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魔神と油揚げとお嬢様

一.「油揚げを持ってきて。好きかしら … 」

 そう言うわけで … この若い炎の魔神は「帝都」に姿をあらわしたのである。
 いくら魔神にしては年齢が若く、性格もいいかげんだといっても、人間界の … それも「帝都」にいきなり姿をあらわせば大騒ぎになるということくらいは、彼だって理解していた。実際何度か人間界には来たこともあるし、うっかり原身をあらわして大騒ぎになったこともある。だから今回はいつもの「赤いオナガドリ」(?)の姿ではなく、ちゃんと人間そっくりに化ける呪文を覚えてきたのである。勉強とかそういうことは大の苦手の彼だから、かなり苦痛だったことは容易に想像がつく。
 ところが … 「人間に変身する呪文」を使う以前の問題で「精霊界から人間界に移動する呪文」の方を失敗してしまったのである。そう、人里はなれた山の真ん中にでも出る予定が … 街の真ん中にいきなり飛び出してしまったのである。

*       *       *

 カナン世界で最大の国家である「帝国」の都ともなると、彼のような魔神がうっかり出現して、それで誰にも気がつかれずに済んでよかった … などという虫のいい話など絶対に考えられない。昼間はもちろん夜中までうじゃうじゃと人が歩いているし、炎の魔神の彼は元気に燃えている翼まで持っている。仰天する人たちの真ん中に突然現れた彼は … 周囲の人間達に負けず劣らず驚いてしまったのは当然のことだった。
 というわけで、この若い魔神フレイムベラリオスは大慌てでもう一つの使いなれた姿である赤い「オナガドリ」に変身して(とっさのことなのでとても不慣れな人間の姿などになることはできなかった)自分の失敗をごまかすように一声鳴くと … そのままダッシュで空へと舞いあがる羽目になったのである。足もとの方からは「怪物だ」とかいう罵声やら悲鳴やら、それに子供の泣き声やら … もう聞いている方が情けなくなるような騒ぎが追いかけてきたのだが、今更彼にどうする事が出来ただろう …
 言っておくがフレイムベラリオス … 仲のいい連中は彼のことを「右手大魔神」とか、もっとちぢめて「右手くん」とか呼ぶのだが … 彼の魔神としての姿はそれほど変なものではない。若くて筋肉質の体に赤茶けた健康的な肌、ちょっと丸顔できらきら光るまるっこい目、それだけ見れば拳法かなにかが大好きなスポーツ青年という感じである。ただ人間とちょっと違うのは口元からちょっとのぞいている小さな白い牙と額の小さな角、真っ赤に燃えている炎の髪、それから見事な炎の翼くらいなものである。たいした違いではない … と彼自身は思っている。実際何度か人間の同盟精霊をやったときも大抵の仲間はぜんぜん驚かなかったからである。
 しかし公正に見れば小さな牙はともかく、炎の翼や髪の毛は十分「たいした違い」である。よく見ると可愛い(本人は格好いいと思っているのだが)顔を見るより先に大抵の人間はびっくりしてしまうはずである。「大抵の仲間は驚かなかった」という彼の体験は、要するにみんな「彼は魔神族である」という予備知識をもっているからなのであって、街中に突如現れてのし歩けば誰でも「怪物が来た」と思ってしまうだろう … 今一つフレイムベラリオス自身にとっては納得は出来ないのだが、今回の出来事を見てもそれはどうも事実らしい。
 「帝都」の下町をパニックに陥れてしまった彼は、オナガドリの姿のまま民家の屋根の上にとまって周囲を見回す。赤い色をした彼の姿はたとえ屋根の上に留っていようがめだつので、裏通りを通る人たちがいっせいに指をさして彼のことを見上げている。
 彼はしばらくそこで様子を見ていたが、見上げる人の数が減るどころかどうも次第に増えてくるのに気がつくと … 困ったように小首を傾げてしかたなく場所を移動することにした。このまま留っていてもらちがあかないし、ひょっとすると珍獣扱いされて動物園(人間界の街にはそういうところがあるらしい)へ直行ということになれば大間抜けである(既に魔神の姿を見た奴等も居るのだが、そんなことは彼の考慮外である)。
 というわけでフレイムベラリオスはもう一度翼を広げ、この下町を後にすることにしたのである。

