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すこやかに笑えることこそ、いのち

この世界にはたくさんのものが溢れています。
 
ごく当たり前にある、太陽の光や雨の日の水から
毎日の食事になるお野菜やお肉たち
スーパーに行けば溢れんばかりの食品

外の世界に行き交う車やバイク
空には飛行機
 
ネットの世界に行けば
飲まれるほどの情報

そして

この一生を通しては出会いきれないにんげんたち。

 
その世界の中で
私たちは一生を通して
たくさんのことを望むでしょう。
 
あの服が着たい
これが食べたい
あそこに行きたい
あの人に会いたい

あれが欲しい
これが欲しい
 
あれがしたい
これがしたい

その望みは、
 
あなたの中にある
満たされない何か、を埋めてくれるものでしょうか

それとも

あなたとしての輪郭を
豊かに広げてくれるものでしょうか

私たちは
なぜ、望むのだろう
どうして、生きるのだろう
 
なんのために、
どうして、
どこに向かって。
 
 
本日、久しぶりのshutterは
 
約10年の時を経て

「生きる」ことのみずみずしさを
その健やかさを取り戻された方の、お話。


現在は骨格インストラクターとしてご活躍の
ほのぼのゆうかさんこと
金澤佑華さんについて、ご紹介いたします。



佑華さんは、10代の後半で体の不調を感じて始めたヨガをきっかけにヨガインストラクターとなり、その後、現在のお仕事でもある骨格インストラクターになられた方。

ご自身のWEBページでは
15歳の時にワクチンの副反応により体調を崩し、17歳からの3年間はほぼ寝たりきりで過ごした、ということが書かれていますが
その過程については、詳しく書かれてはいません。

今回、10代で期せずして始まったワクチンの副反応との闘病が、10年の時を経て、回復の大きな段階を超えたこと、ご自身の「区切り」として、これまでを整理しながら、次へ進みたいと、shutterをご依頼いただきました。
 

5月の、初夏の到来を感じさせるには十分な晴れの日の上野公園で
初めましてと佑華さんとご挨拶を交わし、これまでとこれからについて、鳥の囀りのような、澄んだ声で話し始めてくれた、佑華さん。


すらっとしたお姿に、さらりと着こなしている白のシャツ。
お会いした瞬間から、きっととても純粋で素直な方なのだろうなぁと、伝わってくる雰囲気から想像してしまうほどの、透明感。

佑華さんの生まれは北海道。

看護師としてお勤めされていたというお婆様は、佑華さんの心強い味方。いつでもまるごと受け止め、佑華さんのことを、認め、応援し、包み込んでくれたそう。
働いている姿を直接見たことはないものの、目の前の人に、いつでもそのすべてであたたかく尽くす優しさに触れ、子ども心に「おばあちゃみたいな看護師になる!」と、その道を目指して進むことを小学生の時にはもう決めていたそうです。
以来、迷うことなく、目指す将来は「看護師になる私」

その道筋に、暗雲が差したのが、15歳の時。

なんだか、だるい。
毎日を送れないわけではないけれど、どうにも体が辛い。

どうしてなんだろう・・・・・?
理由のわからない倦怠感に襲われた時から、「どうしたら体は元気になるのか」という問いと共に進む人生が始まります。

風邪でもない、何かの病気でもない。
検査をしてもわからないし原因は不明のまま。

この時に出会ったのが、ヨガ。

自律神経を整えたら不調は回復するのかもと、10代にしてヨガに出会い、その魅力に魅せられてヨガを続けるも、体の不調は治ることがないまま。

それでも、看護師になる夢を叶えるべく、なんとか体に言うことを聞かせながら、道内の看護学校へ進学。親元を離れ、一人暮らしを始めます。

ところが、17歳のある夏の日の部活中、突然手が痙攣しだし、佑華さんの体に大きな異変が起こります。

痙攣はこの時だけのものではなく、止まらない。原因は不明。次第に、日常生活もままならないほどの症状へと悪化。

だけど、看護師にはなりたい。
子どもの頃からの夢は、諦めたくない。

「なんでしょうね・・・・体は辛かったけど・・・
 「これ!」と思ったら、もう、「これ」しか見えないし
 そっちに進むだけ、ってなっちゃうんですよね」

笑顔でそう教えてくれた佑華さん。



通っていたのが看護師学校だったことが幸いして、先生方はもちろん看護師の有資格者。体調への理解もあり、発作や痙攣が起きても、対応してもらいながら通学は続けるものの、

