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最低と最高のはざま〜陰ヨガ体験記〜

そのヨガは

最低でも「最高のリラックス」が得られ

最高なら「人生が変わる」とするならば

あの日の私の体験は何を得たのだろう

  

きっと

究極のリラックス体感と人生が変わるきっかけ

これを得たのではないかと思うのです。


それが

EARTH YOGA Studio の渡邉智美さんの 陰ヨガ。

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今日は智美さんの陰ヨガの体験談を、私の言葉で綴らせていただきます。

体験した日から時間は経ってしまったけれど

あの日のことと、そして、あの日からしみじみと染み渡り続ける感覚に、ついて。



今回、智美さんの陰ヨガを千葉県の木更津に住む私がわざわざ新幹線に乗り、栃木県の那須塩原の先、黒磯まで行ってレッスンに参加しようと思ったのは、私のshutterがきっかけ、でした。

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智美さんから shutterのご依頼をいただき、彼女が経営するスタジオでその話を聞いていた時に、少しだけ陰ヨガの呼吸法を体験しましょうか、と言ってくださり、それを体験した時のこと。


ただただ、自分の呼吸を感じる、

それをどうこうしようとか、深い呼吸をちゃんとしようとか

そういったことも、誘導も作為も一切ない

「な〜んにも繕わなくていいから」という彼女のガイドのもと

私が私の呼吸を「ただ、感じた」その結果、突然胸が広がって私の中に空気がふわぁと入ってくる、胸も心も広がるような、とても深く不思議な体感をしたこと。

あれは、まさに「解放」

呼吸が深く染み渡ったら、私の心までもがふわっとゆるみ広がって、対談を終えた帰りの新幹線はぐっすりこてん。起きたら、軽やかにすっきり。

その感覚がとても新鮮で印象深く、あれ以来「陰ヨガとは」が気になってしまったのです。

たった5分ほどの呼吸法で、こんなにも心と体が解放されるように広がり、安らぎに包まれることができるなら、陰ヨガのレッスンを一回受けたら、いったいどうなるんだろう??

そんな、率直な興味を見ないふりなんて、できなかったのです。

だったら、一度体験してみようと、智美さんに連絡をして、レッスンに申し込んだのでした。


いつものことですが、陰ヨガとは、なんて調べもせず、まずはこの身で体験体感してこそ、智美さんのレッスンなら大丈夫と向かったスタジオで

私はまさかの人生初体験をする羽目に、なるのです。


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東北新幹線の那須塩原駅から乗り継ぎでJR宇都宮線で一駅の黒磯駅。東京駅からは小一時間の駅から歩いて5分ほどのところに、智美さんのEARTH YOGA Studio はあります。


ヨガを受けるのだから・・・・・

当たり前のように、予想があるものです。

こんなポーズとかしちゃうのかな、という。

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こんなのとか

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こんなの、とか。

ポーズをとって、深呼吸をして、最後に、シャバーサナ。

それが私のイメージする「ヨガ」

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それが。


全く違っていた。


だから、正直申し上げると

あれはヨガだったんだろうか?って思ってしまうほど、なのです。

マットの上で寝転んでいたポーズが、ほとんど、だったから。



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(智美さんのSNSよりお写真お借りしました。)


