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魔神の里帰り

1.「親父って、その…親父さんかい…」

 バビロンの街が一年で一番にぎやかになるのは年末から新年にかけてのシーズンである。年越しを控えて買い物にいそしむおばちゃんやら、年内に取引をすまそうとする商人やらがどっと街に繰り出して喧騒を生むのだから、必然的ににぎやかにならないはずは無い。クリスマス商戦から始まる一ヶ月間はバビロンはお祭り騒ぎになってしまうのである。
 それにクリスマスや大晦日、正月ともなると街のあちこちでアベックやら友達同士やら、さらには会社の同僚やらがあつまってパーティーとか忘年会・新年会を繰り広げる。出費も多いし酔っ払いも多い。にぎやかなことは良いことなのだが、ここまで来るといささかうるさいほどである。

 そういうこともあってここバビロンの学生街の一角にある安アパートの住人も、大掃除やら今年最後のレポートやら帰省の準備やら、とにかくあわただしい日々を送っていた。二階の一室にすんでいるバビロン一の変わった住人二人もその点は同じである。

「みぎてぇ、窓ガラスまだか?」
「あと二枚。もうちょっと」

 「みぎて」と呼ばれた目立つ青年は窓枠にしがみつきながらせっせと窓を拭いている。彼がバビロン大学の名物学生「みぎてだいまじん」ことフレイムベラリオスである。「大魔神」というのは伊達ではなく、正真正銘の炎の魔神族である。びっくりするほどたくましい体に赤茶けた肌、真っ赤な炎の髪に炎の翼、小さな角まで生えているのだから誰が見ても一目瞭然である。

 この本物の魔神が窓枠拭きをしているというところが、ますますもって珍しい、しかし年の瀬らしい光景なのである。

「それ終わったらゴミ出して来て。最終ゴミの日だから」
「コージ、いったいいくつあるんだよゴミ袋。いくら俺さまでもこんなにいっぺんには持てないぜ!」

 魔神は窓から部屋の中の小山のような大量のゴミ袋を見て、さすがに抗議の声をあげた。ところがその横に居る青年…彼がコージである…は平然と答える。

「いっぺんにいくことないじゃん。三、四回いきゃいいの。」
「うーん、めんどくせぇなぁ…」

 魔神は窓枠拭きをやめると、そのまま軽く部屋の中に入った。そして大きなゴミ袋をいくつもひょいと抱える。隣の青年も両手に一つづつゴミ袋を抱えたが、まだ半分以上のゴミ袋は残ったままである。よほど今までゴミをためこんでいたのか、それとも徹底した大掃除をしたのかのどちらかである。

「こう言うときにしか腕力役に立たないんだから、しっかり活躍しろって」
「ちぇ~。しょうがねえなぁ」

 そういうと魔神はよたよたと(重さではなくどうやらバランスの問題らしい)ゴミ袋を抱えて廊下を歩いていったのは言うまでも無い。

*       *       *

 コージはここ二年近く、この本物の魔神「みぎて」と同居している。といってもコージは特別な(たとえば両親が大魔道士だったとか英雄の祖先がいるとか)人間でもなんでもない。単にバビロン大学に通っている大学生なのである。もちろんバビロン大学は精霊魔術師の大学なので、彼自身も魔法使いの卵ではあるが、本物の魔神を従えたり同盟精霊にしたりする魔力などあるわけはない。
 それではどうしてコージのところにこの魔神が住んでいるのかというと、これはもう居候だとしか言いようが無い。事の起こりはスキー場で吹雪に閉じ込められたコージを助けたのが「みぎて」だったのだが、その後この魔神はコージの家まで押しかけてきて居候を決め込んで、大騒ぎの末いっしょに大学にまで通うようになってしまったのである。

 もっともこんな街中に本物の魔神が居を構えて、まったくの騒ぎにならないということはちょっと無理である。最初は近所で相当の話題になったらしい。しかしこの魔神は別に人を取って食うわけではないし(大飯ぐらいだが)、それにコージがうらやましくなるくらい陽気で、そして人懐っこい性格をしていた。今では「コージさんところの魔神さん」ということで、すっかり近所の人気者になってしまったのである。それから気がつけば二年の月日が経ったのだが、二人の生活は相変わらずにぎやかで、そして貧乏だった。貧乏さえなければ最高の生活なのかもしれないとコージは感じざるをえない。