*       *       *

 はっきりとしたあてもなく彼は「帝都」の空をのんびり散歩した。向こうの方に見える高い尖塔やら大きな建物はおそらく帝国の守護神「女神」の大神殿や政庁だろう。下町の騒ぎはそこまでニュースとなっているか判らないのだが、さすがに大失敗をした直後である。まだ見物に行く気にはなれなかった。ともかくいったん街を出て人気の無いところで、例の「人間に変身する呪文」をきちんと使わないと市内観光もままならない。
 ということで彼は街を囲む長い城壁を超え、郊外の田園地帯へと出た。「帝都」という大都会の周りには小川と、そしていくつかの丘陵があって、そこかしこに麦畑や果樹園、そしていくつもの石作りの邸宅がある。帝都につながる街道は上空を飛んでいるフレイムベラリオスからも人や荷馬車が行き来しているのがよく判る。まるでアリの行列である。
 先程の大失敗から脱出して、とりあえず安全な空からのんびり地上を見ていると、フレイムベラリオスは急に空腹であることを思い出した。考えてみれば精霊界から人間界へのちょっとした旅の間何も食べてはいなかったし、そのあとは騒ぎに巻き込まれて(正確には巻き起こしだが)結構てまどってしまったのである。昼ご飯をまるまる抜いたようなものだった。
 とは言うもののこのあたりではまだ元の魔神の姿になるわけにはいかないだろうし、ましてや不慣れな人間の姿に化けるには手間と時間がかかる(第一、成功率が今一つである)。となるとこのオナガドリの格好でどこかで休憩して、出来れば食事などをしなければならない。
 フレイムベラリオスは周囲を見回し、田園の間にある小さな林に降りることにした。傍に小奇麗な石作りの館があるようだが、林の中ならそれほど目立たないだろう … という安直な考えなのである。

*       *       *

 実際に林に降りてみると、そこは意外に木の数は多くなかった。それにどうも塀のようなものまである。どこかの屋敷の大きな庭というのが正体だったらしい。
 しかしもろもろのトラブルで結構疲れているフレイムベラリオスは、そういう些細な問題を考えるだけの気が無かった。いや、彼の性格からいって普段でもあまり細かいことには得意ではない。彼はそのまま木陰に舞い降りてのんびりと座って休憩を始めた。
 しばらく休憩しているとだんだん空腹感が強くなってくる。もちろん実は携帯食やらお菓子やらは持っているのだが、それは魔神の姿に戻らないと取り出すことは出来ない(まさかこのオナガドリの格好で背中に荷物を背負うわけにもいかない)。まあ一食ぐらい抜いても別に我慢できないわけではないはずなのだが、あまり望ましいことではない。
 しかし考えてみると、フレイムベラリオスは魔神に生まれてからこのかた、このオナガドリの姿で食事をしたことはない(大体そんな必要が無い)。当然の事ながらそこらへんの木の実とか昆虫とか … そんなものを食べるわけも無いし探した事だって無い。想像するだけで渋そうなドングリなどよりも、どちらかといえば猛禽類系の食事の方がまだ食べる気になるのだが … いずれにせよあたりを見回してもそんなものはおろか、ドングリ一つ落ちていないようである。
 しかたなく彼はひょこひょこと林の木々の間を歩きまわり、食べられそうなものはないかと探し始めた。この鳥の姿ならばひょっとするとドングリは素晴らしい美味に感じるのかもしれないなどという … まるで根拠の無い理由なのだが、腹が減っては何も出来ないからである。
 三〇分近くかかって彼はようやく2、3個の木の実を見つけた。なんだか乾燥していてあまりおいしそうには見えないし、とにかく殻が硬い。足でふんづけて、力いっぱいくちばしでつついてみるのだがまったく割れない。普通の小鳥がどうやってこの手の木の実を食べているのか不思議である(実はこんな硬い木の実は食べないからこそこんな春先まで残っているのである)。あんまり口惜しいので意地になってつついたり噛み割ろうとしたりしたのだがいっこうにだめだった。ところがその時のことだった。

