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6/24(月) 毒の名前

理由
理由がなければならない。
社会ではそう教えられる。しかも、本当の理由であってはならないのだ。
そこで人々の口から吐き出されるものは建前と呼ぶらしく、嘘とは異なるものらしい。

現代では裸で外を歩くことは悪であり、罪人として収監されることになる。
これは、本音を白日の下に晒してはならぬという事実をより物質的に置き換えた例である。
その代わり、人は自宅で裸になる。生まれ持ってきたもの、生きる中で培ってきたものを誰にも見られずに、自分自身でたしかめる。
全く同じからだはない。からだに、良い悪いはない(これは本音でもあるし建前でもある)。人は必ず悩むし、他人を妬むし、自分自身をいじめたがるものだが、
最後には、最後だけでもいいから、
自分で自分のからだを好きになれたら、どんなに素晴らしいだろう。

空や海や地面にさえ喜怒哀楽があるように、人の心を平静に保つなど、とても無理だ。
恥ずかしげもなく全力で笑い、心底人を憎み、深く許し合いたい。
そして誰よりも大きな声で叫びたい。何故、何のため、という理由や目的などない。寧ろその理由や目的とやらを言葉なき言葉で殴りつけるために叫ぶのだ。形なき形をはっきりと捉えるために叫ぶのだ。語り尽くされた知識を根っから否定するために叫ぶのだ。理由がないとは、目的がないとはつまり、千変万化する思いの奔流を私は一切阻まないという高らかな宣言である。

もしかすると最初から足元に転がっているかもしれない大切な落とし物を、私たちは一生をかけて、
探し続けなければならない気がする。

『生きることへの絶望なしに、生きることへの愛はない』
                      ――アルベール・カミュ





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