 大学の授業も年内は終わって、今日から冬休みである。学生達はそれぞれ実家に帰ったり、スキーや旅行に行ったりと気ままなものである。とはいえそんな豪華な冬休みを送ることが出来るのはお金に余裕がある連中だけで、コージのような貧乏学生はアルバイトをするか、それともおとなしくしているかの二者択一しかない。本当はコージもたまには実家に帰るか、それともアルバイトをしたいのだが、あいにく今年は卒論もあって冬休みでも何度か登校しなければならないのである。
 というわけで、今年は去年に引き続き帰省もせず、狭い下宿でこの魔神と年越しをすることにしたわけだった。だからというわけではないが、今日は二人で大掃除ということになったのである。

 さて、二人はゴミ袋を抱えて玄関口にやってきた。このアパートは玄関口のところに共同の郵便受けがある。だいたい二人のところにくる郵便といえば、ダイレクトメールか水道代の請求か、たいていはそういったものである。たまに二人の友達である氷沙ヒサちゃん(雪の精霊族でスキー場で知り合った友達である)から手紙がくるが、これは本当に唯一の例外といっていい。
 その日も郵便受けに、いつものようにダイレクトメールとか、そこらのピザ屋のちらしとかが入っていた。コージは何の気なしにその束をつかむ。くだらないものならばその場で持っているゴミ袋に放り込もうと思ったのである。ところが…

 チラシの束の間から、ひとつだけ見慣れない封筒が見えた。赤茶けた分厚い紙のようなもので出来た、ちょっと古風な封筒である。封筒を手にとったコージはちょっと驚いた表情になった。

「おい、みぎて…おまえに手紙がきてるぞ」

 確かに封筒にはこのアパートの住所と、それから「コージ様方フレイムベラリオス様」という宛名が書いてある。これはなかなか面妖な話だった。だいたいこのアパートはコージの名義で借りてあるし、みぎてはといえば街の名物男ではあるが人間界に住んでからは間もない。もちろんカタログ販売とかを申し込んだという(すくなくともこの隠し事が出来ない性格の魔神であるから)形跡も無い。いや、この封書はどうみても申込書とかその手の書類ではなく、本当にお手紙らしい。なにせ宛名の文字は達筆の手書き、それも毛筆である(ダイレクトメールなら印刷だろう)。

「え~っ、氷沙ヒサちゃんじゃないのか?」
「氷沙ちゃんなら俺とみぎて、連名でくるじゃん。誰だろ…」

 コージは封筒をひっくり返して差出人の名を探した。裏にはこれまた達筆で差出人の住所と名前が書いてある。住所のほうは聞いたことの無い地名だからバビロン近郊ではなさそうである。コージは横にある名前を音読してみた。

「アング…アングマールって人からだな。みぎて、知り合いか?」

 ところがおかしなことに、いつものように打てば響くような同居人の返事は無かった。変に思ったコージは隣のみぎての顔を見上げてみる。驚いたことにこの魔神はいつものずうずうしいような、威勢のいい元気な表情ではなかった。ぎょっとしたように両目を見開いて、その場に凍り付いていたのである。

絵 竜門寺ユカラ

「どうしたんだ?みぎて…?」

 すると魔神は今まで聞いたことの無い、動揺を隠さない声で答えたのである。

「それ…俺さまの親父だ。精霊界に住んでる…」
「親父って、その…親父さんかい…」

 なんと手紙は精霊界から、どういう経路かは知らないが(おそらく精霊の郵便屋さんが運んだのだろうが)二人の元に届けられたのである。

*       *       *

「『たまには正月に帰って来い』かよぉ…」

 手紙を読んだみぎては、いつもと違ってパニック状態であった。いや、いつでも騒がしいのだから口数が増えたわけではない。むしろ無口なくらいである。これはどうやら相当動揺しているらしい。ここまで動揺しているみぎてを見たことが無いコージにとっては新鮮である。

