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10years

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プロローグ

その人は、写真を撮るひと。

でも、その写真は、何かが違う。

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SNSで、スマホの中で

溢れるほど目にする写真たち。

私たちは

日々いろんなところで

スマホを取り出しては写真を撮る。

それはなんのため?


記憶にとどめたくて

記録に残したくて

誰かに見せたくて


人の数だけの、写真の意味、その撮り方。


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その人の写真には

心が、人柄が

うつされたその日その時の

そして

その人の今までと今、これから

時空を混ぜ込み未来をも予感する

醸し出される様々なものが

ー その息遣いまでも ー

感じられるようだと、見るひとは言う。


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そして、

彼に撮られた人の多くが

その生き方を 人生を

もっと素直に

もっと心柔らかく

一歩、また一歩先へと

より美しくなりながら進化させていくのです。


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そんな

人柄、心を写す「写心」を撮るのは、


「つぐさん」こと、丸山嘉嗣さん。

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彼は一体、何者なのでしょうか。



人柄写心家TSUGU 

本名 丸山 嘉嗣(まるやま よしつぐ)

つぐプロフなう

小学4年生の時自分で買った「写ルンです」で好きな子を撮った感激からカメラのある人生がスタートする。

大人になり、事業を経営する父親の下でサラリーマンとして働くも、そこにいる自分は「社長の息子」。自分を生きれない日々に限界を感じる中、ボーナスで「ゲームかカメラか他の何かか」の選択でたまたま買ったのが一眼レフカメラ。それを機に一眼レフカメラの世界、その美しさやカッコよさに魅了される。

誰でも生きれるような人生に決別すべく、26歳で「カメラマンになる」と決意、人脈も資金もないまま起業し、カメラマン人生をスタート。その技術は独学独流によるところが大きい。

人の心、人柄や纏う雰囲気、その人から感じる「何か」までもを写し出す、「その日その時その人の空気感をまるごと真空パックする写真」を撮影する写真家 人柄写心家と自らを名乗る。

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撮影のみならず、その撮り方を伝える「写心入門講座」の開催のほか、個性の魅力を引き出すためのセミナーやワークショップ、対談、コンサルなども幅広く行う。

2014年より、心までもを写し出す「写心」の撮り方を伝える「写心の学校」を開校、

2016年からは、「私の生きた証をここに残そう」「この撮影は人生の転機になる」と謳い、期間限定で100人を撮影する「100人撮影」を毎年春と秋の2回行う。(2019年から秋は50人撮影。)

2019年春の100人撮影は最多の170人以上を撮影。

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プロフィール写真、ビジネス用ブランディング写真からウエディング、時には幼稚園の運動会の写真も、そして何より「私を知り、私をより美しく輝かせ生きるための写心撮影」まで、人の魅力を引き出し、曇りなく切り取る写真は、まさにその人の心模様が写るような「写心」。

柔らかさも凛も、弱さも強さも、可愛げも美しさも。その人の魅力を余すことなく引き出し切り取る彼の撮る一枚は、写された人の今とこれからをドラマティックに想起させ、本人のみならず見る人の心をも動かす。
撮影された人、写心を学んだ人がどんどんきれいに、そして人生を進化させていくと評判、もっと私らしく美しく生きていきたいと願う女性を惹きつけてやまない。

モデルは撮らず、主に一般の女性を対象にし、誰もが持つ個性や美しさ、その可能性や未来までもをひらくような写心家として、SNSで人気を博し、撮影依頼の多くが口コミ、もしくは紹介という、異色の写心家。


