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悟るって何?フラクタル理論で自分と世界は同一になる その③

↓↓↓ 前回の記事はこちら ↓↓↓

さて、前回までの記事にて下記について説明しました
・歴史を学ぶことで自分自身を相対化し理解すること
 (自分と外の世界の明確化)
・自分自身を分解し、自分を構成する要素を理解すること
 (自分の中身の分解)
・世界は自分の心がどう認識するか次第で変わる

悟りの中でもっとも重要な万物のなかに自分を見、自分の中に万物を見ることの準備が整いました。それでは、その鍵となるフラクタル理論について説明します。

フラクタル理論とは

フラクタルとは、下記図のように、ある図形の中に近似の図形が一定の規則性をもって現れるような図形のことです。

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出典:ウィキペディア

三角形の中には3つの三角形が含まれていて、その3つの三角形の中にもそれぞれ3つの三角形が…という感じで続いていきます。つまり、この三角形のうちのどの三角形を取り出してみても、同じ形になっているということです。

このようなフラクタル構造は、自然界のあらゆる場所でみられます。
・シダの葉
・木の枝
・リアス式海岸線
・山の地形
・雲の形

そして、人間の体内にもフラクタル構造が見られます。
・肺
・血管構造
・蝶の内壁
・神経回路
そして、「宇宙の銀河ネットワーク」と「人間の脳細胞のつながり」にも近似性がみられるとの意見もあるようです。

このような自然界で見られるフラクタル構造は、偶然ではないでしょう。なぜなら、物質はすべて分子の結びつきで成り立っています。分子同士がフラクタルに結びついていると考えると、宇宙と人間の脳細胞が近似性をもつのも必然なのかもしれません。

関係性のフラクタル構造

それでは、物質ではなく人間に関係性についてみていきましょう。

前回の記事にて、人間は遺伝子をベースに考えると遺伝子の一時的な乗り物のようだと説明しました。

つまり、遺伝子は細胞に内包され、細胞がよりあつまり人間の部品、例えば指をつくります。そして、その指は5本集まって手となります。そして、手や足や頭などの部位が集合して人という個体となります。
遺伝子をベースにして考えた場合、私たちが一つの「個体」だと思っている体はすでに遺伝子の集合体だと考えることができます。

そして、その構造はおそらくフラクタルとなっているでしょう。なぜなら、細胞同士の結びつきはけして適当にむすばれているのではなく、すべて「遺伝子にとって利己的」という統一した規則によって結ばれているはずだからです。

そのように考えた場合、「個体」の集合体である「群」もフラクタル構造となっているでしょう。「群」とはつまり人間にとっての家族であったり、友人関係であったり、会社であったり、地域であったり、日本全体であったり、そして世界であったりします。

「群」は「個体」の集合体であり、その「個体」を構成する要素が統一した規則で結ばれている以上、「群」の中の「個体」同士の結びつきも同じ規則で結ばれるはずです。
そのように考えが至ったとき、自分と世界との境目はなくなり、すべての関係性はフラクタル構造中に内包されるように思われます。
そして、その境地こそが悟りのなかで最も重要な万物のなかに自分を見、自分の中に万物を見ることであると思います。

そして前回 唯識の思想を紹介しました。つまり、人の潜在意識をかえることで世界を自由に認識できるようになる、という考えです。
長い修行をへて万物のなかに自分を見、自分の中に万物を見ることを潜在意識からできるようになったとき、世界の見方は一変するかもしれません。

虚無的思想に陥らないために

しかし、ここまで理論的に「悟り」について考えてきましたが、理論だけで考えるとむなしい気持ちになり、世捨て人になってしまう危険性があります。

例えば、歴史を学んで自分との相対化で自分自身を理解すると説明しましたが、歴史を学んでいくと歴史上の英雄があっさり殺されてしまったり、栄華を極めていた国があっというまに他の国につぶされてしまったりします。
その光景を思い描いて、"今自分が一生懸命生きていてもなんになるんだろう”とむなしい気持ちになることがあるでしょう。

また、利己的遺伝子論について学んだとき、”遺伝子にコントロールされ、一時的な乗り物にすぎない人間に価値はあるのだろうか”と空虚な考えに陥るかもしれません。

つまり、万物のなかに自分を見、自分の中に万物を見ることだけでは悟りとしては不十分で不完全な状態にあるといえます。
では、どうすれば良いかという答えも、前々回紹介したバガヴァットギーターの詩節のなかに含まれています。

内なる神クリシュナに、「人生のどの瞬間においても神を認識できている人は、どのように見分けることができるのでしょうか?」と尋ねます。クリシュナ神はそれに対して、世界の聖典のなかですばらしさにおいて比類のない、18の詩節からなる崇高な言葉で答えます。

不動の知恵を確立している人は、万物のなかに自分を見、自分の中に万物を見る。愛の神(至高神)に向けられたその人の愛は、心をさいなむ利己的な欲望や、感覚器官の渇望をことごとく焼き尽くす。悲しみに心をかき乱すことも、快楽を切望することもなく、肉欲、恐れ、怒りからも解放されている。利己的な執着にとらわれることもなく、幸運に舞い上がることも、不運に絶望することもない。覚者とは、そのような人である。

出典:人間ガンディー 世界を変えた自己変革

その答えについて、次回以降説明していきたいと思います。

…続く。


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