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魔神特製ビーフカレー 辛口

1.「あ、うん。宴会なんだ。お花見。」

「よぉっ!おやじぃ、しょーちゅーくれよ!」
「魔神さんだね。焼酎かい?好きだねぇ…」

 バビロンの学生街にある酒屋「フード・アンド・ドリンクス」は学生相手に安く酒を売ってくれるということで、バビロン大学の生徒達の御用達の店だった。とにかく大学生というのは、特に下宿をしている連中とくれば金が無いに決まっている。このフード・アンド・ドリンクスではそういう学生達に定価の三割引で酒を売ってくれるのである。まあ学生でなくても大体は二割引なのだから、要するにディスカウントショップである。
 今日はこの店に酒を買いにきたみぎてとコージだった。二人がいつも買う酒はたいてい焼酎で、それも二リットルはある大きなお徳用ペットビンである。

「これくらいきつくねぇと物足んねぇよ、俺さまは~」
「つーか、これが一番安い」

 ディスカウントショップで、さらに安い焼酎を御徳用瓶で買うというのだから、本当に値段は安い。もう単なる醸造用アルコールというか、普通の人はこんなのは飲まずに梅酒や果実酒を漬けるような安酒である。しかし貧乏な上に酒が好きな二人であるから、安かろうが味が悪かろうがアルコールであればしかたないということだろう。
 店長は笑いながらみぎてに聞いた。

「魔界のお酒って言うのはやっぱり焼酎みたいなものなのかねぇ?」

 するとみぎてはちょっと首を傾げる。記憶から味を思い出そうとしているようなしぐさである。

「うーん、まあ似てらぁ。ビールとかワインとかより、こいつにずっと似てる。」
「あれは飲み物じゃなくて危険物」

 コージの記憶では魔界の酒、たしか「火酒特級 ヘパイトス」とかいう銘柄だったと思うが、その味を思い出して苦笑した。やや赤茶けた色でウィスキーに近いものらしいが、強烈さはその比ではない。一度講座の宴会でこの魔神が持ってきたのを味見したのだが、とにかくとんでもないアルコール度数で、ストレートで飲むと口が燃えそうになる。マッチで火をつけてみるとちゃんと燃えるのだからまぎれもなく危険物である。
 しかしみぎてはコージに言い返した。

「ビールとかソーダ水みたいな酒、炎の魔界じゃ見た事ねぇや。」
「ソーダ水は酒じゃないって…」

 どうやらみぎてにとってはソーダ水もビールも似たようなものらしい。まあいつも焼酎みたいな酒を飲んでいる彼にとってはビール程度のアルコール度数ではジュースとたいして変わらないのは判らない事も無い。それにみぎてはビールやサイダーのたぐいは冷たすぎて飲めない。炭酸系の飲み物は冷やして飲まないと美味しくないので、この炎の魔神には辛いのである。ビールなど熱かんにしては炭酸が抜けてただの苦いジュースになってしまう。みぎてが違いを理解できないのも無理も無い。
 店長は妙に納得するように笑った。

「しかし今日は珍しいね、随分たくさん買うじゃない」

 店長の言う通り、今日の二人の買い物は随分大量である。さっきの焼酎ペット瓶だけでなく、ビールやワイン、安いウィスキー、それからエビセンやあたりめ、チーズ鱈のようなおつまみまでたくさん買い込んでいる。二人で消費するにはどう見ても多い。

