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炎の魔神みぎてくん 大HANABI ②

② みぎてくんとなにかあったでしょ

3.「えっと、そのな、お祭りって」

 夜遅くになってコージ達はようやく晩ご飯ということになった。コージ、みぎて、ディレル、そしてポリーニの四人で近所のラーメン屋である。本当はお金がかかるので避けたい選択なのだが、こんな時間に下宿に帰って、さらに料理まで作るとなるとさすがにきつい。それにここのラーメン屋は値段の割にボリュームたっぷりで、キムチラーメン大盛り+ライス大にすればさしもの大食らいのみぎても満足するのでお気に入りの店だった。

 さて、四人はずるずるとラーメンをすすりながら、パレード準備の相談会を行っていた。といっても話題の中心はさっきのファンキーな妹の件である。

「なんか俺さまいやな予感がするんだよなぁ…ズズズッ」

 魔神はそういいながらすごいスピードでラーメンをたいらげてゆく。勇壮な食いっぷりというのはいつものことなのだが、「いやな予感」というせりふとはまったく適合しない(「すごくうまい」と言っているのとあまり変わらない)。

「っていってもしょうがないじゃん。今さら…」

 コージはちらりとディレルのほうを見てから言った。コージ自身なんとなく今回の件に関しては不吉な…というより「恒例の騒ぎ」の予感がしている。どう見ても平穏無事にパレードが終わるわけは無い。もともとお祭りなのだから騒ぎが無いほうがおかしいし、それが面白いというのも事実である。が、それを念頭においてもちょっと相手が悪い。とにかくあのド変人、シュリ・ヤーセンである。

 ところがもう一人の変人発明娘のほうはどうであろう。

「ふっふっふ、いいじゃない。これはあたしに対する挑戦だわ。間違い無いわよ。何を繰り出してくるか判らないけど、こっちも受けて立つわ!」

 ポリーニのほうはやる気満々である。というか、事態を完全に誤認している。彼女にしてみればシュリがパレードに登場するということが判っただけで既に宿命の対決しか思い描いていない。コージとみぎてはもっと危険な予感に顔を見合わせる。

「うーん、まああんまり危ないことだったら、セルティ先生に言って止めてもらうんだけど、内容がはっきりしないと…」

 あにきのディレルは相変わらずこんな調子である。コージから見ると本当に止める気あるのかという気になるほどだった。いや、さっきのあの様子では「止めたいような、しかし参加させてやりたいような」という複雑な心境なのかもしれない。相手がシュリでなければ二つ返事でOKというところなのだろう。
 とはいえ…やさしい兄貴もいいかげんにしないと、ちょっとまずいという気もする。その点はみぎても同感らしい。

「ディレル、あんまし妹にいつもハイハイじゃなめられるぜ。」
「そういうわけじゃないんだけどねぇ…そう見えるかなぁ」
「みぎても似たようなもんだけどな。こいつとことんフェミニストだし」
「うっ」

 みぎてはこういうところは腹蔵がない…というよりもともと思ったことを隠したりすることが出来るたちではない。そういうわけで、ディレルにバッサリ指摘する。指摘されたディレルは困り顔で答えるしかない。もっとも相手があんな元気な妹では、みぎてやコージだってたちうちできないのは既にさっき実証済みである。特にみぎてにいたっては相手が女性になるととことん甘くなる性格を考えると、あんまりえらそうなことは言えないだろう。

「そうよ。心配していても始まらないわ。それよりこっちのコスプレが肝心よ!みてらっしゃい!腕がなるわ!」

 ポリーニは勘違い状態のままそう言うと一気にスープをぐぐっと飲んだ。見るからに力が入っている。コージは一瞬不吉な予感がして恐る恐る彼女に聞いた。

「ポリーニ、腕がなるってその…」

 すると彼女は興奮した目をしてコージ達にこう宣言したのである。

「もちろんよ!あたしの最新技術をありったけ投入したすごいコスプレにするに決まってるじゃない!ふっふっふ、すごいわよぉ…」
「…」
「そして今度こそあいつがあたしの偉大さに驚愕してひれ伏す姿をこの目で見てやるわ。ふっふっふっ、ほーっほっほっほっほっ!」

