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リスペクトで世界を望んで駆け抜ける〜瀬沼健太郎さん〜

私が感じたあなたを切り取り綴るshutter

ご依頼者様と対談、そのストーリーや想い、魅力や個性を感じたままにお伝えする企画です。


今日は、私のこのshutterでは、少し珍しい男性のご紹介です。

女性の生き方と男性の生き方は、やっぱり違う。

違うからこそ、理解できなくてその仕事への邁進ぶりに圧倒される時もあるし、違うからこそ、その尽力ぶりに魅力を感じたりする。

私が今暮らしている千葉県木更津の街で出会った、とっても、とっても素敵な方。地域のために、この街で生業を広め育てていきたい人のために、毎日、とんでもない尽力をし続けている方のストーリーを、今回は綴らせていただきます。

木更津市産業創業センター「らづ-Biz」センター長 瀬沼健太郎さん。


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今からもう4年近く前でしょうか。木更津市で、産業創業に関する、サポートの動きが強化されるらしい。そのセンター長が公募されていて、結構応募が集まってるらしい、そんな話をちらほらと聞くようになりました。

当時私は、木更津の街で団体の運営に携わっており、一年に一度の大きなお祭りを開催、初回から年を重ねるごとにどんどんその規模が大きくなり、自分の力量をはるかに超えて育っていくその運営について、少なからずの迷いや葛藤があった時。

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どんなセンターなんだろう、私も相談でお世話になる日が来るんだろうか・・・いや、そこはビジネス専門かな。そんなことをチラリと思いながら、日々の暮らしと地域活動を送っていた先で、センター長が決まったと、聞きました。

公募150人以上の中から選ばれたトップ。一般企業、ビジネスの世界を生き抜いた凄腕の人が、行政機関にやってくる。この街の産業と創業支援のために。

一体どんな人が、そのセンターのトップになるんだろうと、新たな体制になるそのセンターの全容とともに、関係者の間では当時話題になっていたような気がします。

その、150人以上の公募の中から選出されて、木更津市産業創業センター「らづ-Biz」のセンター長になったのが、瀬沼さん。

とはいえ、「いつか相談してみようかな。」と私は様子見。同じような人たちが、当初はかなりいたのではないかと思います。

しばらくすると「どうやら、結構キレものらしい」そんな話がちらほら流れてくるようになった、その先で。

今年も、自分の団体の一大祭の準備が本格化する。昨年よりもさらに規模は大きくなり、運営のバランスがどんどん変わっていく。

どうしたらいいかな・・・そんな時にタイミングよく瀬沼さんからご連絡をいただいたのでした。

事業の相談にこられた方の廃油リサイクルが、私が行うお祭り(灯籠を灯すお祭り)にリンクできるんじゃないか、廃油キャンドルを作る、という試みに挑戦してみる価値があると感じている、そう言っていただき、思いがけず、私は瀬沼さんのお世話になる日がやってきたのでした。

以来のお付き合い。

もう3年以上になります。

当初、産業創業センターが一体どんなところか、正直私はよくわかってなかったのですが、瀬沼さんがされているお仕事をざっとお伝えすると。

市内の個人事業主、中小企業の経営層の売り上げアップや、これから起業する人に向けての相談支援がメイン。

強みとターゲットを明確化し、見せ方、売り出し方を見つけ、売り上げにつながるさまざまなアクションを提案。一人で頑張りすぎることなく、自分にできないことは遠慮なく頼り連携してゆくことも、方法として提案してくださいます。

その方法は、決してオリジナルに拘りません。似ているビジネスモデルは調べ上げ、うまく行っているパターンも検証、TTP・・・「徹底的にパクってみる」ことも推奨。

ゴールは「売り上げを上げること」ならば、同じ世界、同じやり方でうまく行っている人のやり方を真似れば、うまくいく。自分流にこだわるよりも、それが最短最速、プライドなんてこだわらずに、真似てみたらいい。気持ち良いほどの清々しさです。

