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南の島の魔神①

1.「それ、食べれるのか?海水浴」

 バビロンという街は夏になると暑い乾いた南風が街を吹きぬける。バビロンの南に有る狭い海を超えてメンフォロスの砂漠から季節風が吹いてくるからである。当然の事ながら昼間の気温はぐんぐん上がり35度にもなることもある。
 だからこんな季節になると日中、特に正午から3時ごろまでは自動的に昼休みになる。なにせ外に出れば気温は40度近い。とても外出して営業とかそういうことが出来る環境ではない。ということで、もっぱら市民活動が行われるのは朝と、そして夕方の涼しい時刻になるのである。
 もっとも部屋の中は空気が乾燥しているということで、それほどすごしにくいわけではない。さわやかな南風が吹きぬける部屋ならば、お茶を飲んだり本を読んだりして快適にすごすことが出来る。窓をいっぱいに開けはなって、冷たいアイスコーヒーなどを飲んでのんびり昼休みをすごすというのはバビロンでのライフスタイルの基本だった。

 ところがコージのアパートに限っては日差しの強い外の部屋とさほど変わらない灼熱の地獄であった。決して風通しが悪いとかそういうわけではない。コージの部屋は2階だし、窓もちゃんといっぱいに開いている。それにもかかわらず部屋の中は寒暖計が壊れてしまうのではないかというような(少なくともコージの体感では)暑さだった。
 こうなってしまうと住人はもう何もする気が起きなくなってしまうのは当然である。ただただベッドの上に寝転がり、力なくうちわを扇ぎながらお茶を飲んでいるしかないのである。事実コージはそうしているのだから間違いない。お世辞にも整頓されているとは言えないこの部屋でなぜゴキブリ一匹もでてこないのかというのは、この酷暑が原因であるとしか思えない。

 どうしてコージの部屋だけがこれほどまでに暑いのかというのは別に複雑な理由ではない。文字通り暑苦しい同居人のせいだった。炎の魔神「みぎて」がいるからである。
 「みぎて」 … コージはそう呼んでいるが、彼はフレイムベラリオスという立派な名前を持っている。灼熱の翼と真っ赤な炎の髪を持った陽気な逞しい青年の姿をしている。なぜ彼が「みぎて」なのかというと、それはフレイムベラリオス自身が自分のことを『右手大魔神「さま」』と呼んでいるからである。
 コージのところにこの変わった同居人「みぎて」が転がりこんできた経緯を話せば長くなる。コージの命の恩人で、コージが命を助けた魔神、そしてコージは魔神の「身元引受人」 … そういう関係なのである。まあそれ以外にも二人のあいだにはいろいろあるのだが、それはここでは触れないことにする。

 さて、とにかくこのあまり広いとは言えない部屋に大の男が二人いるというだけで暑苦しいようなものなのに、一人が本物の「炎の魔神」となれば部屋の気温が四十度近くになってしまうのはあたりまえであろう。いくら風通しをよくしようが、扇風機をまわそうが熱風が吹くばかりで涼しくなるわけはない。

「なぁ、みぎてぇ~ … 」

 コージはだれた声でテレビ画面の前に陣取っている魔神の巨体の背中に向かっていった。若い魔神は最近テレビゲームにはまっていて、格闘ものをうれしそうにやっている。実際本人も格闘技(魔神流らしい)をやっているのだが、このバビロンでは実戦の機会が多いとは言えない。
 魔神はテレビ画面のほうを向いたまま返事をする。

「ぁんだ?」
「 … 暑い … 」

 魔神は少し首を傾げる(当然テレビ画面を見たままである)。炎の精霊界生まれであるこの青年にとっては今の気温くらいで丁度良いらしく、コージの愚痴が良く理解できていないらしい。それに既にこの夏になってかるく百回は「暑い」という台詞を聞いているのだし、かといって特に対策(冷房を買うとか)をする様子でもないのだから、単なる口ぐせと思っているのかもしれない。

「冷たいお茶なら冷蔵庫にあるぜ。」
「さっき飲んだ。もうない。」
「アイスとか買ってきたらどうだ?」
「めんどくさい。」
「冷たいゼリーあっただろ?」
「目玉が食ってた。」

 だれきったコージの返事である。「目玉」というのは彼らが飼っているペットの「メルディスの目玉」のことである。さる事件で拾った変な精霊生物だが、そのままコージ達の家に居着いているのである。もっともこんな暑い日は風呂場の残り湯に浮かんでずっと出てこないことが多いのだが、好物のゼリーはちゃっかり忘れずに食ってしまったらしい。
 魔神はそのまま少しゲームを続けていたが、ついにコントローラーを放り出し、そのまま大の字になってひっくりかえった。

