルバイト 1.「だって秋なんだから秋らしい」

1.「だって秋なんだから秋らしい」

 コージたちの通うバビロン大学の魔法工学部は、すでに開校二〇〇年を軽く超えるという、大変歴史のある学校である。世界の有名大学の中でも、このバビロン大に匹敵する歴史のある学校といえば、同じく魔法学で有名なバギリアスポリス大学と、あとは神学や歴史学で名高いメンフォロス大学くらいしかない。
 といってもその有名大学に通っている学生が、学校の伝統に見合ってお上品だとか、貴族の子女だとかそういうことは残念ながら全くない。そもそもここバビロンには貴族制度などはとっくの昔にすたれてしまっているし、それ以上に人口が…種族を問わず多すぎる。結局貴族制度なんてものは、近代化して巨大化する都市においては単なる過去の遺物なのである。

 まあもっともバビロン大学の場合は、たとえ貴族制度が華やかだったとしても、なんとなくこの地味な雰囲気は同じだった可能性も高い。なにせこの大学で一番評価の高い学部というのは、魔法工学部である。「工学」といえば想像がつくだろうが、ともかく地味だし、おしゃれのかけらもないし、そしてなにより女の子が少ない。校内を歩いてみればわかることだが、白衣姿とか、洗いざらしのTシャツとジーンズ姿とか、そんな奴らばっかりである。さらに色が悪い。茶色とか、グレーとか、藍色とか、そんな色がやたら目立つ。たまに赤っぽい服装がいると思えば確実に部活のジャージだし(当然ながら洗濯しすぎで色あせている)、アクセサリとかをつけているなんてことはまず無い。貴族時代の華やかさがないというのは当然だとしても、ここまで地味になることもないと思うのがコージの本音である。特にこんな季節…秋に入ってポプラ並木が枯葉を落とすころになると、この「茶色い大学」という傾向は数倍に増幅してくることになる。
 もちろんこの問題は今に始まったことではないし、バビロン大学の男性諸氏が全面的に悪いという話でもない。実際に魔法工学部には女性も多少はいるし、他の学部(経済学部とか、魔法農学部とか)もあるのだから、もっとおしゃれな人だっていてもよさそうなものである。しかしコージが知っている限り、魔法工学部の数少ない女性陣といえば、おしゃれの「お」の字も無いか、なにか勘違いしているかのどちらか…というよりその両方しかいないという気がする。薄汚れた白衣に妙なマスコットキャラをマジックで描いてあったりするわけである。これではさすがに普通にいう「おしゃれ」という定義からはかなり(というより大幅に)外れているといわざるを得ないだろう。まあとはいえそれでも男性陣のアースカラー系か体育会系ファッションに比べれば、多少なりともましともいえないことはないのだが…

 そう考えてみると、彼の傍らを鼻歌交じりで歩く大柄の魔神は、バビロン大学の主流ファッションから考えれば十分まともなファッションという気がしてくる。何せ生まれつきの赤く輝く炎の髪やルビー色の瞳とか、それから赤銅色の肌などは、それだけで十分派手である。からし色のノースリーブにカーキ色のカーゴパンツ姿というのも悪くない。おまけに腕にはごっつくて格好いいバングルウォッチまでつけている。魔神らしい人並み外れたでっかい体格こそ体育会系だが、少なくともこのバビロン大学の「地味すぎるファッション」と比較すれば水準以上だろう。これが巷の流行に乗っているのかといわれるとちょっとわからないのだが、ともかくコージの好みからいくと合格点である。
 もっともこの魔神が人間族ファッションに興味を持つようになったのは、コージたちと知り合ってからのことである。最初にコージと出会った時は、炎の髪の毛とかたくましい体格こそ同じだが、カラフルな柄の前垂れの付いた革のパンツとか、重そうな金属の小手とか、ともかくやたらエスニックな服装だったのである。まあ考えてみれば魔界のファッションは人間界のファッションと違って当たり前だし、魔界ファッションだってそれはそれでこの陽気な魔神にはよく似合うは思うのだが、人間界で暮らすにはちょっと露出が多すぎる。そういうわけでコージは一生懸命この魔神に人間界のファッションというものを教育したのである。まあそれを考えると、この魔神がコージ好みのファッションを着ているというのは当然ということになる。もし一般から見て「格好悪い」と言われたら、これはコージの責任である。