そのためのアイディア提案はもちろん、必要であれば関係各所へのプレスリリースの手配や、ビジネスを超えた地域組織各所との連携サポートも。

時には関連のある事業者同士を繋げたり、コラボの企画を生み出したり、創業塾や事業経営に関するセミナーなども開催。

日頃の相談時間は1時間(何度でも無料、予約制。)、時間内に売り上げを上げるための提案をすることにコミットし、結果につなげる。

現場感も大事にされながら、日々さまざまな事業者との繋がり、相談に関するレポートをSNSにもあげ続けてらっしゃいます。

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その方法は「f-Bizモデル」と言われ、静岡県の富士市のビジネスセンターで大きく結果を出したビジネス支援モデル。

地域課題や特性と密接につながる、地域に根ざした中小企業や個人事業主の支援は、なかなか結果が出ない、そんな行政の悩みを跳ね除け、大きな結果をもたらしたこのモデルは当時全国で注目を集めていたものです。

強みの明確化・ターゲットを絞る・連携するをモットーに、地域ビジネスの課題を「お金で解決するのではなく、知恵を絞ってソリューションし」「小さなイノベーションを繰り返す」

つまりは、アイディアの力で勝負するモデル。

瀬沼さんはセンター長に採用決定後、この「f-Bizモデル」を学び叩き込み、そのノウハウと、ご自身が積み上げられたビジネスセンスと実績、その全てをかけて木更津の地で新たなる「木更津地域のビジネス支援=らづ-Biz」に挑戦された方。

契約は一年更新で、結果が出なければ残念ながら更新されない可能性ももちろんある、なんともチャレンジングな環境で、日々お仕事をされています。

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私が一相談者として関わった瀬沼さんは、運営する団体の飛躍と、イベントの成功のために、どんな手をうちうるのか、素早く提案してくださり、そのひらめきの速さは驚くほど。

私の小さな頭と思考を遥々超えて、もっとこのイベントが多くの人に知れ渡り、そして価値あるものになるために、何ができるか、そしてそのために瀬沼さんご自身がどんな貢献ができるのかを、本当にたくさん、差し出し提案してくださいました。

自分一人の力ではリーチしえない、日本を代表する老舗大企業から協賛を得るための配慮をしてくださり、商談にも同行していただき、おかげで無事協賛を獲得。お祭当日も率先して手伝ってくださいました。

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そのスタンスはなんとも実にさっぱり。

利害を求めることも何もなく、「僕はできることはしますから。」そう言って、持ちうるものを、溢れるようにさっと差し出してくださる。役目が終わったら、お疲れ様でした!とさっくりお帰りになる。そうして、いつでも出迎えてくれて、力を貸してくれて、さっぱりと別れる、

こんなにたくさん尽力してくださってるのに、驕り高ぶることも全くなくて、いつも瀬沼さんは同じスタンス。

初めてお会いして相談をお願いしてから、ずっと、ずっと、そのまま。

きっと誰に対しても同じようにされているのだろうと思う。

なんというか・・・・私から見ている瀬沼さんは、ウルトラマンみたいな方です。

頼ったら、力になってくれて、用件が済んだら、さっぱりお帰りになる。

だからこそ、「ビジネスや仕事のことで本当に困ったら、瀬沼さんのお力を借りよう」と、お守りのように思っています。

瀬沼さんなら、きっといつも変わらず、そこにいてくれて、話を聞いてくれて、次なる成長の一手を、考えてくれる、そんな信頼感が私の中にいつもあります。

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写真手前列一番左が、瀬沼さん。

私が行っていたイベントは、瀬沼さんのお力添えあってこそ、成功していた部分も大きく、本当に感謝をしているし、この地域で出会った中で、最も尊敬している男性のお一人です。

そんな瀬沼さんからの、shutterのご依頼。

3年半、この地域でらづ-Bizのセンター長として尽力し、最初は一体どんな場なんだと、懐疑の目で見られてもいただろうその場所は、今や年間1700件の相談を受ける、木更津市の主要ビジネスサポートセンターとして、多くの人が信頼を寄せる場になりました。たった3人で運営するその場で、進み続けた3年半。

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実は私も知りたかった、瀬沼さんのこれまで、そしてこれからをインタビューさせていただきました。


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瀬沼さんは、らづ-Biz にいらっしゃる前は、輸入香水会社にお勤めされ、取締役にまでのぼりつめられた方。

