生産者の声(2024.04.28〜05.04)

私が小学生の頃、生まれ育った村は廃村になるのではと言われていたらしい。
自然豊かな農村ではあったが特にこれといった特産品もなく、日本で何番目かに人口の少ない県庁所在地へ出る為にも車で2時間かかる様な場所にあり、それも仕方がないのだろうと子供ながらに思っていた。
両親や祖父母は米農家を営む一方で独特の丸みが帯びた模様の木彫りを副業として制作していた。姿見鏡だったり、額縁などである。
村の他の家庭は本業に多少の違いはあれど、やはり同様の模様を配した置物や、織物を作って販売することで家計の足しにしていた。
村に一つの小・中学校の図工、美術の時間には私たちもその模様の木彫りや刺繍の技術を学び、家庭でも夕食後や休日に親を手伝うのが当たり前であった。
その模様は象形文字と呼ばれるもので持ち主の幸運を祈る意味が込められている、と習った。
子供であった自分からしても売れている実感は無かったが、どうせ暇だし、勉強しなくても手伝っていれば親も喜ぶので積極的に手伝って過ごした。
そんな生活に変化が訪れたのは私が中学生になった頃だった。
SNSで活躍するインフルエンサーが私の両親が作った姿見鏡を紹介したのがきっかけで徐々に村の工芸品が売れる様になった。
象形文字は文字としてでなく模様と捉えられ、エスニックな雰囲気がありながら国産のしっかりした作りが洒落ていると好評であり、また彼女が「この模様には持ち主の幸運を祈るという意味があるらしい、私もこれを買ってからお仕事が本当に順調です」という様な投稿をし、ラグなどを購入してくれる様になったことで在庫は一気に出払い、生産が追いつかないくらいになっていた。
ネットショップに殺到する注文に対応する為に高校進学をする予定だった友人の何人かは中卒で家業を継いだ。
この頃には幸運を祈る象形文字の他に、幸運をもたらすとされる象形文字の工芸品も制作され、こちらも人気を博していた。
私は自転車で40分以上かかる高校に残りの友人たちと進学したが、将来的には伝統工芸を継承するのだとぼんやりと思っていた。
この頃になると大半の家庭は農家を辞め、工芸を専業とする様になっていた。
遠方からスーパーの移動販売を誘致し、食料を手に入れるようになった。
村全体が豊かになり、外からも人が移り住み、雇われる様になる頃には私も高校を卒業し、家業の手伝いをすると共に、食料や日用品の移動販売を行なっていたスーパーで自分の村への配達を担当するアルバイトを掛け持ちする事にした。
いずれ必要になるだろうと卒業旅行を兼ねた運転免許合宿で取得した免許を使う場が欲しかった事と、村全体の役にも立つだろうという思いつきに親や村の人たちは喜んで賛成してくれた。
わざわざ集まらなくても友人たちの家を訪ねることで顔を合わせて言葉を交わせるという魅力もあり、私はこちらを本業にして村全体をサポートしてもいいかも知れないと思いながら徐々にシフトを増やして働いていた。
あと少しで20歳、という冬にスーパーのバックヤードで同僚から物流トラックの事故が県内を中心に全国的に広がっているという話を聞いた。
気味が悪いよね、と言われて見せられた新聞の事故発生の分部図の中心は、県というよりも私たちの村の様に見えた。
誰もそれには気付いてなかったが、私はなんとも言えない気持ち悪さを感じ、親にも聞かせてやろうと思って、その新聞を貰って帰った。
夕食後にその新聞を広げて「これ気持ち悪い話だと思わない?」と笑って話したところ、父は事もなさげに「ありゃ、呪いが漏れ出てるなぁ、梱包の封印が甘い家があるんじゃないか」と言い放ち、母はそれに対し「今度町内会で言っとかないとね、手間を渋ってお札を貼らずに発送する家があるのかも知れないわ」と言った。
困惑する私に両親は「本当は20歳になったら話すという決まりなんだけれど」と前置きし、村の工芸品についての真実を聞かせた。
象形文字はこの村にしか存在しない独自のものであり、そして幸運を招く並びの呪文もあれば不幸を引き寄せる呪文もあるという事。
インフルエンサーが購入したとされた姿見鏡は村が金銭を支払い、宣伝してもらう所謂「案件」だった事と、その鏡には幸運を招く呪文が彫られており、彼女はその呪いにより大きな成功を納め、他の商品を購入してくれたので全て幸運を招く呪文が彫られている品を贈ったらしい。
一方で幸運だけでは商売として片輪である、ということで象形文字を組み換え、不幸を招く文字列を施した品々も同じ数だけ売り始めた。
この二種類のロシアンルーレットの様な状態の商品を「持ち主の幸運を祈る工芸品」として売り、後に引き寄せてしまった呪いを遠ざける商品として「持ち主に幸運を引き寄せる工芸品」として売っている、と告げられた。
つまり、当たりである幸運を招く商品を手に入れた人は程度に差はあれど幸せになり、不幸を引き寄せる呪文が彫られた商品を手に入れた人は不幸を引き寄せてしまう。
そしてそれは幸運を引き寄せる商品でそれを中和することで始めて「普通」の状態が保てるという状態に陥ってしまうという事だった。
「折角幸運になったのに欲を出して『幸運を引き寄せる』ものを買い足した為に引き寄せた幸運を打ち消してしまってる人もいるだろうな、欲張りはいかんよなぁ」と笑う父が不気味さに鳥肌が立った。
これまでその呪いが運搬中に漏れ出ない様に梱包の最後にその呪いを封じる呪文を書いた札で封をしていたものの、作業の手間を簡略化する為にステッカーやガムテープで済ませる家が増えているらしく、それが運送業者の事故に関与しているのだろうというのは祖父の見立てだった。
工芸品を満載した状態で村の最寄りの配送センターを出発するトラックの荷台で呪いが漏れ出し、事故が多発しているという事だと知った私のショックは大きなものだった。
遠方に行くほどに載せる数は減る為、村から離れた地方に行くほどに事故は少なくなっていく。
自分の生まれ育った村で教わってきた伝統工芸の正体が呪いをもたらす象形文字で、誰かに幸運と、そして不幸を与えた上で中和させる呪いを売ることで自分たちは豊かな生活をしていたのだと思うと全てが悍ましいものに思えた。
私はそんな事は間違っている、今すぐ辞めるべきだ、公表すべきだと両親と祖父母に懇願した。
父は「気持ちは解るけどな、これしか村を立て直す方法は無かったんだ」と私の肩を抱きながら慰める様に言い、こう続けた。
「それに一度でも彫った人間にはな、呪い返しを受けたら全員で不幸を分散して連帯する呪いがもうかかってるんだよ。だからお前はもう、村と命を共有してしまっている。それでも公表出来るか?」
親や村の大人たちが、子供達が象形文字を彫るようになったのを喜んでいたのは伝承だけが理由ではなく、稼ぎ頭が増える事、それ以上に万が一呪いが返された際の連帯保証人が増えるという保険の意味合いが大きかったのだ。
私は自分や、村の人たちを犠牲にしてでも広がり続ける呪いを終わらせるべきなのか、ずっと決められないでいる。

この短編はこの日記から連想して書きました。
https://oka-p.hatenablog.com/entry/2024/05/05/184431

またー。

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