「ほんと、珍しい鳥ね … 」
「あんな真っ赤な鳥は見たこともございませんわ、お嬢様 … 」

 驚いてフレイムベラリオスは木の実を放し、声の方を見た。今まで木の実探しに熱中してまったく気がついていなかったのだが、いつのまにか彼は林から出て邸宅の庭の真ん中にいたのである。こじんまりとした石づくりの屋敷の窓から二人の人間が顔を出している。二人とも女性 … 一人はおとなしそうな若い色白の女性である。きれいな黒髪が肩くらいまでかかっていてなかなか可愛い。もう一人は彼女よりはかなり年上で … おそらくもう中年に違いない。「お嬢様」と呼ばれた方があの娘に違いなかった(逆だったらショックだが … )。ということは中年女性のほうは使用人に違いない。

「こっちに気がついたわ。逃げちゃうかしら。」

 娘の方が少し心配そうにいう。彼にしてみれば人間の娘が見ているくらいで逃げ出す必要性はまるでない。まさか突然娘が包丁を出して彼を焼き鳥にしようと追いかけてくるなんて事はまず考えなくていいのだし、いざとなれば元の魔神の姿になればいいのである … ただ、あまり女性を(特にあの年代くらいまでの娘を)驚かすということは彼の趣味に合わないのでやりたくはない。

「ねえ、イザベル?何か餌を持ってきて。あんな硬そうな木の実じゃ食べられないわよ。」
「そうですねぇお嬢様 … ちょっとお待ちくださいませ」

 なんだか変な方向になってきた気がする … 確かに腹は減っているのだが女の子から餌をもらう羽目になるとは予想もつかなかった。いや、ここでさっさとよくある小鳥のまねをして庭から飛び立てばいいのだが、なんだかそれもしゃくにさわる。まあこの「お嬢様」は結構可愛いので餌をもらってもいいかな … なんて思わないことも無い(それ以前にかれはかなりおなかが減っているのも事実である)。

「パン屑なんていかがでしょう?スズメなんかよく食べますわ?」

 女中のイザベルがもってきたパン屑の塊を見てフレイムベラリオスは思わずがっかりした。スズメならば喜ぶだろうが炎の魔神の彼にパン屑というのは情けない(さっきまで小鳥も見向きもしない硬い木の実相手に格闘していたことは忘れている)。せめて「油揚げ」くらいにしてもらわないと …

「パン屑じゃ物足りなそうよ。結構この鳥大きいわ。」

 娘の方が女中に言った。実際遠くから見ているとそれほどでもないのだが、ひょこひょこ歩いてきた彼を近くで見ればかなりの大きさであることに気付くはずである。実は魔神なのだからあたりまえといえばあたりまえであるが、ともかくスズメやハトなどのレベルではない。丁度トンビくらいの大きさだった。翼を広げれば人間の背丈近くは優にあるのである。
 フレイムベラリオスはわざわざサイズをアピールするため、翼をゆっくり広げてポーズをつけた。こうすればブタの細切れ肉くらいは期待できる …

「そうねぇ、油揚げを持ってきて。好きかしら…」
「あ、それがよろしゅうございますわ。」
 やはり甘い期待はあっさり裏切られるものなのである。

*       *       *

 とりあえず窓際で「お嬢様」の手ずから油揚げをたらふく拝領したフレイムベラリオスは、ようやくひとごこちついたような気分になった。味はたいしたことはないが一応人間の(魔神も含む)食べるものである。それなりに満足 … せざるを得ない。というわけでようやく彼は落ちている木の実以外のものをゆっくり見物する気分になった。
 春先のこの庭はまだ花はおろか木々の新芽すら顔を出していないので、いささかさびしい風景である。手入れのいい庭だから春も盛りになれば花やら何やらで随分きれいになるのだろう。あまり庭とか植物のことには興味が無いフレイムベラリオスだがそれくらいのことは判る。
 ただ、それ以上に気になったのが「お嬢様」の屋敷の中がやや雑風景であるということだった。窓枠にかってに飛びのって中をのぞいてみたのである。大体普通「女の子の部屋」というものは(想像では)可愛い人形とか鏡とか、おしゃれなカーテンとか … そう言うものがいっぱいにあるのだと思っていたのだが、どうも彼女の部屋はそうではないようである。たしかに所々にドレスとかそういうものはあることはあるのだが、どうも調度品がさびしい … ところどころにある大きな木の箱を見るとなんだか引っ越しの準備中のようにも見える。
 窓枠から部屋をきょろきょろとのぞいている真っ赤なオナガドリの姿に娘はおかしそうに笑う。しかしその笑い声もどこかさびしげな気がする。