就職の動機も大手企業の内定が決まっていたにもかかわらず「まだ見ぬ世界に変化を起こせる面白みを感じた」と言う理由で決めたそう。

当時日本ではまだまだ香水といえば大手海外ブランドが主流、とはいえその主流ブランドの香水は香りもキツく、日本文化に浸透しきれていなかったのが現状。

もともと香水は、体臭のきつい外国文化の中で、香水の強い香りで体臭を紛らわすために生まれたもの。だからこそ、体臭のあまりきつくない日本人にあっては、なかなか香りが強い。香水の世界を浸透させるためにはどうしたらいいのか。

王道の香水である、海外の文化に則ったきつい香りのものを日本文化に当て込んで売るのではなく、日本人にあった香水を売ればいいのだと、視点の変換を生かして戦略を練ります。

そこで生まれたコンセプト。

「Tシャツを着替えるように、香水も着替えよう」

日本人だからこその、香水の新しい嗜みの世界を。香水をもっと気軽に使えるものとして、広め定着させていくことにコミットすることを誓い、文化を変えるほどの挑戦を始めます。

一発勝負ではもちろん越えられない壁。だからこそ、結果を重ね、勝ちを重ねていくための日々の始まり。

そこで着目したのがフランスのスーパーに売られている、軽い香りの日常使いの香水。香水の世界にはランクがあり、ボディースプレーのようなものから、オーデコロン、パルファンまで、その香りの強さはさまざま。その中でも、気軽にスプレー代わりにさっと使える軽い香りで値段も格安のものが日本向きと、ブランディングして売ることを決断。これが日本人の求める香りにマッチして売り上げを上げます。

「香水ならこれ」と言う、当たり前の常識や慣例を当たり前とするのではなく、視点を変える、必要とされるものを求められる形にして売る、売れるようにブランディングして見せていくスタイルでビジネスを展開してゆきます。

従来の、香水はきつい香り、という印象を変えるべく掲げられたこのコンセプト。そしてそれこそが「日本人に合う香水の価値」でもある。

「Tシャツを着替えるように、香水も着替えよう」いつでもこのコンセプトに立ち戻りながら、売り上げた利益を原資にあてて、次なる商品を開発、

超有名サッカー選手、20代〜30代女性が憧れてやまないタレントを起用した新商品の打ち出しをする他、

「女子高生がバックに一つ入れて持ち歩くスプレー香水 ボディーファンタジー」で一気にヒット。

デパートの化粧品売り場に仰々しく置かれて、おばさまたちの嗜みだった香水を、「女子高生が、その日の気分で遊び感覚で500円前後選べる手軽なおしゃれアイテムへ」と、世の中のイメージを大きく転換。

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大手海外ブランドでも年商2億と言われた日本の香水市場で、40億円の売り上げを作り、香水市場に革命を起こした、と言っても過言ではない実績を社内一丸となって積み上げられます。


こう書くと、随分するするとスマートに成功させてきたやり手なのだろう、そう思う人も少なくないと思いますが、まだまだ認知の薄かった、日常使いとしての香水を広め定着させるために重ねた日々の話は、実に実直。

まさに「足で稼ぐ」「泥をかいて進んだ」道。

販売提携契約を期限内に必ずや取り付けると、コネも根拠も何もないゼロの状態で宣誓し、たった3人で身一つでアメリカに飛び込み営業。

どうしたら、コネクションを作れるか、キーマンに会えるか、そうして契約を取り付けられるか。現地に行きながら考える。

飛び込み営業をしたところで、相手にしてもらえるはずもない。アポすら取れない。広い広いアメリカで、香水市場に挑戦を賭ける男は、最終どうしたのか?