読み手のための、セカンドプロローグ

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「つぐとは何者かを書いて欲しい」

そんな依頼から、この文章は生まれています。


「この人はこんな人だ」

以前の私なら

それを表現するのはそう難しくないことだったけれど


歳を重ね、経験を重ね

様々な自分を知るにつれ

そして

この2年つぐさんに撮影してもらうことで

これまでとは違う選択を重ねることで

たくさんの新たな自分にも出会えたから


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左:2018年5月 / 右:2020年10月


「あの人はこんな人」という表現でまとめられるほど

人は単純ではない、ということが今はわかります。


私たちの中には

たくさんの自分がいて

優しくありたいその裏にわがままな私がいて

寂しがりなのに、素直になれない天邪鬼。

強さやしなやかさに憧れながらも

甘えたくて頼りたい。

最低な自分を感じながら最高の自分を予感さえする。

どっちがあるからどっちがない

そんなものではない

どっちもあり、様々があり、絡み合い

そのあらゆる要素を

見せたり、秘めたり、使いこなしたり、持て余したりしている。

そしてまた

相手によって何を見せ何を秘めるかだって、変えていて

縦横無尽の振り幅の中、生きている。



だから

私が「あの人はこんな人」と言ったところで

それはあなたから見た

「あの人はこんな人」とまったく同じにはならないのです。


この依頼を受けた時

つぐさん、という存在を思い返せば返すほど

そこには様々な彼の姿があり、

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私は彼の何を見て、何を知り

そして何を知らないのか


そう問えば問うほど

その波紋は広がるばかりで果てしない。

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「つぐとは何者か」

誰もに伝わるその答えは、きっと、ない。


でも、ある。


「私にとって」「あなたにとって」という、

それぞれが感じていることが。



だから私は、私にとってのそれを記そうと思う。

そして、私以外の

他の方から見たつぐさん、も一緒に。


今、つぐさんが気になっている方も

もう、出会っている方も


これを読んだあと

あなたは何を感じ、何を思うのか

ぜひ、その・・・

あなたの中に湧き出てきたものを

大切にしていただけたら、嬉しい。



そしてもし。

つぐさんに撮ってもらいたい、

その体験を通して、新たなるわたしの道に、

一歩先のご自分に出会いたいと

少しでも願うあなたがいたのなら。


ぜひ、撮影を体験してみてください。

ただ予感するのとはまた違う

あなたの物語が、始まるはずだから。

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そんな願いを込めて


そして


出会ってからの2年半

撮影と様々なやりとりを通して

私にたくさんの変化をもたらすきっかけになってくれた

お世話になったつぐさんへのお礼と

カメラマン10周年のささやかなお祝いとして

このストーリーを捧げます。



人柄写心家TSUGUとは。 一つの確信


つぐさんとは何者か、なんて
簡単にはわからないけど。

でも出会った時から変わらず思っていること、

(勝手に)私が確信していることがあるのです。


2018年5月の由比ヶ浜

初めての対面、初めての撮影の日。

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初対面で、少し心細げにカメラの前に立った私は

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約1時間の撮影が終わり、

その場で渡されたSDカードのデータを見て

思わず、一枚の写真に見入ります。


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自分では見たこともない表情をした私がそこにはいました。


こんな風に安らいで、私は誰かのことを・・・特に、男性を・・・ゆったりと見つめられたことが、あっただろうか。


安心感がよっぽどなければ、

目の前の人に、心をひらいていなければ

絶対、できなかった表情。

自分ではこんな顔をするなんて、思ってなかった顔。


でも


こんな風に安らいで

誰かと関わり合えることを望んでいるよねと

優しくも確かに突きつけて

その本望を認めざるをえなくしてくれた


どこか、人との関わりに安心しきれずにいる

当時の私を自覚させてくれた一枚。


しまった!バレてしまった!とさえ思ったその顔を

初対面の彼に対して

その大きなカメラのレンズに向かって

どうして私はしてしまったのか。


なぜ彼はそれを可能にし、撮影できたのか。


驚きのあまりの「なぜ?!」が湧き上がり

帰り道、ひたすら、あの撮影時間に何が起きたのかを

深く深く、見つめ直したのです。


改めて、俯瞰して見えてきたのは

立ち入られたとも、侵害されたとも

放って置かれたとも感じなかった

一度も途切れることなく流れていた

ゆっくりと境界線が融和するような

柔らかく優しい空気感。


誰かをそばに感じながら

その誰かに気遣うことなく

私は私に集中していて

それはつまり

自分の感じるままにいれた、ということ


彼が一切私を

ジャッジなく、ただただ、いさせてくれていたということ。


「自分以外の誰かのためのスタンス」ではなくて

誰かといても、私が私のためにそこにいられた時間。


言い換えればそれは

見守られていた、のかもしれない時間でもあって。


無言の「大丈夫」がそこにあったからこそ

固く縛って包み込んでいた

こんな自分は受け入れられないのかもしれない

でも、それこそ受け入れられたいという

不安と願いの風呂敷包みのようなものが

きっと、勝手に、知らないうちに、ふわりと解かれてしまったのだ。


だから、あんな表情ができた・・・と言うより、

怖さや不安から解放されたらどんな顔になるのかを

教えてくれる私が、

ひょっこり、出ちゃった、のだ。きっと。

ここに、いるんだよ、って。

そんな自分に出会ってしまったら

それはもう、いないことには、できなくなってしまう。

まいったな。

そんな私でありたいと、思わずにはいられなくなって、しまう。

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歩幅を合わせてくれたり

距離感を少しずつ、はかってそばにいてくれたり

少し離れて、見てくれたり

レンズを意識したら

私の意識が私から離れてしまったら

カメラを下げて他愛無いおしゃべりをする。

気づけばまた、シャッターが、切られている。


場所も、日のあたる向きも、何度も変わっていたのに

彼がレンズを変える時くらいしか

私が彼の手元を気にすることがなかったのは

彼が、きっと当たり前に

歩きながら、話しながら

片手で、カメラの設定を、

ダイヤルを回して変えていたのだろう。


滞ることのない

「安心できるか、できないか」さえ意識させない

どこまでも自然な

「違和感を何一つ感じさせない空間」を

私が、ソワソワも、ゆるゆるもある

いろんな自分、その感覚に集中しているその後ろで

彼はずっと

さりげなさの裏で作り続けていてくれた、のだ。


意識を張り巡らせ、真剣に撮影していたはずなのに

そんな真剣さも全く見せず

私と交わした会話は

軽快で、まっすぐで、ユーモアもある余裕感。

そして時々

私の核心をつく言葉をポトリと落としてはドキリとさせる。


どうしてそんなに人の出方を気にするの?
俺から見たらあなたは鳥籠にいるように見えるけれどね。あなたは窮屈だとも思ってないと思うけど。
下着、変えてみたら?値段じゃなくて、自分がときめくものを選ぶんだよ。


不意に言われた私は考え出す。


「本当は、どうなんだろう?」

「私、どうしたいんだろう?」

「え?!それもありなんだ。していいんだ?!

 そんなことしたら、どうなるんだろう。」


今のわたし

その当たり前への懐疑と

視野になかった未来を描き始める問いが

回りだす。


渡された数百枚の写真のクオリティは

素人の私が言えることなんて、何もないくらい

自分の顔を、なんだかいい!と言ってしまいたくなるものばかり。

撮って出しだから、もちろん、半目だったり、変な顔もあるけれど

そんな事が霞んでしまうくらいの私が、いっぱい写されていて

あれ??私って、自覚していたよりもいいのかもしれない。私が思ってた私って、なんだったんだ??どういうことだ!?