「あ、うん。宴会なんだ。お花見。」
「講座の宴会なんで、買い出しっすよ。みぎて、力だけはあるからこういう時に役に立たなきゃ。」
「力『だけ』ってのはひでぇ~」

 不満げに口を尖らせる魔神だったが、それでも大量の酒やつまみの入ったダンボール箱を軽々とひょいと持ち上げると、気分良く店を出たのである。

*   *   *

 コージの家に居候している「みぎて」、フレイムベラリオスは御存じのとおり炎の魔神である。背丈は人間であるコージとさほど変わらないものの、まるでプロレスラーのような逞しい肉体と赤茶けた肌、炎の翼と燃える髪の毛、額には小さな角とくれば、正真正銘の魔神である事は誰が見ても明らかである。
 みぎてがコージの家に住むようになってからもう一年になる。ちょっとした事件でコージと知り合ったこの魔神は、彼の下宿に押しかけてきてそのまま居候を決め込んでしまったのである。最初は「こんな町中に魔神が?」ということで多少は騒ぎになったものの、今では御近所もすっかり慣れたらしい。「コージさん所の魔神さん」と呼ばれるようになってしまった。いや、近所の人たちが慣れ親しむのも無理はない。何せコージのこの魔神は外見こそちょっといかついが陽気で純粋だし、とにかくコージがうらやましくなるくらいにとことんお人好しに出来ていたからである。
 今、二人はバビロン大学のセルティ研究室で学生兼実験助手をやっている。さっきも言った通り二人とも貧乏なので、実験助手で食いぶちを稼がないと暮らしていけないのである。一応本物の魔神であるみぎてはそのたぐいまれな精霊力で魔法実験に活躍しているというわけだった。それでも実験助手のバイト代では、大飯食らいの魔神との二人暮らしは決して贅沢なものではない。それがさっきの「お徳用焼酎」に如実に現われているのである。

 さて、二人は荷物を抱えて意気洋々と学校へと戻っていった。通りには丁度桜の木が満開寸前である。この地方には元々生えていない桜だが、その昔、遠くミトラの国から贈られたのである。今では春になるとあちこちで美しいピンク色の花を見る事が出来る。
 今日はみぎての「学生生活一周年記念宴会」である。いや、正式には単なる花見なのだが、この炎の魔神がコージの家に転がり込んで学生生活を始めたちょうど一周年でもある。いろいろな口実が集まってこういう宴会になったというわけだった。
 この一年というもの、コージはみぎてといっしょに様々な体験をした。なにせ魔神との二人ぐらしである。普通の人には絶対体験できないような珍事がいろいろ起きるに決まっている。にぎやかで、スリリングで、そしてとても楽しい一年だった。一周年記念で花見の宴会というのも悪い話ではあるまい。そういうわけで今日の買い出しとなったわけなのである。

 校門の直前で二人は金髪の青年に出会った。同じ研究室のディレルである。海が住処であるトリトン族のこの青年は二人と仲が良い。穏やかで人あたりが良く、さらに面倒見まで良いものでついつい講座のイベントでは幹事をやらされてしまうという、損な性格の持ち主である。

「あ、コージくん、みぎてくん、買い出し終わった?」
「よぉっ、こっちはおっけー、そっちはどーだ?」

 ディレルも今日の宴会の買い出しだったのである。お酒や乾き物はコージ達、スーパーで買うものはディレルの担当というわけだった。随分たくさんの買い物で、歩くのもひと苦労のようである。慌ててコージはディレルの荷物を半分持ってやる。

「重さはそっちのお酒の方がすごいと思うんですけど、こっちはかさばるんですよ。」
「随分買ったなぁ…」

 コージは半分呆れて袋の中をのぞいてみた。寿司やら、缶詰やらの他に、エビやら牛肉やら、それに妙な香辛料までたくさん買い込まれている。真っ赤な粉やら妙な木の根のようなものが小さな袋に入って転がっている。不思議に思ってコージはディレルに聞いてみた。

「これ何に使うんだよ、ディレル」

 するとディレルが答える前に、みぎてがにこにこ笑いながら言った。

「あ、俺さまの頼んだものあったんだ、へへへっ!」
「えっ?みぎてが?食べるのかよ?」

 コージは呆れたように言う。魔神の味覚が人間とは違うといっても香辛料をつまみに使うというのは、いくらなんでも驚きである。いや、もう一年この魔神と暮らしているが、そんな話は聞いた事が無い。
 みぎてはするとげらげら笑い始めた。いや、みぎてだけでなくディレルまで大笑いしている。

「んなわけねぇよ!料理、料理!料理に使うに決まってるだろ!」
「えーーーーーーっ!」

 そう言われてますますコージは仰天する。みぎてが料理を作って披露するというのである。これは驚かない方がおかしい。あんまり驚くものでみぎては不満そうな表情になった。

「ひでぇなぁ、俺さま、家でも交代で飯つくってるだろ?」
「そりゃまあそうだけどさぁ…」

 確かに二人は夕食も洗濯も交代でやっている。が、コージに言わせればみぎての料理はすごくいいかげんなものだった。焼肉とか、魚焼きとか、とにかく火で焼いたり炒めたりするものだけである。手が込んでいる料理といえば野菜いためかチャーハンなのだから、とても宴会に出せる代物ではない。とはいえコージだってレベルはたいして変わらないから他人の事を言えた義理ではないのだが…
 するとディレルは苦笑しながらとりなした。