 そんなことを考えてながら魔神の服装をチェックしているコージに気づいたのか、魔神はちょっと赤面して言う。

「あれっ?俺さまの服、なんか変か?」

 どうやら魔神はコージの視線を、服装で失敗していると勘違いしたようである。まあたしかに他人がじろじろ服装をチェックするというのは、たいていの場合何かチョンボを…たとえば服の色があっていないとか、アクセサリーが変だとかそういう理由が多い。特にこの魔神は人間界ファッションについてはコージのことを師匠だと認識しているので、こういうチェックは恒例というわけである。が、そんなつもりではなかったコージは、ちょっと笑う。全くこの魔神はこういうところはとてもかわいい。外見こそコージが見上げるくらい大柄で、炎そのものの髪の毛やら小さいながらも角まであって、本当に立派な炎の魔神なのだが、こんな表情はどこにでもいる学生と全く変わらない。というかこっちが笑えてくるくらい素直な表情である。
 コージがあんまりおもしろそうに見ているもので、ますます魔神は不安そうな表情になる。そしてあわてて自分で自分の服装チェックを始めた。ところが…
 きちんとチェックをすると、チョンボというものは発見されてしまうものなのである。

「あ、ほんとだっ!俺さまこれ、裏返しに着てる!」
「えっ?あ、確かにタグが出てるぞ、みぎて…」

 みぎてと呼ばれた魔神は、文字通り顔から火が出そうな(炎の魔神なので実際にかなり熱くなっているだろう)ほど真っ赤になる。朝、遅刻しそうになってあわてて着替えたもので、洗濯の時に裏返しにしたままの服をそのまま着てしまったのである。ノースリーブのような裏表がわかりにくい服だから、朝から昼過ぎのこの時刻まで全く気が付かなかったのだろう。といってもコージだってずっと一緒にいたにもかかわらず、今の今まで気が付いていなかったのだから、まあきっとほかの学生だってほとんど気が付いているとは思えないのだが…ともかく赤っ恥には違いない。
 魔神の青年、みぎては人目につかない物陰に隠れると、大慌てでシャツを着なおすことになったのはいうまでもない。

*     *     *

 さっきから「魔神の相棒」と言っているが、これは比喩でもなんでもない。このでっかいコージの相棒は正真正銘の炎の魔神族である。真っ赤な炎でできた髪の毛とか、額にある小さな角とか、それから丸太のように太い腕や足とか、触れることができそうなほどの精霊力のオーラ(というか暑苦しい気のようなものだが)とか…ともかく実際に見れば、この青年が本物の魔神族であることは一目でわかる。こんな珍しいやつがコージの相棒、「みぎてだいまじんさま」なのである。ちなみに当然のことながら「みぎて」というのは本名ではない。フレイムべラリオスという立派な精霊語の名前があるのだが、どうも本人が恥ずかしがるのである。コージに言わせれば「みぎてだいまじんさま」のほうがよっぽど恥ずかしいような気もするのだが…ともかくそういう理由でコージ達はこの魔神のことを「みぎてくん」とか(コージだけだが)「みぎて」と呼ぶのである。

 さっきも述べたとおり、コージは一応バビロン大学魔法工学部の院生である。魔法工学部というのは、魔法の技術を使って様々な新規の素材を作ったり、その性質を研究したりする学部である。当然のことながら、コージだって魔道士の端くれということになる。
 とはいっても所詮学生である彼に、こんなまともな炎の魔神…それも大魔神級の精霊力の持ち主を呼び出したり、ましてや同盟精霊にするなどということができるはずはない。魔神なんて言うものは精霊界の深いところ(俗に魔界と呼ばれている)に住んでいて、ごくまれに英雄とか大魔道士とかの同盟精霊で現れるとかいうのが普通(それでも全く普通ではない気もするが…)の話だろう。
 ところがこの魔神みぎての場合は、一応コージとは同盟精霊関係ということにはなっているが、実際には同居人である。ある日突然コージの下宿に押しかけてきて同居を始め、それから一緒に大学に通って学生生活をエンジョイするようになった、いわば本当に同居人で、相棒で、かけがえのない親友なのである。