「鳥さん。わたし結婚するの … 」

 一人言のように彼女は言った。まさか目の前の赤い鳥が本当に人語を解するなんて想像もしていない。まあ世の中の … 自然の小鳥がこんなにどうどうと人間の部屋の窓枠に留って「女の子の部屋の見物」などをするということがおかしいということに気がつかないのだから、彼女はあまり外を出歩いたことは無いのだろう。
 しかしフレイムベラリオスはにとってはそんな冷静な話よりも、彼女のいった「結婚」という言葉にびっくりする方が先だった。鳥のふりをしていても思わず羽を広げておどろいてしまう。まあ慌てて(ごまかすために)くちばしで羽の繕いなどをやったりするのだが、内心はそのままばさばさと翼を動かして驚きを表現したい気分である。
 フレイムベラリオスの見るに、彼女は年齢的にはまあ … ちょっと結婚には早いかな … 程度で、決して子供というわけではない。もっとも炎の魔神族の彼だから、人間の結婚適齢期というのは大まかにしか理解しているとは言えないのだが …
 しかしなぜ彼にとってこの「お嬢さん」の結婚が驚きだったのかというと、やはり彼女の「あまりうれしそうに見えない表情」というのがあったからである。ルンルンと嫁入り支度にいそしんでいるようにはとても見えない。見方によればすごく辛そうにも見える。
 気になったフレイムベラリオスはそのまま彼女の顔をのぞき込んだ。いつもの若い魔神の姿で見る視点とは違って、鳥の視点から見るといくら小柄の女性といっても彼より高いところに顔がある。こうしてみると少し憂いを含んだ表情がますます可愛らしい。
 彼女はそんなフレイムベラリオスの心境など気がつくはずはない。すこしだけ微笑むとそのままため息をついて話しつづける。

「遠い国の … 王族の人らしいの。どんな人なのかしら … 」

 彼女は「遠い国」というところに心なしかアクセントを置いていた。話が本当だとしたら明らかに政略結婚である。珍しい話ではない。カナンやサクロニアで圧倒的な勢力を誇る帝国だから、貴族の女性ならこういう話はよくあるだろう。
 しかしフレイムベラリオスはには「貴族だからしかたない」という気にはなれなかった。一つには彼女の雰囲気がおたかくとまったところがあまり無いということがあるし、それに家そのものも(引っ越し準備であることを割り引いても)貴族の屋敷ほど豪華で広いものではない。ひょっとすると夢見がちな娘さんの妄想なのかもしれないが … その割には引っ越し準備の方は本格的である。女中まで手伝っているのだから妄想でもあるまい。

「おかしいでしょ?一度もあったことはないのよ、わたし … 」

 彼女は自嘲的に笑った。笑っていながらどこか泣いているような … そんな目である。フレイムベラリオスは彼女のそんな表情を見ると元気づけてやりたいような、そんな気になった。とはいえ真っ赤なオナガドリが急に人間の言葉を話すわけにもいかない。窓枠にとまったまま尾を振ってやるくらいが精一杯である。

*       *       *

 彼女は荷物の整理をしながらいろいろな話をする。この妙に人間臭い(まあ魔神が化けているのだから当然だが)真っ赤なオナガドリを丁度よい愚痴の聴き役か何かだと思っているのだろう。その内容は若い女性らしいとりとめの無い噂話(これはまあいい)や化粧品の話(さすがにつまらない)もあるし、将来への不安や彼女の亡き父親のこともある。女の子とこんなに長い時間話したことの無いフレイムベラリオスには結構刺激が強い。

「ねぇ … 小鳥さん。サクロニアってどんなところなのか知ってる?」

 「小鳥」というにはあまりに大きいのだが、とにかく彼女のそんな言葉をフレイムベラリオスはありがたく拝聴する。サクロニア … 彼女の嫁ぐ先 … 長年帝国と何度も戦いを繰り広げたいろいろな種族が住んでいる世界である。つい先年も大戦争になり、帝国側が大国イックスを占領したばかりである。彼女はどうもそんなサクロニアに帝国側の統治政策の都合で嫁ぐことになるらしかった。この深窓のお嬢さんにはいささか過酷すぎるという気になる。
 人間ばかりの帝国 … カナン世界とは違ってサクロニアには他の種族が多数いるのである。魔神であるフレイムベラリオスも何度も遊びにいったものである。個人的には帝国よりも気楽で住みやすいと思うし、いろいろな連中が居るので飽きがこない。
 しかし今まで帝国の、それも帝都からほとんど出たことの無いこんな少女にはちょっとショックが大きかろう。大体ちょっと格好いい炎の翼が生えているだけで大騒ぎする(まあ当然だが)帝国の人間が、半人半馬のケンタウロス族やら鋼鉄のゴーレムそっくりのアイアンマン族、海に住んでいる半魚人なんかを目にしたら卒倒してしまうに違いない。
 彼女はそのまま遠くを見るような目をして言った。