「まあまあ、せっかくの魔界料理だって話ですから期待して待ちましょうよ。僕も手伝いますから。」
「なんだか不安だなぁ、みぎての料理知っているだけに…」
「だいじょぶ、だいじょぶ!へへっ、楽しみにしてろよっ!」

 自信たっぷりに笑う魔神に、コージはますます不安そうな表情になったのである。

2.「げげげげっ!み、水っ!」

 バビロン大学の校庭の隅に大きな桜の木がある。そこが今日の宴会の会場だった。院生のタッカードがでかい体を利して場所取りをしている。タッカードは今年留学でやってきたばかりのセントール族で、馬の胴体と人間の上半身を持っている。こういう場所取り役にはうってつけの人材である。浅黒い肌と精悍な体つきをしているところは草原の民らしい。

「おっ、待ったぜ、早速飲もう飲もう!」

 待ちくたびれていたらしいタッカードはコージ達がやってくるやいなや、早速缶ビールを手に取った。先生方がまだ来ていないにもかかわらず飲み始めようというのである。幹事のディレルはびっくりしてタッカードを止めた。

「料理とかまだ作ってないですよ。それに先生方来てないし」
「乾杯の練習、気にすんなって」
「ええーーーっ」

 ディレルは呆れた顔をしたが、タッカードは気にせず缶をあけてぐびぐび飲み始めた。みぎてもそうだが、こいつもかなり性格はいいかげんのようである。

「みぎてくんはだめですよ。料理作ってもらわないと。」
「ううっ!」

 タッカードにつられてみぎてまでお酒に手を伸ばそうとしたのを見たディレルは、箱を抱えて中の酒を保護した。「魔界スペシャル料理」を作ると大見えを切った以上、みぎてに酔っぱらわれるわけにはいかないのである。

「とにかくお酒は講座の冷蔵庫で冷やしておきますよ。タッカードさんもそれ一本きりですからね」
「堅いなぁ…」

 しかしディレルはそんな戯言など聞く耳持たないとでもいうように、お酒の箱を抱えてそそくさと研究室へと歩いていってしまったのである。

*   *   *

 さて、ディレルの必死の防衛のかいあって、それから小一時間ほどして無事にセルティ研究室の花見の宴は開催の運びとなったわけである。教授のセルティ先生や准教授のロスマルク先生も適当に仕事を切り上げての参加であるから、随分賑々しい宴会となった。

「随分良い場所取れたじゃない、頑張ったわねぇ!」

 セルティ先生は缶ビールを一気に飲み乾してからそう言った。このバビロン大学では数少ない女性の教授は美人は美人だが男勝りの気性で、飲みっぷりも豪快である。まあそうでなければみぎてやコージのような一癖ある学生の面倒をみていられないかもしれない。
 校庭の桜の木はちょうど満開寸前で、一番の見ごろである。その下を陣取っての宴会だから、花見としてはこれ以上無いほどの好条件である。むろんこれだけの良い場所だから、隙を見せれば横取りされる恐れも十分あるわけで、場所取りタッカードの功績は大きいだろう。

「そうそう、みぎてくんがなんだか料理をやっていると聞きましたがね、大丈夫ですかねぇ…」

 准教授のロスマルク先生はなんだか不安そうに言う。同居人のコージですら一末の不安を隠せないのだから、このあくまで常識人である初老の学者にとっては「魔界の料理を、それもあのドジな魔神が作る」というだけで心配になるのも無理はない。ところがセルティ先生は笑いながら言った。

「大丈夫よロスマルク先生!ディレル君もついているし、それに失敗したら失敗したで一興じゃないの。」
「まあそれもそうですがねぇ…わたしゃあんまりとんでもないものは食うのが辛いんですがね。」

 どうやら女性であるセルティ先生の方が、ロスマルク先生よりも度胸が座っているようである。第一「魔界料理」といってもコウモリの羽や毒ニンジン、トリカブトの根っこが入っているというわけではなさそうである(そんなものスーパーで売っているわけが無い)。となると、まあうまいまずいはあっても、食って腹を壊すということは無いと見て間違い無い。