様々な検査をしても、原因はわからず、とうとう、精神的なものではないかと、精神科へ。

ここで選択を迫られたのが、精神科の病院に入院して、治療をするか否か、と言うこと。

「この時の決断が、私にとってはとても大きな岐路だった」と教えてくれた佑華さん。

身体的な異常、そこに根拠や病名が見出されければ、現代の医療では精神的なものと見なされてしまう。でも、果たして、そうなのか。

佑華さんがした選択は、「自分の体だから、自分で治すことがきっとできるはず」
精神科へは入院せずに、自らの選択で、例え治療法が確立していなかったとしても、入院することなくこの体と付き合い治療する道を進むことを決断されます。

この頃から、一人暮らしの佑華さんの状況を見かねたお母様が佑華さんの元へ。お母様にサポートしてもらいながら治療策を探し続け、看護師学校の継続を試みるも、とうとう限界がきて、通学を断念、ご実家へ戻られます。

夢を叶えるための通学もできず、理由がわからないまま、日常生活さえままならず、いつ痙攣するかわからない、様々な不調を表す体と生きる日々の先で、髄液検査をしてやっと分かったのが、

 
15歳の時に接種した、子宮頸がん予防ワクチンの副反応による症状 
 

ということだったそうです。


 
接種から2年近く時間が経ってから、やっとわかった、原因。

 
子宮頸がんワクチンの副反応はその症状が多様多岐に渡り、一見してすぐ診断がつかない上に、医療の世界にとっては、ワクチンによる副反応である、ということを、認めづらい環境があるのが現実。そしてまた、症状が複雑であるが故、治療方法も確立されていません。

適切な医療措置を受けることがそもそもままならない環境での、いわば、試行錯誤をするしかない、佑華さんのワクチンの副反応との闘病が、ここから始まります。

症状は倦怠感や頭痛だけにとどまらず、いつどこで、痙攣が出るかわからない。時には失神することも。症状は強くなり、日常生活を送ることは愚か、起きて歩くことも一時は困難になり、17歳から20歳までの3年間は、寝たきりの状態の時もあったそうです。

症状が悪化した時から、ご家族はいつでも佑華さんをサポートできるように万全の体制をとり、一人にしておくことがないようにと、常にお母様が付き添い、お父様もいつでも駆けつけられるようにと、見守る日々。

子宮頸がん予防ワクチンによる副反応だと分かったこと、治療法がわからないこと、いつ治るかの見通しがつかないこと・・・・これからに、希望を見出すのは難しいと感じられてしまうこと、そう言ったことが明るみになった後の18歳の誕生日は、、、、

そこまでお話しされた後、口をつぐんだ佑華さんから、涙が落ちた顔を、忘れることができません。


本来なら。
17歳といえば、青春盛り。
毎日が多感に溢れ、制服、学校、友人、流行りの歌や、流行りのものに囲まれて、今日とまだ見ぬ未来に小さな不安と希望と期待が交差しては溢れるだろう日々。
 
おばあさまのような看護師になる、と決めていた佑華さんだからこそ、未来を見据えるその希望と期待、その煌めきはきっと大きかったはず。

その日々を、ごく当たり前の日常から跳ね除けられたように送らなければならないこと。学校に行くことも叶わず、社会人としての未来も描くことができず絶たれたと感じてしまうこと。
それが、自分が目指した医療の世界で、起きてしまったこと。

