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自炊とベビ蛇

京都に越してきてからというもの、全く自炊ができていない。これにはいくつか理由がある。一つは、引っ越しの際に色々と処分したこと。古くなっていた炊飯器や、微妙な量の調味料などを処分した。そしてより大きな要因は、ガスコンロにある。
東京の家から持ってきたガスコンロは京都の家にもそのまま置くことができたのだが、コンロとガスの元栓の位置関係が変わったことにより、ホースが届かなくなってしまった。ホースを買い直せばすぐに済むのだが、これをずっとサボってしまっている。
ガスコンロはどこか寂しそうな面持ちで、どこにも繋がらないホースの先を力なく垂らしている。

ひとつ申し開き(誰に対して?)をさせてもらうと、外出のきっかけをつくるために敢えて自炊環境を整えていないというのもある。家で食べるものがなければ、嫌でも外に出ざるを得ない。せっかく京都に越してきたのだから、ちょっとでも家の外にいる時間を増やしたいではないか。

実際、冷蔵庫の中にもほとんど何もいれておらず、去年会社の人たちと手作りした味噌の塊がでんと鎮座するのみである。

「空腹こそが外出の契機である」私は味噌とコンロに言い聞かせて、たまにこそこそとUber eatsを頼だりしながらも、お腹を空かせて京都の町に繰り出すという生活を続けてきたのだった。

しかし、そんな生活にも無理が生じてきた。というか外食や中食に飽きてきてしまい、そろそろ自炊しようかな……という気持ちがぬるっと立ち現れてきたのである。

ということでコンロと元栓の距離を測り、大体90cmくらいあれば今はポカンと口を開けている元栓を正しく塞いであげることができるだろうと考えた。思い立ったが吉日ということですぐさまアマゾンでホースをポチった。
数日して郵便受けに届いたのは、思ったより薄っぺらな封筒だった。あれ? と思って封筒のうえから触診する。何か小さい……。確かめたい気持ちを抑えられず、エレベーターの中で封筒を開ける。ちらっと中を覗く。明らかに小さい……。

家の中に入り、鍵を閉め、靴を脱ぎ、封筒から中身を取り出す。中から出てきたのは、白くすべすべとしたホースの赤ちゃんだった。ガスコンロのもとへ行き、だらしなく寝ているホースと並べてみる。届いたホースは元のものよりひと回りどころかふた回りくらい細く短い。
どうやらアマゾンの密林からやってきたのは、まだ幼体のホースのようだった。私は購入するときに95という数字をみて、長さ(cm)だと勘違いしたが、正しくは直径9.5mmと書かれていたようだった。私のなかで何かが折れる音がしたが、ベビーホースが心細そうに震えているのを見て我に帰った。

一般に蛇は温かく、そして狭い場所を好むらしい。大きな味噌入れとして無駄な熱を排出していた冷蔵庫と流しの間にはちょうど温かくて薄暗い隙間があり、ひとまずそこにホースの幼体をそっと置いた。冷蔵庫はぶーんと平静を装いながら、新たな役割ができたことに喜んでいるようにも見えた。

まあ仕方ない。このホースが一人前に育ったら自炊をしよう。来年の春頃にはどうにか。
「ホース短ければ自炊遠のく」と味噌とコンロに言い聞かせて、私はまたお腹を空かせて京都の町に繰り出すのであった。

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