「帰りゃいいじゃん、正月三が日くらい。」
「おまえは簡単にそう言うけどさぁ…う~ん」

 よほど実家に帰るのが嫌なのだろう。コージから見るとちょっと不思議になるほどである。まあたしかに故郷を離れて久しく気ままに暮らしてくれば、いまさら実家に帰っても落ち着かないというか、つまらないというのは判らないことも無い。しかしここまで深刻な表情になるのはちょっと異常である。よっぽどなにかあるらしい。

 コージは事情を聞いてみることにした。一応は魔神の父親だから魔神だろうが、ひょっとするともっとすごい化け物とか、大怪獣とかそういう相手なのかもしれない。いや、意外な路線でとんでもない変人だとかそういう路線もありえる。

「なあ、みぎての親父さんってどんな人なんだよ?魔神族なんだろ?」
「うーん、そりゃまあ魔神族に決まってらぁ。俺さまとはあんまり似てねぇけどさ」

 みぎてはなんと言ったらいいのか判らないような表情である。まあこいつは脳まで筋肉系なので、こういうときはボキャブラリーが極めて貧困である。うなるばかりでまともな説明が出来たためしがない。

 しかし断片的なみぎての説明を聞いているうちに、コージの頭の中にはなんとなく「みぎての親父像」が見え始めてきた。どうやら一言で言うと、「かみなり親父」らしい。外見はちょっと実際に見てみないと判らないのだが、性格のほうは昔風というか、うるさい親父というか、とにかくこの自由奔放な炎の魔神にとってはちょっとたまらないおっさんなのであろう。
 いや、良く考えてみるとみぎても意外と古風で義理がたい性格なのである。今までのこの魔神との生活を思い出せばコージにはそれがだれよりも良く判る(なによりこいつはコージとの口約束を固く信じて人間界に転がりこんできたのだから、義理と人情を厚く信奉していることは明白である)。だからコージにとってみぎての父親が昔風のかみなり親父だということは、実は一番納得のいく想像図だった。

 そんなこんなを想像しながらコージはさもおかしそうに笑った。するとみぎてはますます心外だというような顔になる。よほど嫌で嫌でたまらないのだろう。

「ひでぇなぁ、コージ。俺さま大弱りなんだぜ。」
「大弱りするほどのことかぁ?二、三日おとなしくしてればいいじゃん。」
「えーっ、その間くそ親父の説教とかずっと聞いてなきゃいけねぇんだぜ…」

 ところが…

 そこまで言ったみぎては急に表情が変わった。そう、なにかひらめいたのである。そして突然がばっとコージの手を両手でつかむと、にこにこ笑ってこんなことを言った。

「そうだ、いっそコージも来てくれよ!名案だろ?魔界の正月見たこと無いだろ?」
「えっ…」

 コージはみぎての単純な構想がすぐに判った。要するにこの単細胞魔神はコージを楯に使おうというのである。いくらかみなり親父でも、息子の友達がいるまえでお説教やらうっとうしい話をうだうだするわけにはいかない。で、そのまま二、三日すごしてさっさと逃げ帰ってくれば完璧というのである。
 コージとしてもどうせ実家に帰るわけではないので、正月三が日にみぎての実家に行ったところで困るわけではない。一人で正月というのはさびしいし、魔界の正月風景というのも興味はある。
 が、はたしてコージのような普通の人間が魔界にほいほい行くことができるのだろうか。第一炎の魔神の実家ともなれば、食べ物も家もみんな炎でできているのではなかろうか…そうだとするととても人間族が行けるところではないような気もする。
 ところがみぎてはにこにこ笑ってコージの懸念を否定した。

「平気平気。俺さまがいっしょに居れば大丈夫だって!まかせとけって!」
「おまえの安受け会いが一番不安なんだけどさぁ…」

 とはいえ…かなりの不安を抱えながらも彼は魔界で正月を迎えることに同意せざるを得なかった。なにせこの魔神はコージがうんと言うまで、その大きな両手をコージの手からけっして離そうとしなかったからである。