自分で感じていた「私の輪郭」が崩れて、

少しの混乱と、よくわからない、未来への予感

「想定外にいい感じの私になれるかもしれない予感」のようなものが

淡く広がりだす。

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写真撮影だけど、ただの撮影じゃない、

そんな枠には収まりきらない

「私」という存在の外と内、

その輪郭に新たに気づかされるような

かといってガチガチのセッションでもない、

不思議な、

安堵も楽しさも

懐疑も期待も入り混じる

でも確実に、何かが変わり始めることだけはわかった、

なんとも表現しがたいそれは

「撮影」を超えた「一つの大きな体験」だった。


こんな気づかい溢れ、心に触れる撮影を、この体験を

何人もの人に、撮影の度に

相手の人のスタンス、状態に合わせて

きっと、当たり前のように、手渡している人なのだ。


撮影の前後だって、連絡したり相談に乗ったり

想像するだけで呆れるくらいのやりとりも、重ねているはず。


100人撮影の真っ只中だったあの日も

1日に4人5人と撮影しただろうし

そういう日を2ヶ月近く、続けていることになる。


彼のしていることを想像して

その

わたしには計り知れないスケールの大きさに、

思わず、途方に暮れた。


一体どれほどの集中と気遣いを、この1時間にしてくれたのだろう

そして

それを誰にも、撮影で出会う人に、し続けているなんて。

そんな仕事を、関わりを、日常を、続けているなんて。


初めての撮影の日の帰り道に強く思ったことは


なんて人だろう


なんて、深く優しくて繊細で大きい人なんだろう

そして

私にはその域がどれほどか

まったくわからないけれど

おそらく、

とんでもなくものすごいプロ意識を持ってる方なのだ

写真に、撮影にかけては

突き抜け、きっと、捧げてきた人なんだ

そんな衝撃とも言えるものだったことは、今でも忘れられません。


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この方はきっと

相手が気づくか気づかないかもわからない気遣いや優しさを

関わると決めた人には

どこまでも差し出す人なのかも知れない

そして

ひけらかさないけれど

たくさんたくさん、積み重ね、高め続けている人

だから

「それが何か」はわからなくても

そこを見落としては、きっといけないのだろうな、と。


見えてる、気付いてる表面の

もっと奥底に、あるもの、その大きい、何か。


これだけは、あの2年前の5月の由比ヶ浜から

私の確信として、

忘れたくないものとして、変わらずあるし

その確信は、ますます、確かになっている。


目の前の人が

関わると決めた

その人、その人生が

今より一歩でも、より良い方へと進むために。

その可能性のために。

受け取ってくれても、くれなくても

気づいてくれても、くれなくても。

差し出せるものはただ差し出す、

そして

写真が、撮影が

本当に、本当に好きで

写真に関わることには、全身全霊を尽くす。

きっと、そんな人なんだろうな、と。

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私のこの確信の真偽は、どうなのか

全ての正解ではなかったとしても・・・

決して間違いではないということも

ここから先を読み進めていただければ、

わかるのではないかなと、思う。


彼に、たとえ幾多の側面があったとしても。


Real Voices


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いつまでもどこまでも師匠であり、様々な新しい扉の鍵をくれる人
自分を客観的に見るための一つのツールとして撮影があるということ


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セラピスト。写真を通じて自然に自分を受け入れることができました。
笑顔と自分を取り戻すきっかけをいただきました!今年の春からの半年で本当によく笑うようになりました^^


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人の心を写すということを教えてくれた先生
コンプレックスも、良いところも含めて私は私でいい♪自分の人生を歩んでもいいんだ♪と思えたこと♪


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新しい自分、新しい世界を見せてくれる人。自分の本当の願い、生き方に気づかせてくれる存在。
今の自分が最高だよ!って言ってあげられるようになったこころ♡


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どこまでもフラットで平等。人の聖域を勝手に脅かさない人だなあと感じています
「自分を小さく見せなくて良いよ。よく見せようと飾らなくても良いよ。愛は裏切らない」と写真が教えてくれた


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尊敬すべきクリエイター。
自分が褒められる時の言葉を、遠慮せずそのまま受け取っていいんだと、素直に思えるようになったこと。


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男友達。会ったのは1回、撮影前のやりとりもほぼなしでも緊張せず、一緒にいることに違和感がなかった。
「好きにしていいよ」と言っていただき、大好きな花を撮影してのんびりできた。時間も気持ちもカツカツに生きている自分に気づいた。


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私の人生で一番大変な時にお会いしてお力を貸してくださり、要らない価値観を崩壊してくださった恩人です
撮ってもらった写真を見た瞬間に、私の可能性を無限に感じて、自分で制限するのはもうやめようと感じたこと


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本人が気づいていない(認めていない)内外の魅力や変化を捉え、白日の下に晒し(!)化学反応を引き出す人
わたしが思っている以上に、わたしは美しいし他の誰とも違っていて、まだまだ伸びしろがあると知れたこと


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静かに見守っていてくれる存在。圧倒的な行動力と継続力、そのベースにある心身の安定感を尊敬しています
パラレルワールドは実在する。どの世界で生きるかはいつでも自分で選べるし、1つじゃなくていいということ


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世界を、可能性を、広げてくれた方。私の人生がより彩り豊かになりました。
どんな自分でもいいということ。自分で人生を創り、楽しむこと。


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自分の知らない自分の顔を教えてくれた人、外見を整えることからでもメンタルが変わると教えてくれた人
自分を見た目から変えることは楽しい!自分の未来に期待する楽しさ・わくわく感!