「あー、疲れた。俺さま腹減った。」
「そんだけ力入れてゲームやってりゃ疲れるって … 」

 時間としてはそれこそ小一時間程度なのだが、「みぎて」の場合コントローラーを力いっぱい握り締めるせいで肩が凝るらしい。こういうところは性格なのだろう。もっともあまり長時間ゲームをやるのは健康には良くないだろうから、この程度の時間で止めるほうが無難である。
 ゲーム疲れのうえで早くも空腹らしい「みぎて」にくらべてコージのほうはまったく食欲がなかった。さっき昼飯をくったのだから、まだ夕ご飯には早すぎる。それにはっきり言うとコージは夏バテぎみだった。

「腹減った、コージ。なんか食おうぜ。」
「食欲ない。つーか、めんどくさい。」
「昼、そうめんだけじゃねぇか~」

 第一この大ぐらいの大魔神ときたら二言目には「腹減った」である。プロレスラー並みの体格なのだから大食らいなのはしかたがないが、いっしょにいるコージはげんなりしてくる。もっともさっきの昼飯は冷やしたそうめんだけだったのだから、大ぐらいの魔神が物足りないのはあたりまえの気もするが、とにかくめんどくさいわけである。
 魔神は明らかに不満一杯の表情になって座り直した。

「あんなんじゃたりねぇって~、俺さまリキでぇねよ~」
「その方がおとなしくていい。とにかくめんどくさい。」

 あくまでコージはだらだらベッドの上で寝転がっていたいのだった。食欲もない、暑さで身体もだるいのだから、こうしているのが一番楽なのである。いや、これこそが人生における快楽なのかもしれない。
 しかし空腹を抱えた魔神はそんなことなど意にもかいさず、コージの腕をつかんで揺さぶり始めた。

「腹減った。腹減った。なんか食おうって」
「食欲ない … まだ3時だから食べると太る。」

 時計は後1,2分で3時である。少々のおやつならともかく、みぎてのいうとおりに何か作るとなると、カロリーの取り過ぎである。大してスポーツなどやっていないコージが太ってしまうのは間違いない。まあそんなことよりも「めんどくさい」のが一番の理由なのだが …

 ところがその時、いきなり目の前の目ざまし時計が景気良く鳴り始めた。昼のこんな時間にである。

「あっ!おいコージ!バイトの時間じゃねぇかよ!腹減ってるのにぃ … 」
「うーん … あ、しかたないなぁ … 出かけるか。」

 二人は二人とも不満そうな表情を丸出しにしておきあがると、しぶしぶ着替えを始めたのである。

*    *    *

 二人のバイトというのは、前にお話しした通りバビロン大学の実験助手である。バビロン大の学生である二人は、担当教官のセルティ先生のつてで魔法学実験の手伝いをするバイトをしているのである。正真正銘の「炎の大魔神」であるみぎてのたぐいまれな精霊力で研究に協力するという代わりに、この若い魔神はこの大学で魔法とか一般教養を勉強できるうえ、二人そろってバイト代までもらえるということになっているのである。まあかなり好条件のようにも見えるが、探したってそんじょそこらに炎の魔神など転がってはいないのだから、大学側もねがったりかなったりなのだろう。早い話がていのいい「サンプル」なのである。

「おつかれさま、今日の実験はこれで終わりよ。」

 夜も8時半ごろになってようやく実験は終わった。白衣をきこんだセルティ先生は二人に微笑む。目の前には大きなるつぼと、変な金属のローラーと、それからくろっぽいガラスの破片のようなものがいくつも散乱している。みぎての精霊力で高温に熱した金属を急に冷やして新しい魔法材料を作るという研究らしい。
 シルベスター・セルティ教授というのは魔法材料工学の世界ではかなり名の知られた学者である。女性(シルベスターというのは男の名前なのだが、れっきとした女性である)の学者というのはこのバビロン大学では少なくはない。しかしなんといってもセルティ先生は美人という素晴らしいとりえが有る。彼女の研究室に配属を希望する生徒が多いというのも、このセルティ先生の美貌が一役買っているというのは一面の真実だろう。もっとも配属されてからは先生の美貌どころではない忙しい研究室生活が待っているのだが(コージ達が9時近くまで実験をしていたことを見れば判るだろう)。