 もちろんこんな本物の魔神が突然街の真ん中に出現すれば…いくら人間族以外の種族も多いここバビロンだからと言って、さすがに普通は大騒ぎになる。ところがこのみぎての場合は、最初こそ(多少)騒ぎになったのだが、持ち前の陽気で純粋な笑顔と人懐っこさで、あっという間に「恐ろしい魔神」から「コージのうちの楽しい魔神さん」に大変身してしまったのである。これはさすがに才能というしかない。今ではコージと魔神みぎてが買い物などに行けば、近所のおばちゃんやら子供たちがそれこそ迷惑なくらいに声をかけてくる。いわば一種の芸能人状態である、

 しかしともかく魔神との共同生活というのは、とても面白い。毎日が発見の連続といってもいい。少々のトラブル…たとえばこの魔神が体に似合って人一倍ならぬ三倍くらい大喰らいだということとか、1Kの安下宿では狭すぎるとか、そういうことはあるのだが、そんなことは魔神という肩書のことを考えると些細なことである。
 なにせ魔神族と人間族の間では、いろいろ生活習慣などが違うのは当たり前である。炎の魔神だから冷たく冷やしたビールは苦手だとか、海水浴はできないのにお風呂は大好き(ただしコージから見てかなり熱いお湯だが)だとか、それから魔界料理は人間族の基準からいうと猛烈に辛いだとか、そういう騒ぎが満載である。もちろんこの陽気な魔神自身も人間界のいろいろな風習の違いなどを楽しんでいるのは間違いない。というよりおそらくこの魔神は人間が(人間族に限らず人間界に住んでいる連中が)好きなのである。街の人たちや、大学の友達や先生方を含めて人間界の友達が大好きなのは間違いない。
 それに…なによりこの魔神はコージのことが大好きである。もちろんこれはコージが勝手に信じているだけかもしれないが、とにかくみぎてはコージのことを誰よりも大切に感じてくれている。もちろんそれはコージ自身が同じくらい、みぎてのことが大好きだということでもある。コージにとってはこの魔神は単なる同居人や同盟精霊ではなく、(ちょっと赤面もののセリフかもしれないが)誰よりも大切な親友で、家族で、兄弟なのである。

*     *     *

 さて、そんなことを考えながら、二人は大学構内をのんびり散策する。いや、本当は散策ではない…一応生協ショップで糊とかノートを買うというという用事がある。残念ながら二人とも大学に遊びに来ているわけではない。院生であるコージはもちろんのこと、みぎてだって実は大学では大忙しである。この魔神の強力な精霊力を使って、魔法材料の研究や開発をするというアルバイトをやっているのである。学費が丸々出て、さらに多少の生活費くらいまでは出てくるのだから大したものである。まあ言ってしまえば、みぎての立場は普通の学生ではなく、研究生&実験助手というのに近いかもしれない。当然ながら相棒のコージはマネージャーである。
 というわけで、二人とも本当はのんびり散策などしている立場ではないのだが、それでも気分だけは散歩である。さっきも言ったが、この季節になるとバビロン大学はポプラ並木が美しく色づく。暑くもなく寒くもなく散策には最適の季節である。できれば本音はどこか公園でもハイキングに行きたくなるような気分なのだが、さすがにそれは無理である。まあ本当のことを言うと、この時期は学部生の前期試験が終わったところなので、暇といえば暇なのだが…いくらなんでもサボって公園にゆくというわけにはいかない。ということで今日は大学のポプラ並木散策で我慢である。

「コージ、すっかり涼しくなってきたよな」
「だな。先月までの暑さが嘘みたいだ」

 みぎてがそんな季節感のある話題をするのを聞いたコージは、うなづきながらもちょっと驚いた。そもそもこの魔神はこの手の季節感あふれる話題はそもそもあまり得意なほうではないはずである。コージの知る限りでは、みぎての故郷である炎の魔界は常夏の国を通り越してどうしようもなく暑いところなので、季節なんて言うものがあるとは思えない。まあしかし彼が人間界にやってきてからもう結構な月日がたっているので、そろそろ「季節」というものに慣れてきているのかもしれない。というか、コージはみぎてが季節に敏感になる理由がなんとなくわかる。

