思いを、愛を、カタチに、一枚に。愛された記憶以上の愛した記憶を。

わたしが感じたあなたを切り取り綴るshutter
対談と、執筆までに至るその日々を通して感じた「あなた」について
書かせていただく企画です。

著名人でも芸能人でもない、この世界を生きるたった一人のあなたにこそ、唯一無二の美しきドラマがある。誰の、人生にも。

生き様すべてをカタチに残すことはできなくても
生きた証を私たちは残すことができるはず。

言葉で
文章で
写真で
絵画で

そして

誰かの記憶に残るわたしとして。


今日は、約3年のお付き合いを通して、
来年から、
きっと、
また新たな時間を進み始めるであろう

カメラマンの渡邉明美さんへの言葉をここに
わたしからのクリスマスプレゼントとして
したためさせていただきます。


至って個人的
でも、それこそが、な。


明美ちゃん

明美ちゃんと出会って2年が経ちました。
今回のshutterは、最初のご依頼の時点から、いつか時が満ちるまでと、
その時を待って、いよいよお互いがここだね、となってから

さらに1ヶ月以上が経っての時となりました。

なぜでしょうか、今がその時だろうなぁと感じつつも
私の心と手が、動くものの、進まなかったのです。

でも、2022年の今になって
今こうして書いている、このタイミングがベストだったのではないかと、感じています。

「私が感じたあなたを切り取る綴るshutter」として
誰かや何かのため、よりも、今私が、伝えたい、
きっと伝えるだろうことを

ここに認めさせていただきます。



初めて出会った頃の明美ちゃん。
二人で対面してお話をしたときは
モーレツに赤ブームだった時。

来る日も来る日も、赤い服を着て
そして
ライブ配信を連日連日休むことなく続けていた時、でしたね。

画面から感じる、たぎるエネルギー。
今思い出すに、懐かしい強さです。

画面の向こうでは、
時に強がっているのかしらと感じるほどに
止まることなく喋り続け、
エネルギーを出し続けているようだった明美ちゃんが

スタバのテラス席でお話しした時の
この可愛らしい笑顔を見せてくれた時の

ホッとした気持ちと嬉しさは
今でも、覚えています。

(もちろん、ずっと喋ってたけど。笑)


