「慣れてきた頃が一番あぶない」のはなぜか
まえに、”無意識”について記事にしました。
人間の判断の90%以上が実は無意識によるもので、行動を変えるためには”無意識”変える必要があるとの内容です。
そして、人は無意識での「高速思考」と、意識的で複雑な「遅い思考」の二つの思考システムを組み合わせているという記事も書きました。
今回は、無意識による「高速思考」の落とし穴についてです。
高速で脳の負担も軽い「高速思考」ですが、良い点ばかりではありません。
実用上、大きな問題が発生する可能性があります。
問題点について理解を深めることで、意識的な思考と無意識の思考のそれぞれの重要性や、どのように運用していけば良いのかが分かるのではないかと思います。
高速思考とはなにか?
人間は、無意識で行われる「高速思考」と、意識的で複雑な「遅い思考」の二つの思考システムを組み合わせて意思決定をしています。
これは、行動経済学に関する研究でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの提唱した考えです。
それは優れたシステムではありますが、少し問題があります。
問題とは、人間はできる限り「高速思考」を使いたがってしまうことです。
なぜかいうと意識的な思考に比べると、無意識で行う「高速思考」の方が圧倒的に処理スピードが早くて脳の負担が少ないからです。
慣れてきた頃が一番あぶない
仕事でよく言われる言葉として、「慣れてきた頃が一番あぶない」というものがあります。
初めてやる仕事では、やり方が分からないため、いろいろなところに目を向けて慎重に作業を進めます。
しかし、ある程度仕事に慣れてくると「こんなものか」とつい仕事をルーティン化して処理しようとしてしまいます。
「高速思考」は自動処理のプログラムのようなものです。
プログラムは一瞬で答えを出すことができますが、設計条件をはずれてしまうと全く機能しないという弱点があります。
そのため、仕事をルーティン化して処理しようとすると、想定外の見落としがあった場合にそれに気づかずに大きなミスにつながってしまうのです。
☆ ☆ ☆
私は設計エンジニアとして働いていますが、若いころはよく上司に怒られました。
上司に図面をチェックしてもらうときに「この数値の根拠は?」など根拠についてよく聞かれます。
ただ前の図面の数値をコピーしただけだったり、根拠をちゃんと考えていないと、
「自分の頭でちゃんと考えろ!何も考えずに今までのやり方に従うだけなら誰でもできる!」
と、強く叱られたものです。
「自分の頭で考えること」とは、意識的な思考で時間をかけて取り組み、常に自分のアウトプットに対して疑いの目で見ることだと思います。
そして、意識的に設計をすることで、じつは「高速思考」の精度もどんどんよくなっていきます。
頭の中だけでシミュレーションして設計上の数値を見積もることを、私の会社ではコンピューターをもじって「勘ピューター」と呼んでいます。
熟練の設計者の勘ピューターはバカにできません。
あとで詳細計算をして確認するとほぼ数値が一致して驚いたりします。
「1万時間の法則」の落とし穴
意識的に取り組むことの重要性は、設計の仕事だけでなくあらゆる場面で同じことが言えます。
どのような分野でもスキルを磨いて一流になるためには、1万時間もの練習や学習が必要だという「1万時間の法則」と呼ばれる言葉があります。
しかし、ただやみくもに1万時間かければ誰でも一流になれるかというとそうではありません。
身につけたスキルだけで流すようになると、無意識な「高速思考」がメインとなり、そうなると技術の向上がほとんどありません。
一流になる人は、ルーティン化しようとする脳の働きに抵抗し、つねに意識的な思考で取り組むことができます。
思考停止とはどんな状態?
意識的な「遅い思考」をできるかぎり避けて「高速思考」を主に行っている状態を、思考停止と呼ぶのではないかと思います。
私の知人で、家庭が離婚危機に陥っているうえに借金もある状態なのに、借金を重ねてまで一日中パチンコをやっている人がいました。
合理的に考えれば、彼はすぐにでも自分の抱えている問題に向き合って解決していくべきなのですが、逃げるようにパチンコにのめりこんでいました。
「高速思考」で処理できるパチンコに没入することで、辛い現実と向き合うこと(=意識的な思考)の余地を無くしていたのかもしれませんね。
なぜ盲目的に信じてしまうのか?
思考停止のほかの事例としては、何かを盲目的に信じてしまうことが挙げられます。
盲目的に信じることは、外部から得た判断基準を、考えることなく自分に取り入れることだと考えます。
判断基準とは、自分の経験や知識に基づいた価値観や信念のことです。
しかし、外部からそのまま取り込んだ価値観や信念は「自分の」経験や知識に結びついていません。
数学でいうと、答えだけあって途中の計算過程がスッポリ抜け落ちているようなものです。
そのため、「本当にその答えは正しいの?」という問いかけに答えることができません。
また、判断基準のアップデートもできないのです。
何かに影響を受けて自分の判断基準が変わることはまったく悪いことではありません。
むしろ、他人の影響を受けていない人などいないでしょう。
大事なことは、盲目的にその言葉を信じるのではなく、自分の考え、経験や価値観と照らし合わせた上で時間をかけて取り込むことだと思います。
数学でいえば、答えを誰かに教えてもらったとしても確認計算をかならずやる、というところですね。
そうすれば、その判断基準は自分のものになります。
新たな知識や経験を得る中で少しずつアップデートされたり、別の価値観を取り込んだときに自分の中で化学反応を起こして全く新しい考えに結びつくかもしれません。