「うーん、寒くなるとさ、いろいろうまいものが増えるんだよな。クリとか、サンマとか、イモとか…」
「やっぱりそれだと思った」

 どうやらこの魔神が季節というものを覚えた一番の理由は、「食い物がうまくなる」ということらしい。炎の魔神であるから、冬が寒いのがいやだというのもあるはずだろうが、それ以上に食い物にひかれているところがこの食いしん坊魔神らしい話なのである。
 コージが笑うと魔神はちょっと不満そうな表情をする。まあ食い物の話題は誰でも共通なのは事実として、みぎての場合はいつもそれに偏りすぎている。そういうことで笑いの種になってしまうのである。
 笑われて少し悔しいのか、みぎてはこんなことを言い出した。

「俺さまだって秋だからといって食い物の話題ばかりじゃねぇぜ。」
「ええっ?たとえば?」
「えっと、もうすぐ大学のお祭りだよな、とか…学園祭」

 どうだ、というように胸を張って魔神はいう。たしかにバビロン大学の大学祭(秋霊祭という名前である)は十一月の後半の週なので、あと一か月ちょっとである。学部生にとっては結構楽しみなイベントだろう。もっともコージたちのような院生の場合は、あまり関係ない…というよりちょうど修士論文の連中が大変な時期なので、普通は忙しくて学園祭どころではない。(去年のコージたちがそうだったのである。)もちろん当日はコージたちも学生たちの模擬店の食べ物を食べて、雰囲気だけは味わうのが恒例行事である。というか、それだと結局食べ物の話題からまったく逸脱していないことになる。

「…模擬店ネタだったら、結局食い物じゃん」
「…うっ…」

 冷静に突っ込みを入れるコージに、みぎては悶絶である。いや、本当にこの魔神が食べ物ネタ以外の話をしようとしていたのかはわからないのだが、頭の中で模擬店の焼きそばやらカレーライスやらがちらついていたの間違いないだろう。そうでなければこんな図星を刺された表情にはならない。
 再びコージに笑われて、みぎてはますます不満いっぱいの表情になる…が、突然それがあっさり喜びに変わった。どうやら何か見つけたらしい。

「あっ!コージ、あれ見ろよ!」
「?」

 魔神の太い指はすぐそばにある生協の売店を指している。どうやらあそこで何か売っているようなのだが…

「密芋?なんだかうまそうじゃねぇか!」
「えっ?あ、本当だ…」

 どうやら季節が季節ということで、生協の売店で焼き芋を売っているようである。それも最近話題の甘い蜜が出る「蜜芋」らしい。こういううまいものにはとても敏感なみぎてであるから、さっそく今までの不満感などどこかに吹き飛んで、売店のほうへと引き寄せられている。コージはますます笑いが止まらない。

「コージ、買ってみようぜ!講座のやつらも喜ぶぜ」
「うーん…でも意外と高い」
「え?あ…ほんとだ…」

 そういいながらもコージも本音では興味はある。なにせ蜜芋のうわさはテレビでもなんども紹介されているので知っているし、それにこんな季節だからホカホカの焼き芋は何とも言えない魅力もある。ただコージたちだけがおいしい焼き芋を食べたとなると、講座のほかの連中への印象が悪いという気がする。何事も隠し事はよくないのである。
 そう考えると、みぎての言うとおり、講座のメンバーの分も買って帰ったほうがよさそうである。が…焼き芋は意外と高い。小さいやつでも三〇〇円くらいする。これで講座メンバー全員分を買うとなると、二〇〇〇円くらいかかってしまうだろう。

「…二人で一つにするしかないよなぁ…」
「しかたねぇや。味見、味見…」

 というわけで二人はアツアツの焼き芋を人数分の半分だけ買って、さっそく講座に戻ることにしたのである。

絵 武器鍛冶帽子

*     *     *

 コージたちの講座、バビロン大学魔法工学部のセルティ研究室に戻ったコージたちは、講座仲間のディレルに迎えられた。

「のんびりお昼ご飯でしたね、二人とも」
「あはは、まあな。あ、お土産買ってきたぜ」

 この金髪のトリトン族はコージやみぎての(お互いを除いて)一番の親友である。肩にかかるくらいの少し褐色がかった金髪と、トリトン族ならではのやさしそうなエメラルドグリーンの瞳が印象的な好青年だった。トリトン族というのは普通は海に住んでいるエルフに近い種族で、ここバビロンにも結構な数が住んでいる。(バビロンは港町なのである。)ただ、このディレルの場合は港のトリトン居住地区に住んでいるわけではない。面白いことにコージたちの下宿のそばにある銭湯「潮の湯」の息子なのである。
 みぎてがホカホカの焼き芋を差し出すと、ディレルはくすくす笑い始める。