 高笑いするポリーニを三人は怖いものを見るようにあっけにとられて凝視していた。これは危険、危険である。おそらく彼女は間違い無くとんでもないコスプレ衣装を作り上げるに違いない。
 コージの頭の中には既に年末の歌番組で有名な、巨大な要塞としか言いようが無い衣装を装備して歌う「演歌歌手」の姿しか浮かんでいなかったのは言うまでも無かった。

*     *     *

 さて、日にちはどんどん過ぎて、バビロンカーニバルの当日は目前に迫ってきた。既に街は異様な活気に包まれ始めている。街のいたるところにカーニバルに合わせたデコレーションが飾られ、商店街や目抜き通りはカーニバル協賛の大売出しが始まっている。街角には屋台やちょうちんがあふれ、観光客らしい姿も増えてくる。
 先程お話したとおり、バビロンカーニバルはこの地方では大変有名なお祭りで、遠くイックスシティーやバギリアスポリス、メンフォロスなどの外国からも観光客が集まるほどの規模である。特にメイン会場となる港から市庁舎までの中央大通りのパレードは最大のイベントで、思い思いの派手な衣装をつけた人々が踊りながら行列するというものだった。孔雀のようなひらひらがつきまくったドレスやら、大昔の王様の仮装やら異国風の服装を着て踊る人達、果てはトップレスのセクシーな衣装やら、衣装というより電飾、ほとんど歩くクリスマスツリーのようなものまで本当に自由なファッションが大行進するのである。それからさまざまなグループ(町内会や会社、商店)が山車を作って練り歩く。個人参加をする人もいるので、ポリーニのような器用な人は自分でコスプレ衣装を作って参加していたり…とにかくこの大仮装パレードは見ているだけで楽しくなるイベントである。
 本番目前ともなると、パレード参加者はそれぞれ思い思いの秘密基地(つまり自宅とか、会社の倉庫とか、学校の校庭とか)で、踊りのリハーサルやら、仕掛けの最終チェックやらに余念が無い。もちろんコージ達も同じである。指揮官でありコスプレの作成者であるポリーニはみぎてたちを夜遅くまでつかまえて、ポーズの練習やらなにやらをみっちりやらせるのである。

「コージくん、そこ、タイミング遅い!やり直し!」
「えっ?はいはい…ふう」
「文句言わない!本番はもうすぐ!」

 日ごろ運動不足気味のコージやディレルは結構へとへとである。実際、戦隊ものヒーローの決めポーズを何時間も特訓させられるというのは、これは予想をはるかに超えて大変な運動量だった。考えてみれば子供向きとはいえアクションヒーローなのだから、ダンスや演技の修行をつんだ俳優さんがやっているのである。それを単なる学生が真似しようというのだから、並たいていなことではない。特にもともと足の遅いトリトン族(海洋種族の彼らは、泳ぐのはすばらしく上手いのだが走るのは苦手である)であるディレルは派手なアクションとなるとかなり苦戦している。いや、運動といえば大の得意であるはずのみぎてだって、ポリーニに言わせればまだまだ甘いらしい。
 みぎての場合、動作などはそれこそアクション俳優顔負けである。魔神流(?)の拳法までやっているのだから下手なはずは無い。ところがこの魔神がやっているのはあくまで拳法であってダンスではない。ダンスや演技というのは殴る蹴るの拳法とは違うところがずいぶん重要になるのである。音楽に合わせて体を動かすとか、指先や足の先に表情をつけるとか、とにかくポリーニはそういう部分にいたるまでビシビシと指摘するのだった。

 そういうわけで、みぎてもコージ達と同じようにポリーニ「コーチ」にずたぼろにやられているわけである。まあしかし本番直前ともなれば、これくらいがんばって丁度なのかもしれない。

「はーい、はい。今日はこれでいいわよ。もう本番だし、結構さまになってきたし」
「ふう~、きつい~、高校の時のマラソン大会以来のきつさ」
「コージ運動不足だって。俺さまといっしょに拳法やればいいのにさ」
「拳法だろうがなんだろうが今日はもういい。」

 既に空は真っ暗で、校庭の照明がこうこうとコージ達を照らしだしている。汗びっしょりのコージは近くの花壇の石垣にへたりこんでタオルで汗を拭いた。ディレルのほうはディレルのほうで、ヤカンの水を頭からぶっかけている。体力で言えばやはりみぎてはずば抜けていて、まだまだ余裕があるという表情だった。

