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101回目のプロデュース~「毒」を添えて~

タイトルをつける際にまず考えることは、「いかに刺激的にできるか」です。当然、ルール無用のインターネットの世界では、注目されることに価値があります。しかしながら、ことはそう単純ではありません。そのタイトルに見合う内容になっているか? この視点がとても大切だと感じています。タイトルは当然注目を浴びることを目的として作ることが大切なのですが、一方でそこに続く内容を捉えたものでなければ「見かけ倒し」になってしまう。この「見かけ倒し」の文章がどれほど多いことかと説教できるほど、私は実績がないのでやはり書くしかないのでしょう。

101回目のプロデュースとタイトルをつけたのですからそこには、意図があります。簡潔に述べてしまえば、100回投稿してきたので101回目のプロデュースです。私が文章を書くことは、世界の人々に見つけてもらうためのプロデュースだと捉えています。当然私でなくても書ける文章は、私が書いた、あるいは書いていく文章の中で存在すると思いますが、私が今まで見て聞いて感じてきたことを書いて、発信したいようです。

そして今回の「プロデュース」にはもう一つ意図があります。仕切り直しです。幾度となく自分の活動を見直してきましたが、様々な要因から(主に私の怠惰から)最近はうまく活動できてないようです。そこで一回仕切り直してみましょう。道を走るトラックに向かって体を投げ出す、このプロポーズの手法は嫌いではないんですよね。まさにタイトルが注目を集めようとしているのに本質的に近いところを感じています。そんな刺激的な文章になることを目指して。

「毒」がない

うまく活動できていないと表現したのですが、その中には、「生産量が落ちてしまっている」、「質が落ちてしまっている」など様々な視点があります。その中でも深刻なのが「毒」がないことです。

「毒」は文章において必要不可欠だと感じています。

「休日は、食べて、セックスして、寝た。」

ハッキリ言ってしまえば、こういった文章にあまり「毒」のような価値などないのです。(セックスしてというところには、今の社会においては大っぴらに言うことが避けられてる節があるので、価値がありそうですが。また、書き方によっては価値が生じてくるのですが。)では、「毒」のある文章とはなんでしょうか? 例えば、こんな感じではないか。

「不倫は文化だ」 byスポーツ紙

石田純一が言ったと「される」この言葉は、「毒」を持っていると考える。今現状ある世界に対して、というより人間が作り上げてきた社会に対して、「波紋」を広げるのだ。

不倫は文化だとスポーツ紙が当時表現した意図はくみきれないが、そこにはとてつもない「破壊力」がある。言葉の「毒」つまり、今ある社会では受け入れらないような価値観は、それを編み出すことによって、今ある世界に対して疑問を投げかけることができます。

当時のスポーツ紙は、基本的には「石田純一」を叩くつもりでこの言葉を投げかけたでしょうが、この言葉をかみしめてみると様々なパラレルワールドを想定することができます。不倫が許される社会。一夫多妻、あるいは、多夫一妻、多夫多妻。確かに今の社会は不倫をよしとしていませんが、それは社会のシステムにとらわれた考え方ではないのか? 生物としてのヒトを考えたときに、様々なヒトと付き合うことがそんなに悪となるのだろうか? もっと言えば、別に複数人と交際していてもいいのではないか? そんな疑問を抱くことができるのが、この言葉の「毒」の力です。

実はここに言葉の「毒」の価値があると感じています。今ある世界を拡張し、新たな可能性を提示する。そんな力を「毒」は持っているのです。こういった意味、あるは普段「毒」を持たない抑圧的な社会によって有吉弘行やマツコ・デラックスに人気がでる構造があるのでしょう。

ここまで、「毒」について書いてみると、案外この文章に「毒」があるように感じてきます。では、その「毒」はどこから引き出せばいいのでしょうか?

「毒」の引き出し方

ポイントは二つあると思っています。一つは考え続ける、あるいは書き続けること。もう一つは、現状に対して不満を持ち続けること。

一つ目は、この文章を書いていく体験に基づきます。実は「毒」以外のトピックとして、小説は週2本だそうとしていること、有料noteをはじめることを書こうと思ったのですが、「毒」に関する言及を続けるうちにそれの掘り下げに価値を感じ、突っ走ることになりました。

これが書く力なんだと思います。前のテキストを発展させる形で新たな文章を紡いでいく。この発展性を「毒」を持って行うことができればよいのでしょう。そのためには、しっかりと執筆時間をとらなければならないようです。テーマを持って考えながら書く。これの継続なのでしょう。

もう一つは、現状に対して不満を持つことです。案外ぬるま湯につかっているとそこが気持ちよく感じるようです。しかしながら、私はそれが性に合わないようです。であれば、常に何かを求めて現状に対して不満を持つことが大切だと思います。それによって新たな世界を描くキッカケになるのでしょう。

文章を書いている時が一番楽しい

この一言に集約されるのですが、この言葉の後ろには色々な思いがあるようです。考えるのが好き、考えが発展している時が好き、文章によって人とつながれる時が好き、文章を通じて人を描くのが好き、文章を通じて世界の真実を描くのが好き。

自由に言葉は広がっていきます。意味があるように言葉を紡ぐことも、意味なく言葉を羅列することもできます。意味のあるように言葉を紡いだつもりでも、実は意味がなかったり、意味のないように言葉を羅列したつもりでも、そこに意味が生じてしまったりしてしまうこともあります。

この世界に触れていることが好きなようです。101回目のプロデュースとしては、こんな感じではないでしょうか。ほぼほぼ「毒」を盛るだけになってしまいましたが、それでいいのだと感じています。私はどちらかと言えば「毒」を持ちたい人間なので。

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