母親にも、父親にも、棄てられたから。

当時は「棄てられた私」としていろんなことを、
人生のストーリーを聞かせてくれた明美ちゃん。

私の生きてきた時間からは
想像のつかない、経験をされたこと。

それは困難や試練、と言って良いものなのか

でも、その時間の中を、どれほどに一生懸命に生き延びてきたかが
言葉の端々から溢れると同時に

ふとスマホのフォトアルバムをみて

「子どもの写真ばっかりだなぁ・・・・
 自分が、全然写ってないや」

そう言った瞬間の、

家族こそが、大事と言った後の
その言葉と表情が忘れられず

明美ちゃんの中に、明美ちゃんが、「私としての時間や幸せ」が
どうかもっともっと、増えていきますようにと

つい、祈ってしまったことも、覚えています。


棄てられた私だけど。
でも。

そんな風に、話していた、当時。

あれからの2年は

明美ちゃんにとって
どんな2年だったでしょうか


一人の私として、
家族も大事にする私でありながら

それでも

明美、という一人の私としての人生や生き方を
作りたい

そんな風に感じながら
進んだ時間は

さまざまな出来事があって
決して楽しかった時だけはなく

人間関係の難しさや
時にややこしさや、冷たさも
感じたことが、あったのかも、しれませんね。

きっとその中でも
ずっと
たえず、問い続けていたのでは
ないでしょうか

私は、どうしたいんだろう
どんな風に生きたいんだろう
何がしたいんだろう
誰のために
なんのために
何を、どうやって。

ずっとずっと
問いかけていたのではないかなぁと
感じています。

私は、この2年の時間の中で
共に過ごした時間は
そう、多くはないかもしれないけれど

でも、その時間の中で
明美ちゃんが見せてくれた表情は
いつも、笑顔で柔らかく
楽しそうな、ものでした。


初めて我が家に来て、一眼レフカメラの世界に、足をズボッと、踏み入れてしまった、瞬間。笑

カメラマンとしての道のりがここが一つのきっかけだったことが、嬉しい。


写心入門講座に、私がカメラマンとして参加させていただいた時の、ワンショット。

このときは、ランウェイを歩くショーを目前に控えた時で
いろんな大変さを背中にたくさん背負っていただろう時。

それでも、カメラを持つ明美ちゃんは
本当に楽しそうで嬉しそうで
この笑顔が見れたことと、撮れたことが私の喜びでもありました。



年が明けて、私を撮影してくれた、丸の内にて。



それまでの人生で起きたさまざまのこと
今目の前にある問題に目を向けて取り出せば
キリがないくらいのネタ持ちの明美ちゃんだけど笑

でも、あなたはいつでも
カメラの前ではこの笑顔、です。


これは、私たちのカメラの先生の、つぐさん(丸山嘉嗣さん)撮影だけど、やっぱり、笑顔。やっぱり、嬉しそう。



このファインダーの中に見るのは

「私の好き」




それって。

私が、誰かや何かを思う

愛情、なのでしょうね。


このファインダーの中には、私の愛がある

そう言い換えても、過言ではない、ものたち。

きっと、大切なものであり人たち。






出会った当初
「私は、棄てられたから」
そう言っていた明美ちゃんは

もしかしたら
どこかでずっと
消えない孤独感を
感じていたのかもしれないし

大切なひとに去られてしまう
その不安や寂しさを
拭えないまま生きていたのかもしれないけれど









いろんなことがあったし
大事にしたかった、して欲しかったものは
するりとこの腕をすり抜けていくことも
あったかもしれないけれど

でも、それでも


私は、明美ちゃんは
持っている人だと、思う。


明美ちゃんが
生きた証そのものでもある、
明美ちゃんから紡がれた家族の大切な命が
こんなにもたくさん。


そして


愛する写真。








大人になればなるほど
私たちは余計なものをつい取り込み内包してしまう。

なくなったら不安だから
あると困らないから
あった方が、いいから。

そうやって

ものも
人間関係も

つい

あれも
これも、って

欲張りすぎてしまう


でも


この2年を経て
明美ちゃんが得たものは


おそらく


何にも変え難い私の大事な真ん中


だったのではないかなと



家族と
写真


そして


大好きなアパレルの、お仕事。


私の、みっつ。



必要最小限にして
最大限の


今の私を
私たらしめるものたちを
確実に
確かに


自分のいちばん真ん中を
明美ちゃんは確かめ手にしたと
私は思っています。


だから、きっと、大丈夫、と。


「棄てられた私」は

自らの「愛しい大切」をつかむ人に、なった。

これが私の真ん中です、と。


きっと

大切に

大切に

抱き続けるのだろうなと。




私たちの人生の時間から
問題や課題が全て姿を消す日は、おそらく、来ない

でもどんな時でも

この私にとって大切なもの
私の命の原動力となるものさえあったなら

人は
乗り越えられるし
問題や課題とも共に生きて行ける力が、きっとある


愛されて生きる安らぎや喜びも確かにあるけれど

でも、愛されているその後ろには
愛してくれる人の
永遠ではない命が、あって。


でも


愛しているって
自分で愛してる限りは
終わらない。


屁理屈かなぁ
屁理屈かもしれない


でも


今思うんだけどね


愛するって
自分から、だから。


だから、他者から、求めなくて、もらわなくて、いいんだよね。


書いてて、

愛されることだって
求めるものではなくて

愛されちゃってる、ではあると気付いたけど。


でもでもでも

愛するは、自分起点だから
「失う」ことはきっと、ない。





先だって、
明美ちゃんをずっとずっと
育て見守り続けてきた
お母さん代わりだったお婆さま
みっちゃんが、亡くなられたこと。


その、喪失感は
いかほどのものかと

想像するだけで
心の洞窟の大きさを感じてしまう、けれど。


早く、立ち直って、なんて
言うつもりもないし
無理して頑張る必要もなくて。


大切なひとを亡くしたその悲しみは
ゆっくりと、感じ癒されていくもの、だから。


急がなくていい。

父を亡くしてもうすぐ一年になる私は、そう思います。


ただ



また、大切な人が
この手元を去っていってしまった、と思ったとしてもなお


私がみっちゃんを大好きだったこと


この、ベクトルを
忘れてほしくないなと


愛してくれた人の死を悼むのは


それだけ、、、、、
それ以上に、


自分が、大好きだったから。
愛していたから。



誰かを愛したことは
ずっと、なくならないし
失わない。


そして


存在は無くなるけど


存在がなくなったことが
悲しすぎるけど


でも


ずっと、いるの。


ずっと、ずっと。


私が、忘れない限り。

忘れても、魂は、忘れないだろうな、とも、思う。


心の中で
問い掛ければ
いつでも、答えてくれる。
必ずね。


大きな大切な存在との別れは
すぐには癒えないでしょうし

癒えないものだからこそ
味わっていいもので

どうか、
急がず
焦らず。


家族も
カメラも

待っててくれると思うから。


明美ちゃんが気付いているかいないかは
わからないけれど

だからこそ、私は今日このタイミングで
明美ちゃんにこのシャッターを
書きたかったのかもしれません。


どんな日
どんな時でも

明美ちゃんが覗いた
シャッターを切る
ファインダーの先にあるのは


明美ちゃんの大好き。


あなたの愛はなくなる事はない


愛が枯れることなど、ないのだ。きっと。


やっぱさ、つぐさんの写真はさ、ね、さすがだよね。




明美ちゃんがファインダーを通して私を見て
そうして切り取ってくれた写真が好きです。^^




私をこんなに可愛く素敵に切り取ってくれるなんて

私のこと、大好きだな♡



ありがとう。


きっと、これまでに明美ちゃんに撮ってもらった人も
そんな風に感じているのではないでしょうか。


・・・・・知らんけど。笑 (こら。)














この私を撮ってくれてからまる一年が、経ちました。

また、撮ってね。
次は、どこかな。

また丸の内で

お互いの時を経た、New We を、撮り合いますかね♡


家族と
写真と
アパレルと。

渡邉明美。

大事なものは
ど真ん中で掴んでいく人。

きっと、これからも。



今回のshutterは、これで、終わりです。

また、会いましょう。^^



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?