「あ~~っ!腹減ったぁ、やっぱりさっき食っときゃよかったぜ、コージ」

 2,3時間精霊力を使いつづけていた「みぎて」は椅子にへたり込んで言った。結局あの後何も食わずにバイトへ直行だったのである。

「おまえ、あの時食ってもぜったい今『腹減った』ってわめいてるって。」
「ぅるせぇ~っ」

 コージに反論するみぎてだが、さすがに空腹でへとへとなのか力がない。腕っ節も魔力も桁違いの大魔神だが、空腹になると情けないこときわまりない。
 笑いながらセルティ先生はどこからかビスケットとお茶を持ってきた。甘いものはあまり食べない二人だが、これだけ空腹になるとビスケットだろうがチョコレートだろうが関係ない。早速ハイエナのように群がってばりぽりとおやつを食べ始める。特にみぎての見事なたべっぷりは見ているほうが呆れてしまうほどの猛烈なスピードだった。

「みぎてくん、そんなにビスケット食べたら晩ご飯食べれなくなるわよ?」
「だいじょぶだいじょぶ、俺さまお菓子はいくら食っても関係なしっ。」
「おいみぎてぇ、あんまり食うと後でバイト代から天引きされるぜ」

 とかなんとかいっているわけである。無論コージもさすがに腹が減ってしまったのでいくつかお菓子をつまむのだが、みぎてのようにバリボリ食うほどではない。

 と、彼らのいる試験室にひょいと一人の学生が顔を出した。コージも良く知っているトリトン族の友人ディレルである。彼も同じセルティ研究室の学生だった。

「あ、コージ、みぎてくん、まだいたんだ。」
「よぉ、ディレル、いっしょに菓子食えよ、せんせのおごりだぜっ」
「みぎてぇ … まじ天引きだぞ~」
「そうね、こんど魔界のお菓子買ってきなさいよ。名物とかあるんでしょ?『魔界銘菓魔神餅』とか … 」

「魔界銘菓」が有るかどうかは知らないが、みぎては思わずビスケットを喉に詰まらせて咳込んだ。その間抜けな様子を見てコージ達は思わず笑い転げてしまったのである。

*    *    *

「今年の講座旅行なんですが、コージとみぎてくんは行きますよね。」

 苦笑しながらやってきたディレルの用事というのはそれだった。ここセルティ研究室の年中行事の一つで、夏と冬にみんなで旅行に行くというものである。冬は大抵スキーと相場が決まっているが、夏は高原にテニスに行ったり、海水浴だったり毎年趣向が変わる。ディレルは今年の幹事なのである。

「あ、俺さま行く行くっ!なんかおもしろそーじゃねぇか!コージもいっしょ」
「えっ、みぎてぇ … 」

 コージが答えるより先に魔神はもう行くことを決めていた。こういう事になるとみぎてというやつはその場の勢いでものを考える。他の予定とか、旅行代があるかどうかとか、そういうことはまったく考えに入れていない。

「みぎてぇ、ちょっと待てって。お金があるわかんないじゃん。」

 コージは慌ててみぎてを止めた。お金の問題もある。大食らいの魔神との同居生活は随分出費がかかる。裸同然の生活スタイルが普通の炎の魔神に、ちゃんとした服(といってもT-シャツとかだぼだぼのズボンとかその程度だが)を着せるだけでそれなりの出費だし、一番はやはり食い物である。少なくともみぎては普通の人間4人前は食うので、食費はどう安く切りあげても2倍くらいにはなってしまう。いくら二人でバイトをしても、それほど余裕があるというわけにはいかなかった。
 それにもまして一番の問題は、「みぎてが魔神である」ということである。大学では誰もが知っている事実だったし、最近では近所のおばさんからも「となりの魔神さん」とか言われるようになってしまったのだが、まだまだ彼が本物の大魔神であることは秘密である。特に警察とか、役所とか … そういうところにばれると大騒ぎになってしまうことは間違いない。
 ましてや旅行に行くとなれば、魔神みたいな人外の存在に不慣れな田舎の人(といっても都会でも魔神は住んでいないものなのだが)にどんなパニックを牽き起こすか想像するだけでげんなりしてしまう。炎の翼は例の「精霊力抑制バンダナ」で見えなくするとしても、ド派手な赤い炎の髪やら燃える石炭のような角やらは隠しようがない。万一浮かれて喧嘩などしようものなら … もうめちゃくちゃになってしまう。
 そういうこともあって、コージは講座旅行にみぎてを連れて行くというのは気が進まない話だった。みぎて自身が行きたがるというのは予想どおりなのだが、ここはなんとか止めないとまずいわけである。
 というわけで、コージは二人の会話を面白そうに横目で見ながらお茶をすするセルティ先生に助けを求める視線を送ったのである。ところが …