 そうこうしているうちに校舎の方から大鍋を両手に抱えた魔神とディレルがやってきた。二人ともエプロン姿という珍しい光景である。みぎては体格が良すぎるもので、エプロンなのか金太郎の腹巻きなのかよくわからないし、ディレルはと言えばエプロンと三角斤姿が妙に似合っているのが怖いものがある。一同はその奇妙な対比に大笑いである。
 鍋が宴会場に近づいてくると、強烈な香辛料の香りがあたり一面に漂ってくる。まずそうな香りではない。スパイシーな、エスニック料理系の香りに近い。みぎての上機嫌な表情から見ても、どうやら「魔神の味覚では成功」したらしい。

「できたぜできたぜ!皿もってこいよ!」
「本当に食えるんだろーな、みぎてぇ」

 コージはいぶかしそうな顔をして鍋をのぞき込む。中には濃褐色というよりほとんど真っ黒のシチューのようなものに、ニンジンやらエビやら牛肉やらジャガイモやら、何だかよく判らないものまでいっぱい入っている。どうやらカレーの親戚らしい。

「あーっ、コージ信じてないなぁ、ディレルなんとか言ってくれよ!」
「わはは、まあ食べてみてくださいよ。恐ろしいから…」
「ひ、ひでぇ~」

 そう言いながらもディレルは紙のお皿に「魔界カレー」(仮名)を手際良く盛っていった。普通のカレーとどこか違う、すごいスパイスの香りが意外と食欲をそそる。
 コージは恐る恐るそれを口にしてみた。

「げげげげっ!み、水っ!」

 脳天につき刺さるような強烈な辛さがコージの口一杯に広がった。これは辛い…今までどんなカレー屋で体験したカレーとも違う、どこか爽快感のあるすさまじい辛さだった。コージは慌てて傍にあったビール缶をひったくり、ぐびぐびと飲む。が、ひりひりしている舌に炭酸の刺激が加わってますます目を剥く事になってしまった。

「これはすごい辛いわ!でも美味しいじゃない!」
「いやぁ、あたしゃちょっと辛すぎですよ…」

 セルティ先生はコージのひどいリアクションを見て最初は少しづつ、しかしすぐに美味しそうに食べ始める。ところがロスマルク先生は一口食べただけでひいひい言ってウーロン茶を飲み始めた。ディレルはさっきからお行儀良く少しづつしか食べていない。セントールのタッカードはといえば、どうやらこういうスパイシーなものは食べ慣れているらしくばくばくと旨そうに平らげ、お代わりまでいただいている。

 というわけで、噂の「魔界料理、みぎてカレー」は賛否両論が噴出しつつもかなりの好評であった。少なくとも「非常に興味深い」という点では全員の意見は一致したのであるから、宴会料理としてはそれなりに成功であったといえるだろう。一同は辛いカレーの効果かどんどんビールを消費しつつ雑談に盛りあがったのは言うまでもない。

 と、その時だった。突然一陣の寒風が桜の木のあたりを吹いたのである。まるで冬のなごりのような風だった。一同は一瞬会話を止め、思わず桜の木を見つめたのである。

3.「実はみぎてのやつ、あの後ヒサちゃんから」

 このシーズンに寒風が吹く事は珍しいわけではない。確かに春本番なのだが、夜になると結構寒い。夜桜見物などしようものなら、まだまだ防寒着を着込まないと風邪をひくほどである。
 しかしまだ日が照っているこの時刻であるから、急な寒風はさすがに驚きだった。セルティ先生は思わず服のボタンを締めて風を防いだ。

「意外と寒いのね。それとも何か精霊でも来たのかしら?」
「これだけすごい香りのカレーだと、学校中に目立ってますなぁ。精霊だって来るかもしれませんよ」

 ロスマルク先生は笑いながら言う。確かにみぎてのカレーのすごい香辛料の香りは周囲一面に立ち込めている。これでは精霊だって来るかもしれない。

「ひっでー、んなわけねえよ。カレー好きのスパイスの精霊ならまだしもさー」
「カレー作りで精霊が呼び出せるなら、みぎてくんたいしたものよ!だてにうちの学生やってないわね」