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撮ってもらうごとに、見た目も心も綺麗に軽くなっている感覚と、自分では見えない素の私を切り取って貰えてると感じています。
自分では見えていない、その時の素直さを写心を通して教えてもらっている感じがします。


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先生でもあり、友人のようでもあり、アドバイザーでもある。迷っている・踏み出せずにいる私の背中を押してくれる人
”朱音さんは朱音さんでいれば、それでよい” 自己肯定感が低かった私に、プラスのマインドになるキーを渡してくれた


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今日初めて会ったのに、前から知っているみたいな感じ。心の扉をぱかっと開けて話せる人
初めての、私が主役の、お姫様な、撮影体験。そしてその撮影にのぞむまでの心の持ちかた。


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私なりに頑張ってきた人生に、彩りを与えてくれた人。淡い色合いからカラフルな色合いへと変化させてくれた人
「ありのまま、そのままで良い」を強めてくれた写心から毎回伝わるものは「撮られる度私を好きになる」そういう体験をさせてくれる


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43村上朋子様

お兄ちゃん。包容力と分析力で優しく導いてくれる存在です
閉ざしていた女性性の扉の鍵をギフトされました



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反面教師・仕事への向き合い方を変えた人・自分自身の写鏡・お客様との関係性作りにおいて新たな方向性を示す人
夫との関係改善・内面と向き合うきっかけ・自身の存在を多方面から認めること・恥を捨てること・仲間を作ること


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例えるなら打ち出の小槌みたいな存在。関わった分だけ得るものがあります。モノではなく知識という意味で。
「自分」について考える時間、かな。撮影と同じくらい臨む過程が大切。ということ。


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天才的センスで私の魅力と行くべき方向を照らしてくれる写真家。尊敬する先輩。今の私を形成する要素の一部。なんでも話せる茶飲み友達。
自分でもわかってなかった、心の奥底で求めてる方向・こう生きたいの「種」とそれを芽吹かせるための「養分」


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私がわたしを受け入れてさらに美しくなるのを信じて 忍耐強く見守ってくれて時にはお尻を叩いてくれる大切な存在
どんな時も どんなわたしも わたしがまずは一番の応援者でいることを教えてもらいました


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写真撮影を通して「自分の人生を変えよう」と覚悟を決めた時に出逢い、予想を遥かに超えて応えてくれた人
「自分の笑顔を、(思い込んでいたより)素敵だって感じていいんだな」と思えた、自信の種のようなもの


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本人も気づいていない心の奥底にある願いを引き出し見える化し、自分が望む未来へ導いてくれる存在
世界は広く多種多様な生き方があり、こうあるべきという制約を外して自分で自由にデザインできるということ


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ふっと立ち止まるきっかけ、自分自身と向き合うきっかけをくれる人
何者にならなくていいこと、そのままの自分が最高なんだって教えてくれたこと


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49優ゆうこ様

私の人生を変えた人。純粋で繊細。どこまでも優しい愛の人で、たくさんの喜びを与えてくれる人。
足枷を取り払うことをもっとも簡単にさせてくれて、ずっと綺麗で女でありたいと感じさせてくれること。


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語彙力がなくて・・・ただただ尊敬。息子もまたツグさんに撮ってもらいたいと言ってます。
撮影の時間だけでなく、前後の時間もチャレンジと 私をより好きになるギフトを受け取りました。


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自分を解放してくれた人。ほどよい距離感で見守ってくれて、折に触れて響く言葉をくださり、ホッとさせてくれる存在です。
「正しさを気にしていたら、本当の自分がわからなくなるよ」生きにくさを感じていた私にとって大きな道しるべになりました



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師匠であり、兄でもあり、お友達であり、優しくも厳しくも何者にでも変幻自在に変わる存在。
居心地の良い表現の場所を頂いたこと。それが普段の生活にも降りてきて、自分の感情表現がより豊かになった


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自分に素直にガチで生きてる人と感じさせる存在。。。お手本的な存在かな。
私自身と一つになった!と感じた。地球にきた!と地に足が付いた感覚とともに、私で生きていいんだと許可ができたこと♡


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嗣さんは、美的センス抜群なバランスの取れた人。彼の周りは素敵な女性で溢れる存在。
飾らない自然の姿にあなたの美しさがあるよ。美点はここと気づかせてくれたこと。


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私の見たくない所を見せてくれる鏡の様な存在。未来を見せてくれるタイムマシンの様な存在。
私が拗れている理由、感情の出し方、表現方法を教えてもらえました。


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初めての撮影でも、過去のことやトラウマだったことを不思議と話をしてしまった、異性ではありえない存在。
どんな私でもありだよ!何を望んでもいいんだよ!って教えていただきました☆


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制限のない思考で人を解剖し 写心で突き付け、包み込み その眼とカメラで人間をまるごと愛でる人。
はじめての撮影で最高の気分と最低の気分を味わったこと。「何を受け取りどう生きるか」を探り出した日でした。


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他の人に触れられたら、ただただ嫌でしかないところにそっと触れて、言葉にならない思いを昇天させてくれる人。
『美しく生きていいんだよ』って書いてくれたことと、唯一無二の変態っぷりが一番の長所だと伝えてくれた事。


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私の知らない自分を厳しくも優しく気づかせてくれる魔法使いの師匠。私の空想を形にしてくれるアーティスト。
見せていない自分の本当の気持ちを形にしてくれた 自己満足の表現力。