2.「これがおまえの…おやじさん?」

 というわけで、コージはみぎてといっしょに魔界へと行くことになったのである。いや、魔界というから聞こえが悪いわけで、要するに精霊界深部のことである。人間界の領域に近い精霊界と違って、深部精霊界はあまりなじみの無い領域だった。なにせコージたちのすむ人間界からの距離が遠いということは、人間界からコンタクトがとりにくい…とるとしたらその分強力な魔力がいるということを意味しているからである。
 それに(これはコージには真相は判らないが)深部精霊界になればなるほど強力な精霊が多くなり、扱いが難しく、そして危険も増えるといわれていた。単なる精霊ではなく強力な精霊…つまり魔神が多くなるというのである。まあだから深部精霊界のことは俗に「魔界」と呼ばれているのだろう。

 コージはみぎてに抱えられて生まれて始めて精霊界を飛んでいた。人間界から精霊界に生身の人間が直接行くというのはかなり強力な魔法である。いまでこそ昔と違って精霊界と人間界の間に定期便があって、その気になれば手紙のやり取りや人の行き来ができるようになったのだが、昔は精霊界に行くとなれば大魔道士や英雄だけの特権だったのである。
 ところがコージの同居人と来たら、ずいぶん荒っぽい魔法で強引に精霊界への扉を作って、あきれるコージを抱えて精霊界へと突入したのであるから、これはもうむちゃくちゃである。いや、要するに魔法の腕は相変わらず下手くそでも、それを埋めてしまえるくらい魔力だけが有り余っているから何とかなってしまったのである。少なくともこれでもバビロン大学で二年近く魔法や一般教養を勉強したあとでこれであるから、最初にコージのところへ来ようとしたときはどんな乱暴な(というより既に非常識な)魔法だったのか想像することもできない(もしかすると空間をキックして扉を開いたのかもしれない)。
 しかしとにかく二人は無事に精霊界へ…それもタダで(定期便に乗ったりすると、まるで海外旅行並みの運賃になる)到着したのである。ふわふわと低空飛行しながらさっそく二人は精霊界の観光をはじめたのはいうまでもない。

「へぇ~、なんだか夕方みたいな空の色だな~」
「あ、うん。俺さまこっちのほうが普通。人間界は色がころころ変わるからびっくりしたぜ。」

 はじめてみる精霊界の空は、驚いたことに紫色というかピンク色だった。地平線側がオレンジで、空の上に行くに従ってピンクから明るい紫のグラデーションを画いている。人間界ならば夕方の光景であるが、どうやら魔界では年中らしい。

「もちろん風の魔界とか、水の魔界とか行けば空の色違うんだぜ。一応ここは炎の魔界だからさー」
「なるほどなぁ…」

 そういいながらコージはさすがに周囲と、そして自分の身体をきょろきょろ見回した。どうやら炎の魔界だといっても、別に服や持ち物が勝手に燃え出したり、息が出来なくなったりするわけではないようである。たしかに気温は汗ばむくらいに暑いのだが、それ以上は別段異常はない。どうやら「炎の魔界」というのは「炎の精霊しか住めない」という意味ではなく、「炎の精霊がたくさん住んでいる」という程度の意味しかないのだろう。
 空から見る魔界の風景というのは、コージが驚くくらい起伏に富んでいた。向こうにはテーブルのような台地が見える。そしてそのすそには深い切り立った渓谷がくねくねと何段にも重なる。反対側のはるかかなたには、コージが見たことが無いくらい高い山が、赤く輝く雲を貫いて空に伸びている。コージが世界地理の授業で習ったどんな場所もここまでダイナミックでは無いだろう。とはいえコージの口をついて出てきた言葉は賛美ではない。

「すっげぇ…田舎だ。」
「…うるせぇっ!」

 たしかに見渡す限りのこの荒野の中に、村や町はまるで見えない。未舗装の道路がところどころに見えるだけである。おそらく魔界の旅行者はみぎてのように空が飛べるか、それとも馬か車のようなもので旅をするのだろうが、それにしても大変であろう。コージのような都会に住んでいる人間にはこの荒涼さは(生活するとしたら)ちょっと辛い。
 みぎてはちょっと不本意だといような表情をしてコージに言い返した。