「でもわたし … サクロニアにも友達は居るの … 戦争で手紙も出せなくなっちゃったんだけど … 」

 今の言葉はちょっと驚きである。この深窓の令嬢が遠いサクロニアに知り合いがいるというのは … どういう縁でなのか想像がつかない。第一彼女はこの帝都から外へ出たことがなさそうではないか。文通友達としても不思議である。まあ、サクロニアの帝国植民地に赴任したどこかの貴族の若者かなにかだろうか?だとしたら説明がつく。
 しかし「戦争で手紙が出せない」というのは何か妙な気もする。というのはもう7年も昔に帝国とサクロニアの大戦争は終わっているのだし、帝国軍の貴族がサクロニアに赴任したのであるなら、むしろ最近の方が手紙を出しやすいからだった。フレイムベラリオスの頭は(単細胞だということもあって)ますます混乱してきた。なんだかかなり複雑な気もしてくる。
 しかしそんなところで話は中断してしまった。女中が(さっきの女中とは別人である)やってきて彼女を呼んだからである。どうも「お客様」らしい … 貴族の令嬢がじかに面会しなければならない相手なのだから、おそらく親族かかなり高位の相手だろう。

「小鳥さん。じゃ、後でね。よかったらずっと居ていいのよ。油揚げならまた後であげるわ。」

 「油揚げだけ」というのが気にいらないが … しかし彼が抗議をする暇も与えず(どうせ抗議できないが)彼女は引っ越しの準備をやめて席を立ったのである。

二.「うるせぇなっ!変な鳥で悪かったなっ!」

 結局フレイムベラリオスはその晩、彼女の邸宅にとまることになってしまった。本当はきちんと「人間に変身する呪文」をかけるためにさっさと邸宅から出て、どこかの人目につかない森か何かにゆかないといけないのであるが … それが今日は出来なくなってしまったのである。夕方から小雨が降り出したからだった。
 いくらオナガドリの姿をしていてもフレイムベラリオスは「炎の魔神」である。雨が好きなわけが無い。雨に当たるとはっきりいって痛いのである。それに翼が濡れて飛べなくなるし、炎の霊力は使いにくくなるし … いいことなしである。暗くなってから雨の中惨めな思いをして森の中にこもるというのはとても嫌だった。
 日が沈むと雨足は次第に強くなってくる。部屋の中 … 本棚のよこの小さな銅像(多分誰かえらい人の胸像)の頭にとまっている彼の耳にも、窓や壁を撃つ雨の音がはっきりと聞こえている。これなら今夜はここにとまって油揚げをいただいた方がましである。
 少女はお客が終わって(小雨が振り始めた頃になってようやく客は帰ったらしい … 多分雨に驚いたのだろう)部屋に戻って … 相変わらず赤いオナガドリが部屋できょろきょろしたり、ちょっと歌を歌ってたり(精霊語の歌なのだが、彼女にはさえずり声に思えたらしい)しているのをみて喜色を浮かべた。野生の鳥だからきっともうどこかに行ってしまっただろうとあきらめていたのであろう。うれしそうな彼女の顔を見るとフレイムベラリオスはちょっと「残ってよかった」と思う。まあ彼は可愛い女の子の笑顔に弱いのである。
 というわけで夜になるとまたフレイムベラリオスは令嬢やら女中やらの人気ものになり、油揚げをいっぱい食べさせてもらったのである。いいかげん同じ味ばかりで飽きてはくるのだが、ただでもらえるものだから文句は言えない。