「しかたねぇな、俺さま自販機でジュース買って来てやるよ。なにがいい?」
「うーん、スポーツ飲料」
「あ、僕もお願いします…きついです」
「じゃ、あたしはコーラ。ぬるくしないでよ。」
「袋にいれりゃだいじょうぶだろ?冷たいジュース、俺さま持つの痛いし」

 みぎてはポケットの中のお金を確かめると、生協のほうへ向かって機嫌よく走ろうとした。
 ところがその時…不思議なことに一陣の冷たい風が彼らの周りを吹き抜けたのである。

「すずしい~」
「えっ?」

 夜になったとはいえ季節は真夏である。夜風はたしかに涼しいが、こんなにひんやりとするわけは無い。ところがその風はまるで冷房の風のような冷たくて気持ちいいのである。
 風はまるで一箇所に集まるようにやさしく渦を巻く。そしてその中心に強い精霊力が現れた。魔神族であるみぎてはもちろんのこと、コージやディレル、そしてポリーニにもそれが精霊そのものの力であることなどすぐ判る(なにせ彼らは魔法大学の学生なのである)。

「あーっ、氷沙ちゃんじゃねぇかよ!」
「あれっ、ほんとだ」

 風がおさまるとそこには雪のように白い肌と、そして背中まで伸びる美しい銀糸のような髪をした少女が立っていた。薄い色の帯の和服のような服装である。少なくともバビロンではめったにお目にかからない衣装だった。
 コージやみぎて、そしてディレルは彼女のことをよく知っている。もう一昨年の冬になるが、スキー場で知り合った雪の精霊(雪女というのが正しいだろう)の少女だった。冬になるとスキー場で雪を降らすバイトをしている彼女は、コージやみぎての文通友達である。さすがに雪の精霊だけあって、彼女が現れただけで周囲はそれこそ冷房のよく効いた喫茶店かデパートのような涼しさに変わる。

「みぎてさま、皆さま、お元気でした?」
「びっくりした!来るなら連絡くれればいいのに!」

 既にみぎてはにこにこ笑って興奮気味である。同じ精霊種族だということもあってみぎては氷沙とは仲がよい。持っている精霊力は炎と氷で正反対なのだが、そういうことは好悪にはあまり関係無いらしい。

 彼女は狙ったかのようにビニール袋に缶ジュースを持ってきていた。いや、これは間違い無くついさっき買ったばかりに違いない。彼らがダンスの練習会をやっているのを見つけたもので、その辺の自動販売機で買ってきたのであろう。しかしとにかく今のコージやディレルには乾天の慈雨のようなものである。涼しい彼女の霊気もあって、二人は見る見るうちに元気を取り戻した。

「ふう、助かった。暑苦しいみぎての精霊力とは大違いだな」
「そうね、ジュースだってすぐぬるくしちゃうし」
「あ~っ、ひでぇなみんな」
「まあっ、ふふふ」

 不満まるだしのみぎてにコージは笑い声をあげると、キリキリに冷えた缶ジュースを一気に飲み干したのである。

*     *     *

「でもさ、氷沙ちゃん、暑いのによく来たな~。だいじょぶか?」
「そうだねぇ、真夏だと大変なんじゃないの?」

 みぎてはちょっと心配そうに氷沙の顔を除きこんだ。言うまでも無く彼女は雪の精霊である。こんな真夏が得意なわけは無い。もちろん消えてしまうとか病気になるとかそういうことはないのだが(冷房や冷蔵庫で仕事をしている氷の精霊のことを考えれば判る)、決して楽なわけは無い。おそらく冬に比べてずっと居心地がわるいだろう。
 氷沙はしかしにこにこ笑いながら答えた。ところがその返事はちょっと彼らにとって意味が判りにくいものだった。

「ううん、だってバビロンカーニバルだから元気なくらい」
「?」

 「お祭りだから」氷沙が元気だというのはなんだかちょっと意味が通らない。少なくともコージ達人間族にとっては、お祭りは楽しいかもしれないが元気とはちょっとつながらない言葉である。少なくとも「夏がつらいはずの雪の精霊が元気になる」理由にはならないような気がする。
 しかし同じ精霊族であるみぎてだけは、納得したような表情になった。

