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いつ始めてもいいし、途中で終わってもかまわない。

年を重ねても情熱を失わずに、60歳を過ぎてから世の中で才能を開花させる。そういう人のエピソードが好きです。

百里奚(ひゃくりけい)と、カーネル・サンダースのエピソードについて紹介します。

60歳で奴隷、90歳で宰相に!百里奚(ひゃくりけい)

百里奚(ひゃくりけい)は中国の春秋戦国時代の人です。

彼の人生はスタート時点から遅く、40歳くらいまでほぼニート状態、そこから頑張って国の大臣に上りつめますが、国が滅ぼされてしまい、奴隷にまで落ちてしまいます。

しかし、奴隷の身分となっても深い知恵をもつ百里奚は見出され、秦(中国統一をはじめて成し遂げた国です)に羊の皮たった5枚で買われます。そのとき、すでに70歳を越えていたそうです。

そして、深い知恵と人徳をもつ彼は、国民からでなく異民族からも慕われ、そして90歳のころに国の頂点である宰相に上りつめたのでした。


百里奚(ひゃくりけい)について、podcast番組"コテンラジオ"にて分かりやすく解説されていますので紹介します。


65歳からKFC創業!カーネル・サンダースおじさん

KFCでおなじみのカーネル・サンダースも60歳を過ぎてから大きな成功を収めた人です。

サンダースは幼いころに父親を亡くし、家を助けるために10歳から働き始めて40種類の仕事を転々とする苦労の多い人生でした。

彼が40歳のころ、ようやく小さな成功を納めます。

彼は起業してガソリンスタンドをはじめ、お客さんと話している中でガソリンスタンドの一角で食事を提供することを思いつき、レストランを併設します。そこで名物料理となったのが、あの”フライドチキン”でした。

当時、フライドチキンはどちらかといえば古臭い家庭料理のような立ち位置だったようですが、徹底的にこだわりぬいたサンダースのフライドチキンは大きな評判を呼びお店はとても繁盛したようです。

しかし、その後バイパスができたことでガソリンスタンドに立ち寄る客が激減し、さらに大恐慌も重なり、カーネルのお店は倒産して彼の手元に残ったのは自慢のフライドチキンのレシピだけとなってしまいました。そのときカーネルはもう65歳でした。

しかしカーネルはあきらめず、”フライドチキンのレシピを教える代わりにチキン一羽につき5セントを得る”というフランチャイズビジネスをはじめたのです。

しかし、当然はじめはまったくうまくいきませんでした。ですがカーネルはあきらめず、全米を車でまわって営業を続けて何度断られても決してへこたれませんでした。

その結果すこしずつ成果が出始め、73歳の時には600店舗を超える店とフランチャイズ契約するに至ったのです。

彼はその後経営の第一線を退きますがなおも情熱失わず、店舗を回って製法が守られているか確認し、ときに情熱的に指導を行ったようです。


カーネル・サンダースについても"コテンラジオ"で紹介されています。
サンダースが子供のころ、貧しい生活のなかで母親のためにパンを作って母親から褒められるところなど、グッとくるものがあります。


いつ始めてもいいし、途中で終わってもかまわない

百里奚やカーネルサンダースなどのように、60歳を過ぎて何かをはじめて大きな成功を納めることは珍しいことだと思います。

しかし、彼らのもっとも偉大なところは60歳を過ぎてもなお情熱を失わずに新しいことに挑戦する姿勢ではないでしょうか。

たとえ、最終的に成功するという結果に結びつかなかったとしても、その挑戦する姿勢がただ素晴らしいと感じるのです。


私たちに目を向けてみると、やはりなんとなく”年相応”の行いを暗黙の了解の中で社会に要求されている気がします。
例えば、定年退職を過ぎてなにか新しいことに挑戦する人を奇異な目でみて、失敗すれば「それみたことか」と笑い、成功すれば手のひらを返すような雰囲気があるのではないでしょうか。

そんな雰囲気を感じとって、新しいことを始めようと思っても二の足を踏んでいる人は多くいるのではないかと思います。

百里奚やカーネルサンダースの生き方からは、人の目なんて気にせずに”いつ始めてもいいし、途中で終わってもかまわない"という気持ちで挑戦することがもっとも大事なんだということが学べる気がします。

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