*       *       *

 さて、夜も遅くなると当然彼女たちも眠りにつくということになる。驚くべき幸運なことなのだが … フレイムベラリオスは今夜はこの少女の部屋の隅に簡易の巣を(単なる紙の箱にハンカチなどを敷き詰めたもの)拝領していっしょに寝泊りすることになったのだった。魔神の原身だろうが人間の姿だろうが「絶対に」体験できない素晴らしい幸運である。なんだか猛烈に恥ずかしい気がするし、うっかりまちがって夜中に寝ぼけて変身が解けてしまったら大変である。しかしともかく未体験の「貴族の令嬢が使うふわふわのレース付きのハンケチ(あえてハンカチと書かない)」という素晴らしい布団だった。興奮しない方がどうかしている。
 かくしてフレイムベラリオスは彼女が静かな寝息を立てて眠りについた後もまったく落ち着けず、ハンケチのベッドで転がったり箱から首を伸ばしたり、とてもじゃないが眠れる状態ではなかったのは … このうぶな青年魔神にしてみれば当然のことだろう。
 ところが … こんな彼の意外な体験は文字どおり「天の配剤」だったのである。

*       *       *

 深夜になって … 外にはまだ雨が降り続いていたのだが … フレイムベラリオスはなんだか異様な霊気のようなものが立ち込めてくることに気がついた。雨のせいで立ち込めてくる湿気ではない。なんだが異様な … 異様としか言いようの無い雰囲気なのである。彼の中に燃えている強烈な炎の精霊力を圧迫するような力だった。どこかからか変な結界のようなものが周りに出来ているのである。
 もちろん今の姿の彼は普段の「魔神」の姿では無い分だけ、こういう変な力に影響されやすくなっている。魔神の姿に戻れば翼の一はばたきだけでこんな結界などは吹き飛んでしまうのだろうが、そうすれば今度は「魔物の暗殺者警戒」の為の警報が鳴り響いてしまう。(だいたいこれだけ高級な住宅なら、ちょっと強い精霊とか、悪い魔物とかが入ってくるとすごいブザーかベルが鳴るようになっているのがあたりまえだろう。そうでなければ精霊使いや魔道士は暗殺し放題である。)せっかく今夜はこんな初体験の寝床にありつけたのに … とかなんとか考えてしまうフレイムベラリオスだった。
 ところが … 彼がそんなことをのんびりと考えていると、なんだか変なものが部屋に入ってきたのである。寝室なのであまり明るいわけではないが(ちょっとした魔法の小さいランプがついているのだが)黒っぽい人影のようなものが3人くらい、扉の方から入ってくるのだった。奇妙なことにドアの音すらまったくしない。体格から見るとどうもお嬢様付きの女中とはまったく違う … 背丈はまちまちだが間違いなく男だった。
 フレイムベラリオスは巣箱から首を伸ばした。何かおかしい … これはひょっとしなくても大変な事態である。彼は昼間の間抜けそうな小鳥の目ではなく、猛禽類の鋭い目つきで奴等の動きをにらみ付けた。
 怪しい男達は彼女のベッドをとり囲んだ。手慣れたその動きはプロの盗賊らしい … しかしいくらプロであっても、ベッドの周りともなるとさすがに気配のようなものを完全には隠しきれないのだろう。彼女は突然目を覚ましてしまった。

「ひっ!あっ … 」

 彼女が起きてしまったのを見て男達は短剣を抜いた。彼女は気丈にも抵抗しようとしたが一番大柄な男に背後から押さえられ、あっという間に口のところにタオルのようなものを押し付けられてしまう。
 三人(らしい)の男の内真ん中のリーダーらしい奴は彼女の首筋にナイフをちらつかせ、残忍そうな微笑みを浮かべる。

「助けはきませんよ。忍び込む時に結界をはらせてもらいましたから…コンスタンシア様。」

 お嬢様の名前は(いまさらながらやっと判ったのだが)コンスタンシアなのである。奴等は単なる野党ではなく、彼女を狙ってきた暗殺者かなにかなのは明らかだった。忍び込む時に魔法の警報を無効にする別の結界を張ったのである。さっき部屋に入ってくる時に音一つしなかったのはおそらくその結界の効果なのであろう。
 男はナイフをチラチラちらつかせ、彼女の顔やら首筋やらに触れる。

「サクロニアへ嫁ぐ直前で申し分けないのですが…ある方にとってはいささか都合が悪いのですよ…」

 彼女は抗議するようにもごもごともがくが、彼女の口を押さえている背の高い男はかなりの力持ちらしく、とても彼女のような少女ではどうすることもできない。ただ … その目には恐怖ではなくむしろ決然とした怒りのようなものがはっきりと見て取れる。
 そんな気丈な彼女の様子を見て、ボスは魔物すら逃げ出しそうな冷酷無残な笑みを浮かべた。