浴衣に下駄姿でニューヨークを闊歩する


これなら面白い日本人がいると、誰かがきっと目に留めて声をかけてくれるだろう。そこに、賭けた。

結果。

声をかけてくれた人から縁がつながって、まさかこの人に会えるはずもない!と言う縁を得て、商談会場に辿り着き潜入することができたり。

商品販売は、自ら現場に行って売り場を作り上げる。全国各地の売り場を回って、ポップひとつから手作り。有名タレントがこの香水を使っていたと言う情報を聞けば、それをポップに書いてつけてみる、そんな小さな試行錯誤の繰り返し。見せ方、売り方、伝え方、手にとってもらうためにはどうしたらいいのか、現場に足を運び、現場の人の声を聴きながら、一つ一つの売り場で、自ら改善を繰り返して確かに積み重ねていく売り上げ。

だからこそ、一つ一つの売り場に、売り方に、すべてにストーリーがある。

私はこれまで瀬沼さんのその枯れることのない、湧き出るアイディアに幾度となく感激しているのですが、今回3時間にわたるインタビューをして、それがなぜなのかがわかった気がします。

「結果を出すまであきらめない」その姿勢の元、何度でも何度でも、何度失敗があっても、売れないことがあっても、そこから、立ち上がる。

いつでも、コンセプトに立ち戻り、何を改善したらいいのか、どこを変えたらいいのかを、「今が売れないなら、売れるための変化を選択すること」を常に常に、やり続ける。

そのためには「浴衣姿に下駄でアメリカの街を闊歩」することだって、厭わない。自分の可能性と求める結果のために、できうることなら何だって、常識を超えたことだって、何度だってやってみる、止まらない、あきらめない、やめない。

下手な意地やプライドなんかよりも、目指す目標を叶えるためなら、まずは行動する。時にはそれがうまく行っている人を真似てみるTTP・・・徹底的にパクるということだって、全然構わない。

それで売り上げを作れたらラッキーじゃないか。

その繰り返しを続けてこられた方。

だからこそ、対談の中でもおっしゃっていました。

「売り上げを上げたいと言いながらも、諦めるのが早すぎることも多い。辞めたらそこで試合終了。辞めなければ、道は途切れないし進んでいける。僕はたくさん失敗しながらそれをしてきただけ」

そうして成長させてきた会社の中で、取締役にも就任、会社の経営を任されるまでになった中、どうして、この小さな町の産業創業センター長になられたのか。

それが実はずっと不思議だったのですが。

以前瀬沼さんがぽろりとこぼした言葉。それは

「僕はもう十分、お金を稼ぐためにいろんなことをしてきたから。だからこそ、その知識や得てきたものを使って、今度は、思いを持っているけれどそれが叶っていない人のために、力になりたいと思った」

一社員から取締役になるまでの間で経験したさまざまなこと。ビジネスである以上、利益を上げ、会社としての命を繋いでいかなくてはいけない。いい時悪い時、ピンチの時があり、うまくいかずに出店を断ち切ったり、お店を閉じた経験ももちろんおありで。経営難に直面したことももちろんあり、ビジネスという企業の利益を生み出すためのその仕組みの中で、お金稼ぎのいいところも悪いところも見てきたし、超えてきた、それをやり切ってきた先だからこそ

純粋に・・・・

新たな場所で、もっと愚直に、例え一つ一つの案件が小さかったとしても、そこにある地域や自分の仕事を思う気持ちがある人たちのために、自分が積み重ねてきたものを全投入して、0から、応援したい、挑戦したいと、思ったそうです。

例えそれが年収が激減することになったとしても、新たな自分にチャレンジして経験を積めること、それはリスクではなく、僕にとってはプラス、チャンスでしかなかった。もしうまくいかなくて失敗しても、どんな仕事でもやればいいし、また生きていけると思ってる。

それはまるで、新たなる自分に、脱皮して生まれ変わるかのような、挑戦へのワクワクと熱意と言っても良いような、もの。

瀬沼さんの話には、諦めると言った言葉や、誰かや何かのせいにして、物事から背を向けるような言葉が一切ありません。尚且つ、不安や心配と言った言葉も、まず、出ない。

相談には、いつでも真摯に応える瀬沼さんがいらっしゃる、ただ、「無料」ゆえに、時には軽んじられることもあるのではないか、そんなことも想像しうるのですが、どれだけお話を聞いても、愚痴や不満や批判の言葉は、本当に、出ない。

どんな時でも、本当にこの地域で骨を埋める覚悟でこの仕事に取り組まれているのだろうなと、心底こちらが感じられるほど、事業者さんのことをいつもいつも、応援し続けている。

それは平時のみならず、2019年に台風被害が大きく出た時のご様子からも明白。何かあればいつでも市内中の現場にも足を運び、さまざまな事態に直面している事業者さん達に、何ができるか、どう貢献できるか、いつもいつも、ものすごく動いてらっしゃる。

瀬沼さんのFacebookは、いつでも、市内中の事業者さんを応援し伝える記事、創業起業に関する記事で、溢れてる。進むことしか、考えていないみたいに。


どうしてそんなに、気持ちよく瀬沼さんは在れるのか?


