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ふてくされる、という言葉が書き替えられた日。

家族写真を撮ります。

と仕事にしてから半年ほどたって
初めて「日常写真」のご依頼を受けた。

写真を撮るのが好きで仕事にしたのだけど
家族写真の撮影は
ダイレクトに自分の心のありようが問われるということに
この仕事を始めてから気づく・・・

例えば「みんなこっちむいて~」とお願いするのが苦手だ
だって、不自然じゃん。って思う
知らない人に向かってうまく笑えないし
私自身撮られたくなかった・・・
なんか嫌だなぁ、気分じゃないなぁ
ってときもあるだろうし・・・
とかついちまちま考えてしまう。

それをカバーしていくのがプロの仕事。
私のメンタリティでできるのか・・・。

ご依頼のあった方に向き合うたび
自分の内面に深く向き合って言う作業が必要になる


その日の家族は5人家族。
3人兄弟。上のお兄ちゃんは10歳
少しずつ大人の階段をのぼりはじめ
社会に対しての反抗心や恥ずかしさなど
様々な複雑な感情が芽生えるお年頃・・・

それぞれのワンシーンはまだしも
みんなの気が一斉にむくなんて難しい・・・汗

それでも室内撮影はなんとか最後家族の団らんの様子を撮り
屋外でのいつもの風景を撮りに。


ちょっと遅れて外に出ると


ケンカが始まってた( ´艸`)



下の子が、怒って泣いている。
どうやらお兄ちゃんに原因があるようだ

だまって経過を観察する

下の子はフラットな場所になかなか戻れず泣き続ける
それを黙ってみているお兄ちゃん
平気なようにも見えるけど
気まずいよなぁ
自分だって悪くないとか
こうしたかったとか
でも悪かったな
とか、きっといろんな感情が渦巻いていて
複雑だろうなぁ
と勝手に想像してみて、きゅーとなる。

その後下の弟君は泣いてスッキリしたのか
復活して笑顔が多くみられた。
そう自分の素直な気持ちを表出できると
復活は早かったりする。泣くって大事。

おにいちゃんは・・・
野球をしててもどことなく曇り空
自分がそうおもっちゃうだけ?
でも敏感に感じてしまう・・・

最後にもう1回集合写真を撮ることに
でも、おにいちゃんはどうしても笑わなかった


ここのご家族が素敵だなぁと思ったのは
無理におにいちゃんを笑わせようとしていなかったこと
声をかけたり、ちょっと笑わせようとしてみたり
そういうのはあっても
そこに無理強いが全くない
気にかけているけど
この今日の今の状態を受け入れているなという印象で

それが

とても

とても

あたたかかった。

じんわり素敵な姿をいっぱい見せてもらって帰路に
JRの中で思ったこと

おにいちゃんの状態って
「ふてくされている状態」
という風に自分にはうつっていた

自分もよく、いろんな場面で
いろんな感情抱えて
複雑な心境のまま写真を撮られたりして
親から「不貞腐れた顔して!」
なんて怒られることもあったな。

でも、この不貞腐れている状態って
自分の本音がわからないけど
でも自分の本音に何とか応えたくて
どうしていいかわからないけど
自分の気持ちに応えるために
「笑わない」
という答えを選択しているんだな
って思ったの

それって、
自分が自分に対する誠意だよなって

そう思ったら
不貞腐れている
という私の中にあったネガティブなワードが

「自分の気持ちに精一杯応えようとしている姿」


に書き換えられ

彼を通じて、小学校の頃の自分もまるっと受け入れられたのだ

ぼそっと

「あの時笑わないでいてくれて、ありがとう」

って呟く

つーーっと涙が流れる

あの頃の私の想いが浄化、昇華された瞬間だった。

そして、それを見せてくれた彼に心の底からの感謝があふれてきた。


家族の温かなワンシーンを残したい
なんてかっこいいこといってるけど
その家族の姿に一番癒されているのは
私なのかもしれない
その多くのギフトに感謝しかない1日だった。

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