見出し画像

炎の魔神みぎてくん健康診断 3.「人間界の食い物ってたいていうまいんだけど」

3.「人間界の食い物ってたいていうまいんだけど」

 さて、血圧測定、体重測定という順で、健康診断は意外なほどサクサクと進行する。実はコージたちのような二十代の場合、成人病の健康診断は含まれていない。そういうわけで、一部の検診(心電図とか)は省略となっている。ちなみにみぎての年齢は単純に数えると一二〇歳となるので、成人病検診が必要になるのだが、どうやら「魔神としておっさんかどうか」が重要らしくやっぱり省略である。

「みぎて、魔神の平均寿命ってお医者さん知ってるのか?」
「うーん、あるような無いようなものだしさぁ。でもさっき聞かれたぜ。成人病検診が必要な年齢ですか?って」
「大学のお金なんだから、せっかくだし受診したらよかったじゃん」
「俺さまこれ以上もうダメ。腹減って腹減って…」

 どうやらみぎてのような魔神族は「成人病検診」は自己申告のようである。まあ明らかにみぎての場合、成人病には全く縁がなさそう(というかそもそも法令の問題がなければ健康診断自体不要)だし、それ以前に朝飯抜きのこの状況でこれ以上の待ち時間はきつすぎる。さっさと終わって隣の喫茶店で朝飯にしたいというのは、炎の魔神でなくても共通の願いである。
 が…そこで一つだけやっかいな検診が残っていたのである。

「はい、フレイムベラリオスさん、コージさん、ディレルさん…胃の間接撮影です。はいこれ…」

 一番奥の部屋につれて行かれた三人は、コップに入った何か白い液体を渡される。手に持ってみるとずしりと重い。

「あ、バリウムですね…こんなのやらないといけないんだ…」
「うーん、噂に聞いてたけど、これまずそうだな」

 白い液体はコージたちも噂に聞くバリウム…沈降性硫酸バリウムを溶いた液体である。胃のレントゲンでは必ずと言っていいほど登場する難敵である。が、サイズとしてはぐい飲みよりは多少大きいものの、噂で聞いていたいほどの量ではない。

「みぎてくん、これは飲んでいいんですよ。っていうか飲まないとダメなんです」
「あー、俺さま何でもいいや。腹に入るものなら」

 みぎてはもう空腹のあまり、口にはいるものならなんでもOKという表情である。看護婦さんから受け取った紙コップを一気に飲み干した。

「…どうだ?」
「うーん、あんまりおいしくないぜ。我慢して飲めないほどのものじゃねけけどさ。それになんだか腹にずしっとくる…」
「そりゃおいしいものじゃないですよ、バリウムですし…」
「でも個人的にはもっと熱いやつがいいや。冷えてて俺さまあまり得意じゃねえ」
「…それはみぎてくんだけの話ですね…」
 
 いくら空腹の魔神と言っても、やはりバリウムは決しておいしいとは思えないものらしい。まあもっともこの白い液体は、みぎてだけでなくコージもディレルも飲まなければならないのである。笑っている場合ではない。
 二人は意を決してバリウムの紙コップを口に当てて一気に飲み干そうとした。が…これは結構きつい。とにかくどろっとしていえ非常に飲みづらい。のどにひっかかるような粘りと、それから口いっぱいに広がるバニラのような香り、さらに粉っぽい感覚が最低である。
 コージはみぎてを見習って一気に飲み干したのでなんとかなったものの、ディレルの方は半分も飲めない状態で休憩である。

「こ、これきついですよ。こんな粉っぽいものよく飲めましたね」
「ディレル、口にバリウムがついてる」
「えー、そんなこと言われても、まだ半分以上残ってるんですし…参ったなぁ」

 とは言っても、飲むだけで検査が終了するわけではない。これを飲み干してからようやく胃のレントゲンを撮影するのである。後の人がずらりと待っている以上、大急ぎで飲むしかない。
 ディレルは泣きそうな表情になりながら、無理矢理バリウムを飲み込んで青息吐息といった表情である。が…
 問題はここからだった。