「ふふふっ、心配することないわ、コージ君。」
「えっ」
「今年の旅行は私の知り合いがやっている旅館だから安いし、みぎてくんだって人間界のいろいろなところ、見てみたいでしょ?みんなで行きましょう。」
「やったっ!」

 頼みの綱のセルティ先生にいきなり裏切られてコージは愕然としてしまった。みぎての方は「旅行」ということで既にうかれて小踊りしている。

「先生がそういうなら … うーん … 」
「へへへっ、コージなに心配してるんだよ。旅行だぜ旅行!俺さま楽しみだなぁ、なに食えるかな。」

 渋い顔で魔神の横顔を見るコージだが、みぎてのほうはそんなことおかまい無しだった。心は既にまだ見ぬ旅先に飛んでいってるのだろう。まったく太平楽なものである。
 セルティ先生は「心配ないわよ」というようにコージに軽くうなずいた。ところがその直後 … 彼女はふと思い出したように言ったのである。

「でも、みぎてくんって泳げるのかしら … 今年の夏旅行はザイオス島で海水浴なのよ … 」
「海水浴?えっ … みぎて」
「それ、食べれるのか?海水浴 … 」

 やっぱりというように先生とコージは顔を見合わせた。海水浴がなんだかまるで判っていないのである。それにそもそも炎の魔神が「泳げる」はずはない。となると …

 海を目の前にしたときのみぎての表情を想像するだけでこみあげてくる笑いを必死に押さえながら、セルティ先生とコージは研究室の戸締まりをはじめたのである。

2.「海水浴って海に入って遊ぶのか!」

 ザイオス島というのはバビロン市の南に広がる大洋に浮かぶ小島である。ちょうどバビロンや東方のマグダ国と砂漠の国メンフォロス王国の中間にあるいうことで、古来から貿易の中継基地として栄えた島だった。
 当然漁業や貿易関係の仕事が主な産業ということになるのだが、実はダイビングが楽しめる岩場や素敵な砂浜もある絶好のリゾート地でもある。当然リゾートホテルもあって、ザイオス・コンチネンタルホテルなどは新婚旅行の客でいっぱいである。おしゃれなブティックやらレストランなどもある素敵な観光地だった。

 もっともコージ達大学生にそんな高級ホテルに泊まる金があるわけもない。学生の旅行(まあ先生もいっしょなのだが)なのであるから、ザイオス島までの往復は「自家用空飛ぶじゅうたん」とか「飛行呪文」自前(一応コージ達は魔道士の卵である)、泊まるところはセルティ先生の知り合いがやっている旅館である。これなら貧乏学生でも十分遊べるというあんばいだった。
 ザイオス島に降り立ったコージ達一行は、街を見物しながら早速旅館に向かった。港のほうには大きな貿易船が何隻も入港して荷物の積み降ろしをしている。典型的な港街の風景である。

「なんか塩辛い風だな~、コージ。」
「海の香りだって、嗅いだことないのか?」

 ペットの「メルディスの目玉」を肩に乗せて、きょとんとした表情で首をかしげるみぎてにコージは苦笑した。やはり炎の魔神だけあって、海の近くにいったことがないのだろう。これで「海水浴」をするとなると、いったいどんな騒ぎになるか想像するだけで笑えてくる。

 商店街に入ると、これはなかなかのにぎわいである。バビロン市のメインストリート程の人ごみではないが、代わりに並んでいる店が「観光地そのもの」で新鮮である。お土産屋やら良く判らないブティックやら、ちょっと古ぼけた喫茶店から昔ながらの雑貨屋まで、バビロン市ではついぞお目にかかったことのない妙なお店がぞろぞろ並んでいた。

「コージ、あれなんだ?『大人のおもちゃ』って?」
「こ、こらっ!みぎてっ!ハズいから大声でいうなって!」
「えっ??なんでハズいんだよ?」

 観光地ならではの「大人のおもちゃ」 … つまりそういう店までちゃんとある。この調子では間違いなく「大人の秘宝館」(温泉地に良くある、あの「秘宝館」である)もあるに違いない。こういうことについてはてんてウブであるみぎてがまったく知らないことはしかたがないが、大声で質問されてはコージもたまったものではない。
 とかなんとかいいながら一行は目的地、「民宿あらいそ」に到着したわけである。

