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ひらり・かろやか・そのまんま。〜フォトグラファー 浅海佐知子さん〜

誰もがスマホに内蔵された高性能なカメラで、いつでも気軽に写真を撮って残せるようになった時代。

「写真」というものの定義も変化し、その用途はさまざまな可能性をひらく魅力的なツールとして、ますますと多様性に溢れています。

元来の・・・記念日の記録を残す、愛しい人の瞬間を残す「記録的意味合いの強い写真」だけではなく

SNSに上げるための「映え写真」を撮るためのツールとして、いつでも気軽になんでも写せるようになったのはもちろん

個人起業がもはや珍しいことではなくなった現代では、
プロフィール、宣材写真として個人がプロのカメラマンに撮影を依頼することは当然のことのように浸透しました。
それも、型にハマった「いかにも」な写真ではなく、より個性やその人らしさが映し出された一枚としての、写真撮影。

「家族写真は記念日に写真館のスタジオで」が主流だっただろう10年以上前とは打って変わって、パートナーや家族と過ごす日常から記念日まで、ごく自然な姿で自宅や野外でプロカメラマンが撮影してくれることだって、選択肢の一つになりました。


その流れの中、写真の新たな一文化として浸透しつつあるのが

「写真を通して自分を知り、発見し、磨いてく」、いわば私という人、その人生を磨き育てる役割としての「撮影」です。

誰のためでもなく、「私のために」写真を撮る。

時には、他の誰かに「私の魅力」を見つけ、メイクやヘアスタイルを整えてもらったり、服を選んでもらったりしながら、「私の期待する未来に最も近い私らしいわたし」の姿で撮ってもらったり。




結果としてそれが、プロフィールになったり、宣材写真として、「偽りない魅力ある私」を表し伝える一枚になる。


私たちは、自分自身の姿を、自らの目で見ることができないからこそ、ごく自然体でいる姿を写してくれた写真を見ることは、「知っている私」でありながら、「知らなかった私」に出会う体験そのもので、そうして手渡された写真を通して、気づいていなかった自分の魅力や可能性に気づくことだってできます。

時には、コンプレックスだと思っていた自分のある側面が、写真を通して見た時に、実はそんなに気にすることではなかったことや、むしろ他者の視点になれば魅力の一点でさえあること、「写真を見てくれた誰か」からの「素敵ね!」という褒め言葉によって、愛したい自分の美点になることだってあります。

写真は、私の魅力を知るためのツールである

何を魅力と感じるかはそれぞれ。だからこそ起きる化学変化がある。
自分が気に入っている部分だけではなく、自分では魅力とは思っていない部分さえ「素敵!」と感じる人が写真に写し出してくれることで、自分自身に感じる魅力や可能性の幅が広がって、結果人生の魅力も可能性も増えていく。

誰かが撮ってくれた自分を「私、いい感じ♪」そう思えることが、自信に繋がって、もっと私を楽しもうと思えたり。



写真には、人生をひらく可能性があるのです。


今私の周りには、それぞれが感じる「あなたの魅力」を切り取り写し出したいと思うフォトグラファーがたくさん、います。

今回ご紹介させていただくのも、そのお一人。

ボディーワーカーとして長らくの経験をお持ちでありながら、一台のカメラを手にしたことをきっかけに写真の世界へ。
あれよあれよと、フォトグラファーとしてご活躍されるまでになった、Sachiこと浅海佐知子さん(=以下、さっちゃん)をご紹介しながら、彼女の撮影体験をご紹介します。

「アニー」に憧れて、舞台に上がれる人になりたいとバレエやダンスに打ち込んだ子ども時代。その夢とともに、大人になってからもダンサーを目指して進んだ時間が長い方。「とにかく、好きだった」と嬉しそうに教えてくれました。
劇団にも所属するものの、当時は自分に自信がなく、真ん中に立つメインダンサーと比べては、落ち込んだり、もっと痩せなくては、と無理なダイエットをしたり。
今ではとても軽やかで明るく、言葉を選ばずにいうなら「考えてなさそうでいつも元気だね」なんて言われてしまうほどの彼女ですが、「生きてても仕方ない」と苦悩した時間もあった方。
長年の駆使でバランスを崩した体と心を救ってくれたのがピラティスで、ダンサーの道から、インストラクターへ。それが20代半ばのこと。
ニュージランド在住時には、現地のクリニックでピラティスのインストラクターとしても勤務、帰国後は、インストラクター勤務を経て2018年に完全予約制のスタジオをオープン、独立。

