やられたら、やり返す

 TBS日曜劇場『半沢直樹』の続編が始まり、再びこの言葉がお茶の間に響き渡っている。「やられたら、やり返す」というのは、「目には目を、歯に歯を」の言葉で知られる「レクス・タリオニス(省略タリオ)」(同害報復)の考え方だ。

 「目には目を、歯には歯を」というのは、「旧約聖書」の出エジプト記21章の24項目から25項目に出てくるが、古くはハムラビ法典まで遡る言葉である。ハムラビ法典とは、バビロニアの王ハムラビ(在位:前1792-1750)が近隣諸国の制服によって大王国を築き上げた後に、その命によって編纂させたもので、かつては世界最古の法典だと言われていた。しかし現在では、世界最古の法典は、ウル第三王朝の創始者であるウルナンム(前2112-2095年)の命によって編纂されたウルナンム法典だと考えらえている。その後も、イシン王国のリピト・イシュタル(前1934-1924年)がリピト・イシュタル法典を作らせており、ハムラビ法典の数十年前にもエシュヌンナ王国のエシュヌンナ法典が作られている。したがって、ハムラビ法典は現存する法典としては、世界で4番目のものということになる。

 ハムラビ法典は、1901年から1902年にかけてフランスの調査団がイラン南西部のスーサで発見し、現在はフランスのルーブル美術館に所蔵されている(リシュリュー翼0階展示室227)。法典は、高さ2.25メートルの碑に碑文の形で刻まれている。碑の表面の上部には、右側に神、左側に礼拝するハムラビ王の姿が彫られているが、その彫刻から下の部分と碑の裏面にびっしりと法典が刻まれいて、前書き、条文、後書きの3部からなっている。碑文は、横線で段が組まれ、そこに縦の線で行を作る形で書き込まれている。残念なことに表面の下の5段ないし7段分は削り取られているが、これは、紀元前12世紀にハムラビ法典の碑を戦利品としてスーサに持ち帰ったエラム王が、自分の業績を彫ろうとして削らせたが、後書きに書かれた改ざんに関する呪いに恐怖を感じ、作業を中断したものだと言われている。

 問題の「目には目を、歯には歯を」の文字は、碑の裏面の17段目の45行から49行にかけて書かれた196条と、同じく裏面17段目の66行から70行にかけて書かれた200条に刻まれている。中田一郎訳・古代オリエント資料集成1原典訳ハンムラビ「法典」(リトン、1999年)によれば、196条は「もしアヴィールムがアヴィ―ルム仲間の目を損なったなら、彼らは彼の目を損なわなければならない。」と規定しており、200条は「もしアヴィ―ルムが彼と対等のアヴィ―ルムの歯を折ったなら、彼らは彼の歯を折らなければならない。」と規定している。

 当時のバビロニアの社会は、エリート層である上層自由人と一般の自由人、そして奴隷といった3つの階級に分かれており、エリート層である上層自由人のことをアヴィールム、一般の自由人をムシュケーヌムと呼んでいた。条文から明らかなように、「目には目を、歯には歯を」の同害報復(タリオ)が適用されたのは、加害者も被害者もアヴィ―ルムの場合である。その他の場合は、一定量の「銀」で償うことになっていたので、当時の刑罰がすべて同害報復(タリオ)だったわけではなく、金銭的な賠償と並存していた。また、報復するのは「彼ら」であって「被害者」本人ではない点にも注意が必要だ。

 このことは、法律学に一つの難問(アポリア)を生み出す。なぜなら、一般に刑罰の歴史は、①被害者が加害者に対して無制限な復讐を行う野蛮な状況から、②加えた罪と同じ罰に処することで復讐を終えさせる段階(同害報復・タリオの段階)に発展し、それが③金銭的な賠償で償える段階に発展したと考えられてきたのに対し、ハムラビ法典の条文を見る限り、③の方が先行しており、その上で、上層自由人同士の刑罰について②の考え方が生まれたように読めるからである。このことは、ハムラビ法典よりも前に制定されたエシュヌンナ法典、リピト・イシュタル法典、ウルナンム法典には、同害報復(タリオ)の規定はなく、金銭的な賠償だけが定められていた点からも裏付けられる。

 そうだとすれば、刑罰の歴史は、(1)加害者と被害者の間で処理する段階から、(2)集団(「彼ら」)が加害者を処罰する段階に発展したと整理するのが適切なのではないだろうか。そして(1)の内部において、①「被害者」が加害者に対して無制限な復讐を行う野蛮な段階から、③「被害者」が加害者に対し金銭的な賠償をもって償わさせる段階に発展し、それを受けて(2)の段階においても、「集団」が加害者に対し、①犯した罪と同じ罰を科す方式(同害報復・タリオ)と、③被害者への金銭的な賠償を行うよう命ずる方式とが並存する形になったのではないかと考えられる。

 これが正しいとするならば、「やられたら、やり返す」という言葉に込められた同害報復(タリオ)の考え方は、被害者が加害者に対して直接かつ無制限に復讐をするといった単純なものではなく、「集団」が加害者に罰を与えるときの原理だということになる。そして、その最大のインプリケーションは、犯した罪以上の刑罰は科さないという点に求められるだろう。

 ドラマの『半沢直樹』では、主人公の半沢直樹「個人」が「倍返し」をするシーンが痛快だ。しかし、それ自体は、「やられたら、やり返す」という言葉に込められた同害報復(タリオ)の考え方にそぐわないことになる。

 まぁ、そんなことを考えてドラマを見ていたのでは楽しさが半減するので、ここらで止めておきましょう。なお、本来ならば、私の専門であるビジネス法務の観点からドラマ『半沢直樹』を解説・論評すべきなのかも知れませんが、それこそ無粋なので、今は控えておきます。悪しからず。

 

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