「はい、今度はこの顆粒飲んで。発泡剤です。飲んだらゲップは絶対しないでくださいね」
「え?なにこれ…」
「発泡剤って…」

 どうやら胃の中にバリウムを飲み込んだ後、発泡剤で胃を膨らませてレントゲンを撮影するらしい。昔は発泡剤を使わなかったので、代わりにバリウムを今の何倍も飲む羽目になっていたのであるが、この発泡剤の登場であんなぐい飲み一杯分のバリウムで住むようになったのである。
 が、当然のことながら発泡剤は胃の中で泡を出す薬なので、ゲップをしたくなる。ところがゲップをしてしまうと、せっかくの胃が膨らんでいる状態がパーになってしまう。撮影が終わるまでなにがあってもゲップだけはしてはいけないというのは、そういう理由である。
 看護婦さんの説明を受けて、コージもディレルも渋々白い顆粒を口に含んだ。味の方は駄菓子屋で売っている粉末サイダーそのものという、微妙な味である。口に残ったバリウムのバニラ臭と入り交じって何ともいえない奇妙な味になる。これならむしろ苦い方がましという気もするのだが、子供が飲むことを考えると仕方がないのかもしれない。
 小さなコップに入った水を手にとって、コージは一気に粉末を飲み込んだ。胃の中でなんだかじゅわじゅわした感覚が広がり、たちまちのうちにはちきれそうな気分になる。これでゲップをするなと言うのはかなりきついのだが、レントゲンが終わるまでは仕方がない。
 ところが…三人のうちみぎてだけは、この発泡剤で困った事態が発生したのである。

 魔神は言われるままに発泡剤を口に含むと、これまた冷水を(炎の魔神であるから、冷水はかなりきついのだが)口に入れた。が、そのとき…
 突然魔神の口がぱんぱんに膨れ上がる。もちろん口に含んだばかりの水まで飛び出してしまう。

「ぶはっ!げふっ!」
「大丈夫か?みぎてっ!」
「どうしたんですか?」

 びっくりした二人はあわてて魔神を介抱する。もしかすると炎の魔神にとってバリウムは体に合わないとか、そういう問題がでたのかもしれないと思ったのである。もしそうだとしたら結構あぶない話である(アレルギーみたいなものだとすれば大変なことになりかねない)。
 ところが…悲惨な顔をしてみぎては二人に答えた。

「この粉薬、口の中ですげえ泡吹いた!」
「ええっ?なぜ」
「口の中じゃそんなに泡でないですよ普通は!」

二人は意外なみぎての答えに顔を見合わせる。たしかに発泡剤は口の中でも多少しゅわっとした感じがするが、悲鳴を上げるほどではない。というか、さっきのみぎての口の膨れ上がり方は、明らかに普通ではない。まるで口の中で発泡剤が泡を出しまくったかのような、そんな悲惨な状態である。
 と、そのときディレルはあることに気がついた。

「みぎてくんの唾液ってもしかして…」
「えっ?まさか…」

ディレルは近くでびっくりしている看護婦さんに、発泡剤をもう一袋くれるように頼んだ。むろん発泡剤を飲めないとレントゲンがとれないのだから、看護婦さんとしても文句を言うわけはない。ディレルはもらった発泡剤の封を切ると、みぎての手のひらに少しのせる。

「みぎてくん、これに唾を落としてみてくれますか?」
「あ、ああいいぜ。ぺっ…」

 魔神が唾液を発泡剤の粉末の上に垂らすと、驚いたことに発泡剤は激しく泡を出す。比較としてディレルが自分の唾液を落としてみるが、ほとんどと言っていいほど泡などでる様子はない。

「みぎてくんの唾液って、僕たちの唾液とpHが違うんですよ…たぶん酸性じゃないですか?」
「あー、それはありえる。そりゃ魔神と人間族とトリトン族でいろいろ細かいところ、違っていてもおかしくないからな…」
「まじ俺さまびっくりしたぜ!サイダー飲んだときだってこんなひどくなかったし…」

 頭をかきながら答えるみぎてに、コージもディレルも笑うしかない。まあともかくみぎての場合、ちょっと発泡剤を飲むことは難しいようである。こればかりは種族の違いだからどうしようもない。とはいうものの、レントゲン撮影は発泡剤を飲まないと出来ないと言うのも事実である。バリウムだけ飲まされて、レントゲン撮影が出来ないと言うのは、あまりにあまりとしかいいようがない。

「まあきっとほかにもそういう種族の人いるんじゃないですか?みぎてくん用の発泡剤とかあるかもしれないし…」
「そうだな、とにかく看護婦さんに言ってみよう」

 ということで、三人はさっきの看護婦さんに事情を説明して、代わりの方法を指示してくれるよう頼むことにした。
 ところがその答えはコージやディレルの予想を超えた、最悪のものだったのである。それは…