これは今回わたしがインタビューを受ける前から、一相談者としても、ずっと感じていたことでした。

目標のためになら、プライドなんかさっさと剥いで、真似てでも挑戦すればいい。泣き言よりも、勝った後の笑いのために前を向け、一歩、進め。

そんな言葉が本当にぴったりな、瀬沼さんのあり方、その由来は、いったいどこからきてるのか。


それが「リスペクトコピー」

少年瀬沼くんに遡る、原点とも言えるストーリー。

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小学生の頃、実はいじめられていた、と教えてくれた瀬沼さん。

当時は自分に自信がなかったと言います。そんな少年瀬沼くんの前にいたのが、人気者の男の子。

一体自分と何が違うんだろう。人気者の彼のことを見ているうちに、少年瀬沼くんが気づいたこと。

その子を真似すればいいんだ。

そう、人気者になるには、人気者を真似たら良い。

そこから、瀬沼さんの観察とコピーが始まります。学校で人気がある男の子を見ては、どんな風に接しているのか、どんな風に話しているのかつぶさに観察、それを取り入れていく。そうすると、自分でも話してくれる人が増えた。

小学校卒業後、中学校に入る頃から、真似てみる行動は本格的になり、以来ずっと、「うまく行っている人のことを観察して自分に取り入れていく」ことを続けたそうです。

そう。うまく行っている人=憧れ、尊敬の人、その人を真似るから「リスペクトコピー」

中学校では内気な瀬沼少年が、リスペクトコピーを重ねてどんどん開花してゆき、高校ではバスケ部に入部、人生最大のモテ期を経験したとも、教えてくれました。

瀬沼さんはそうやって、「こうなったらもっとかっこいい姿」を見つけては、その人の要素を観察し、取り入れて、自分のものにしてきた

あの人のスタイル

あの人の喋り方

あの人の距離感

あの人の接し方

そうやって重ねて更新してきた「自分」という存在。

それを人生かけて今もなお、続けている。


対談の日、瀬沼さんは

「僕は自分がないというか、無色なんです、だって自分ではないものをコピーして自分にしちゃうわけだから」

そう、おっしゃったけれど、果たしてそうなのか。

あの小学生の日に、「自分を変えたい」そう思った瀬沼少年が見つけた、「真似すればいい」

それは誰かになり切ることのようで、自分を変えるための、勇気ある決断なのだろうなと思う。

多くの人は「変わりたい」そう言いながら「変わらない」選択をし続けて未来を先延ばしにする。それは変化が「怖い」から。

そして、「変わらない自分のままでいいと言ってほしい、このままの自分で認められたい」があったりする。

だから望む。このままの自分で、変化を選ぶことなく「変化が起こってほしい」と。それは「他者やこの世界への勝手な期待」そのものでもあるかもしれない。

でも、瀬沼さんのリスペクトコピーは、そうじゃない。

「理想にむかうために自ら変化を選ぶ」

相手に都合の良い期待を持つより、自らがそうなる。

それをずっと繰り返して、自らが思う「尊敬の人」の要素を取り入れ高めてきた「瀬沼健太郎」という存在。

そう、瀬沼さんは、人生を通して、「俺が思うかっこいい人間」になることを高め続けている方。自分に固執することなく、理想の自分を求め追いかけ、なり続けてきた方でしかないのだと