*    *    *

「民宿あらいそ」という所は、本当に民宿だった。少し大きめの民家が宿屋もやっているというパターンである。海水浴シーズン以外はひょっとすると営業していないのかもしれない。ともかくたいして大きい宿というわけではない。ただ、海水浴場から近いので、遊ぶには便利なようだった。
 セルティ先生を先頭に「民宿あらいそ」の玄関をくぐると、その音に気がついたらしく奥から出迎えが現れた。大きなふさふさの毛をした犬と、そして小柄の若いおかみさんだった。

「あ、セルティさん、お待ちしておりました~」
「セリーヌちゃん、元気そうねぇ~」
「ワンワンッ」

 セリーヌというのはここのおかみさんの名前らしい。年齢はどう見てもコージ達とほとんど変わらない。エプロンなどをしているせいでおしゃれというより働きもののおかみさん風になっているが、実はかなりかわいいような気がする。すくなくともちょっと丸顔でやさしそうな笑顔はポイントが高い。犬のほうも随分人懐っこくて、尻尾を振り振りセルティ先生にいきなりじゃれている。

「セリーヌちゃん、お世話になるわ。この連中がうちの研究室の面々。悪ガキもいるから気をつけてね。」
「悪ガキ?誰のことだよ、せんせ?」
「みぎて、おまえのことだって」

 突っ込みを食らってふてくされるみぎてに「おかみさん」セリーヌはくすくす笑う。ますます真っ赤になるみぎてはもう反論の台詞もでないざまである。セルティ先生もコージもますます笑い転げたのはいうまでもない。
 あんまり笑うと悪いと思ったのだろうか、セリーヌはにっこりと微笑むと一行にいった。

「あ、部屋に案内します。荷物おいて海水浴行きます?まだ食事には早いですから。」
「そうね、夏の海辺に来て泳がない法はないわね。そうしましょ。」

 そういうやいなやセルティ先生は荷物を抱え、部屋へどんどんはいっていったのである。

*    *    *

 海岸についた一行は早速準備体操の上、念願の海水浴を始めることとなった。何せ学生達はみんな遊ぶのが大好きである。海辺につくや否や歓声をあげてはしゃぎ始めることになる。いや、学生だけではない。教授であるセルティ先生も海は大好きと見えて大はしゃぎだった。
 ここでまず物議をかもしたのはセルティ先生の悩殺水着スタイルである。焦げ茶と黄色のまだらもようのビキニというかなりエキゾチックでセクシーなスタイルだったからである。もともと胸もかなり大きい上に細い腰付き(エルフ族であるからスタイルはいいに決まっている)、みごとな脚線美となると海水浴場の女王といってもいい。これでバビロン大学の教授というのだから詐欺である。

「せ、セルティ先生~、ちょっとそれ派手ですな … 」
「そうかしら?ロスマルク先生、かわいいと思うんだけど … 」

 助教授のロスマルク先生は目のやり場に困るというように額に手を当てた。この中年の先生は半ズボン風の水着に古ぼけたTシャツというごく普通の格好だったが、既に缶ビールを何本ものんで真っ赤になっている。実はザイオス島につくや否や(宿屋につく前から)ビールを飲み始めていたのである。この年になると海水浴そのものよりビーチパラソルの下で冷たいビールを飲むほうが楽しいというのは判るが、それにしてもかなりハイペースである。
 幹事であるディレルは幹事業などほっぽりだして早速海に飛びこんでいる。もともと海中種族であるトリトン族ということで、彼は泳ぎがうまいどころの騒ぎではない。海の中で呼吸が出来るのだから、もう海水浴など自宅に帰るようなものだった。すいすいと見事な泳ぎを披露して喝采をあつめている。
 それ以外にもあっちでもこっちでも水掛けやら、ボディーボードやら、うきわの取り合いやらがはじまったのである。

 そんな喧騒の中、大ピンチに陥ってしまっている人物が一人いた。みぎてである。

「ま、マジかよ!海水浴って海に入って遊ぶのか!」
「あたりまえ。海辺に来て泳がなくてどうする。」

 みぎてはコージに腕を捕まれたまま、蒼白な表情で波を見つめて立ち尽くしていた。波うち際から30mの地点である。海岸に来た時点で彼は顔がこわばり始め、みんながはしゃいで海に飛びこむ姿を見て凍りつき、海から30mの地点でてこでも動かなくなってしまったのである。

「だぁっ!だめっ!俺さま海に入るなんてとんでもねぇ!死んじまうっ!」
「ちょっとくらい大丈夫だって。足くらいつけてごらんよ、気持ちいいから。」
「そ、そりゃおめぇはトリトンだからだってっ!俺さま、その、炎の魔神だぞ!」
「そんなこといってるとペットの目玉くんに笑われるよ。ほら」
「うるせぇっ!」