「小一時間も飛べば街に着くって。ほら、あの谷の影にあるんだぜ。」
「なんだ、そうなのか。もしかして本当に町が無いのかとおもった」
「んなわけねぇだろ~」

 そう言ったみぎては早くコージに街の様子を見せたいのか、はるか向こうの谷へ向かってスピードを上げたのである。

*       *       *

 しばらくすると、たしかにみぎての言うとおり、街のようなものが見えてきた。谷ぞこの河(真っ赤に光っているので水が流れているとは思えないが)の傍にいくつもの漆喰作りの家が並んでいる。さらには近くのがけにもまるでマンションのような窓がいくつもあり、人(?)が住んでいるのが判る。間違い無く村か町である。

 二人は町のはずれに飛び降りた。最近の人間界ではめっきり少なくなったのだが、この町には小さいながらも城壁がある。盗賊よけや、昔の戦争のときに使われたものだろう。城壁が残っているということは、かなり歴史のある古い町であることに間違い無い。

「なんて町なんだ?ここ?」
「ズミクロンだぜ。まじにひさしぶりだなぁ~」

 そういわれてコージは、例の手紙の差出人住所を思い出した。たしかにそんな地名であった。古い精霊語で「赤い河の町」であるから、たしかにこの町にはふさわしい名前である。

 みぎてはコージを先導してずんずん町の中へと入っていった。一歩街中に足を踏み入れると、たしかにここは魔神の町である。道行く人も、左右のお店や家々から顔を出す人もことごとく人間ではなく炎の精霊族だった。真っ赤な髪の妖精や赤茶けたうろこと真っ赤に燃える目を持ったトカゲ男、そして体格の良い鬼のような魔神やイフリートのような精霊ばかりである。バビロンではとことん目立つみぎてだが、この町にくればなんのことはない、ただの生きのいい普通の青年である。
 町はさすがに年越しということもあって、お店や民家の玄関に見たことも無い妙な飾りつけがしてある。小さな赤い花をちりばめた丸い木製の輪が玄関口の左右につるしてあるのである。どうやら人間族のお飾りのようなものらしい。赤い花は造花が多いようだったが、たまに本物の花をつかっている家もある。街行く人々はみんな両手に年越し料理の材料などをぶら下げているのだから、やはり魔界の正月も人間と同じようにお祭り騒ぎをするのだろう。
 もっとも店頭においてある「食材」というのはコージたちが良く知っている肉や野菜とはかなりちがったものらしい。見たことも無い紫色の大きな実や白っぽい肉(鶏肉に似ているかもしれない)、さらには真っ赤なレタスのような野菜までバビロンで見る野菜や果物と似ているようで似ていない。味のほうはみぎての実家に行けばわかることなのだが、なんだかちょっと想像できない。コージは好奇半分、不安半分で街の様子をきょろきょろと観察していた。

 ところがそのとき…コージはふと周囲の視線が気になった。そう、みんなびっくりしているのである。町の精霊たちはことごとくコージとみぎての二人を見てはそうとうたまげているらしかった。まさかこんなところに普通の人間がやってくるとは思っていなかったのかもしれない。いや…
 すぐにコージは彼らの視線が好奇や敵意ではなく、懐かしさを伴った好意であることに気がついた。それはコージに対してではない。あきらかにみぎてに向けられたものだったのである。それを証拠にしばしば町を行く魔神たちがみぎてに向かってうれしそうに挨拶したり、驚きの声をかけたりするのである。やはりここはみぎての故郷なのだ。

 そう理解したコージは少しばかりうらやましいような、ちょっと悔しいような気分になった。コージの魔神はバビロンでもどこでも不思議なくらい人に好かれる。単細胞で騒がしくてとことんお人よし…しかし誰もがいっしょにいると元気になる。好かれるのはあたりまえである。そう、コージ自身がこいつがだれよりも大好きだからはっきりと判る。

 コージがそんなことを考えているうちに、いつしか二人は町のはずれにある小さな一軒屋の前についた。見ればやはり玄関口には赤い花飾りの木の輪がぶら下がっており、さらに小さな看板がかかっている。精霊語で「アングマァル畳店」と書いてあるようであるが、かなり古ぼけて字が消えかかっている。

「畳店?…畳って、あの畳?」
「うん、炎の魔界じゃ結構みんな畳つかってるんだ。俺さまもベッドより好き。」

 みぎての場合はガキなので、ベッドに寝ると時々ころげおちてしまうのである。だから彼はいつも床に布団である。まあ狭い二人の部屋では、ベッドを二つ置くことはできないという事情もあるが…
 さて、魔神はちょっと深呼吸をすると、そのまま畳屋の玄関口に立って勢い良く扉をあけた。