想像しただけで、胸が掴まれ潰されるようなその現実に直面した佑華さんの想いの程が、どれだけだったことか。
 
私はライターとして今ここで執筆をしていますが、日頃はもうすぐ成人前後の二人娘の母親でもあります。

一人の人として、もし、自分がワクチンの副反応で、そんな状態になってしまったら・・・という想像と

もし、自分の娘が、そんな状況になってしまったら・・・という、二つの視点から、つい、想像してしまう。
 
どうして自分がこんな目に・・・という悲しみや絶望、苛つきを一人の私としての自分はきっと感じるだろうし
 

なぜ、あの時、接種させてしまったのだろう、という、絶望と後悔、代わってあげたいのに見守ることしかできない悔しさや無念、その痛みを、母親としての私は、きっと感じてしまう。

壮絶、だったのだろうな、としか、言えなくて。



 

1年後の未来なんて、描けない。
1ヶ月後だって、わからない。
もっと言うと・・・15分後の自分も、
あの時はどうなるかわからなかった

だからこそ、佑華さんに生まれたのは
遠くの未来を生きることを望み描くより、
目の前の今を少しでも希望とともに生きるための、小さな望みと選択。
 
情報を集め、自然療法から西洋医学まで様々な治療法を試して、一つ一つが「どれが自分にとって合うのか」「少しでも症状を和らげてくれるのか」ずっとずっと、ためし続けた日々を送られたそうです。

どれか一つの治療や療法が劇的に効いた、と言うことはなく、日々日々ずっと「今少し先の私を心地よくしてあげることはなんだろう?」という小さなトライ&エラーが続くうちに、少しずつ症状が緩和され、そして痙攣や発作がどう言う時に出るかがわかるようになり、症状を緩和させるにはどうしたらいいか、「自分なりの答え」が見えてきたそうです。

その中でも、佑華さんにとって大きな転機となったのが20歳の時に出会ったEAT治療。

上咽頭に綿棒で直接薬液を塗りつけ刺激を与えることで、症状が改善されたり、瀉血(しゃけつ:滞っている部分の血液を体外に出すことで血流を良くするもの。東洋医学で昔から使われてきた療法)によっても症状が改善される可能性がある治療法が、EAT治療。

20歳から22歳までの間に、EAT治療を受けることによって、佑華さんの症状はかなりの改善が見られたそう。

EAT治療の直後は瀉血によるかなりの量の出血があるものの、治療をすることによって、思考がクリアに晴れ渡り、世界が煌めきを取り戻すような変化を体感。活力が戻ってきたことで、一時は寝たきりにまでなった佑華さんはゆっくりと日常生活を取り戻すようになります。

ここで出会った先生が、とっても明るい方だった。

「佑華ちゃん、笑うんだよ!」
「辛いからって、諦めたらダメだよ!」

あの頃の私って笑えてなかったのかも・・・
行くたびに先生がそう言ってくれて、と。

笑う。
諦めない。

その言葉に支えられ、EAT治療を続け、体調が回復して動けるようになってきた時にやってきた、新たなチャンスが、ヨガのインストラクター。

ワクチン接種後に、体調がすぐれなくなったのきっかけに出会ったヨガ。
ヨガをする時間は、佑華さんにとって救いの時間でもあり、そんな様子を見ていたお母様の友人が、症状が回復してきたある時に、

「動けるようになったなら、好きなヨガを公民館で教えてみたら?」と言ってくれたそうです。

ずっとはできなくても週1回ならできるんじゃない?やってみたらいいじゃない、と。

その一言がきっかけで、週に1回、ヨガのクラスを公民館で担当することに。

ここからの日々は、「週に1回のヨガのレッスンをすること」が佑華さんの希望であり目標。

この日を少しでも心地よく迎えられるように、生徒さんとレッスンを楽しめるように、あとの6日はひたすらに体調を整えることに専念。 

毎日、自分の体をよく感じ、できるだけ負担をかけず、心地よく過ごすこと。レッスンの1日前は、とにかく体を休めて、翌日のために体も心も温存する。

ご両親もこの日のためにスタンバイ&サポート。

会場までの送迎、そしてお母様は佑華さんのレッスンにも参加して、いつでも見守り、何かあれば支援ができるようにいてくれたそう。

週に1回、1時間。大好きなヨガの1時間のために、全部をかけて、準備する。それが、あの当時の生きる希望。


それがあったから、その日のために頑張れた、
いろんなことがあっても、私は人に恵まれて、ヨガのレッスンもすることができるまでになった。だから、とても嬉しくて感謝している・・・

