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炎の魔神みぎてくん すたあぼうりんぐ 1「映画館なんて明け方の三時まで」②

 さて、翌朝二人はいつもの通り下宿を出て大学へと向かう。さっきも言ったとおりコージはバビロン大学魔法工学部の大学院生だし、みぎてはといえばやはりコージの講座に所属している聴講生である。平日は二人とも研究室でいろんな実験をしたり、論文を読んだり書いたり(書くのはコージだけだが)、そういう研究をするのが日課である。特にみぎての場合は、その魔神としての強力な精霊力でさまざまな魔法実験に協力するというアルバイトをしているので(というか、学費+α分のバイト代をもらえる実験助手という身分である)、毎日結構忙しいのである。コージはコージで自分の研究もあるし、それにみぎてのマネージャー(たくさんの講座から実験依頼が来るので、ちゃんと予定を管理しないと大変なことになってしまう)も担当しているので、やはりそれなりに忙しい。ちなみにコージの研究テーマは「魔神族の魔法学的文化調査」…つまりみぎてとの同居ライフそのものである。
 校門のところに到着すると、コージは見慣れた青年の後姿を見つけた。肩にかかるくらいの金髪と色白の肌、典型的なトリトン族らしいややゆっくりした足取り…講座仲間のディレルである。コージとみぎてはほぼ同時にディレルに声をかける。

「よぉっ!おはよっ!」
「ディレル、今日はちょっと遅いじゃん」
「あ、コージとみぎてくん!さわやかな陽気だね」

 ディレルはニコニコ笑って二人に挨拶する。やさしそうな笑顔とトリトン族らしい濃いグリーンの瞳はいつ見てもほっとするような独特の雰囲気がある。たとえて言えば面倒見のいいお母さん系という感じだろう。実はこれでも講座で一番の優等生なのだが、コージやみぎてにとっては一番の親友である。

「先週までが残暑きつかったし。みぎては平気だったみたいだけど」
「俺さま、暑いのは平気だしさ」
「あはは、そりゃみぎてくんは特別ですよ。今年はほんとに暑かったから、やっと一息って感じですよねぇ」

 朝の恒例のお天気の話題である。今年の夏は二十年ぶりくらいの猛暑で、街路樹が枯れるだの、セミすら出てこないだのという暑さだった。もちろん炎の魔神であるみぎてにとっては、あの程度の暑さは別にたいしたことないというのは当然かもしれないが、普通の人間族であるコージや、もともと水中に住んでいる種族であるトリトン族のディレルにとってはちょっときつい一ヶ月だった。特に冷房のないコージの下宿などは、昼間に部屋にいること自体が拷問に等しいという状況になったのは言うまでもない。まあ幸い講座には冷房があるので、昼間はたとえ休日でも大学に逃げ込んでいたのは、生存のためにはしかたがないことだろう。
 幸い九月も半ばを過ぎたころになって一気に涼しくなってきたので、ようやく一息というところなのである。おそらく今朝のディレルはようやく涼しくなって寝心地が良くなったので、ちょっと寝坊をしたのであろう。
 と、これ以上つっこまれないようにディレルはあわてて話題を変える。

「ところでみぎてくん、その手に持っている雑誌って…たしか『バビロン・デートウォーク』だよね。コンビニとかでよく売っている…」
「あ、後でその話、俺さましようと思ってたんだ」

 みぎてが手に持っているのは、いわずとしれた昨夜の雑誌である。コンビニや学校の売店でもよく売っている雑誌なので、ディレルだって知っているのは当たり前だろう。
 みぎては大きな手でディレルに雑誌を手渡すと、彼は器用にも歩きながらぱらぱらとめくって特集記事を読み始めた。

「あー、これですね二人のねらいは。『プレミアムショッピングゾーン』…先月オープンしたばかりでしょ?」
「もう昨日の夜からみぎてが行きたがっててさ」
「あっ!ひでぇっ!コージだってノリノリだったじゃねぇか!」
「あははは」

 みぎてが口をとがらせてコージに抗議すると、ディレルは大笑いである。

「でも僕も興味はあるんですよね。ほら、家具の『ニケーア』が入ってるじゃないですか。」
「あー、あのシンプルな家具のお店だろ?」
「俺さまも知ってる。ディレル好きそうだよなああいうデザイン」

 『ニケーア』というのは、シンプルなデザインで有名な家具の量販店である。ニスだけを塗った木製の机とか、直線無機的なデザインのいすとか、アルミ削り出しのパソコンラックとか、都会的でおしゃれなデザインが最近人気だった。イックス、バギリアスポリスについで第3号店としてここバビロンに進出してきたというわけである。コージたちの狭くて古い下宿(六畳で魔神と同居だからどうしようもなく狭い)ではあまり関係ない話だが、ディレルの家なら悪くはない。もっともこのトリトンの自宅というのは自営業、それも昔ながらの下町の銭湯なので、現代風都会的デザインの家具が似合うかどうかについては、大いに疑問があるのだが…