「あ、そっか。氷沙ちゃんもそうなんだ。氷の精霊族もそうなんだな」
「えっ?みぎて意味判るのか?」
「ちょっとみぎてくん、あたしたちにも判るように説明しなさいよ。」

 コージやポリーニに問い詰められて、みぎては困ったような表情になった。この単細胞筋肉系魔神は、「説明」とかそういうことになると途端にボキャブラリーの貧困さでつまずく。悩んだ挙句「よくわかんねぇ」とか「ぱーんち」とか、言葉になってない説明で余計周囲を混乱させてしまうのである。もちろんそう言う場合本人が一番混乱しているのは当然である。

「うーんとな、えっと、そのな、お祭りって、俺さま達精霊族がリキでるんだ」
「それ説明になってない、みぎて」

 うんうんうなった挙句がこれであるから、やはりボキャブラリー貧困である。結局今回もまったく説明にはなってない。まあもっとも精霊魔法を研究しているコージ達だから、それだけでもなんとなく判るよう気もしてくる。特にディレルにはかなりはっきりと事情が見えてきたようだった。さすがは優等生である。

「多分ですね、お祭りの活気というか、エネルギーが周囲の精霊にも活力を与えるんだと思いますよ。もともとお祭りって神様とかそういう存在に祈りのエネルギーを贈る儀式呪文なんですから」
「あ、そう言われればそうね」

 ディレルの言葉に氷沙もみぎてもうなずいた。つまりそういうことなのである。人々が集まって楽しむ「お祭り」という儀式は、それだけで参加者から興奮や熱気のようなものがエネルギーとなって生み出される。それは同じようにお祭りにやってきた精霊達にも力を与えるという結果になるのである。これなら夏に弱い氷沙ちゃんも、それを上回る活力で楽しくお祭りを見物することが出来るという按配だった。

「みぎての場合、お祭りじゃなくても夏場は暑苦しくて元気すぎるんだから、ちょっとは遠慮してほしいんだけどさぁ…」
「えーっ、ひでぇ言われよう…それにしても腹減ったな。コージ」
「お祭りで元気なんだろ?それでちょうどいいじゃん」
「それとこれとは違うって~…あ」

 みぎては抗議の声をあげたが、同時におなかの音まで聞こえてしまった。その場の全員はその音で爆笑したのは言うまでも無い。

4.「怖いと思わない」

 バビロンカーニバル・大仮装パレードの当日は、夏らしいよく晴れた日だった。遠くの空に入道雲がもこもこと浮き上がっているが、雨になりそうな雰囲気ではない。乾いた風が南から吹きこんで暑いながらもさわやかな陽気である。
 パレードの出発地点、港通り公園では参加者達が集まって山車や衣装の準備をしている。パレードは午後一時スタートで夕方七時までだが、もちろんその間ずっと歩いているわけではない。順番になったら順次公園を出て、中央大通りをゆっくり進んで終点の市庁舎前広場につけばそこでとりあえず終わりである。正味は三時間程度だろう。ただ参加数が多いので最初の山車が出発するのが一時、最後の山車が市庁舎前につくのが午後の七時ごろというわけである。そしてその後審査員による表彰があって、さらにそのまま街全体を会場としたダンスパーティーという段取りだった。

 もちろんコージ達も既に会場入りして最終準備に余念が無い。ポリーニお手製の全員分の「戦隊ものヒーロースーツ」や手袋、そしてマスクを試着して手足を動かしてみたり、決めポーズの最後の練習をしてみたりである。

「ほんとにすごいですねぇ…プロが作ったみたいですよ」
「まじにぴったりだ。すげーな」

 コスチュームの出来は上々、いや完璧といったほうがいい。あんまり完璧すぎて袖を通すのがもったいないくらいである。真夏だし、どうせ激しいアクションで汗だくになるのだから、あまり気にしていては始まらないのだが、それでもここまで見事な出来だとそういう気分になる。ポリーニの技術はさすがに本人が豪語するだけのことはある。こういうところはさすがに発明家の緻密さをいかんなく発揮していた。

「な、コージも着てみろよ。」
「え、あ、ああ。」

 みぎてにせっつかれてコージはようやく緑色のコスチュームを広げ始めた。しかしその動作はどこか物憂げで、めんどくさそうな雰囲気である。なんだか疲れているようにも見える。
 ディレルは(もうタイツとブーツははいている状態で、なんだか中途半端な格好であるが)首をかしげた。