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いつも安心をくれるかけがえのない人
人生の中で手に入れたかったもの、自分からは遠くにあると思っていたものがいまちゃんと目の前にあること。


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「自分らしく生きる」を体現している人
私にも素敵だな、美しいなと思えるところがあるんだと気づけたこと


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視点、観方に変化を与え、目で見る世界と思考の世界を開かせてくれる存在。ひとのおもしろさを気づかせる存在。
自分のなかのいくつもの自分に気づき、許可を出せたこと。写心という世界、自分のマニアックを踏み出せたこと。


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冷静と情熱のあいだに住んでるひと。面倒見が良くてサービス精神旺盛(だが時にシビア)
自分の目から見える世界の限界を超えた知らない自分を知れた。もっとそんな自分を知りたくなった。



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写心で言葉で行動で、自分の人生を生きるってことを教えてくれる人
授かったものは山のようにありますが・・・自分で自分のことを本気で可愛いと思えるようになったことが最大のギフトかな


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「自分が主役」の人生をスタートしたつもりだったけど、もう幸せな人生を生きていると教えてくれた存在。
他人を主役にして振り回される人生は「自分」が選択していたとの気づき。人生は、自分の選択で創られる。


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私が写真を仕事にして人と関わっていきたいと思うきっかけであり、いつも見守りながら背中を押してくれる存在
自分で作っていた思い込みの壁や天井からの解放、自分で未来は選択できるという気づき


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風みたいな人。頬に感じる爽やかなそよ風の時もあるけど、たいていはどこ吹く風。
私は可能性に満ち溢れた存在だったってこと


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自分自身に見えていない、今の自分と未来の自分を見せてくれる人。
自分への承認。そして前向きに進む、未来の自分と可能性。


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「写真はもっと楽しく自由に撮ろう^^」って写真が撮れなく怖くなってしまった頃に楽しさを教えてくれた方
年齢は関係ない!自分らしさ・美しさ・魅力は歳を重ねて自分の意識一つでいくらでも進化するよ^^


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自分から逃げてしまいたくなった時に、どっちの方向に行くか指し直してくれるコンパス。
自分から目を背けない心構え。あと、夫とこども。笑


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人と共感して、成功したはぐれ者。自分が楽しく生きていて、そこに人が共感していけるフィールドを作っている人です。
仕事中やプライベート、男女のフィルタをかけることなく、人間そのものを観る視界。おかげで結婚できました。笑


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海みたいに穏やか。広いニュートラルな視点で世界を観ている感じ。時々ハッとするような言葉をもらえ、背中を押してくれる存在。
わたしの知らないわたしを見つけることができたこと。そしてそのわたしをさらに愛しいと思えるようになったこと。


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その人の中にある、どんな小さな変化や輝きも、写真という鏡の中に写し出す超高性能な人間センサー。
私ってこんなに素敵なんだ!って大真面目に自分を褒めてあげられる。辿ってきた過去やあり方を肯定できる。


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遠くから見てくれていて、でも何でもお見通しの・・・師匠のような存在
写真によって等身大の自分を客観的に見られることを教えてくれたこと


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うんうん、いいね、そうなのね。自分が話す事よりも、相手の聞く事が大事と体感させて貰いました♡
「写心」のおかげで笑顔が素敵と褒められる事が格段に増え、あの写真の!と覚えてもらえる人になれました。


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ある時は少年、おじいさん、そして兄、母的存在。どこでも生きていける、背中を見せてくれる存在。
撮影を通して、自分を客観視できる、話をすることで、新たな気づきを得られる。結果、生き方も変わりました。


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私の人生を大きく変えたキーマンであり、これからもその大きな背中を追っていきたい人
女性としての自分を花開かせ、主役として前向きに生きていくための底力


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どんな時も私でいいんだって、寄り添い、見守り、その時々進んでいくためのきっかけや気づきを与えてくれる人。
自分の心に素直でいられる時が、一番楽しいと言うこと。人目を気にして良い子でいなくてもいいと思えた。


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56黒田寿美様

つぐさんは、私のお志事の、素晴らしいパートナー。だから階段めちゃくちゃ上がる!って決められる存在。
鏡に写る女性は1人でいいと、ダメだしをしていた自分に、何一つダメではないと、全てに◯をくれました。感謝。


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会うとつい楽しくなっちゃう存在。これからも、写心撮って!写真のことやって!とお願いし続ける人。
自由で宇宙人みたいで測定不能、だから興味が尽きない。そんなつぐさんに出会えた事こそが最高のギフト。