「みぎてくんのねらいはこれですね。フードコート…」
「ギクッ!」
「当然ばれるよな」

 ディレルは「買い物の後はこれっ!レストラン・グルメガイド」という表題のページを指さして笑う。もちろんそのページにはプレミアムショッピングゾーンに入っているレストランとかが載っているわけだが、お金のかかるレストランではなく、やすくてたくさん食べれるフードコートが狙いというところまでズバリと当てているわけである。まあこの二人の経済事情は仲のよいディレルにはもろバレなので(学生だからディレルだってそんなにお金持ちではないし)、みんな考えることは同じということなのだろうが、それにしてもここまで鋭く当てられるとさすがにちょっと赤面してしまう。

 三人はげらげら笑いながら、研究室の前に到着した。いつもより少し遅めなのだが、それでも教授やほかの学生はまだ来ていないようである…が、さっさと鍵を開けて開店準備をしないと、わがままな連中から文句がでかねない。ここはいったん話を中断して、朝の準備を始めた方がいいだろう。
 というわけで、三人はさっさと研究室の鍵を開け、いつもの始業準備…空調やドラフトチャンバー(排気用の設備)のスイッチを入れたり、ポットでお茶をわかしたりというお約束作業を済ますことにしたのである。

*     *     *

 午前中のさまざまな雑用が終わって(雑用といっても研究なのだが)、お昼休み時間がやってきた。といっても研究室の場合授業が毎日あるわけではないし、実験スケジュールに合わせて各自が勝手に食事をするというのが実体である。幸い今日は教授も助教授も出張なので、講座の学生たちものんびりしたものである。ということで、コージたちも適当に都合をつけて、お昼休みをたっぷり取ることにする。

「ディレル、お昼どうする?」
「あ、コージ、いつでもいいですよ。ずるずるやってるといつまでも終わらないですし…」
「なるほどな。じゃああとちょっとしたら生協カフェ行こうぜ。みぎても腹空かせてるし…」

 お昼前になると誰だっておなかが減ってくるのは当たり前である。ましてやあれだけ立派な体格の炎の魔神であるから、毎日昼飯時には大騒ぎをするのは当たり前の話だろう。ディレルも当然そんなことは知っているので、笑いながらOKである。

「あはは、了解。あ、そうだ…」
「ん?」
「せっかくだし、さっきの雑誌持ってきてくださいよ。僕も見たいし…」
「え?『バビロン・デートウォーク』?」

 どうやらディレルも相当プレミアムショッピングゾーンの情報には興味があるのである。というかこれならコージが誘うまでもなく、三人で行ってみようという話になるのは間違いなさそうな気がする。もちろんコージははじめからその気なので、ディレルの希望を断る理由はない。

「OK、みぎてに言っとくよ。っていうか放っておいても持ってくると思うけどさ」
「あははは、でしょうね。行ってみたくて仕方がないのが丸わかりですから」

 というわけで、三人はお昼のランチを生協の喫茶店で食べながら、雑誌を広げてプレミアムショッピングゾーンの研究をすることにしたのである。

絵 武器鍛冶帽子

 生協の喫茶店というのは、バビロン大学生協食堂が経営している喫茶コーナーである。価格は生協であるから当然やすいのだが、でてくるランチは生協食堂のランチよりちょっと上品で味もなかなかいけている。もっとも喫茶店にもかかわらず、コーヒーとか紅茶の方はちょっと情けない味(コージの見解ではアイスコーヒーは絶対にどこかの市販品パックである)なので、喫茶店というのが正しい表現なのかどうかについては、いささか異論があるかもしれない。
 三人は早速隅の席を陣取り、ランチを注文する。四人掛けの席に三人なのだから、さほど狭いわけではないはずなのだが、そのうち一人が魔神族となるとなんだかものすごく座席が窮屈に見えてくる。実際みぎてはいつもいすからはみ出しそうな状態になっているので、たしかに狭いのかもしれない。
 ランチが来るまでの間に、早速三人は雑誌『バビロン・デートウォーク』を広げる。別に海外旅行の計画を立てるような話ではないのだが、それでもこういう情報誌を見ているだけでわくわくしてくるものなのである。

「すごいですねぇ。婦人ものばかりじゃなくて僕たち向けのファッションブランドも結構入ってますよ。」
「だろ?俺さまここなんて見てみたいんだよな」
「え?あ、ヒップホップファッション系の店ですね。みぎてくんなら似合いそう」
「っていうかコイツ、そういう服じゃないと着れないし…」

 百貨店とか大手スーパーなどを考えればわかることなのだが、大体ファッション系ショップというのはターゲットが女性、それもお金を持っているおばさんとなっているものなのである。もちろんコージたち若い人向けのファッションも、そういうショップに行けばあるのだが、こういうショッピングモールに堂々多数入店というのはありがたい。これはますます期待が高まるばかりである。

「えっと、アクセスはどうなんだろう…」
「車でゆくのが一番便利だと思うんだけど、ディレルの家の軽トラじゃ三人は乗れないよな」
「そうですねぇ。バスで行くしかないかもしれませんね」