「コージ、どうしたんですか?なんか体調が悪いみたいに見えるんですけど」
「あ、いや、なんでもない」

 「なんでもない」といういい方自体がなんだか不調というか、機嫌がよくないことがよく判る。コージ自身はポーカーフェイスを決めこんでるつもりだろうが、長い付き合いのディレルやポリーニにはすぐ判る。

「なにかありましたね。コージ」
「そんなことないって」

 ディレルの指摘があたっていればいるほど、それを絶対否定したがるところもコージの癖である。いや、こういうときは指摘すればするほど意地になるのがコージなのである。そして困ったことに…そんな所を知り尽くしているポリーニにとってはそれが一番面白いらしい。彼女はさも納得したように得意げに言った。

「ははーん、判ったわよコージくん」
「なにがだよ」
「みぎてくんとなにかあったでしょ。」
「…」

 ポリーニの断定口調にコージは反論しようと思ったが、言葉に詰まった。ポリーニの指摘は正しい、しかし正しくないのである。だから反論しようにも適切な言葉が出てこなかった。もちろん隣にいるみぎてはびっくりしたような顔をしてコージとポリーニを見る。

「えっ?俺さまが?コージほんとかよ?」
「…」

 みぎての丸く、そして深紅に輝く瞳が不安そうにコージをのぞきこんだ。やっぱりこいつはまったく気がついていないのである。いや、それもあたりまえだった。みぎては何も悪いことをしていない…それはコージにもよく判っているのだ。ただちょっとコージにとってはむしゃくしゃするだけのことだった。
 ところがポリーニはさも自慢げにみぎてにたたみかける。

「みぎてくん、鈍感なのもいいかげんにしないとコージくんに嫌われるわよ。こんなに機嫌悪いの、なにか気に触ることしたからに決まってるじゃない。」
「う、うう。俺さまなんかしたのか?」

 みぎては相当にうろたえた表情になった。純粋すぎるこの魔神にとって、今の言葉はかなりのショックであろう。
 ところがみぎて以上に真っ赤になって怒ったのは誰でもない、コージだったのである。

「いいかげんにしろよポリーニ!勝手なことばかり言いやがって!」
「!…」

 突然のコージの剣幕にポリーニは驚いて言葉を失った。しかしコージはスーツを袋に突っ込むと、そのまま背中を向けて人を押しのけつつ会場を走り去っていったのである。

*     *     *

 会場を立ち去ったコージはそのまま少しはずれの喫茶店に飛び込んだ。あんな灼熱の公園にいたものだから、キリキリに冷えた喫茶店の冷房が気持ちよい。彼は奥の席にどかっと腰をおろすと、気落ちしたようにため息をついた。
 そう、コージ自身自分が嫌になるくらい今日は気落ちしていたのである。別にポリーニにあたることは無かったのだが、今日のコージにとって彼女の軽口は我慢が出来なかった。そんな自分が嫌になるのである。
 コージは注文をとりにきたウェイトレスに向かって無愛想にアイスコーヒーを注文した。そんな自分の声までがうっとおしい…どうしてあの魔神はそんな自分を必死にかまうのだろうと思うくらいだ。そう考えるとますますいらいらしてくる…昨日からそんな自分をコントロールできないのが判る。そう…昨日からである。

 あの後、コージとみぎては氷沙を宿まで送っていった。一言で言えばただそれだけだったのだが、どうしたことはコージはそれが面白くなかった。
 氷沙と並んだみぎては、なんだか似合いのカップルに見えた。炎の魔神と雪女という、なんだかまったく対象的な精霊どうしなのに、素敵な組み合わせに見える。にこにこ笑う大きな魔神と、ちょっとはにかんだように微笑む雪女の少女…
 それを見たとき、なんだかコージは一瞬取り残されたような気分に襲われたのである。それからなんだか心にわだかまりのようなものが残って、まるで胸がつっかえたようで…
 みぎてのあの純粋な笑顔はコージだけのものじゃないのは判っている。むしろ氷沙ちゃんや、それからディレルやポリーニや、いろいろな友達にも惜しみなく振りまかれている。しかしそれが今、コージにとっては寂しさを感じさせている。あの時コージは…「みぎてにとって本当に自分は必要なんだろうか」と一瞬不安を感じてしまったのだ。それが何よりのいらいらの原因だったのである。