少人数制で、ゆっくりとした穏やかな雰囲気の中で始まる陰ヨガは

呼吸を整えながら

本当に、ゆっくり、ゆっくり、、、、、、、


なんと表現したらいいのでしょうか


時がゆっくりと止まっていくような不思議な感覚の中で行われるものでした。


ポーズを全く取らないわけではないのですが、そのほとんどが「マットの上で寝転んでできるもの」で、手足を大きく開いたり伸ばしたりするものは、ほとんどありません。

例えていうなら・・・・・

「ちょっと真面目にじっとぐうたらする」、という感じでしょうか。笑

目を閉じてゴロンと横になって、

胸を開くように腕を少し伸ばしたり

仰向けになって膝を抱えたり。

そのひとつ一つの動きはとってもスロー。

ナマケモノになってたら褒められるような。

何だか、「寝に来たみたい」な感じさえします。笑


ホットヨガや動きのあるヨガを体験されている方なら、もしかしたら「え?これだけなの?」なんて、かえってソワソワしてしまうかもしれません。


そこで意識するのは、呼吸。

多くのヨガは、呼吸を「深く」することを意識することが多いと思うのですが

(お腹にたっぷりと空気を入れるように呼吸して、ふかーく、吐きましょう、というようなね」


智美さんの陰ヨガの呼吸は「自分のペースで息を吸い込み、そして長く吐き出す」ことを大切にします。

長く、吐き出す。どうやらこれがコツなようです。

頑張って深く吸おうとしなくていい、ただ、「体の内にあるものを、息と共に吐き出す、流し出す、そんなイメージとともにする呼吸。


やってみるとわかると思うのですが、息を吐く、って、「脱力」なのですよね。

長くゆっくり息を吐くことに集中していると、肩や胸のあたりがほっとするような、まるで「肩の荷を下ろす」ように緩んでいくのです。そして、足や手先も、全身から余分な力みが落ちていくような。と同時に、「体のどこが力んでいるのか」も感じられるようになってくる。

首のあたりがなんか緊張してる気がするなぁ、とか

あれ、意外と足首がこわばってるのかな、とか。

息を吐きながら、呼吸を感じ、体を感じる。

こわばっているところにある「なにか」を

吐く息と共にとかし流していくようなイメージもしながら

それをゆったりとした時間の中で、じわぁ〜〜〜〜〜〜〜っと繰り返す。

声のない、自分の体、その感覚や息遣いとの対話時間。

少ししたら、また体を動かして、息をゆっくり吐き

そしてまた、呼吸と体を感じる。


そうこうしている内に、とっても不思議な感覚になってくるのです。


眠たいような

でも寝るのがもったいないような

とろんとした極上のとろみつきのお風呂に入っているような

それでいて

深ーい海の底に落ちていくような

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寝ているようで寝てない

でも

起きてるとは言えない


起きている現実と眠りの魔界の海の間にいるような。


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でもそれが、心地よくて。


深く、こっくりと、たぷたぷ たゆたゆ ゆらゆら


どこにいるんだろう・・・・???


そんな、感覚。


後で分かったことですが、これがいわゆる「瞑想」状態だったのでしょう。


眠りと覚醒の間の、意識の海の底に潜り込むような、感覚。


深ーい深ーい、ふかい、ところ。


智美さんの澄んだ声に導かれるままに、ポーズと呼吸をゆっくりじわ〜〜〜っと繰り返す時間がいったい何分だったのか

全くわかりません。

それくらい、時を気にしないくらい、深いどこかに潜るような感覚に浸れていたのでしょう。

後半は、居眠りしてしまって肘が机の端からかくんと落ちるような感覚もあったり。。。笑

ただただ、ジワ〜〜〜と動いて、ゆっくりながーく息を吐いて

深くたゆたう世界にいた時間。


そうこうしているうちに、レッスンが終わるのか、少しずつ意識を今に戻しながら、ただ、横になる時間がやってきます。


まるで昼寝時間のように、仰向けになって、アイピローを乗せて、くつろぎ、智美さんがリラクゼーションの音楽を流し始めて、そろそろ終わりなんだなーと感じた時、それはおきました。


胸のあたりが、じゅわ〜〜〜〜〜〜〜っと

まるでそこにドアがあるような

そのドアがギィ〜〜〜〜〜〜〜〜っと開いて

胸が、心が、大切に大切に開かれるような感覚が滲み出してくると同時に

涙が、じゅわぁと、溢れ出したのです。


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ええええええええええ


どうして、泣く????!!!


