ユーザーの行動に介入せず援助に徹しよう
経営とデザインを両方考えていると、ビジネスゴールの達成を重視するあまり「介入」を行ってしまうときがあると思いました。
「介入」とはどういうことでしょうか。簡単にいうと、ユーザーの行動を制限し、運営者の思い通りに動かそうとすること、です。
そうしたマインドには、ユーザーに対する「信頼」「尊重」を忘れてしまっている場合が多いです。自分自身にも危惧はあって、最近こんなツイートをしました。
少し前まで、サービスの文化をデザインするような場面で、私はユーザーを「教育する」「リテラシーをあげる」などというニュアンスの言葉を使っていました。でも、それって違和感があるなと思ったんです。
深く考えていくと、この考え方は教育でいう「ティーチング」に近い考え方だと思いました。「わからないから、教える」という考え方です。そこに、ユーザーの主体性はないのが違和感の要因だと思いました。
サービスデザインにおける学びも、当然主体性があるべきであり、私たち開発者は「教える」ではなく「進んで学べるように援助する」というのが正しい態度だなと思ったのです。
この記事は無料で読めますが、もしお役に立てたら100円の応援をお願いします🙂応援すると、①記事を書くモチベーションになります ②記事が更新された際に通知が届きます ③追記が読めます(この記事への反応およびそれに対するレスポンス、この記事でインスピレーションを受けた思想について)
アドラーがいう課題の分離
「嫌われる勇気」を読んでいると、他者との関わりについてこんな一文が出てきます。
(私たちは)水辺に馬を連れて行くことはできるが、水をのませることはできない。
対人関係において、環境を用意することはできるが、行動するかどうかはその人の内的な動機による、ということが示されています。
サービスのインターフェイスも、そのユーザーにとっての内的な動機を援助するものでなければなりません。
その点で「ティーチング」よりも「コーチング」的な向き合い方が正しいと考えるようになりました。
結果、「ユーザーを教育する」「リテラシーをあげる」みたいな他人を変えられるかのような言葉遣いに違和感を持つようになったんだなと思います。
モードレス・インターフェイスの思想も同じ
デザインにおいて望ましいモードがないインターフェイスの思想も、ユーザーに主導権を与えることに重きを置いています。
モードが無いということは、ユーザーが好きな時に好きな順序でシステムを操作できるということです。モードはユーザーの行動を制限し、ひとつの作業を決められたやり方で終えるまでユーザーを拘束します。人は自分を取り巻く環境をコントロールしたいという欲求を持っており、それが叶わない時にストレスを感じます。モーダルなユーザーインターフェースは多くの場合ユーザーにストレスを与えます。逆にモードレスなユーザーインターフェースは、ユーザーにシステム利用の主導権を与えます。(ソシオメディア「モードレス・ユーザーインターフェース」より引用)
iOSの学習プロセスにも介入は存在しない
『融けるデザイン』ではiPhoneのデザインの自己帰属感があの気持ちよさを生んでいるとしています。
学習においても「自分が主体的に操作していく過程で自然と学びが進んでいる」というデザインを目指すべきだと思うのです。
iOSのロック解除ボタンは、いかにもボタンが動きそうな溝があり、文字がボタンをスライドする方向に流れ、ボタンを動かすことをかなり示唆するデザインになっていますが、それでも、タッチパネル上でタッチ以外の操作をしたことのない人にとって、それは予測外のことだったのです。
しかし、しばらくタッチしているうちにちょっと指が滑ってわずかにボタンが横に動くことに気づく人がいました。それで気づかなくても、一度どうやればいいかを見せれば、その後は、操作の仕方を忘れてしまうということはありません。
「見ただけで使える」のではなく、「触ってみることで使えるようになる」。非常に短期間で強力な学習。
iOSの使いやすさの理由は、この優れた学習効果にあります。(UIデザインにおける「ユーザーの学習」を考える)より
「介入」ではなく「援助」を目指す
以上のことから、内的な動機を拡張するツールとして、援助をしていくデザインを目指すべきだと考えるようになりました。
文章にすると当たり前ですが、こんな設計は介入的だと思います。
・ユーザーの動機がないところで、むやみに運営者のさせたい行動を促したり、情報を出したりする
・ユーザーの行動を制限する設計を多用する(モーダル・ウィンドウなどに代表されるモーダルデザイン)
これらの介入的なパターンをどれだけ生み出さず、ユーザーの主体性に委ねられるかが、デザイナーとしての実力が見えるところだなと思いました。
サービスデザインは開発者の人格が出ると思うので、自分自身の考え方やユーザーとの向き合い方を大事にしながら、設計に取り組んでいこうと思います。
関連記事
ラーニングピラミッドは学習における主体性の重要性を理解する上でわかりやすい理論だと思います。受動的な座学は定着率が5%くらいですが、議論や練習、人に教えることなど主体性が上がるにつれて定着率が100%に近づくという考え方です。
ノーベル経済学賞を受賞したナッジ理論とかもユーザーの主体性を後押しする上で有効に使えるかもしれません。人を説得するのではなく、つついたり無意識に誘導するようなデザインの参考になります。
押し付けではなく、行為者に主体性を持たせた方がいいというのは心理学では心理的リアクタンスというみたいですね。
この記事も近しい内容だと思いました。消極性デザイン宣言読んでみようかな。
記事への反応とレスポンス
介入をなくすのは難しいのでは?
この記事がお役に立てたら100円の応援をお願いします🙂応援すると、①記事を書くモチベーションになります ②記事が更新された際に通知が届きます ③追記が読めます(この記事への反応およびそれに対するレスポンス、この記事でインスピレーションを受けた思想について)
介入はゼロにはできないと思うので、できるだけその数や介入度合い(ユーザーの行動を中断させたりすること)を減らそう、というのが大事かなーと思っています。
私がデザインしているサービスでも、介入的なデザインは程度問題ですが、ゼロではないです。
むしろ目的達成に当たって、そういうのが消せなくて気持ち悪いなーと思ってこの記事を書いています。これはつまるところ設計力不足だな、と。
デザイナーやディレクターのみなさまの工夫なども聞いてみたいので、思いつくことがあれば教えてください🙂
無意識にインスピレーションを受けていた思想
アドラー心理学をベースにした哲学者岸見一郎さんは子供に対して介入ではなく、援助を意識しようという内容のnoteを書かれていました。5年以上前に岸見さんがnoteやられていたなんて!
私は嫌われる勇気をはじめとした岸見一郎さんの本は何度も繰り返し読んでいるので、デザインの思想としても無意識に影響を受けていたんだなと思いました。
この記事に共感してくださった方は、上記のnoteも読んでみてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?