「心配は要りません … 命までは盗りませんよ。くっくっく … 」
「うぐうぐっ … 」
「おとなしくしてくだされば、すぐに済みますよ … これだけの美人ですからねぇ … 」

 ボスがそう言うと同時に彼女の口をふさいでいる大男はそのまま少女を押さえつけ、寝まきに手をかけた。とんでもないことに奴等は … ここで彼女を襲ってしまおうというのである。結婚前の彼女を暴行してしまえば、彼女の王族との縁談は暗礁に乗り上げる … あまりにも下衆な手口だった。彼女の寝まきの襟元が乱暴に引き裂かれる。男はそしていやらしい笑いを浮かべ、必死に抵抗する少女の小さな体に抱きつこうとした …

*       *       *

 その時だった。真っ赤な光が部屋いっぱいに広がり、彼女と三人の盗賊を照らした。同時に一本の炎の矢が彼女を襲っている男の背中につき刺さる。背中で突然燃えあがった焔に大男は「ぐえっ」という情けない声を上げた。そして悲鳴を上げながら彼女を放しベッドから転がり落ちる。
 驚いた盗賊は光の射す方向を降り向いた。そこには一羽のでかい … 赤いオナガドリが「レースのハンカチ」にくるまって、しかし周囲を圧する真紅の閃光を放ちながら首を伸ばしていたのである。

「な、なんだっ!この鳥はっ!」

 非常に納得できる抗議の叫びを盗賊は上げた。そりゃまあこんな間抜けな光景はめったにあるものではない。真っ赤な鳥がレースをかぶって箱の中から首をだしているだけでも間抜けなのに、その間抜け鳥に仲間の一人が火炎呪文を食らったのである。当事者でなければ腹を抱えて笑い出しかねない、とんでもない光景である。
 鳥は堪忍ぶくろの尾が切れたかのように巣箱から飛び出す。頭の上にレースのハンカチがのっかったままだがそんなことは気にも留めていない。そしてますます盗賊を仰天させたことに … この変な鳥は突然人の言葉を話したのである。

「俺様の見ている前で、随分好き勝手なことをしてくれるじゃねぇかよ!!」
「こ、こいつっ!いったい!?」

 驚く盗賊の前で赤い鳥は一瞬すさまじい炎に包まれた。炎は人の背丈より高く燃えあがったと同時に黄色やオレンジの火の粉を巻き散らす。そして … その中から赤茶けた逞しい体とくれない色に輝く炎の翼、火の粉を巻き散らす髪をした若々しい青年が姿をあらわしたのである。フレイムベラリオス … この炎の大魔神の原身そのものだった。拳からは彼の怒りが感情のまま赤い火光となって部屋全体を照らしている。

「な … 変な鳥が炎の魔神!?まさかっ!」
「うるせぇなっ!変な鳥で悪かったなっ!てめえらの汚ねぇ手でその人間の娘を触るんじゃねぇっ!」

 同時に彼は翼を大きく勢いよく広げた。熱風が一瞬部屋に吹き荒れたかと思うと、盗賊どもが張った不気味な結界は一瞬の間にちりぢりになってしまう … と、同時に屋敷の防犯結界が突然けたたましい音を立てて屋敷全体に鳴り響いた。

「ま、まずいっ!」
「まずいもへちまもねぇっ!くたばりやがれっ!」

 突然の警報に慌てた盗賊はまっ正面から突っ込んでくるフレイムベラリオスに対処するのが一瞬遅れた。あっというまにボスの顔面とみぞおちにこの青年魔神のパンチが炸裂する。人間離れ(魔神なのだから当然だが)したパワーのパンチにボスはあっという間に床に沈没した。もう一人は慌ててどこか脱出口を探そうとするが、奴等が入ってきた廊下の方からは警報に驚いた女中やら警備の兵士やらがぞろぞろと姿をあらわして逃げ道をふさいでしまう。そして兵士がコンスタンシアの部屋に雪崩込んだ時には最後の一人もパンチとキックの連打を受けてぶっ倒れていたのである。