私は対談した時、その正直さと純粋性に驚いてしまいました。

そしてそれは仕事も同じ、

今より理想に近い状態を作っている人や状態を真似てみるTTP(徹底的にパクる)をしてみればいい、に通じています。

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まねる、パクる、は決してカッコ悪いことではなくて

尊敬しているからこそすることであり、

そしてまた自分を憧れに近づけるための、変化の一歩。


その歩みを一歩進めるか、進めないかが、きっと自分という存在の、ビジネスの、成長を決める。


だから、いつも伝え続けているのだろうなと思う。

変わりたいなら、変わっていこう

変わるための「行動」をし続けよう

理想にむかうその一歩を、今すぐ踏み出そう。と。

変わっていけばいい、何度でも、と。

そう、何度でも。


「負けねー。の精神があるんです。あとは、、、、、もちろん、僕もいっぱい失敗してます。本当にたくさん。本当にいろいろ失敗してる。失敗の裏で思わぬ勝ちゲームもある。ネタには欠かさない。でもそれは勝った時の笑い話として、いつもとってある。うまくいかない時、失敗した時にそれを言ったって、ただの愚痴になる。だからこそ、勝つまでやめない。やめなければ、勝てるから。そうしたら全てのことは、笑えるネタに、できるんです。僕は、勝って全てを気持ちよく笑いにかえたい。笑いにできたら、勝ち。」


人として、男性として

かっこいい自分であるために。

僕は自分の理想になり続ける。

そのために、進み生き続ける。


それが、瀬沼さん。


だから、今多くの相談に来られる方にも

それをいつも伝えられるのだろうなと、思う。


あなたの理想があるなら、そこに向かって、進んでいきましょう。

辿り着けるまで、進んで、いきましょうよ。


それを、心から、全力で伝え続けている。


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企業でチャレンジをし続け、取締役に就任

そして、らづ-Biz でセンター長となり、ビジネス相談を受け続けて3年半。

瀬沼さんの就任前は一日1件程度だった相談は

初年度には1382件、2年目は1470件、3年目の昨年は1702件へ。

2021年は2000件を上回る予定。

これまでセンター長として主力で相談を受け続けてきた体制も変わって、

現在では同じように一般企業で経験を重ねてきたプロジェクトマネージャーも就任、二人体制での相談になり、ますますと地域の頼れるビジネスの支援拠点になっている、らづ-Biz。

今だから言えること。

香水会社でのぼりつめたあの経験は、とにかく「数を打てば当たる」で必死だった。とにかく結果を追い求め、「負けねー」の気持ち一本で走り続けて打ち続けたトライアンドエラー。うまくいったものの、実はラッキーパンチだったことも、数知れない。

当時、そこにセオリーや根拠は全く見出していなかった。

でも、f-Biz モデルに出会い、「強みを明確化」「ターゲットを絞る」「連携する」三つの柱に基づいて、「アイディアでビジネスの課題をソリューションし、不断のイノベーションを重ねる」こと、これはまさに、なんの知識も根拠もなかったあの時の自分が、感覚で選び積み重ねてきたことだった。そうして重ねた香水業界での実績が、このやり方に間違いはないと、背中を押してくれた。

だからこそ、自分が重ねてきたその経験を確かな頼りにして、らづ-Biz では伝えることができる。

ビジネスは、「強みの明確化」「ターゲットを絞る」「連携する」そして考えて、知恵とアイディアで課題を解決し、小さな改革をし続けることだと、自信を持って言える。それは机上の空論ではなく、再現可能な、ビジネスのセオリーだと。

らづ-Bizのセンター長として重ねた総相談数は5000件を超える瀬沼さん。この相談の中で、ご自身のセオリーをさらに確信し、そして強化されてこられた。

だからこそ、年々相談数が上がっているのでしょう。らづーBizに行けば、きっと、何かを変えることができる、自分の事業に、ビジネスに、イノベーションを起こせるのだろうと、多くの人が信じているし、そして実感している。だから、瀬沼さんを、頼り、アイディアの力を借りて、変化・・進化のための次なる一歩を、踏み出す。

小さな街にそんな頼りになる場所があり、そこに、尊敬する人がいつもいてくれる。こんなに安心で嬉しいことはないように思います。

自分自身も、自分の進む道も。憧れ、理想に向かって、進み続けてきたこの道の先でも、リスペクトコピーを続けてゆく瀬沼さんの未来は、どんな姿で、どこに向かっていくのか。それが楽しみでしかありません。


瀬沼さん、この度はありがとうございました。


瀬沼さんがお勤めの、らづ-Biz  木更津市産業創業支援センターはこちらから








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