「よぉ!おやじっ!帰ったぜ~」

 ところが驚いたことにその返事は「おかえり」でもなんでもなかった。代わりにすさまじいばたばたという音がして、コージがびっくりしてしまうほどの大きな「罵声」が二人を出迎えたのである。

「このどら息子っ!何年も連絡一つよこさんとなにやってやがったっ!」

 罵声と同時に慌ててみぎては玄関を飛び出した。が、同時に一枚の畳がみぎてを追いかけて宙を舞い、コージの目の前で魔神の背中に激突した。
 なんと中の人が畳一畳を投げつけたのである。

 畳に押しつぶされたみぎてを追って一人のあごひげをはやした体格の良いおっさんが出てきた。真っ赤な髪に大きな牙(みぎての小さい牙に比べてずいぶん大きい)、そして頭の左右から大きな角が生えている。代わりにみぎてのような炎の翼は持っていないらしかった。

「みぎて、これがおまえの…おやじさん?」
「こ、コージぃ~…」

 畳の下からの情けない声でコージはこの「魔神の畳屋のおっさん」こそがみぎての父親、アングマールであることがはっきりと判ったのである。

絵 竜門寺ユカラ

3.「だからこれからもみぎて、お借りします」

「いやぁ、びっくりさせたなぁ。息子のお友達とは露知らず…」
「親父ぃ、驚かせすぎだぜ…」
「おまえは黙っとれっ!」

 畳屋の奥の座敷での会話である。みぎての父親、大魔神アングマールは済まなさそうにコージに謝っていた。まああんなパワフルな怒り方を見せられれば、ここが魔界であることを差し引いてもだれでも普通は仰天するだろう。
 ところが実はコージはみぎて父子が思っているほどはこの騒ぎにびっくりしてはいない。なにせ人間界でこの魔神と長らく非常識な生活をしているのである。最近は畳が宙を飛んだくらいのことで驚くわけが無い。

「いや平気ですよ。俺、みぎてと同居しているからこれくらいしょっちゅうです。」
「息子が世話になっとるそうで…これ、おまえからもお礼を言わんかい!」
「お、おう…」

 みぎて父(こう略すと判りやすいだろう)はみぎての頭をつかんで床におしつける。なんだか本当にホームドラマで出てくるかみなり親父とどら息子である。なんとなくコージの想像図どおりで笑いがこみあげてくるくらいである。
 しかしコージの冷静な感想は、「あまり二人は似ていないな」というものだった。まあ魔神の親子なんてものはめったやたらに見るものではないので、人間の親子と同じように考えていいのかどうかは判らない。しかしいさかさベビーフェイスのみぎてと、明らかにおっさん顔の父親である。角の数も生え方も違うし、翼だって父親には無い。まあ体格のほうは二人ともかなりがっちりレスラー型なので、似ているといえば似ているのだが…ということはひょっとするとみぎてのお袋さんがみぎてにそっくりなのかもしれない。みぎてに似た女性というのを想像すると、なんだか噴き出してしまうくらいに面白い。
 そんな邪悪な想像をしているなどということは決して顔には出さず、コージは笑いながらみぎての人間界での活躍…というより失敗談を面白おかしく話していた。父親は失敗談が出るごとにみぎての頭をこつき、みぎては「勘弁してくれ~」という顔になる。これはたしかにこの魔神が実家に帰りたがらないのも無理も無い。いや、はたからみればほほえましいホームドラマだが、当のみぎてにとっては半分拷問だろう。

「いや、いや、本当にうちの息子は迷惑ばかりかけて…うちはたいしたもてなしも出来んのだが。」
「いえ、本当にすいません。突然押しかけて…魔界のお正月風景に興味があったんですよ。」
「あ、うん、そうなんだよ親父。そうだ、せっかくだし街の観光案内してくるぜ。コージ始めてだからさ」