初めての撮影体験の方から、10年来の方

一度会ったのみの方から、師弟、仕事のパートナーまで、

撮影を体験した56名の、こえ。


どんな形でこの文章が使われるか、確定はしていないけれど

「つぐとは何者か」を伝えるために

そして

誰より

自分では(写真撮影、その関わりを通して)何が起きているかわからないから。

そうぼそっと言って、私に今回の依頼をした

この10年を、

愛してやまないだろう写心と共に

ひたむきにひたむきに

あゆみ続けてきただろう、

つぐさんに

ほんものの声を届けることが、できたなら。


依頼を受けて1ヶ月以上、どう書いたらいいのかと考えあぐね

自分一人で答えを書こうとしなくていいんだ。聞けばいいんだ。

そうして思い至ったこの案が実際に動き出したのは、

9月半ばを過ぎた時。

勝手ながら、誕生日までにはお渡ししたい。

概要を知らせるページを作り、

数人にまず声をかけたら

あの人にも連絡するね

この人は知っているから、と

人から人へ瞬く間に繋がり

それは、私が会ったこともない方にまで伝播して

たった2週間ほどで50人以上の写真と声が集まりました。


「つぐ、愛されてるな〜!」

「素敵な企画ですね!」

「つぐさん喜ぶね!」

「言葉にする機会をありがとう!」


そんなたくさんの声と共に。


次々と送られてくる言葉と写心

これこそが、つぐさんが積み重ねてきたもの

そして

「つぐは何者なのか」の一つの答え。



ここに一つとして同じ答えはなく

それぞれが、彼との撮影、その前後

今日までの関わりを通じて

気づきや成長、変化や進化、開花を体験した証でもあって。

もし、共通点があるとするならば


「私が私として生きていく上で

 大切なものを、見つけることができた」


ということなのかもしれない。


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50文字で記されたその言葉の後ろには

言葉にし尽くせないもの

たった一度でも大きく深く感じたもの、

時間を経て積み重ねられた、

その深みやあたたかみ

語り尽くせないストーリーがひめられている人も

きっとたくさん、いることでしょう。

お一人お一人が感じてきたこと、

今日までを思い返して

50字に、表してくださったものたち。


それは

ただ、申し込み、料金を支払い、

その時一辺倒な

「ポートレートを撮る」「綺麗に撮る」では決してできない体験


彼が、

一人ひとりを見て、

その存在、人生が

より、その人を生かす幸せになることを願い

きっと誰よりもその魅力や可能性を広く信じ、

それを、写心としてはもちろん

その関わり全てを通して、渡せるように


人を見て感じる心の目や

写したいものを写し出すための写真の技術

人と関わる術、そのあり方を

どこまでも、見つめ続け

広め高め続けながら

関わり続けたからこそのもの、ではないかと。


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そしてまた、お一人お一人が


彼にただただ寄りかかることなく

写心から与えられたものを

ご自身の心で感じ受け取り

そこから、

「私は、どうするのか」を

今日までの日々、選んできたからこそ、

きっと、言葉にして言えるもの。


ありきたりな言葉で言ってしまえば


「互いと良き未来を信じることで生まれる

 思いと言葉、選択と行動の行き交い」


それが生み出されている、のだろうな。

ベタ、だけど。


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とてもシンプル。


でも、シンプルこそ、難しいのもまた、人生。


私たちは、幸せをどこまでも願い求めながら

自分を幸せにしない思考や行動をつい選択している。

親からの、社会からの、過去からの、という

理由や言い訳のもと

自分はこうじゃなきゃダメ

こんなことしたらいけない

そうやって

本当に自分を喜ばせるもの

幸せにするものから

目をそらし、背け、見ないフリをして

堅く閉じ込めて

「こうしておいた方がいい」

「こうしなきゃ(誰かに嫌われる、認められない)」なもの

不幸ではないかもしれないけれど本望ではないもの、を


誰かを信じ

信じ抜かれることをどこまでも望みながら

やっぱり、あの人は信じられない

やっぱり、どうせ、

やっぱり、私は・・・・・

そんな風に望まない未来を作る信念を

つい、採用していたりする。


そうしてどこかで

「なんだか何かが違う気がする」と言っては

何か、モヤモヤしてる

そんな、生き物だったりする。

わかってる、でも、抜け出せない、時も。



「あなたが信じたいのはこっちじゃないの?」



そんな時、彼は

信じたくないもの、ではなくて

信じたいもの、にベクトルを向けなおしてくれるのかもしれない。



どこまでも、1対1

一人と一人として関わりあい

その人を見て

その人を知って

その、できる限りのありのままを感じて

その人の未来を思って


あなたがあなたの望む未来や生き方を選ぶのなら

その先のあなたは

こんな姿になれるのかもしれない

これはいらないのかもしれない

これが、必要なのかもしれない

もしかしたら、これが便利かもしれない


その人に必要な言葉、気づき、を

彼の言葉、問いかけ、そして彼の行動で、

見せながら、届けながら


その可能性の先の「未来の予感」を

写真に・・・

「僕から見える

 僕が信じているあなたの魅力があるよ

 そこからひらいていく何かがあるよ」ってことを

「行きたいのは、こっちだよね?」と

「証拠写心」にして渡してるのかも、しれない。


ほら、こうして、見えるよ、って。


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だから


大丈夫だよ

いけるよ

信じてごらんよ

選んで、進んでごらんよ


そうやって

応援、する


それなんじゃないかと


私が今まで彼から受け取ったもの

そして

こうして集まった多くの声と写真を何度も見て


思うのです。


一人ひとり

その人生の可能性と未来を信頼して

写心にそれを写し渡しながら

望む未来を手にしていくことを

「応援」し続けている人


それが、人柄写心家TSUGUさん

という人、なのかもしれないな、と。



あぁ、どうしよう。

この2ヶ月ひたすら考えていたことの答えが

こんなにもベタでシンプルなんて。


でも、そうなんじゃないかな、きっと。


彼はいつも、誰かを応援してる。

いつも、その時、目の前の人

そして、自分にできることは何かなって考えながら


その人そのままを、受け止めながら

それでも大丈夫

何があっても今どうでも大丈夫

あなたの望む未来があるならば

どうしたって行けるんだから


行こうよ、行けばいいじゃん、行きなよ、ほら。

あなたが信じてなくて見ようとしてなくても

俺にはこんな風に見えてるよ?


そんな応援をね、大好きな写心とともに

ずっと、してる人、なんだろうな。


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プレ・エピローグ。

「応援」とは、あなたにとってどんなものだろう。


背中を押したり、頑張れ!とエールを送ること?