待て待て待て、どうしたどうした

なんで泣いちゃうんだ

みんないるじゃないか

おいおいおいおいおい

涙さん、止まれ止まれ止まれぇーーーーーーーぃ


と、私の中の私は大慌て。

自分に起きていることが理解できなくて小さなパニック。

でも開き始めたらしいそのドアはもう閉まる様子もなく

開きっぱなしにしかならない予感しかなくて

じゅわじゅわじゅわじゅわ、

涙が、止めどなく溢れてきたのです。


もうそれは、私の意識を超えて、私の奥底から溢れ出す何かのように。


そしてどこかで私も感じているのです

あ〜、涙になってとかしたかったんだな、解けたんだな、って。


そして、溢れているのは、涙だけではなくて


なんと言ったらいいのか


とっても、あたたかい何かも、一緒に溢れ出していたんですよね。


こぼれた、とか、出てきた、じゃない「あふれてくる」感覚。


そしてそれは、とてもとても、満ち溢れるもの。


不思議なんです

私の内側から「あふれて、こぼれて、流れていく」のに

どんどん、その涙が溢れるごとに

私の中に優しいスペースが広がっていく

なのに

私の内側が「満たされていくこと」を実感しているのです。


おいおいおいおい

こんなところで泣いちゃいかんじゃないか

落ち着け、早く落ち着け〜〜ぃ

そんな風になんとか自分をおさめようとする一方で

もう1人の私が

「YOU、泣いちゃいなよ。泣いて、流しちゃいなよ。大丈夫だよ」って言ってるみたい。

じゅわじゅわ溢れ出す涙。

泣いてるのに、なぜかホッとしてほかほかしていく心。


でもでも、みんないるし、おかしいって思われるかもなんて理性があって

最終的に大泣きは回避したのですが苦笑

でも、いまだにちょっとだけ思うことは

もし、あの時

溢れるままに、全てを涙で外に出せていたら

もっと、大きなギフトがそこにはあったのかもしれないな、なんて。

それは、今となっては、わからないけれど。


日頃、誰かの前で涙を流すなんて、まずないので、あの日は突如起きたことに驚きつつ

最初は何か「理由」を探そうとしていました。

「いったいこの涙は、なんの涙なんだろう?」って。

ちょうど、難病で療養中の父が転院し、もう、そう遠くないだろう「最期」が予感されていた頃。(幸い、まだ、生きてます。)

思っていた以上に、気を張ってたのかな、もしかしたら、辛かったのかな、色々、頑張りすぎてたのかな。そんなことも思ったけれど

途中から、そう言ったこと・・・・理由付けしようとするのは、やめました。


智美さんがヨガの間言ってくれたこと

「な〜んにも、取り繕わなくていいから」

そうだとするならば、うん、ただ、溢れるままにしておいたらいいよね

理由なんて、なくてもいいよね

ただ、溢れてる、それで、いいよね。ってね。


涙とともに、溢れた、何か。

私の内側から、流れていった、何か。

そしてそれは

私の内側から、湧いて溢れてきた、何か。

心を安らかにあたたかく広げ、溢れながらに、満たしてくれた、何か。


それが何かなんて、わからない。


でも、確かなことは


すごく、心の内側があったまって

お掃除されたみたいで

ほっとしたこと。

だからこそ

軽やかに、なったこと。

湯上がり卵肌みたいに

心がつるんっ。としたこと。


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陰ヨガを終えて、智美さんとSHOZO CAFE へ。子どもみたいな顔になっています。笑


いったい、何がどうなってこんなに涙が溢れて、心は広がってほっとして、軽やかになってしまったんだろう。

だって、寝て、動いて、呼吸して、ゆっくり息を吐いて

なんなら・・・・うつらうつらしてただけだったのに。


陰ヨガって、なんなんだ?


正直なところ、変な期待がなかった分、起きたことの大きさに驚いた、というのが、陰ヨガを受けた日の正直な感想。

だから、それを言葉でどう説明するか、もわからなかったのです。


ただ、わかったのは


くつろぐ、とか、リラックスする、という言葉一つでは表現できないくらいに

ほっとしたこと。体も心も、「なんか脱力した」こと。

それは、これまでの私の「リラックス」の概念を変えるほどに

好きなことをしてくつろぐ、というのとは何か違う

「私自身と世界への降参と安堵が自然と広がって、力みが抜けちゃう」ような、感覚。


そして


あの日から、変わったのです。


世界の重量が軽くなった、というのか、何かがね、軽やかに、なったのです。

そして。

これまでずーーーっと

何年も。

「ヨガが習慣にできてたらいいのにねぇ」と心のうちで言っては、朝のたった5分10分のそのヨガができずにいたのに

あの、陰ヨガを受けた翌日から。

朝は早めにパチリと目が覚めて(5時台〜6時台、もちろん日によって違う)

ヨガやろう!と意気込むでもなく、

起きたらお布団から出て、

その場で窓から見える太陽に向かって、太陽礼拝をはじめました。

そしてそれは、あれから1ヶ月以上経った今も、続いています。


あれ、どうしたんだ、私??と自分でも驚くくらい、淡々と、毎朝パチリと目が覚めて、サクッと太陽礼拝とヨガのポーズをいくつか、そして、いつもの朝が、スタートするのです。