 みぎては…本物の「炎の大魔神」フレイムベラリオスはコージなんかよりずっと強い。普段はあんなに脳天気でお人よしで、勉強が苦手な筋肉青年に過ぎないが、しかしあいつは町ひとつぐらい消し炭にしてしまえそうな巨大な精霊力と、そして歴戦の戦士顔負けの格闘技まである。魔法使いの卵に過ぎないコージとは比べものにならない…そう、あいつはまさしく半神そのものなのだ。氷沙ちゃんだってコージからみれば(みぎてとは比べものにならないが)かなり強い精霊力の持ち主だった。
 そんなすごい存在であるみぎてといっしょに暮らして、今までそれがあたりまえのように思ってきた。しかしあの瞬間突然、まるで自分が本当に小さくて弱い存在のように感じられてしまったのである。いや、力が弱いことが問題なのではない。

 「みぎてにとって自分が必要だと確信がもてないこと」が、突然急に不安でたまらなくなってしまったのである。それが、そう…それだけがこのいらいらの原因だと、誰よりもコージ自身が知っていた。言葉にすると本当に(こんなことで悩むほうが馬鹿らしいくらい)ちっぽけな話なのだが、それでもコージの中には不安と焦燥がまるで重苦しい影のように居座りつづけていたのである。

 コージは目の前のアイスコーヒーの氷が溶けてゆくのも気がつかず、暗い褐色の液体を、それがまるで心の中の不安の闇であるかのように見つめつづけていたのだった。

*     *     *

 その時のことだった。急に冷房が強くなったような風がコージの肌を通り過ぎた。そして同時に聞き覚えのある声がした。

「コージさん、こんなところで会うなんて。ふふふっ」

 今までアイスコーヒーに手もつけず、グラスをにらみつけていたコージははじかれたように声のほうを見上げた。そこには驚いたことに薄いブルーの和服を着た銀の髪の少女が立っていたのである。氷沙だった。

「氷沙ちゃん…」
「暑いからパレードがはじまるまで逃げてきたの。ほんと、夏のバビロンって暑いのね。」

 彼女はコージににこにこ笑いかけ、そして向かいの席に座った。こうしてみるとまるで氷沙とコージがアベックのようである。もちろん雪女である彼女だから、服装は(バビロンの普段のファッションから見れば)ずいぶん珍しいが、お祭りである今日のような日なら、それほどは浮いているようには見えない。
 しかし今日のコージはそんなことを感じる余裕は無かった。今の彼は氷沙の目をまともに見るのが少し怖かったのである。ほかの人ならともかく…
 もちろん氷沙にはそんなことが判るはずは無い。

「ふふっ、珍しいんですね。みぎてさまといっしょじゃないなんて。」

 彼女はイチゴフラッペを注文すると、すこし驚いたようにコージに言った。コージはすこし憮然とした声で答える。

「そんなことないですよ。あいつはあいつ、俺は俺ですから…」
「ううん、でもみぎてさま、コージさまに夢中だし。見ていてちょっと焼けちゃうくらいだもん」
「そんな…」

 コージは苦笑しながら、同時にすこしだけ複雑な心境になった。コージがこんな風に寂しさや苛立ちを感じるのと同じように、ひょっとすると氷沙も同じことを感じているのかもしれないと思ったからである。すると、それを肯定するように彼女は言った。

「みぎてさま、コージさまのことばかり話すから誰にだって判りますわ。なんだか恋人みたいでちょっと困っちゃうくらい」

 彼女はちょっと寂しそうに笑った。無論今のコージにそう見えるだけかもしれないが、ともかく彼女の笑顔は不思議な透明感がある。

 しかし彼女の次の言葉は、コージにとって意外なものだった。

「でもみぎてさまってすごく寂しがりやだから、コージさまがいないと途方にくれちゃうと思いますの。あれだけすごい精霊力もってるから、余計そうなんだと思いますわ。」
「すごい精霊力が有るから?」

 コージは少し意外に感じて彼女の方を見た。強力な力があることがなぜ寂しいのだろう。それは精霊ではないコージにとって思ってもみなかった一言だった。

*     *     *

 不思議そうな顔をするコージに、彼女は話しつづけた。

「ええ…みぎてさまの精霊力って、普通の精霊や魔神の比じゃ有りませんでしょ?あの年で大魔神級の力ってすごく大変だと思うんです。だってそれに見あった技とかあるわけじゃないし、それに同じ精霊族のなかでも浮いちゃうし…」
「あいつが友達少ないっていうんですか?そうとはとても思えないんだけど…」

