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決裁者から「引き続きやっていいよ」と言われないのは、アウトプットが悪いのではなく単に説明不足なのかもしれない。

制作についてひとりごと。いや、自戒として書く。前提として広報として働いているため、コンテンツ制作や発信が多い。

多分、制作に限った話ではないので、

  • 決裁者= マネージャー

  • 実働者= プレイヤー

として読んでも相違ないはず。

決裁者は「外に出すための意思決定」をしたい。

決裁者(意思決定者)は、最終、外に出すための意思決定をしたいのだから、実働者(コンテンツ制作者)は「意思決定の過程」を見せる必要がありそう。

つまり、外から見るとIN/OUTしか見えんのだから、決裁者からすると「良さそうだけど、なんでそうなったん?」になりうる。もしくは違和感がある場合、なぜそうしたかは無限に気になる。


ここで「気になるポイント」は決裁者のこだわり以上に「外に出す上での懸念」があって、それを潰さない限りは外に出せない。

決裁者は「意思決定の過程」を実働者に任せている

と考えると、決裁者は「意思決定の過程」を実働者に任せていて、その過程とアウトカムが良さそうだったら引き続き任せることになる。

ここで注意は、全部実働者に丸投げではなく、ポイントを掴むことで「方向性が良さそうか」を判断したいはず。だから、ベクトルがあっているかを見せることが仕事の中で重要な要素となる。

「やっていいよ」は説明十分、「ちょっと待って」は説明不足かも

決裁者からの「引き続きやっていいよ」は、割と意思決定の過程において違和感がない、もしくはちゃんと説明できていることを意味する。

逆に言うと決裁者からの「ちょっと待って」の場合は、アウトカムの方向性が異なるか「意思決定の過程が見えてない」かと考えられそう。

つまり、決裁者は「(実働者が)何考えてやってたの?」が見えないと不安だし、なぜそのアウトプットになったのかも分からない。だから、「外に出すための意思決定」ができない。その結果、ストップされる。

こんな考えかたが良いのかも

じゃどうすればよいの?となるが、「アウトカムで起きた意思決定をちゃんと伝える」が大切になる。

なぜなら委任されているんだから、それを伝えるのも仕事のうちである。

と考えると、「アウトカムで(説明不要に)魅せる」よりは「その着地になった経緯と判断をちゃんと伝えて過程を見せる」方がトータルコスパが良いのかもしれない。

いくらこっちが考えてても何も言わんと伝わらないしね。

以上。

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