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星くず拾いの1日




何かの拍子で服が濡れたとしても、それは大した問題じゃない。水はどうせいつか乾くし、人はどうせいつか死んでしまうのだし。たとえこの2つが人生において些細でない事実だとしても、僕は乾燥機にびしょぬれのXLのTシャツを投げ入れるだろうと思う。どかたんごろん、と天が地になり、地が天になる。温かくて大きな怪獣の胃袋。乾かし足りないときのために100円玉を握りしめて待つ。100円玉がじっとり湿ってくる。僕は100円玉が汗をかいたと思っている。100円玉は僕が汗をかいたと思っている。そういうことばかり起きている世界。






星くず拾いという仕事をしたことがある。9番目の街の3軒目のスーパーマーケットから発車する夜行バスに揺られていく。バスには僕を含め14、5人が乗っていて、途中3回の休憩をはさんで長いこと走り続けた。夜がふける頃、バスは我々を名前の知らない高原で降ろし、元来た道を下って行った。僕たちはあらかじめ持参していた洗濯ネットを左手にさげ、右手に懐中電灯を持って高原を歩いた。時々こつん、と長靴の先に当たることがあるのが星くずだった。星くずはギザギザとした氷砂糖みたいな見た目で弱々しく発光していて、手に取ると甘い匂いがした。僕たちは太陽が東側の山脈から顔を出すまで、4時間あまり星くずを拾い続けた。夜が明けると麓から1台のバンが来て、僕たちはその荷台に星くずの入った洗濯ネットを投げ込んだ。バンを運転するのはニット帽を被った若い女で眠たそうにあくびをしながら「手配しとくわね」と言った。バンが道を下って帰っていき10分ほど経つと、高原の奥の茂みから牛の群れが現れる。その1頭は僕の写真を咥えている。僕は牛の背に乗ってゆっくりと時間をかけて山を降りた。こうして我々はそれぞれの場所へそれぞれの牛に揺られて帰される。こんな風にして星くず拾いの1日は終わる。





乾いた温もりをもった死骸が
あちこちに積み重なる季節に
僕は生まれたかった

そこでは死んだものが生き
不要なものが必要とされた
そういった秩序のもとに
生命が循環していた

この美しい時間の中で
僕は
眠るように死んでいきたかった



詩集『南緯三十四度二十一分』収録作



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