「ええっ!バリウムだけを一リットル飲むんですか?!」
「げげげっ!マジかよっ!」
「大昔のレントゲンと一緒だよな、それって…」

 さっきのまずいまずいバリウムだけで、胃を膨らませるほど飲む…もちろんあんなどろどろの高濃度じゃなくてもいいのかもしれないが、とにかくどうしようもないほどまずいことは同じである。
 看護婦さんが用意したでかいコップいっぱいのバリウムを目の間にしたみぎては、そばのベンチにへたりこんでため息をついた。

「人間界の食い物ってたいていうまいんだけど、俺さまバリウムだけは嫌いだぜ」
「…バリウム好きな人はいませんよ。たぶん…」
「うーん、それって慰めになってないって。それにバリウムは食べ物じゃないし…」

 あまりに情けない魔神の表情に、コージもディレルも今日ばかりは慰めるしかなかったのである。

絵 武器鍛冶帽子

*     *     *

 というわけで、三人の健康診断が終わったのはもう昼前もいいところ、今からご飯となると朝飯というより昼飯にした方がいいという時刻だった。
 とはいえコージにせよディレルにせよ、おなかにバリウムが入った状態では、なんだか飯を食う元気がないのが本音である。ましてやバリウムを一リットルも飲まされたみぎてに至っては、胃の中が重いらしく、さっきまでの「腹減った」連呼状態が嘘のような状態である。
 結局三人は当初の予定通り、健康診断会場の隣のコーヒーショップで熱いコーヒーとサンドイッチという、普段では考えられないほどの軽い昼食を取ることにしたのである。

「うう、俺さまこんな情けないのはじめて。これが胃が重いってやつなのかなぁ」

 みぎてはみぞおちあたりをさすりながら、コーヒーに手もつけづ、うめき声を上げた。生まれてこの方病気らしい病気を経験したことがないこの炎の魔神である。胃の中にバリウムが一リットル以上もあるという珍事で、初めての「胃が重い」体験をしているというわけだった。
 とはいえ胃が重いのはコージやディレルだって同じである。今回はお互い傷をなめあって気を紛らすしかない。

「でも予想外のところでしたねぇ、みぎてくんの健康診断トラブル…」
「うーん、たしかに。下手すると受付段階から騒ぎになるんじゃないかと思っていたし…」

 ディレルの感想にコージは苦笑してうなずく。たしかに最初予想していたよりは、トラブルは大したこと無かったといえないこともない。看護婦さんがびっくり仰天してしまうとか、体重計が変な値を示して壊れてしまうとか、そのレベルのトラブルが十分あり得ると思っていたのである。それから考えれば、今回のバリウム事件程度は、ちょっとした笑えるネタといえないこともない。
 もっとも当のみぎてにとっては、バリウム一リットルの衝撃は笑い事ではないようである。

「えー、俺さまこれでもう十分。胃のレントゲンって当分勘弁…」
「まあ無理もないですねぇ…これだったら胃カメラのほうが楽かもしれないですよ」
「そうかもなぁ…最近の胃カメラは良いって言うし。」

 バリウムを一リットル飲むことに比べれば、確かに最新の胃カメラならば意外と楽かもしれない。もっとも胃カメラの場合、部分麻酔をしなければならないので、コージやディレルならともかく、炎の魔神の場合難しいかもしれないが…

「っていうかさ、俺さま絶対健康診断で体調悪くなるぜ。昼飯食えない俺さま、今までの魔神人生で初めてだぜ」
「うーん、それはすごく説得力がある」
「みぎてくんが目の前のサンドイッチに手を出さないって言うのは、なんだかそれだけでショックですよね確かに…」

 実際のところみぎてだけでなく、コージやディレルだってほとんどサンドイッチに手をつけていない。それだけやはりバリウムショックはでかいのである。

「まあでも、バリウム飲んで飯が減るなら、その方がやせるぞ、みぎて」
「えええっ!そんな痩せ方絶対俺さま勘弁!うまいものがうまく食えないってすっげー最悪じゃねぇか」
「あははは、やっぱりみぎてくんは元気よくご飯を食べている方が、僕も似合うと思いますよ」

 ディレルがそういって笑うと、コージも笑いながらうなずいた。やはり無理にやせて元気がない姿よりも、うまいものを幸せそうに食べている姿の方が、この炎の魔神には似合っている。

「まあ明日になればバリウムもでちゃいますから、そしたらなにかおいしいもの食べに行きましょうよ。お好み焼きとか」
「あ、俺さまいくぜ。今日食べれなかった分絶対取り返す!」

 目を輝かせて「食うぞ宣言」する炎の魔神に、コージもディレルも腹を抱えて笑ったのである。

(炎の魔神みぎてくん健康診断 了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?