 ここぞチャンスとばかりにみぎては脱出を試みた。これ以上失敗談を暴露されてはたまらないというわけである。コージも(ちょっとかわいそうになって)同意するようにうなずく。親父さんが返事をする間もあらばこそ、みぎてはまるで逃げ出すようにコージの手を引いて魔界の観光案内へと飛び出していったのである。

*       *       *

 畳屋を逃げ出した二人は(荷物を置いたもので)身軽になってこの小さい街をのんびりと観光した。コージはポケットにコンパクト魔法写真機を持ってきたもので、めったに見れない魔界の、それも田舎を片っ端からスナップしてみた。魔界といっても人(魔神や精霊だが)が住んでいる街なので、少し歩けば昔の遺跡や石碑、それにちょっときれいな風景などはいっぱいある。空や家々が赤いということをのぞけば、異国風だがとても面白い。
 とはいえこの小さい街では観光にそれほど長時間かかるはずも無く、それにいよいよもって空が赤みを増し夕方になってきたので、二人は畳屋へ引き上げることになった。あまり遅くまで遊んでいると、また親父さんが怒らないとも限らない。
 ところが畳屋に帰ってくると、二人は意外な光景を目にしたのである。

「あっ、フーちゃん!まってたよ~」
「ずいぶん大きくなったわねぇ、おばさんのこと覚えてる?」

 玄関口のところに近所のおばさん(魔神だが)らしい人や、おさななじみらしい同年代の魔神が何人も彼らを待っていたのである。さしものみぎてもこれにはびっくりしたらしく、目を白黒させて立ち尽くしていた。

「こらっ!こんなにご近所のみなさんが心配して来てくれたんじゃ!お礼の一つぐらい言わんかい!」

 親父さんに一喝されて我に帰ったみぎては、ちょっと気恥ずかしそうにお辞儀をした。隣のコージもなんとなくお辞儀をせざるを得ない。

「アングマールさん男一人だから、ろくなお正月料理も出来ないだろうって持ってきたんだよ。今年はにぎやかな正月になるねぇ…」
「ほんと、いいお友達もいるみたいで、よかったねぇ。後はお嫁さんだけだね。」
「いい仕事も探さないと~、仮にも大魔神級なんだから。その精霊力ならどこだって行けると思うんだけどね。」

 みぎてとコージを囲んだ近所の人達は口々にいろんなことを好き勝手に言い出した。正月準備も終わり、あとは新年を待つばかりなのである。めったに故郷に帰らないみぎて…彼らにとってはフレイムベラリオス(フーちゃんとはニックネームだろう)は新年を迎える宴会の格好の材料なのだろう。そう、これはもうご近所あつまっての年越し大宴会をするしかなさそうだった。
 親父さんはにこにこしながらうなずいた。

「皆さんのご好意だ。むさくるしい家ですが今夜はうちで飲んで新年を向かえますか。人間界からもお友達がみえていることだし」

 というわけで彼らはみぎてとコージを囲んで年越しの大宴会をすることになったのだった。そう、実はこれが魔界流の新年の迎え方だったのである

*       *       *

 大宴会は夕暮れから始まって、深夜すぎまでにぎにぎしく行われた。人間界ならいまごろラジオやテレビの特別番組を見ながら、年越し料理を食っているだろうから、宴会をするという点では同じようなものかもしれない。とにかくコージは生まれて始めて魔界料理(時々みぎてがつくる激辛カレーは別にして)を食べることになったのである。それに魔界ならではの強烈なお酒…魔界流の宴会はどうやらつぶれるまで痛飲するものらしい。
 魔界料理はスパイシーな味付けが多いらしく、当然どんどん酒が進む。そういう風に出来ているのである。大学では酒が強いほうのコージだが、強烈なお酒を飲みなれている魔神達と比べれば赤子も同然である。すぐにへべれけによってしまい、隣の部屋で布団に寝転がることになってしまった。もちろん宴会のほうはコージがいなかろうが(おそらくみぎてがダウンしても)一切おかまいなく続いている。年越し大宴会なのだから、真夜中をすぎるまでは行われるのだろう。

 さて、夜もふけたころになってコージはようやく目を覚ました。トイレに行きたくなってしまったのである。宴会のほうはさすがにお開きになったらしく、今は静かなものである。コージは宴会場で酔いつぶれて寝ているみぎてやお客の魔神たちを起こさないようにそっとしのび足でトイレへ向かった。
 ところが…