佑華さんからは、そんな言葉が、爽やかな笑顔とともに語られて。


人って、強く、そしてこんなにも健気になれるものなのだ・・・
私だったら、こんなふうに語ることができるだろうか、壮絶に違いなかっただろう日々を。

どんな時も、忘れなかったのは、「今より少し先の未来に希望を持つこと」「そのためにできることをすること」「諦めないこと」「自分の体はきっと自分が治せるし、そのためのタイミングはきっと用意されると信じること」

EAT治療に出会って3年が経つころには、痙攣や発作は徐々に少なくなり、倦怠感もかなり改善。

21歳から週1で始めたヨガのレッスンも、23歳からはオンラインでヨガと中医学を合わせたレッスンへとコマ数を増加。

15歳でワクチンを接種してから、実に8年後。
学校にも行けず、働くこともできない・・・・そう絶望した、17歳の時には描くこともできなかった未来が、目の前に少しずつひらかれて、「自分なりの働き方もしてゆきたい」そんなふうに描き始め時に、たまたまインスタグラムで見つけたのが、YOKO.Tのモーション美ボディという骨格メソッド。

ずっと続けてきて、大好きだったし、週1のレッスンが希望と楽しみで、ここまでの佑華さんを支えたくれたヨガ。

でも、レッスンをするごとに疲れることもあり、ボディラインはなかなか変わらない・・・

そんな時に出会ったモーション美ボディは、「骨格を整えることで体が整い、ボディラインにも自分にも自信が持てる」というもの。

これを受けてみたい・・・・直感でそう思った佑華さんは、一念発起してレッスンに参加。

そこで実際に体験したメソッドで、骨格が整えば、力みや緊張が取れて、心も体も変化し整っていくことに気づいてゆかれます。

ずっとずっと、頑張ってきたんだということ。体も心も力を入れて、自分でなんとかしようとしてきたこと。もうそんなに頑張らなくてもいいこと。

大事なのは、もっともっと、ゆるんで、力を抜いて、自分の好きなことや心地よさに身を任せて、過ごすこと。

ヨガの講師も続けながら、骨格インストラクターとしての活動も初め、次第に佑華さんの心境は変わってゆかれます。


ずっとこれまでの自分を支えてくれたヨガだけど、骨格インストラクターとしての活動との比重が次第に変わり、本当に魅力を感じている、骨格インストラクターとして、やっていきたい・・・・、ヨガは好きだけれど、手放してもいいのかもしれない、そんな気持ちに。
 
その心境の変化と同時に、ご自身のライフスタイルに対する思いも変化。

15歳でワクチンの副反応が出てからの日々は、ずっと不調を抱え、そんな不調をサポートすべく、いつもご両親がそばにいて、何かあれば駆けつけてくれて、助けてくれる、その状況の中で生きてきて、自立はできないと思った日々もあったけれど。

10年近い時を経て、ご自分の体と向き合い続け、体の声を聞き、地道に地道に、一歩一歩、小さな試行錯誤と改善を積み重ねた日々の先で、

副反応の症状からもかなり回復され、痙攣や発作はごく僅かになり、自分で対応できる「体との付き合い方」も身につけて。

100%の治癒ではないけれど、ずっと願い続けていた、「健やかに今日を生きること」が、やっと、佑華さんの日常に、なって。

「自分で生きてみよう」

骨格インストラクターとして、独り立ちすることを、決意。

昨年からは骨格インストラクターとしてのお仕事も軌道に乗り、一人暮らしをスタート。



副反応に悩まされていた時には、描くこともできなかった日常が、佑華さんの日常に、なった。


10年の道のりの先で、叶った「健やかに心地よく、わたしとして今日を生きること」

それが今はとにかく嬉しい、楽しいと、これまでの道のりを話してくれたのち、教えてくれました。


闘病の時間を支えてくれた愛犬と一緒に。


佑華さんの独り立ちを経た今、ご家族にも変化が起きたそうです。

ずっと佑華さんのサポートのためにいつでも待機し、準備してくれていたご両親も、今では自由に生活を送るようになり、お互いの生きる時間が独立した時に、初めて見るご両親の顔が増えたそう。