 一泳ぎ済ませてあがってきたディレルにそう言われてみぎてはますます真っ赤な顔になった。海水浴が何かちゃんと把握せずにほいほいついてきたのが最大の敗因である。みぎて達のペットの「目玉」のほうは、もう向こうで気持ちよさそうに「タコ泳ぎ」(メルディスの目玉はタコに似ている)をしたり、生徒達のビーチボールの代わりになったりしてしっかり楽しんでる。

「みぎてぇ、水着せっかく買ったんだからちゃんと入んないとだめっ」
「こ、コージぃ~」

 海水浴は生まれて初めての右手大魔神だから、当然海水パンツも買ったばかりである。先日バビロンのデパートでコージといっしょに買いこんだのだった。だいだい色の柄のトランクススタイルだったが、どうもいつも例の「魔神ファッション」(革の前だれつきパンツとこて、それからブーツ)に見慣れているコージとしてはなんだかいつもの変わらないような気がする。とにかくみぎての場合体格がずば抜けていいので水着は良く似合う。格好いいといってもいい。
 ところがそれなのに「泳げない」どころが「水に近寄れない」というのはあまりに情けない。日光浴も良いがやはり少しは泳けないと体格がいいだけに格好悪さが際立ってしまうのである。

「ほらみぎて、だだをこねんなって。かっこわるい。」
「だぁぁっ!だから俺さまほんとにダメなんだってっ!」

 コージとディレルに引きずられてかわいそうにみぎてはだんだん海のほうへと近づく羽目になる。真っ青になったり真っ赤になったりするところを見ると本当に海が恐いというか、苦手なのだろう。とはいえこうなってしまうと「海水浴初体験」は避けられぬ結末だった。
 というわけで、波うち際に哀れな炎の魔神がおいつめられたとき、ちょうど少し大きな波がやってきたのである。波は遠浅の海岸線に近づいて砕け、そのまま魔神の大きな足にかかった。その途端 …

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「えっ!?」

 みぎてはまるでとげとげのウニでも踏みつけたような叫び声をあげ、砂浜にころがったのである。びっくりしたコージとディレルは慌ててみぎてを助け起こした。足を見るとかわいそうに赤く腫れている。

「やっぱり炎の魔神には水泳は無理か … 」
「て、てめぇらぁっ!だからやだって言ったんだぁ」
「しかたないねぇ」

 というわけで、結局みぎてはビーチパラソルの下でロスマルク先生と酒盛りをするしかなかったのである。

3.「セリーヌちゃんのおとうさんは私の先生なのよ」

 さて、そんなこんなでみぎてとコージ達が夏を満喫している(一部に悲喜劇もあったが)すぐ傍で、あやしげな二人組が秘密の相談をしているなどとだれが想像したであろうか?それもなんと海水浴場の、ビーチパラソルの陰でである。

「博士 … よりによってこんな真っ昼間に調査しなくてもいいような気がするんですが … 」
「うるさいっ!だまっとれ、この呪文は昼のほうが効果が高いのじゃ!」

 この怪しい二人組は何を考えているのか、海水浴場で白衣をきっちりきこんでいる。どうみても海水浴場の大腸菌を調査に来た保険所の職員そのものである。それでいながらビーチパラソルの下にいるのだから余計わけが判らない。
 一人の偉そうな男はどうも60近い初老の人物だった。分厚い瓶ぞこ眼鏡ともしゃもしゃ白髪混じりの髪の毛という風体はどう見ても「マッドな学者」である。実際この「海水浴場」で周囲のビキニおねーちゃんに見向きもしないのであるから、マッドな科学者であることは間違いなさそうである。
 もう一人の方は背の高いやせ型の青年である。日焼けしないたちなのか、海辺にいるにもかかわらず色が白い。もしゃもしゃの髪型は老人の方と同じようなものだが、スリムな体型といい、整った眉とちょっと高い鼻といい、磨けば老人よりはもてそうである。老人のほうを「博士」と呼ぶところを見るとどうも弟子らしい。

「その、昼間のほうに効果が高いというのはいいのですが、わざわざこんな人の多い海水浴場じゃなくてもいいような気もしますがねぇ … 」

 弟子のほうは半分以上だれている。手にはちゃっかりみぞれなどをもって、おいしそうに食べているのだからやる気がないこと間違い無しである。そのくせこいつもやっぱりちゃんと白衣を着こんでいるのだからやっぱりどこか変な奴である。