 用をたしたあと、部屋に戻ったコージを待っていたのはアングマール、みぎての親父さんだったのである。

「コージ殿。本当に何とお礼を申したらいいのか…話は息子から聞きました。」
「…いや、そんな…」
「魔法の大学で勉強が出来るように世話をしてくださっただけでなく、人間界で暮らせるように骨折りをしてくださったとか。お礼の言葉も無い…」

 初老のこの頑固親父はそういうとコージにふかぶかと礼をした。そこまで丁寧にお礼をされると気恥ずかしくなるくらいである。

「いえ、俺もずいぶんみぎて…えっと、フレイムベラリオスくんには世話になってますよ。それに大学でも無くてはならない仲間です。なによりあいつとの暮らしは…楽しいです。」
「…」

 コージは心なしか力をこめてその言葉を言った。なにしろ本当にみぎてとの暮らしは楽しい。忙しいし、騒がしいがそれがなにより楽しいのである。そして何かを埋めてくれているという安堵感が実感としてある。コージがみぎての世話をしている分だけ、みぎてもコージのことを大切にしてくれているからである。
 するとアングマールはうれしそうにうなずいた。

「ご存知だったかもしれんが、あの子は母親の顔をしりませんでな。男手ひとりで育てたもんで、ちょっとばかり突っ張ってしまった。でも…」
「…でも?」
「あの子はコージさんのことを本当に好きみたいです。長年育てた息子なだけに判る…ご迷惑かもしれないが、よろしくお願います。」

 そういうと再び魔神はコージに深く頭を下げた。あわててコージはこの大柄の魔神の手をとる。そしてにっこり笑ってこう答えのだった。

「俺もみぎてのことが大好きです。だからこれからもみぎて、お借りします。よろしくお願いします。」

*       *       *

 正月三が日の間、コージは魔界の新年を思う存分満喫することになった。みぎてはもちろんのこと、みぎての幼馴染の魔神もやってきての宴会や観光となったからである。
 正月の初詣(魔神が初詣というのも変な気がするが、昔の英雄神を祭った社のようなものは大人気だった)に始まって、新年祭りで見たことの無いほどみごとな花火や炎の竜の神輿見物、それになぜかカラオケ大会(魔界でもカラオケは人気らしい)まで参加したのである。なんだか遊びほうけているような気がするが、お正月なのだからよいであろう。

 不思議なことに元旦の朝から、みぎての父親はあまりがみがみと怒鳴らなくなった。みぎてはあんまり急変した父親の態度に驚いたり不気味がったりしていたが、コージにはその理由がなんとなく判っていた。もっともそんなことを言葉にするほどコージはやぼではなかったが。

 というわけで瞬く間に三が日は過ぎ、いよいよ二人が人間界へ帰る日がやってきた。近所のおばさんと幼馴染と、それから父親は二人を街のはずれまで見送ってくれた。コージもみぎてもこれはとても恥ずかしかったのだが、「これが魔界流だ」と言われるとどうしようもない。幼馴染達はにぎやかに、そして親父さんは何も言わずうなづくだけの旅立ちだったが、それで十分気持ちは伝わってきた。

 かくして二人は再び大空へ…次元を超えて人間界へと向かったのである。

「あ~あ、帰ったらまた卒論…この落差が激しい」
「俺さまも宿題あるんだよなぁ…」

 帰路の間二人は明日からの忙しい日々を思って何度もため息をつく。とにかく卒論も宿題も期限まであとわずかである。考えただけでため息が出る。
 しかしそれでも…コージは思った。忙しい、そして騒がしい日常だが楽しいに決まっている。なぜならみぎてがいてくれるからである。みぎてと二人の忙しい日々なら楽しくないわけが無い。

 そう思ったとき、二人の前に真冬の青い空と、それから懐かしいバビロンの町並みが広がった。人間界に帰って来たのである。

「みぎて…」
「なんだ?」
「なんでもない。さあ帰ろうぜ!」
「…へんなやつだなぁ」

 不思議そうにコージのことを見つめるみぎてに、コージはおかしそうに笑った。

(おわり)


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