今まで、何年も何年も「やれたらいいのに、やればいいのに、やらない私」ばかり、実感していたのに。


そして、日常でも、少しずついろんな変化が起きています。


心に、スペースができたのですよね。不思議と。


自分にかける時間が、増えてきた、のです。


お化粧を、より丁寧にするようになった

お洋服をたたむ手つきが、丁寧になったし

お風呂で毎日フェイスやボディをマッサージするようになって

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なぜか、自分に、ちょっとだけ、優しくなったのです。


ちゃっちゃとやって、さ、次!だった生活が、その時間の流れが、変わり出した。


今までしていたことのペース一つ一つが「3秒増しになった」と言ったらいいでしょうか。

一つ一つの変化は、そう大きくないのだけど

一つ一つの動作に、ひと呼吸と丁寧さが増えた

そんな感じの「何か」が。


私は、自分のことには実は疎くて、鈍感なことも多くて、じっくり意識しないと気づかないことも多いけれど


あの陰ヨガの日から、暮らしが何か変わっていることは、わかるし


自分に少しずつの手間がかけられるようになった、その起点はいつだったのだろうと振り返ると、やっぱりあの、3月の半ばに受けた陰ヨガの日以降、なのです。


この変化を、理論的に、エビデンスと共に話すことは正直難しいけれど、でも、あの日から確実に

「私の中の余白が広がって、せかせかする気持ち、自分に追い討ちをかけることが圧倒的に減った」のは確かなのです。

そして、ことあるごとに・・・・


なんか、きゅうきゅうしてきちゃったな、と思ったら、あの呼吸・・・陰ヨガの呼吸を、思い出す。

そして、ひととき、ふーーーーーーーーーーーー。とゆっくり、吐き出す、そして体を感じる、をするようにもなって。

そして、思い出すのです。


あの人生で初めて感じた

「あふれていくのに満ちていく不思議な体感」を。


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あの感覚を、忘れずに日々を送る私でいたいな、と。


自分と世界に包まれ安堵して、溢れ満ちるものがある状態を。


一つ、大切な「立ち戻る場所」を、あの日の陰ヨガで私は体感できた気がします。

本来はここなんだよ、って。



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あの日の帰り道、智美さんがおっしゃったこと。

(智美さんがインストラクターを務めてらっしゃる)アクセスバーズのコンセプトが「最低でも最高のリラックス、最高なら人生が変わる」というけれど、陰ヨガもそうだと思うのよね

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最低の効果が、「最高のリラックス」

最高の効果なら、「人生が変わる」


そんなすごいメソッドがあるんだろうかと、きっと思う人は少なくないと思うけれど、智美さんご自身も、陰ヨガを体験したことでびっくりするようなご自身の変化を体験し、だからこそ、インストラクターになられた経緯があって。

そして私も、今回この体験をして。


この言葉は、あながち嘘ではないと思うのです。


なぜなら、あれから日にちが経ってなお私はあの日の、言葉にし難い体感を幾度となく思い出すし、

そしてそれは、私に、忘れたくない生き方を、自分の命の使い方を、問いかけてくれる。

それは、、、好きなものを食べて癒される、好きなことをして嬉しくなる、ほっとする、くつろぐというようなリラックスとは、桁違いの、深い安堵の癒しと、望むあり方へ私をいざなってくれるものならば、それこそは、「究極のリラックスとの出会い」だったのではないかと私は思うし、あの日を起点に、時間の、日々の暮らし方が変わったならば、それは間違いなく、「人生に変化を起こすきっかけ」だっただから。


ありたい、感じたい私の状態を、体感させてくれるもの。

それは「最高にリラックスした、いい状態の私」

だからこそ、生き方に、人生に、変化を起こすもの。


それが、陰ヨガ、なのではないかと。


あの体感は、忘れたくない。

だからこそ、これからも

わざわざ新幹線に乗ってでも

智美さんが待つEARTH YOGA Studioへ

陰ヨガを受けに行きたいなと思ってしまっている、私です。


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智美さん。この度は、ありがとうございました。^^

次回は、5月かな、6月かな。

また、行きますね。


智美さんのスタジオ、ヨガのレッスンについてはこちらからどうぞ。







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