「何を言っておる!もっとも強い日光があたり、かつ海に近い … この召喚呪文が最大の効果を発揮する条件がそろっておるのは真夏の海辺に決まっておろうが!」
「はぁ … 」
「それにここまでくれば邪魔なセルティのやつが文句をいってくることもない!あいつめ、炎の魔神を飼っておるから面倒なこと極まりないわ!」

 どうもこの二人はセルティ先生の知り合いのようである。まさか半径300m以内に当のセルティ先生が「ペットの」炎の魔神達とともに海水浴に来ているなど思いもよらないようだった。

「まあそれはそうですね。セルティ教授は講座旅行でどこかにいってるようですし。まさか海水浴とかいうことはないでしょう … 」
「そうじゃろう。それにしてもいまいましいくらい暑いのぉ。ちょっとそのかきごおりよこせ。」
「自分で買いなさいって。」

 冷たい助手の一言に博士はすごすごとパラソルから出ると、近くの「海の家」目指して歩いて行く羽目になったのである。

*    *    *

 みぎて達は日がかなりかたむいて空が赤みを帯びるころまで騒ぎまくった。お約束のビーチバレーや「スイカ割り」も当然開催である。水泳はとても出来ないみぎてだが、ビーチバレーとなれば十分遊べる。もっともみぎては球技というものはほとんど未経験らしく、ばたばた騒ぐ割にはかなり下手だった。力がありすぎてすぐホームランになってしまうのである。名誉挽回とばかり挑んだスイカ割りのほうはさすがは魔神、目隠ししていてもちゃんとスイカの場所を(どうも匂いでらしい)みつけて豪快に叩き割っていた。もっとも予想どおり豪快すぎてスイカはぐちゃぐしゃになってしまったのだが。
 民宿あらいそに帰った彼らだったが、まだまだイベントは盛沢山だった。まず熱い温泉に飛びこんで騒ぐ。このザイオス島は温泉が沸いているので、露天風呂も楽しめるのである。一部の学生がセルティ先生の入浴シーンを覗こうとして、結界に引っ掛かってひどい目に合ったのはお約束である。

 その後はお楽しみの「夕食」である。おかみさんセリーヌのお手製海鮮料理である。新鮮な海の幸がいっぱいの上で舟盛り付きということで、これは大サービスである。
 みぎてはコージの家に転がりこんで以来、こういう「宴会料理」というものは食べたことがない。とどのつまりは二人は貧乏なのである。外食したとしても学生向けの定食屋とか中華料理屋とかであるから、こういうゴージャスな料理は初体験というわけだった。

「みぎて、舟のほうは食べんなよ。」
「それくらい俺さまだってわかるって、モグモグ … なんだ、あんまりうまくねぇな、この黄色いの。」
「それ飾りの菊の花」

 という具合でおっかなびっくりである。とはいえ食いっぷりは御存じの通り相変わらずすさまじいので、刺し身だろうが焼き魚だろうが煮物だろうがかたっぱしから平らげて、刺し身のつまの大根や海草まで全部食べてしまうのだから、料理人としては最高のお客に間違いない。こんな激しい食いっぷりは初めて見るのか、セリーヌは目を丸くしたり、くすくす笑ったりしどうしである。

「『みぎて』さんって随分面白い方ですね~、すごく体格いいし … 」
「えっ?俺さま?へへへっ、俺さま魔神 … いててっ、コージなにすんだよ?!」
「あ、こいつのことは気にしないで。ただの食いしん坊だから。」
「あーっ、ひでぇ、『食いしん坊』はねぇだろ?」

 ビールを飲んでいい気分のみぎてが、ついうっかり「魔神」だということをばらしてしまいそうになるので、コージはひやひやものである。大学では公認のことなのだが、さすがにここではこまる。やはり普通の人にとっては「魔神は恐ろしいもの」というイメージが強い。というわけでコージの苦心を察したのだろう、ディレルが話題をすばやく変えた。

「ところでセリーヌさん。この宿いつごろから始めたんですか?」

 考えてみればセリーヌはまだ随分若い。コージ達と同じくらいなのだから自分で民宿を始めたということではないだろう。食って飲んでばかりのみぎてもかわいい「セリーヌちゃん」のこととなればかなり興味があるのだろう、興味深げに耳をそばだてている。

「あ、ここは父が始めたんです。2年前に無くなったんですが … 」
「セリーヌちゃんのおとうさんは私の先生なのよ。バビロン大学を引退した後民宿を始めたの。そういうわけで時々遊びにくるのよ」

 セルティ先生の解説で一同はようやく納得したらしい。若いにもかかわらず民宿をきりもりするセリーヌに、みぎてもコージもちょっと尊敬したような視線で彼女を見直したのである。