一緒に伴走する事かな

それとも見守ることかな。


いろんな応援の定義があると思うけれど。


私たちが応援を求める時って、どんな時だろう。


それはきっと

目指したいことがあるけれど

一人では不安な時、なんじゃないかと思う。


行きたいって思ってる、

なりたいって思ってる、

でも

大丈夫かな

こんなことして、いいのかな

できるかな

失敗、しないかな

失敗したら、どうしよう

こんなことしたら、嫌われないかな

社会から、世界から、はみ出してしまわないかな

それでも、生きていけるのかな。

こんなことする自分で、いいのかなぁ。

こんな自分は、許されるのかな。


そんな思いに駆られる時

私たちは心細さに襲われるし、弱気になる。

行きたい、やりたい、なりたいはずの未来が、霞み始め

今のままの

望みの前の手前の今で、踏みとどまる。

「今のままでも、不幸じゃないし。」なんて。



だからこそ

味方してくれる誰か

応援してくれる誰かを求めたくなるのかもしれない。


不安に負けそうになる、その一歩を、

それでも、踏み出したくて。

その先の未来が、欲しくて。


そんな時、応援してくれる人が


あーしろ、こーしろと

それはダメだ、これじゃいけない、なんて

余計なアドバイスをしてきたり

親は、社会は、学校は、と

そんなものを持ち出して

普通はこうするものだ、なんて押し付けてきたり

頑張れない不安があるのに

むさ苦しいだけの熱血論を広げて

ただ「やる気を出せ!」なんて言われても

「わかっちゃいるけどそれができないから困ってるんだ」

そんな気持ちになる。


私たちは「応援」に何を求めているのだろう。


それは、きっと


信頼と安心


なのではないかと思う。


あなたが

行きたい

やりたい

なりたい

そう願うのならば

それは、きっときっと、叶うんだと

あなたなら、それは、できるんだと

心底心底誰かが、自分以上に信じてくれたなら

そして

たとえどんなことがあっても

あなたはあなたで

あなたの人生、

あなたと言う存在、

その尊厳は傷つかないと言うこと

あなたの居場所はなくならないし

あなたは、何も失ったりしないんだと言うこと


だから


大丈夫なんだ、と言うこと。


そんな


信頼と安心を感じることができたなら

そんなことを感じさせてくれる

誰かの存在を感じることができたなら。


望む未来を前にした心細さや不安は

溶けて小さくなって

踏み出せなかった小さな一歩がきっと、踏み出せる。


きっと、大丈夫、だから、行ってみよう、と。


応援は、信頼と安心を、手渡すこと。


つぐさんの応援は、まさにそれなのだと思う。


そして

私たちが望む


行きたい未来

やりたいこと

なりたい私


と言うのは、案外


これまでの社会通念や常識、

「親や環境から授かってきた生き方」

と言うものに当てはめようとすると

その枠の外、

案外、とんでもないこと、だったりする。


だから私たちは、踏みとどまるんだよね


こんなことを望んで、やって、

親に、先生に、友達に、あの人に

社会に、世界に、

嫌われないかな、認められるのかな、

こんなことして、いいのかな。って。


誰かや、何かの目を恐れて

誰かや、何かから、嫌われること、認められず否定されることを、恐れて。


こんなことをする私は

普通じゃないのかもしれないな。って。


でも、それこそが、本望。

それこそ、認められたい私。

そんな私を、認め受け入れ、

信じ愛して欲しいのだ。


だから、


信頼と安心を渡せる応援者と言うのは


普通とか

常識とか

社会はとか


そんな様々な枠や物差しを持って

ジャッジして人を見ていては

実は務まらないのだ。


こんなことを望むあなた

そんなことをしてみたいあなた


常識を、枠を超えた先にいるだろうあなたを


それでいいじゃん、


だから


いけばいいじゃん

やればいいじゃん

なればいいじゃん。


そう思うことも願うことも

何の問題もない、

いいじゃない??

何がダメなの??