「大丈夫かっ?お嬢ちゃん!」

 部屋にかけ込んできた入ってきた兵士や女中が事態に仰天し、手に手に剣やら包丁やらをもって取り囲む中、フレイムベラリオスはそんなことは全然気にせずに少女の傍に立って微笑みかけた。少女は今しがた起きたばかりの事件に呆然としていたが、すぐ傍に立つこの真っ赤な髪の不思議な魔神にわずかな驚きに目を見張ってつぶやいた。

「小鳥さんなの?本当に? … 嘘みたい … 小鳥さん!」
「お、おいっ!俺様、ぜんぜん小鳥じゃないんだけど … 」

 しかし彼女はフレイムベラリオスのそんな抗議はまったく聞いていなかった。突然身に振りかかった事件の緊張が解けた彼女は … 「小鳥さん」フレイムベラリオスの逞しい肩によりかかり、いっきに泣き始めたからである。さすがの彼もこんな可愛い少女の涙にあっては「涙が触れて痛い」(涙は水なのである)とか、「小鳥って呼ぶなぁ」とかそんな情けないことは … 口が裂けてもいうわけにはいかなかったのである。

*       *       *

 事件の真相はと言えば、そんなにややこしいものではなかった。コンスタンシア … この少女をサクロニアの植民地のある王族に嫁がせようと画策する大貴族とそれに反発する大貴族の勢力争いの末の事件に過ぎない。結局確たる証拠は(しょせんはあの盗賊など小物であるので)あがらなかった。まあもっともそんなことはフレイムベラリオスにとってはぜんぜん興味が無いことなのでどうでもいいことではある … こういう貴族の暗闘の犠牲になるコンスタンシアが少しでも幸せになってくれることの方が、この人の良い魔神にとってはどれだけ興味があるかしれない。
 彼自身はといえば … コンスタンシアの家中の人たちには魔神の原身を披露してしまったので、いまさら鳥の格好をして油揚げをおねだりするというわけにもいかなくなってしまった。しかし当然のことながら「お嬢様」コンスタンシアの恩人(恩魔神?)ということで随分感謝されたりするわけで、彼がこの小振りの屋敷に居着くのには何の支障も無かった。無論彼女が無事結婚式を迎えるまで、こういう事件が再び起きないとも限らないという理由もある。
 もっとも最初は … なにせ魔神ということで女中も使用人も兵士もそろっておっかなびっくりだった。第一、見事な炎の翼といい燃える髪の毛といい、とにかく見慣れている人間族とはかなり違うのである。この … とても街から出たことがなさそうな連中が面食らうのも無理はない。
 しかし実際のところ先入観で見なければ、この青年魔神はただの脳天気なおにいちゃんである。すぐにちょっとした人気ものになって、家の中で女中に囲まれておもちゃにされたり、使用人や兵士の買い出しに鳥の姿でつきあってついでに帝都見物をしてみたり … 当分は飽きる暇はなさそうである。
 ただ困ったことに「お嬢さん」コンスタンシアを含め、家中の人たちは彼のことを「小鳥さん」と呼んで、いつまで経っても本名の「フレイムベラリオス」の方を覚えてくれそうに無かったのであるが …
 待遇の方も大幅改善で、ちゃんと三度三度人間の食べる食事をみんなといっしょにおいしく食べることが出来るようになった。もっともどういうわけか「魔神は油揚げが好き」という誤解が生じているらしく、必ず毎日何枚もの油揚げが煮たり焼いたりして食膳に登るということになってしまった。実際のところは油揚げは先日うんざりするくらい食べたせいもあって、なんだかげんなりしてしまうのだが … せっかくの好意なのでちゃんと毎日きれいに平らげてしまう。それがさらに誤解を増長しているとはフレイムベラリオスの単純な頭では思い至ってはいない。まあ彼の場合は深いことは考えない方が良いだろう。
 ただ、どうしてもフレイムベラリオスにとって残念だったのは、彼が「男」の魔神であるということがばれてしまったので … 例の巣箱のなかでレースのハンカチにくるまってコンスタンシアの部屋で寝るということが(いくらなんでも)出来なくなってしまったことである。あんなことは多分もう滅多に体験出来ないだろうということを考えると、もうすこし楽しんでおくのだったと残念でしかたが無い。もちろん別室に良いベッドやらなにやらをしつらえてもらったのだが … あの何とも言いがたい気恥ずかしいような妙な体験というものは … おそらく今後まず出来ないだろうとしか彼には思えなかったのである。

(魔神と油揚げとお嬢様 おわり)


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