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本を読む(いつ本を読むようになったか)

今は本を読むのは嫌いではないし、年に数冊は少なくとも、多い年だと数十冊くらい読みます。でも昔は本や読まなかったし勉強も嫌いでした。

子供のころ、本を読むのが嫌いでした。小学校の低学年だと漫画さえ読むのが嫌いで、小説などはほぼ全く読みませんでした。そもそも文字を読むのが嫌いで、国語の点数はいつも悪かった。

高学年になっても読むのが嫌いでした。学校の授業以外には、読書感想文のためにいやいやながらに読むのが1冊。こんな状態なので、国語の点数もやはり悪かった。このころには漫画を読むのは好きになっていた。
親などから無理やり小説を読むことを強要されて本を読みましたが、推理小説とか「もう無理!」という感じでした。文章から内容や場面を想像することはできず、ただ文字を追うだけになっていました。犯人やトリック等よくわからない。だから本を読むのが嫌いなままでした。

中学校のころ、親等から勉強を強要され、なんでも良いから勉強するように言われ、数学が好きになりました。どうせ決まった時間やらないといけないなら数学やってるのが一番楽しいと思うようになりました。ただ。国語ってどう勉強してよいのかわからず、しかも本を読むのは嫌いでしたから、国語の成績は悪かった。結局国語のテストのない公立高校の理数コースに推薦で入学しました。

高校に行ってもこの傾向は特に変わりませんでした。ただ、理数系の場合には国語がなくてもよくって、その重要度は低かったので助かりました。ただし、国立大学に行くことを目標にしたため、センター試験(共通1次)で国語が必要になりました。なかなか厳しい状況で、国語の点数を求めらえるようになりました。本を読むのは嫌いなままでしたけど、点数を取るためのノウハウの本を読んだり、ノウハウを予備校で教えてもらったりして乗り切りました。

大学では、工学部に入学したため、国語というものからは解放されました。このころには、勉強は嫌いではないけど、国語は嫌いという状況でした。ところが、大学で弁理士になろうと決めたとき、結構難しい法律書を読む必要が出てきました。また何度も何度も法律の条文を読む必要がありました。

法律書の文章はなんだか難しく、慣れるのに時間がかかりましたし、条文を読むよりもテキストの方が良いなんて考えるくらいにレベルの低い受験生だったので、少々時間がかかりました。条文の必要性に気づいて、条文を何度も読んでほとんど全部無意識に暗記したころには、条文の文章ってすごいな~と感じていました。無駄がほとんどない。法律書も最初は難しかったけど、何度も読んでいると、だんだん読めるようになってきていました。

こういった難しい本を読んだりしたせいか、ほとんどどの本を読んでも難しいとは感じなくなっていました。

社会人になったとき、色々と常識が欠落していたので、いくつも資格(情報系の資格やファイナンス系の資格など、それほど難易度の高くないものが多い)を取りました、テキストはそんなに難しくなく、スムーズに進みました。
その延長で、ビジネス書を色々と読むようになりました。だいたい、自分が所属する会社をちょっとでも良くするために何をしたらよいかといったことを知るためでした。今でも、小説などはそれほど好きではないですが、ビジネス書や実用書等は非常に役に立つ内容も多く、自分の利益に直接結びつくものだと認識してからは、ある程度読み続けるようにしています。

結構難しい内容の本を何度も読んで理解できるレベルになってからは、本を読むこと自体のハードルは随分と下がりました。こういう経験は、理系の人間には必要なのかもと思います。

小説などの本を読むのが好きというわけではないですが、実用書などの本を読むのは好きで、完全な理系ですが、そういったタイプの人間でも種類によっては本を読むようになるんだと思います。何のためにといったことを考えがちな理系の人間の場合、特に実用書を読むというのは向いているのかもしれません。


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