*    *    *

 たらふく飲んで食って、昼間にあれだけ騒ぎまくれば眠くならないわけはない。まだ少し早いのだが、一行はさすがに布団に転がり始めた。もっとも全員ダウンというわけではなく、セルティ先生はセリーヌと積もる話でもりあがっていたし、ディレルは布団を敷いたり、酔いつぶれたロスマルク先生を運んで寝かせたりして忙しく動いていた。

「コージ、もいちど温泉はいろうぜっ、俺さま気にいった~」
「おれ眠い~」

 熱湯みたいな風呂にしか入れないみぎてだが、ここの温泉は原泉がそうとう高温らしく、えらく御満悦である。露天風呂は24時間営業なので、丁度酔い醒ましに最適というのは判る。しかしコージは昼からの疲れでそろそろ眠い。こうなると相手が魔神だろうがなんだろうがてこでも動かなくなるのがコージのすごいところである。

「えーっ!コージ、風呂風呂っ、気持ちいいぞ~」
「寝たほうが気持ちいい。」

 というなりコージはその場でごろりと寝転んでしまう。もちろんみぎてがその気になればコージを片手で抱えて風呂場に直行することくらいわけはないのだが、さすがにそうするわけにもいかない。ゆさゆさと揺さぶって起こそうとするみぎてだが、既にコージは寝息を立てている。隣でお茶を飲んでいたセルティ先生とセリーヌは声をあげて笑う。
 と、その時のことだった。

 ぐらぐらぐら …

「わわわわっ!なんか揺れてるっ!」
「地震だわ!?」

 照明がかなりゆらゆらゆれているところみると、震度はそこそこ大きいようだった。食器棚の中でがしゃがしゃ食器が音を立てたのだから間違いあるまい。地震がほとんど無いバビロン市では考えられない揺れだった。人間界に来てからというもの、地震を体験したことの無いみぎてはさすがにびっくりしたらしい。慌ててコージを起こそうとした。

「大丈夫よみぎてくん。もうおさまったわ。」
「じ、地面揺れるんだなー!俺さま初めてだ … 」

 でっかいなりして地震に驚く魔神と図太く寝ているコージという対比にセルティ先生は苦笑した。セリーヌは傍らのラジオをつけてニュースを聞く。震源は島のそばの浅い海で、津波の危険はないらしかった。これで津波だなんだとなると寝ぼけている連中を叩き起こして必死に避難するという羽目になりかねないのだから、ちょっと一安心である。
 ほっとした表情のセリーヌにセルティ先生は少し真顔になって聞いた。

「ここ、地震は良くあるの?」

 セリーヌはちょっと困ったような表情になって首を横に振る。

「小さいのは時々あるんですが、こんな大きいのは初めてです。何かの前触れなんでしょうか … 」
「どうかしら … 私もそういうのはプロじゃないから判らないんだけど … 」

 そういいながら彼女は少し目をつぶって周囲の気配を探るような表情になった。同時に強い魔法の霊気が彼女の周りを取り巻く。と … 突然彼女は険しい表情になった。

「みぎてくん、あなたは何も感じない?」
「 … 実はさ、さっきから俺さまちょっとぴりぴりしてらぁ。だから風呂いこうと思ったんだ~」

 セルティ先生は納得したようにうなずくと、動揺を押し殺したような声でいった。

「みぎてくん、いっしょについてきて!セリーヌちゃんは幹事のディレル君を見つけたら、ロスマルク先生とコージ君が起きたらいっしょに海岸にくるように伝えて。」

 いくらなんでもコージのほうは酒と昼間の疲れでへろへろである。叩き起こして連れて行くというわけにはいかなかった。セルティ先生は地震にもめげず眠りこけるコージに苦笑したが、そのまま緊張した面もちに戻った。

「せんせ、どーいうことなんだ?すっげー水の魔法って感じがするけどよ。」
「当たり。さすがは炎の魔神ね。そう、だれかが海から巨大精霊を呼び出そうとしているのよ。」

 みぎてが「炎の魔神」ときいてセリーヌはちょっと驚いた表情になったが、さらに「海の巨大精霊」という言葉を聞くと蒼白になった。

「セルティさん!まさかおとうさんの … 」

 セルティ先生は彼女に静かにうなずいた。そしていぶかしがるみぎて達にいったのである。

「そう、私の先生でセリーヌちゃんの父親、ドクター・マルドゥクの最大の同盟精霊、ダイオウイカの精霊の呪文だわ。誰かがその秘術を使ったのよ。」


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