 一同はもう酒に酔っぱらっているものだから、言う事も目茶苦茶である。激辛カレーを作ってスパイスの精霊が出現するなら、カレー屋さんは毎日精霊だらけで大変である。
 実際の話みぎてがバビロン大学に現われて、勉強を初めて丸一年になるが、魔法そのものはそれほど上手になったというわけではない。魔法の勉強をする前に、彼の場合は数学やら自然科学やら、世に言う一般教養の知識が足りないからである。もちろん魔法学の方も少しづつは習っているのだが、まだまだスパイスの精霊を(魔法で)呼び出せるというところまではいかない。元の魔力は人間などに比べて桁違いに強力なのだが、いかんせんスキルが無いのである。

「俺さままだまだ全然だからなー、魔法は~」
「あわてちゃだめよ。魔力のコントロールは少しづつ巧くなってるじゃない。」

 ちょっとしゅんとするみぎてに、セルティ先生ははげますように肩を叩く。ディレルもにこにこ笑ってこの大柄の魔神に言う。

「そうですよ、みぎてくん。一年前に比べれば随分いろいろ覚えたじゃないですか」
「そっかなー、そう言ってくれると俺さまうれしいや。」

 うれしそうにうなずくみぎてを見て、同居人のコージはしみじみ熱い気持ちになった。「勉強したい!ちゃんと勉強して魔法が使えるようになりたい!」と言ってコージの下宿に転がり込んできたこの炎の魔神である。それからいっしょにずっとこの一年暮らしてきた…数学や自然科学、学校の勉強だけでない、人間との暮らしや人間の心、良い奴も悪い奴もいる社会…全てのことがこの魔神にとっては大切な経験であり勉強だった。そしてコージにとってもそれは同じなのだ。この陽気な炎の魔神が彼の元にやってきた事で、普通の学生には決して体験できない素敵な、スリリングな一年を送る事が出来たのである。

 そう、コージの炎の魔神は今ではここセルティ研究室や近所の人々も見守ってくれる「みんなの炎の魔神」になったのである。それを思うとやはりコージはうれしい気持ちでいっぱいになるのだった。

*   *   *

 しかしそんな気持ちを素直に言葉にできるほどコージは大人ではない。ついつい照れて、ひやかしてしまう。

「みぎての場合毎日がトラブルばっかりだし、そりゃ勉強になるって」
「うううっ!俺さま反論できない~」

 コージにずばりと指摘されて魔神はうめくしかない。人間界にやってきて早々に宴会では飲みすぎて大失敗するわ、魔神の血の秘密を知りたがった他の教授に追いかけまわされるわ、夏の旅行ではダイオウイカと格闘するわ、秋の大学祭では学生プロレスや拳法部と試合をする羽目になるわ、冬のスキーでは雪女に喧嘩を売られるわである。丸一年トラブルばかりという指摘には反論の余地も無い。
 ディレルも苦笑しながら同意する。

「夏の旅行はひどかったですねぇ。まさかあんなでかいイカが出てくるとは僕も驚きましたよ。」
「トリトンのおまえもびっくりしたんだ!俺さまイカって食い物しか知らなかったし、あんなの海にうようよいるのかと思ったぜ!」

 夏の旅行で出現した巨大なイカの精霊はそれはもうとんでもない大きさで、まるで小島のようなサイズだった。もちろんみぎてが呼び出したとかそういうわけではない。しかしこの炎の魔神はほぼ勝ち目が無い(相手は水の中にいるのに、こいつは泳げない)にもかかわらずまったく恐れる様子も無く挑んだのである。あの時はみぎての無謀さに驚く反面、勇気と度胸を見直したものだった。その時の事を自慢も何も無くあっけらかんと言うところが、この炎の魔神が面白いところである。

「アイルシュタイン教授には参ったわねぇ…春の宴会のときにはみぎてくんの血を狙って大変だったし。」

 セルティ先生は苦笑しながら言った。アイルシュタイン教授とは、同じバビロン大学のちょっと変わり者の教授である。助手のシュリともどもどう見てもマッドサイエンティストで、しゅっちゅうみぎてやコージ、そしてセルティ先生を困らせる。みぎての強力な精霊力の謎を調べるとかで、宴会でべろべろによっぱらったこの魔神を捕まえて血液を採取した事件は今でも記憶に生々しい。先のダイオウイカ事件もこの教授の仕業である。

「トラブルといえばわたしゃ、一番困ったのはやっぱりスキーですな。リフトでみぎてくんが転んだときはもうどうしようかと思いましたよ。セルティ先生はどんどん先に行ってしまうし…」
「やだっ、言わないでよロスマルク先生!悪かったと思ってるのよ!」