photo by 奥千加

その道の中でコーチングにも出会い、ピラティスとコーチングで心と体を本質から「不調なく豊かにすること」を10年以上、実践とともに見つめ重ね続けてきた方でもあります。

photo by 奥千加

2020年からのコロナによる世情の変化を受けて、スタジオを閉業、オンラインに切り替える頃に出会ったのが、写真の世界。

私とさっちゃんの出会いは、まさにその頃、2020年12月、お互いの写真の師でもある丸山嘉嗣さんの写真展でした。

photo by あそゆか

元々写真を撮るのは好きで、コンパクトカメラやスマホでたくさん撮っていたけれど、まさか自分がフォトグラファーになるなんて、思ってもいなかったそうです。

それが、ご自身の写真撮影をしてくれた丸山嘉嗣さんとの会話の中で、つい「カメラやってみたいな」となんとなく(そう、本当に、軽い気持ちで)言ったら、返ってきたのは「やればいいじゃん。」「とりあえずやってみたら?」という返事。
   
「とりあえずやってみたらいい」
         
その気楽さ溢れる言葉から、カメラやってみたいな、なんて言った手前もあるし、買おうかな・・・・と、流れで一眼レフカメラを、ゲット。

流れながらも、本格機種を分割払いで買ってしまった、というあたりが彼女らしさを感じてしまいます。

とはいえまだまだ使いこなせなかった時に、カメラの使い方、写真の撮り方を教えてくれた人がいて、そこから写真の世界が一気に楽しさを帯びてしまった。

photo by 白井明子
彼女のおかげで写真の道がひらけた、と教えてくれました。

丸山嘉嗣さんから本格的に写真を学び、どんどん楽しくなってきて、2021年春には「サチから見たあなたの魅力を撮らせて」と銘して無料100人撮影を実施。

あっという間に満席となり、

続いて秋冬にも100人撮影を実施、こちらも満席。

あれよあれよというまにフォトグラファーの道へ。

現在では

撮られることで自分の魅力に気づき、自分をもっと好きになって未来へ進んでいくようにと
「愛でフォト」の名でフォトグラファーとしての活躍を広げられています。

photo by 丸山嘉嗣


初めて二人でゆっくり話したのは、昨夏。

photo by あそゆか


この時は無料の100人撮影を終えられた後で、どうだった?と聞くも・・・

「もっとすごく大変かと思っていたけど、わりと楽しんでるうちに終わっちゃった。」

とあっけらかん。

私からみたさっちゃんは、お会いした回数は実はそう多くないのですが、「ケロッとしてる」人。

でも、そのケロッとしてる後ろには、それまでの間、時には「生きる」ということさえも深く自問した時間があるからこそ

「人は人」「自分は自分」

そして

どんな人にもいろんなことがあるし
どんなことがあっても今ここがある、という、

場合によってはあっさりした距離感にもとられがちな、凛とした無関心さがあるように思います。

自分が誰かの人生の責任を負ったり、肩代わりすることはできません。
だけど、世の中にはそれをすることこそが愛であり、そうしてくれることが愛されることと思っている人もいるかもしれないけれど、そうじゃない。

誰もが自分の人生に起きることを自分で引き受けているし、そうならば、一人一人が引き受けていることに対して「そうなんだね」と、ただただ「ある」を認める。いい悪いではなく、そっか、そうなんだね、と。

それは、一人一人に対する「敬意と信頼」でもあるのかもしれません。

一見冷たく見えるかもしれないけれど、あなたに起きていることはあなたが引き受けられること、という、相手への信頼あってこそ確立できるスタンス。

介入することなく、ただ、それを見つめているし、ジャッジが少ないからこそ、ニュートラルな目線で、一人一人を見ているのでしょう。

photo by 丸山嘉嗣


人は、自分のことになると、途端にどうでもいいことや細かいことに視線を没入させがちです。

たった一つのシミやホクロ、歯の並び方が嫌だと言ったり
鼻の高さや目の大きさ、体つきの小さな癖を気にしてここがダメ、と言ったり。

未来に向かって走り出した、自らの小さな勇気と成長を喜び讃える前に、
その道を先に歩いている誰かや、小さな画面の世界の中で輝いているように見える誰かと比べては、自分に減点塩対応をしたり。