ずっと、自分のことを支えるために、尽くしてくれた時には見れなかった、ご両親お一人お一人の喜びや笑顔が今はある。

自分が健やかに、元気になることで、周りにも、新たな一面や笑顔が、増えていく。

健やかこそ、命の源。

想像を絶する日々から10年を経た今の佑華さんは、「自分のこれからがとても楽しみ」

今は骨格インストラクターとしてお仕事をしているけれど、わたしの生き方はこれ「だけ」には限らない気もしているし、やってみたいこと、好きなことも、たくさんあって。

今は、毎日が健やかで、自分の人生に未来を感じられることが、何より嬉しい。どんなことがこれから始まるのだろうかと、想像もしなかった今を生きていることにワクワクする。

アロマのキャンドルも好きだし、ご自分の仕事のお知らせのための、動画制作などのWEB制作やライティングもとても好き。そういうことを楽しんだ先で、何かできることがあるかもしれない。

そんなふうに、未来に可能性を感じられることが、本当に、嬉しい。

嬉しそうに、煌めく笑顔で教えてくださいました。


副反応から回復されてしばらく経った頃には、「この体験が誰かの役に立つならば」「ワクチンは決して悪ではないけれど、あらゆる可能性を知ってから選択して欲しい」そんな思いもあって、マスメディアの取材を受けたり、ご自身自ら副反応の経験を伝えるお話会を開催されたこともあったそうですが、過去の自分を伝えていくうちに、ふと、もうそれは、いいんじゃないか、そう思えるタイミングが、来たそうです。
過去を話せば話すほど、過去に、縛られてしまう自分がいる。

でも、もう、そうじゃない。

今、生きていて
今、心と体が健やかで
今、わたしには、未来がある

そんなとてもシンプルなことが
本当に嬉しい。
自分の人生に、未来に、ときめいている

だから、わたしはもう、過去から生きるのではなく
過去があったから今があるけれど
 
もう、未来を見て
未来の楽しみや喜び、ときめきを見て

前を見て、進んでいい

未来のための今を生きよう

心も体もゆるやかに、心地よく。


それが今の佑華さんであり、その節目として、ご依頼いただいたのが、今回のshutter。


私たちは日々、たくさんのことを望み、叶えたいと思います。

あれが欲しい
これが欲しい

ああしたい
こうしたい

いきたいところに行って
好きなことをして
やりたい時にやりたいことをしたい
 
そう望むのは、何も悪いことではありません。

でも、そのはじめの一歩の前提は

佑華さんのように・・・・
 
ただただ、今自分が健やかに生きている
純粋なる未来の希望とときめきからのものだろうか

それとも
 
今に不足を感じて
不足を埋めるように、「何か」を求めていないか

それを問いかけ、確認することを、忘れずにいたい。

自分としての命が
今ここに健やかにあることで
もうじゅうぶんに煌めき輝いているからこそ
 
未来に希望を抱けるのだということ

そして私たちに与えられているのは

未来の希望を叶えるための今だということ。


想像を絶するほどの10年だったはずなのに、その道のりを話す佑華さんの表情は、なんともまっすぐで、そして、透き通った美しさが、ありました。

いろんなことがあったとしても、そのすべてを、わたしが生きた大切な時間として、昇華したように、悔いも憂いもない笑顔で話してくださったこと。

改めて・・・

私たちに与えられているのは、未来であり、過去を重荷のようにぶら下げて生きる必要はないのだということ。

どんなに、苦しく辛かったことだったとしても、過ぎ去ったなら、もうその重さは、持ち続けなくても大丈夫なんだということ。

 
私たちに与えられているのは、今とこれからだからこそ
楽しげに、ときめいて、未来の希望から、軽やかに生きていい

過去がどうあったとしても、自由に未来を選んでいい

そんなあなただからこそ
きっと過去が、報われる


そんなことを、教えていただいた、今回のshutterでした。

佑華さん、この度は、本当にありがとうございました。



力を抜くほどに、骨格が整う
佑華さんのサービス等についてはこちらをご覧ください







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