 冬のスキー旅行ではスキー初体験のこの魔神がリフトに(太りすぎで)乗れず、みごとに転倒するという傑作の事件が発生した。ちょうど傍にいたロスマルク先生は「転倒している炎の魔神」という珍奇な状況をなんとかフォローするために、周囲のお客や係員を前に四苦八苦したのである。
 その後にはさらに雪山に住む雪女に喧嘩を売りつけられ大変な騒ぎである。炎の魔神であるみぎてが雪山に現われたということで、妙な誤解をして怒り狂った雪女がディレルを人質にとって決闘を申し込んできたのである。結局無事に済んで、挙げ句のはてには雪女とスキーを楽しんだのだが、一歩間違えれば遭難事故ということにもなりかねなかった。こんな騒動ばかりでは、この初老の准教授が疲れない方がおかしい。

「そういえばあの雪女さん、ずいぶん美人でしたよね。」

 ディレルは思い出したように言った。彼は実際のところ一番の被害者だし、生命の危機にも立たされたのだが、その分雪女ヒサの傍にいるチャンスも多かったわけである。今となってみれば良い思い出というわけだろう。

「ヒサちゃんって言ったわね?彼女。冬が終わったらどうするのかしら?」
「うーん、多分北の国に帰るんだと思う。スキーシーズン終わったら、バイトも終わりだろ?」
「えっ?彼女バイトだったの?スキー場でなにやってたの?」
「雪を降らすバイトだぜ。雪の精霊族って、そういうのよくやってるんだよ。」

 どうやら彼女はスキー場で雪を呼ぶ仕事をしていたらしい。こういう精霊の日常生活については、自身が精霊族であるみぎてが詳しいのも当然である。セルティ先生は感心したようにうなずいて言った。

「そうなのね。さすが詳しいわね。でも夏になって暇なんだったら、バビロンに遊びにくれば良いのに。うちに泊まれば良いのよ。」
「そーだな、俺さま観光案内するぜ。」
「みぎてくんの案内だとなんだか偏った観光になりそうですよ。僕がやったほうがいいかも…」

 炎の魔神も海に住むトリトン族も、どっちにせよ偏っているという気もしない事も無いが、まあこのあたりは美女をめぐってのつば競り合いということであろう。

 ところがその時である。またしても寒風が彼らの所に吹き込んだのである。まるでみぎて達の会話に返事をするようなタイミングだった。彼らは会話を止め、今度はわずかに警戒して周囲を探った。

「精霊ね。間違い無いわ。」
「先生!?」

 「魔界カレー」のせいなのかどうか判らないが、どうやら本当に精霊が彼らのところにやってきたようである。バビロン大学の魔法学教授であるセルティ先生やロスマルク先生には、たとえ酔っぱらっていてもさすがにはっきりと気配が判ったらしい。
 いや、今となっては駆け出し魔道士であるコージにもはっきり判る。桜の木のすぐ傍に精霊がいるのである。それもどこかで感じた事のある、白く、美しさすら帯びた霊気だった。間違い無い…彼女である。

「みぎてぇ~、やっぱカレーで彼女呼んだんだろぉ」
「ヒサちゃんじゃねぇかよ!どうして?」

 みぎて達が気付くと同時に桜の木の傍には和服を着た雪の精霊が姿を現した。スキーツアーの時に出会ったそのままの、透けるような美しい少女の姿である。「噂をすれば影」という言葉ではないが、まさか彼女がこの場に現われるとは、みぎても、そしてコージやセルティ先生もびっくりである。

絵 武器鍛冶帽子

 彼女はちょっとはにかむような笑顔を浮かべ言った。

「えへへ、遊びに来ちゃった。迷惑だった?」
「んなことねぇよ!大歓迎っ!」
「タイミングいいですよ!さあどうぞどうぞ!」

 みぎてもディレルも争うようにござの上を拭いたり、彼女のためにコップを用意したりもう大変である。やはりかわいい女の子となるとこれ以上無いくらい甘くなるのはしかたが無い。ダイナマイトボディーのセルティ先生も良いが、ヒサのように可憐なタイプも大人気なのである。
 ヒサはセルティ先生の横に座り、ジュースを恥ずかしそうにすすっている。セルティ先生はヒサと、そしてうれしそうなみぎてを交互に見比べ、苦笑しながら言った。