そうしてどこかで

「こんな自分は嫌だ」「もっとあの人みたいに素敵だったらいいのにな」

そんな風に感じたり。

それは海に落ちている小さな錆釘をわざわざ拾っては不満を言うようなもの。

自分のことほど、焦点範囲が狭く、深くなりがち。

ですが、さっちゃんの視点はそこにはありません。

「海、きれいだよ。」
「夕暮れとか、ここでビール飲んだら、おいしそー♪」
「あ。ビールもいいけど、釣りとかするのも楽しそーだよね。」
「今日、いい日だね。^^」

そんな感じの人。

photo by 丸山嘉嗣

いいも悪いもあるようで実はなくて
ぐるんとまとめた目の前のすべてがあなたなら
そのあなたがいいと思う
ほら素敵だよ
私は素敵だと思うんだけどな
ほら、見てみて。
私から見たあなたって、素敵だよ?
わたしが撮った写真に、写ってるよ?

さっちゃんが写す写真には
彼女のそんな心がまるまると表れているような気がします。

過日私を由比ヶ浜で撮影してくれた時も。

photo by あそゆか

本当に、写真を撮るのが、楽しそうで。

ニヤニヤ、ニタニタ。そして出てくる言葉は「かわいー。」


どこが、とか
ここが、とかなくて

ただただ、

「あ、かわいー。」パシャリ。ニタニタ。うふふ。いいね、いいね。ゆかちゃん、次こっち立ってみて。そうそう。
もうちょっとそっち向いてみてー、そうそう!かわいー。

パシャリ。

かわいー。次どこ行こっか〜、あっちは??
あっちいこ〜
あ、ここ、ハマってみて。そうその穴!

パシャリ。

あはは、なんだろうこの構図〜笑
でも、ここで撮ってみたくなっちゃった、ちょっと顔あげて〜〜、そうそう、そっち向いてみて。うんうん。

パシャリ。

今度はそこ座ってみて〜
そうそう。
かわいー。

パシャリ。


どんな風に撮ろうか、事前にねりに練って
いざ臨んだ!と言う感じはなくて
気さくに時間を共にしながら、
ぷらぷらと浜辺を歩きながら、
おしゃべりしながら、

ここで撮るのもいいと思う
こっちもいいね、と

近くにいたはずの彼女は気づいたら距離を少し撮っていて

ゆかちゃん、こっちー

パシャリ。


あっちを向いてるゆかちゃん、撮りたい。
そうそう、それいい〜〜〜〜

パシャリ。

撮られているのは確かだけれど、「撮られてる!」という自意識を発生させることなく、ただただ、彼女との時間を楽しんでいる間に、ニヤニヤしながら撮ってくれる、写真たち。

こんなポーズも。笑

撮影前に一緒にお茶をしたbillsで
彼女がひょいと、大砲のような大きなレンズをお構いなしにテーブルに出した時には、あまりの迫力に正直驚いてひいたけれど苦笑

彼女はそんなことお構いなしに、ひょいと構えて軽々、撮影してしまう。

え?そう?大きいかなぁ、とか言いながら。
その自然な手つきは、もうカメラが彼女の体の一部になっている。

「ちょっと横向いてみて。そうそう。」
そのリクエストをするさっちゃんの声は、とても軽やかで嬉しそうなので、「あぁ、きっと何か、素敵に撮れそうなラインや角度を見つけてくれたんだろうな」と思っているうちに撮ってくれた写真は、自分でも思いがけず大人びた顔をしていて、ちょっと照れ臭くなりながら、にひひ、と嬉しくなったりする。

そう、彼女には、彼女からみた「ここから撮ったら素敵!」とか「ここのラインを切り取りたい」とか、そう言ったことが見えているんじゃないかなぁ。

そっちを向いてくれたあのライン、とか
こっちを向いて座っている時の、あの目線、とか。

でもそこにはまったく押し付けがましい感じがなくて、かといって、放牧しっぱなしでもなくて。
ごくごく自然に、歪みなく、さらりとわたしの瞬間の良さを見抜いてはシャッターを切ってくれている。そんな、撮影。

自分自身に、気構えも気遣いも、よく見せたいとかみられたいとか、そういう「余計な何か」がなかった時間だからこそ、写されたた姿が「なんだかいいね♪」と思えることに、ほっとする。