 一応ディレルの家は自営業…風呂屋なので、営業用の軽トラを持っている。(コージたちの間では『銭湯潮の湯号』と呼ばれている。)が、軽トラでは当然運転席と助手席の二人しか乗車できない。そうでなくてもでっかい魔神がいるのだから、ワンボックスの車とかでないと無理という気もする。

「でもバスの本数は結構多そうですよ。バビロン外港行きですから、一〇分か一五分おきにあるみたいですし」
「中央バスターミナルに出ればいいか」
「混んでないか?俺さま満員バスはちょっときついんだよなぁ」
「そればかりはちょっとわからないですねぇ…休日の話だし」

 路線バスに乗る場合、当然ながら時間帯によっては大入り満員という場合がある。特に今回の目的地は今大人気のショッピングスポットと言うことを考えると、満員バスに揺られてゆくという可能性は十分に考えられる。コージやディレルだってつらいのは当然だが、みぎての場合体がでかい分だけ満員バスは居心地が悪いのである。これではショッピングゾーンを楽しむ前に、満員バスでへとへとにななりかねない。さらに悪いことに帰りも条件は同じなのである。
 が、こればかりは(車が使えない以上)どうすることもできない。まさか歩いてゆくわけにはいかないし(おそらく五時間くらいはかかる)、タクシーなんかを使おうものなら、それだけで予算全部を使ってもまだ足りないかもしれない。三人はいきなり最大の障壁にぶち当たった。

ところがそこでディレルが名案らしきものを思いついた。いや、正確に言えば名案ではない…大胆不敵としかいいようのない作戦である。

「…じゃあ今夜偵察に行ってみましょうよ」
「え?」
「今夜?いきなり?」

 コージもみぎてもこの大胆な意見にはさすがにびっくりである。朝に話題に上っただけで、いきなりその日に行ってみるという積極的な発言が、このおっとりした性格のトリトンから飛び出すとはまったく思っていなかったのである。
 実はディレルは紹介のときにもちょっと触れたが、外見どおりにとてもやさしくて面倒見がいい…悪く言えば押しが弱くてお人よしである。講座の連中(教授や準教授の先生も含む)のわがままやらなにやらを絶対断れない損な性格なのである。だから講座では「万年幹事」というありがたくない称号までもらう羽目になっている。体格は水中種族らしく意外とがっちりとしてたくましいし、決して顔も悪くないほうだと思うのだが、彼女がぜんぜん出来ないというのは、この押しの弱さが決定的に災いしているのだろう(と、コージは思っている)。
 ところがそんなディレルが、いきなり「今夜行ってみましょうよ」などと言い出すとは、さしものコージもまったく予想していなかったのである。もちろん隣のみぎてももともと丸い目をさらに丸くして驚いている。
 するとディレルは笑いながらそんな二人の疑問に答えた。

「あははは、そんなびっくりすること無いですよ。ほら、僕って幹事よくやるでしょ?」
「よく、じゃ無くていつもだな…」
「ま、そうなんですけどね。でも幹事って宴会とかやるときに、あらかじめ一度会場を下見に行くんですよ。っていうか、宴会やるところの料理を実際食べてみるのが一番確実だから…」
「ええっ!ディレルってそんなこといつもしていたのかよ?俺さま尊敬するっ!」
「…幹事の鏡だ…」

 ますますもってコージとみぎてはびっくりである。ここの講座の宴会とか講座旅行とかスポーツ大会とか、そういうめんどくさい行事を切り盛りしているディレルが、毎度ちゃんとあらかじめ下見に行ってたなんて、言われるまで(ある程度は想像していたとはいえ)ピンと来ていなかったのである。

「そんな大げさなもんじゃないですよ。おいしそうな店見つけたらちょっと行ってみて、食べてみていけそうなら宴会のときの候補にするってことですし…」
「うーん、それでも十分偉大だって思うけどさ…」
「あはは、まあともかく今夜は晩飯ついでにちょっと行ってみるのはどうかなって思ったんですよ。アクセスも確認できるし、それに…」

 ディレルはガイドのページをめくって、四角く囲まれた部分を指差した。

「営業時間見ると、普通のショップで夜九時、レストランとフードコート、スーパーは十一時、ゲームセンターと映画館なんて明け方の三時までやってますよ」
「…あ、そうか!」
「遅くても飯食えるんだ!それなら行く価値あるぜっ!」

 さすがは幹事慣れしているディレルである。「深く悩まず一度行ってみよう」ということなのである。大学を六時ちょっと前に出て七時過ぎに現地に着けば、ショップのほうはあまり余裕は無いだろうが、フードコートは充分間に合うことになる。雰囲気を見るだけなら問題ない。話がまとまった三人は、ちょうどやってきたランチを食べながら、今夜の計画「プレミアムショッピングゾーン」の話に花を咲かせたのは言うまでも無い。
 しかし…その気楽な偵察作戦が予想外の大騒動へと発展することなと、その時点では誰一人として想像すらできなかったのは当然のことだろう。

(2「あの店、みぎてくんサイズまでよく」へつづく)


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