「お土産も予想してましたよ。お茶入れときましたから」
「あ、紅茶?いつも驚くけど、すげぇタイミングいいよなぁ」
「っていうか完全に俺たちの行動パターン読まれているとしか思えない」

 驚きの声を上げる二人に、ディレルはますます笑う。実際いつもこのトリトンはびっくりするくらい気が利く。大体においてコージたちの行動をぴたりと読んで、見事となまでのサポートをしてくれるのである。「一家に一台」ほしくなるほどの仕事ぶりといってもいい。もっともディレルの場合はそれがちょっと行き過ぎという気もする。気が利く上に押しが弱いというのが災いして、講座ではいつでもかならず宴会の幹事やらなにやらをする羽目になってしまうのである。海洋種族のトリトン族らしく結構しっかりとした体格で、顔も結構格好いいし(俳優が務まるほどではないが)、講座では一番の優等生だというなかなかの好条件であるにもかかわらず、いまだに彼女ができないというのは、おそらくはこの「押しが弱くて面倒見がよすぎる」という性格が原因だとしか思えないのだが…

さて三人はディレルの入れてくれた紅茶でほっと一息、さっそく焼き芋の配給計画(というほど大げさではないが)の相談になる。

「あ、これ噂の蜜芋ですね。生協で売ってたんですか?」
「そうそう。みぎてのやつが食いたがってさ」
「うーん、今日は俺さま否定しない。だって秋なんだから秋らしいうまいもの食ってみたいじゃねぇか」

 「秋らしい」=「食い物」という構図はさっきから何も変わっていない。まあコージにせよディレルにせよその点はかなり賛成なので、げらげら笑うだけでおしまいである。まあいずれにせよせっかくの焼き芋である。ホカホカのうちにみんなで食べるのがいいに決まっている。

「えっと…三つしかないってことは、僕たち三人ってことですか?うーん」
「あ、違う違う。これ一個四〇〇円だし、二人で一個」
「なるほど、それなら納得ですよ。先生や…ポリーニにも声かけないと悪いですしね。」
「あ、うん。まあそうだよな」

 ここの講座に今日いるのは院生と先生方だけである。学部生は前期試験が終わった直後なので誰もいないのだから、コージたち三人と、あと先生方二名、そしてあとは今、名前が出たポリーニである。
 ところがディレルがポリーニの名を出した瞬間、わずかにみぎてもコージもぎょっとしたような表情になる。いやこれはみぎて達だけではない。言っているディレル本人だって、躊躇がないといえば大ウソになる。「…ポリーニにも」という間がそんな全員の本音を見事なまでに物語っているのである。

「なんとなく俺さま、急に不安な気分になってきた」
「大丈夫、みぎてだけじゃないって。俺もたいがい不安だし」
「うーん、言いたいことは僕もわかってます。わかってるんですけどねぇ…」

 三人ともホカホカの焼き芋を手にしたままお見合い状態である。道義的にはせっかくの焼き芋を講座仲間のポリーニに内緒で食べてしまうわけにはいかないのは当たり前だし、コージもみぎても初めからそのつもりで三個…つまり六人分買ってきたのだが…しかしいざ彼女を呼びに行くとなると、かなり勇気が必要である。いや、もちろんこんなシチュエーションは毎度恒例のことなのだが、そのたびごとに「躊躇タイム」になるところはまったくここ数年進歩がない。

「まあとにかく僕はもう一度みんなの分のお茶を入れときますよ。みぎてくんたちは先生とポリーニを呼んできてください」
「えっ?ええっ!?俺さまたちが?」
「…ディレル、それずるいって。三人で行こう三人で」

 さらっとごまかして厄介な役をコージたちに振ろうとするディレルに、思わず二人は猛反論である。誰だって彼女の研究室に行くのはドキドキものだというのは同じことである。それならいっそ三人で行ったほうがましに違いない。ディレルお得意のおいしい紅茶は後でも構わない話である。
 コージとみぎての猛烈な抗議の視線に、この押しの弱いトリトンが折れるのは当然の結果だった。

(2.「俺さまが巫女さん?」2.へつづく)

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