わたし、そんなに気負わなくても、十分大丈夫だよって、自分に言ってあげたくなるような、軽やかな写真たち。

これまでに、何人かの方に撮っていただきましたが、さっちゃんの撮影、その雰囲気は、誰とも同じではなくて、「滞りがない」と言う表現がピッタリのような気がします。

下手な抑揚の振り幅はなくて、褒めちぎったり、会話にギャハギャハする感じはなくて、ペースに乗せられた、と言う感じもない。かといって、距離感が遠くて戸惑うこともなければ、仕込まれたものを一切感じることもなく。

彼女からもらうちょっとしたリクエストには、こちらもすいと応えてしまう。

撮影後どこを振り返ってみても、滞りがなくて、軽やかだったなぁと言うのが、わたしの印象。

それは、彼女のあり方に大きく影響している気がします。

ピラティスインストラクターとして独立してからの道を話してくれた時に、彼女はこんなことを言っていました。

体作りって、売ることを考えたら、
くびれができるとか、お尻がキュッと上がるとか、胸が大きくなるとか、痩せるとか、
そういう、わかりやすい表現の方がお客さんも惹かれると思うんだよね。そうやって集客している人たちは、もちろん自分の体をそう見せるように努力もされててすごいと思うし、それはそれで一つのやり方なんだけど・・・・
私は、ボディーワークの本来の目指すところは「体に不調がないこと」だと思う。痛みとか歪みとか辛いとか。そういう「不調がない体」であることってとっても大事だし、それこそが本質なんだよね。不調がなければ健康だし、健康な体って、自然と美しい体になるから。私はそこを伝えたい。

見せ方は色々あっていいし、どう見せてもいいけれど

本質は「不調がないこと」から生まれる、健康美。
その本質こそを伝えたいし訴求したい、という

とてもまっすぐな、思い。

photo by 丸山嘉嗣

着飾ることない本質を、ずっと大事にしてきたからこそ、今フォトグラファーとなって被写体である目の前の誰かを見つめるときも、同じように見ているような気がします。

誇張したり、「見せ方」を考えるよりも、まず何よりも、ありのままの自然体、その人ならではの存在美を見抜けるからこそ、写される人の更なる可能性や魅力を引き出して撮れるのではないか、と。

「もうある」今目の前に、フォーカスする。

そして、そんな風に、飾りすぎず、盛りすぎず、目の前の人の魅力を「可愛い」「素敵」と感じてはシャッターを切ることを、誰よりさっちゃんが楽しんでいるからこそ、そんな彼女の雰囲気が撮影される人も空間も包んでくれる。

だから、撮られていても、出来た写真を見ても、きっと、自然な笑顔が溢れて、違和感なく安心するんじゃないかな。

私との撮影が終わるその時に。

ゆかちゃん、可愛く撮れてるよ。
だって、私が撮ったから。

私の顔をひょいっと覗き込んで言ってくれた一言。
その目はとてもまっすぐで、、、、、

私が感じたゆかちゃんの魅力に間違いはないよ

そんな思いがストン、と伝わってきました。

長年、体と心を本質から見つめてきたさっちゃんだからこそ、ご自分のその経験に基づいた「人の本質を見る目」にはきっと狂いがないことを、ご自身も信じてるんじゃないか。
さっちゃんのまっすぐな眼差しから、そんなことを感じた、撮影でした。

その眼差しと言葉、そしてなんとも楽しそうな自分が写っている写真をもらって、私は私に安心して、心地良くなったのは、言うまでもありません。

うん、私は私で生きていくのが一番ね、と。

2019年の秋に一眼レフカメラを手にしてから、約2年半。
2020年に写真を学び
2021年に春夏、秋冬でそれぞれ100人撮影を達成。

「そんなに苦労した感じはなくて、『やりたい』って思うとできちゃうんだよね。」

いつでもご自身の真ん中、本質から、大好きな写真とともに生きてるからこそ、願いを、努力とも思わずに楽しみながら軽やかに叶えているだろうさっちゃん。


2022年はさらにフォトグラファーとしての道を進むために。

SNS発信を写真と共に輝かせたい女性起業家
美しく魅力的に生きたい40代〜50代の女性
もっと自分に自信を持って綺麗になりたい女性に向けて
  
もうその人の中にある、魅力の本質を引き出し、切り取り続けて行かれることと思います。

photo by 早坂華乃

気負わず、飾らず、そして、自分の内側からあふれる魅力とともに、軽やかに生きていきたい

そんなふうに願う女性は、ぜひ一度、さっちゃんの「愛でフォト」体験を、お勧めいたします。


さっちゃん、この度はありがとうございました。




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