そう、心から思えないと


心からの安心や信頼って、実はなかなか、渡せない。


ジャッジを超えた

ノンジャッジの許容こそ

安心と信頼の元、でもあるならば。


つぐさんて人、は。


写心をこよなく愛し、

目の前の誰かを応援する、

どんな人にも安心や信頼を渡す、そのひたむきな彼

その姿、生き方は。


ね。


ここから先は、ご想像にお任せしてもいいのかもしれません。


普通は、とか

社会は、とか

常識的に言ったらね、とか。


そんな枠や物差しを

軽々超えた向こうの世界を

泳ぐように生きてきた人、でも

あるのかも、しれないね。


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どんな生き方もできる、してきた

「普通」や「常識」を持ち出したら

説明できない世界も

選んで、超えてきた

だからこそ

あなたの、どんな生き方も選択も、大丈夫だ。

大丈夫、何も失わない、

だって俺は、失ってないから。



きっと、そう、言える人。


宇宙人かも、しれないな。


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最後の最後の、エピローグ。

私の想定を遥かに超える

視座も視点も視野もある方。

それだけの生き方をしてこられた方。


その方から、こうしてストーリーの執筆の依頼をいただけたこと

何より、光栄です。


写心とともに

制限のないご自身とともに

カメラマンとして生きてこられた10年を超え、11年目へ。


その道のりは決して、楽な道のりではなかったことは

つぐさんご自身も、これまで様々なところで語ってらっしゃいます。

うまく行ったことは2割

うまくいかないことが8割だった、と。

でも

その道が、カメラが、写真が

楽しいから、続けようとも思わずに続けてきた、とも。


私には想像がつかない世界ですが

そんな世界を、今日まで超えてきたからこそ言える言葉があり

伝わることがあり

そして

お客様と出会うために積み重ねてきた10年があり

そうして出会い続け

その方との、お一人お一人との関わりの積み重ねがあったからこそ

今回こうして、たった一人の、ライターのお願いを

多くの方が受け止め、応えてくださった。


彼の進んできた道のり

重ねてきたものの大きさ

信頼の厚さを感じずには、いられません。


今回、このストーリーを書くにあたり

つぐさんへのお祝いとしてもお渡ししたいという私の思いもあり

最後は

彼のメンターのお一人でもあるだろう方に

厚かましくも、お言葉をいただけないかと、依頼をいたしました。

快く引き受けてくださったこと、この場を借りて

心から感謝いたします。


11年目、新たなるシーズンへ。

つぐさんのご活躍は

きっとこれまで出会ってきた多くの方が

これからも、期待し、そして

楽しみにしていることでしょう。

「また、写心、撮ってね。」と。


次なる一歩を

その未来を

これまで誰かを応援し続けてきたように

みんながきっと、応援しています。


57原田翔太様

あの日の君が踏み出した
小っちゃな一歩が積み上がり、
大きな違いを創ってきたね。
10周年おめでとう。
また次の小っちゃな一歩をここからだぜ!
原田翔太




編集後記

依頼が、おおらかすぎる。

「つぐとは何者かについて、書いて欲しい」

そう依頼をもらったのはまだ暑い8月ごろ。

書式、媒体、そう言ったものを聞いても

「任せる。」の一言で終わり。


枠のない自由というのは、かえって不便なもの。

自由すぎて、行き場が見えず

おかげで、一体どう書いたらいいものかと

そして、つぐさんとは、一体全体、どういう方なのかと

この2ヶ月ほど、ひたすらずっと考え続けるはめになり

丸山嘉嗣ゲシュタルト崩壊状態に陥ってしまった。


でも、だからこそ


つぐさんご本人では書けない視点で書こう

そして

これまで、投稿やライブ配信で

彼自身が語ってきた以外の彼の姿を書けたらなと、

思い始めたのです。


どうしたらそれができるかと

何度も考えながら最後に至ったのが


彼の言葉からではない彼の姿

つまり

圧倒的他者視点から書く

人柄写心家TSUGUとは、でした。


それを一番リアルにかなえる方法が

撮影を体験した方達の

実際の声を、お伝えすることだ、と。


とはいえ、一介のライターの私がそれをして

一体何人の声が集まるのだろうか


ここでも不安がよぎり

実際に行動に移すまでに、多少時間がかかりました。


集まらなかったら、どうしよう。と。



全くの杞憂でした。



そんなこと気にする必要がないくらい

彼が築いてきたもの、

その信頼関係は、深く大きかったことの証のように

あっという間に50名を超す方から

ご連絡をいただきました。



多くの方がお力を貸してくださり

次々と繋がり

そして

大切なお写心とともにお言葉を送ってくださり

その、集まったものをじっくりと見るまでには

少し時間がかかってしまいました。


とてつもなくかけがえのないものを預かってしまった

こんなことして、よかったのだろうか、

ちゃんと、伝えられるのだろうか、と。


いろんな人生、いろんな時間を生きてきた

一人ひとり違うそのお姿を写した写心と言葉から感じたものは


「尊さ」に他ならず、


あの方が、こんな表情をすることが、あったなんて、と

送られてきたファイルを開いた瞬間

思わず涙がこぼれたものも、ありました。


様々な時を経て今

誰もがご自身の人生を、その命を生きている

人の命の息遣いが、そこにはありました。


写真は、共作です。

写された人の心と

写す人の心

両方が写ります。


私が、この56枚の写心を見て

そこに尊さを感じたのならば

それを写したつぐさんもきっと

お一人お一人を大切に、敬意を持っていたに

違いないのです。


ないものは、感じられないのですから。


自分ははみ出して生きてきた。きっと自分勝手だし、迷惑もかけたし、嫌われることだってある


折に触れてそんなことを彼は言います。


でも、今回こうして

改めて

私自身が感じてきたこと

そして

撮影を体験された方の声と写心

そこから感じられるものを噛み締めてみて


私は、彼がはみ出しものだとも

嫌われ者だとも、思うことはなく


ただただ

ご自身にも他者にも

まっすぐで、正直であり続けた人なのではないかと

思わずには、いられません。


自分を応援してないない人は、他者を応援できないし

自分を信じてない人が、他者を信じられるわけがない。


自分を信じるためには

自分に嘘をつけないのです。


例えそれが

誰かを時に傷つけてしまうことがあったとしても

自分に嘘をつかない


それは、痛みをも引き受ける覚悟を持ってして

できること。


なかなか、できることではありません。

つい、嫌われるのを恐れて

波風を立てないための嘘を

自分についてしまいがち、ですから。


覚悟を持って

自分に嘘をつかず正直に生きる。

枠に囚われず、自分の本望を聞き届け、

そのために命の時間を使う。

そうやって生きてきたからこそ

誰かのそんな人生を信じられるし

応援できるのです。きっと。


なかなかできないかもしれない

でもきっと

誰もが憧れる生き方


それをしている方、なのだろうな。


今回の執筆にあたり

多くの方にお力をいただけたこと

この場を借りて、

心から、心から。お礼申し上げます。

そして、この長いストーリーを最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。


つぐさん、おめでとう!


















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