 ところが彼女は首を横に振った。

「それなりの友達なら多分いるんです。でもみんな一歩引いちゃうの。だってめったに居ないフェニックスの魔神で、あのすごい精霊力でしょ?みんな心のどこかで怖がっちゃうの。同じ精霊族同士だからよけいそうなの…」
「…そんな」

 みぎてのことを同族は怖がる…あまりに強い精霊力と、そしてフェニックスという特殊な力に…それはコージにはあまりに意外な話だった。
 いや、どうだろう…もしコージがみぎてとあんな出会いをしていなかったら。町の中で、どこかの山の中で彼に出会ったとしたら、恐怖を感じなかっただろうか?そしてディレルやポリーニやセルティ先生達はどうだったろう…

「コージさまはみぎてさまのこと怖い?怖くないの?」

 改めて彼女にそう聞かれてコージは動揺した。みぎてが怖い?…忘れていた何かがコージの心の中によみがえる。
 始めてあったとき、あの炎の魔神の姿が怖くなかったといえばうそになる。しかしコージの下宿に転がりこんできたときのみぎては、もう怖いという思いはほとんど感じなかった。むしろあの時感じたのはなによりも「こいつが友達であってほしい」という思いだった。そう、生まれや種族は違うが、あの純粋な瞳を見て思ったことはなによりもそれだった。そして今なお何よりもコージが望むことは、みぎて…あの陽気でドジな炎の魔神といっしょに騒いだり、勉強したり、喧嘩したり…それだけなのだ。少し怖いときもあるかもしれないが、それ以上にあいつのことが好きでしかたがない。それ以外の表現が思いつかないのである。

 だからコージの答えは、首を横に振ることだけだった。

「怖いと思わない。あいつ、魔神かもしれないけど、なにより俺の…相棒だし」

 その一言を聞いた氷沙はにっこり微笑んだ。

「だとおもった。みぎてさまがコージさまのこと一途なのは、それなの。人間も精霊族も、みんなみぎてさまのこと怖がっちゃうけど、コージさまはそうじゃない。」
「そうなのか…そうなのかもしれないな」
「勝てないな…ふふふっ。コージさまみたいに私、みぎてさまのことぜんぜん怖くないってまでは言えないもの。」

 はにかむように笑う氷沙の顔を、コージは暖かい思いに包まれて見つめた。みぎてのことだけではない…彼女は一番話しにくい、自分自身の心情を本音で話してくれたのである。それだけでコージは彼女のことがすばらしい友達だと確信することが出来たのだった。
 彼女はちょっと恥ずかしげにフラッペを食べながら言った。

「たぶんね、みぎてさまもうすぐここ見つけるわ。」
「えっ?そこまではさすがに…」

 驚くコージに氷沙は笑う。

「だってここ、みぎてさまといっしょに始めて入った喫茶店なんでしょ?フラッペ食べさせようとして大騒ぎになったって聞いてるわ。」
「あ…そうだ…」

 たった今まで忘れていたことだったが、たしかにこの喫茶店はみぎてがバビロンに来て、はじめて二人が入った喫茶店だったのである。無意識というほど大げさではないが、知らないうちに気に入りの喫茶店に来てしまった…みぎてとのちょっとした思い出が残っているこの店に。
 ちょっと照れたようにコージは頭をかいた。丁度その時扉が開き、外から熱風が吹きこんできた。来客を告げる小さな鐘の音が聞こえる。そして騒がしくも元気ないつもの声がした。

「コージ、やっぱりここかよ~。あれっ、氷沙ちゃんといっしょじゃねぇか!」
「せっかく人が涼んでいるのに…」
「くすくすくすっ、フラッペごちそうになってますのよ」

 振り向いたコージの目を見て、しかしみぎては安心したように本当に純粋な笑顔を見せた。なにかがコージの中で少し軽くなったのが、この相棒には敏感に判ったのだろう。そんなみぎての笑顔はコージにとって本当に心地よかった。だからこそコージが口にしたのは、いつもの調子の軽口だったのである。

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