「しかしみぎてくん、まさか本当にカレーで彼女を呼ぶとは思わなかったわ。」
「えっ、その、いやあの、俺さま…」

 実際カレーで彼女が呼び出されてきたというわけではなかろうが、それでもみぎてはしどろもどろである。もともと赤茶けた顔をもっと真っ赤にしているところが大笑いだった。

 ところがその時コージがニヤリと笑い、さらにとんでもない秘密をすっぱぬいたのである。

「実はみぎてのやつ、あの後ヒサちゃんからチョコレートもらってるんだ。バレンタインの…」
「えーーーーーっ!」
「あーーっ!コージっ!言うなって言っただろっ!」

 慌ててコージの口をふさごうとする魔神だがもう遅かった。その場にいる全員は驚きと興奮の渦に包まれる。まさかこの炎の魔神が彼女からよりによって「バレンタインデーのチョコレート」をもらっていたとは聞き捨てならないスクープである。

「みぎてくんっ!手が早いわよ!」
「俺さま何もしてねぇって!」
「被害者の僕の立場はどうなるんですかぁ!」

 これはもうリンチである。リンチにふさわしい。あれだけすったもんだした挙げ句騒ぎの元凶のみぎてだけが、コージやディレルを差し置いて「チョコレートをもらう」などということが許されるはずは無い。なにせコージはみぎての保護者だし、ディレルにいたっては最大の被害者なのである。
 みぎては真っ赤になってその場を繕おうとするがまったくの無駄だった。頼みの綱のヒサはヒサで真っ赤になって恥ずかしそうに炎の魔神の方を見ているだけである。もうこれはおとなしく罰ゲームを食らうしか道は残されていなかった。
 今年来たばかりで詳しい事情を知らないセントールのタッカードだったが、ここまで聞けば充分である。早速傍にあった焼酎のペット瓶をつかむと、そのままこの魔神のコップにストレートでどばどばと注ぎ出した。

「さーっ、一気飲みしてもらおうじゃ無いか!」
「うーーーっ!しかたねぇっ!俺さまも男だっ!」

 そういうとこの炎の魔神は一気に目の前の焼酎ストレートをぐわっと飲み乾して、そのままひっくりかえってしまったのである。

*   *   *

 コージは傍らでぐうぐう眠っている炎の魔神の顔をうれしそうな、そして少しさびしそうな表情で見ていた。宴会はいつ果てるともつかないまま続いている。春の日が西にさしかかり、この魔神の丸っこい顔は夕日に照らされていつも以上に真っ赤に見える。しあわせそうな寝顔…

(一年なんだよな…)

 一年前、下宿に転がり込んできたみぎてはコージだけの魔神だった。今ではこのセルティ研究室の仲間や、近所の人たち、あの雪女ヒサや海水浴場で知り合ったセリーヌ、いろいろな人たちがこの素敵な魔神の事を大切に思っている。それは本当に素晴らしい事だと思う。すこしだけのさびしさといっしょになって、コージはその事実を噛みしめていた。

 この魔神と、そしてコージがいろいろな事件に出会い、いろいろな人と知り合うごとに、みぎてはコージだけのものではなくなって行く。それはみぎてにとっても同じ事だろう。しかしそれと引替えに二人はたくさんの思い出を積み重ねて行くし、たくさんの人と出会ってゆくのである。人間よりずっと永い時を生きるこの不死鳥の魔神は、おそらく今までもずっと無数の出会いと思い出を積み重ねてきたのだろう。すこしだけのさびしさをいつも噛み占めながら…

(やっぱりみぎて、おまえかっこいいよ…)

 本当のこの魔神の強さは、そんな無数の思い出と無数のさびしさを少しも面に出さず、先へと進んで行くところなのだろう。出会いと、そしていつかやってくる別れを恐れずにこの魔神はコージのところにやってきた。そして今、コージといっしょにその永遠の旅を続けているのである。それこそがこの炎の魔神の本当の強さだと、コージは心の奥底で感じていたのである。

(俺はおまえとあえて良かったよ。)

 コージはその言葉を心の中でつぶやき、ジャケットを脱いでこの魔神の大きな身体に、風邪をひかぬようにかけてやったのである。


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