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喜び満ちていくのが、この道。〜黒屋文さん〜

私が感じたあなたの魅力を切り取り綴るshutter

この企画は、一般女性との一対一の対話を通して感じた魅力、その人らしさをあそゆかが感じたままに表現する企画です。有名人ではないけれど、でも唯一の存在としてこの世界に生きる、一人一人の「大切な何か」そのストーリーや、そこから感じたこと、伝えたくなったことを、綴ります。


今回は、私の住む千葉県から遠く離れた、九州は福岡の地でお会いした黒屋文さんのことを、切り取り綴る、shutter。

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文さんのことを知ったのは、以前私も所属していた、コーチングスクール繋がり。

親子コミュニケーションを学ぶそのスクールに所属するコーチの多くが、同じようにまだ幼い子どもの子育て真っ最中の母親であり、直接会うことはなくても、同じ「子育て」のために・・・我が子との時間を少しでも豊かに幸せなものにしたくて、コーチングを学び伝え合う仲間としての親近感を感じられるような、そんなあたたかなスクールでした。


当時の文さんというと、私はこの写真の印象。

phototalk概要

確かこれをFacebookのアイコンにされてたんじゃないかな。


SNSって不思議な世界で。Facebookも独特の世界。

実名で登録しているから、どこかの世界で生きている実在する人、だけど、見ている画面上は、ある意味バーチャルというか・・・その人の一部の「何か」が見れる場所。

でも不思議と・・・その、本人がいないはずの画面上からも、写真や、言葉の何かから、「なんかその人から感じるもの」って、出てるような気が、私はします。

強そうだなぁ、とか、控えめそうだな、とか

ユニークそうだな、とか個性的だなとか

なんだか、頑張ってそうだな、とか、ゆるっとしてそうだなぁ、とか。

それは決して根拠のあるものではないけれど、「なんか」感じるもの。


私と文さんは、コーチングを通して、SNSを通して、繋がったのはもう3年以上前になるけれど、リアルな関わりや、言葉を交わしたことはほとんどありません。

でも、時々流れてくるタイムラインの投稿からは、防災のことに力を入れてらして、そのために、すごく、頑張っているんだろうな、ということが伝わってきていて。お母さん防災士として、女性向けの防災啓発活動をされている投稿をよく見かけていました。


そう、子育て中って、何かと、頑張っている気が、します。

少なくとも私はそうでした。


その頑張りって、子育てそのものに、時間や労力を使う、体力的精神的な頑張りはもちろんなのですが

どこかで、「自分を自分たらしめるもののために頑張ってしまう」というか。

お会いしたこともないのに、文さんからはどことなくそれを感じていた、のですよね。


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今回、文さんと対談して、共有し合えたこと・・・・文さんご自身も体感され、そして私も感じている、子育てと、この日本の社会で生きる中で「期せずして染み付かせてしまったもの」について、ここでお伝えさせてください。


きっとね、幼い頃から受けてきた教育に、私たちはなんの疑問も感じてなかったと思うのです。それが当然のこと、正しい倫理観であり、それこそを規範にするべきものだ、と。

私たちの親世代、そのまた一つ上の世代も、戦争の時代を超えて、生き抜いてくれて、そうして、日本という社会を育て上げるために、めいっぱい生きてくれて、そこに感謝はもちろんあるけれど

その時代の中で、私たちって

一つの型、答え探しばかりする思考になる教育、自分の自由意思で選ぶのではなく、カタログショッピングのような生き方になるような思考方法、そんな教育を、もしかしたら受けてきたのかもしれなくて。

今40代前後の私たちの親世代はまさにそうかと。

一般家庭なら、これとこれ・・・三種の神器と言われるような、テレビがあって、洗濯機、冷蔵庫 が揃っているのが理想で、

女の仕事はコピーとお茶汲み、早く結婚しないと「行き遅れ」なんて言われて、結婚したら主婦こそ王道。「嫁ぐ」は家と結婚するも同義。だから、夫に、家に尽くす。仕事をするなら、パートで十分、それが模範のような時代を生きて子育てをしてくれたし

その文化の中で育った私たちもまた、「これが答え」と言うものを教わる教育をずっと受けてきて、それをテストで採点されて・・・・って

「最適解か不正解か」の世界の中にいたような気がするのですよね。

三高なんて言葉があったくらいに、、、、

いい成績収めて、いい学校行って、いい会社入って、出世して、満期まで勤めて退職金もらうのが男の王道とか、そんな人を夫にできて結婚退職できたら女の幸せ、とかね

「いい男」「いい女」「いい人生」「いい家族」「幸せの形」それが、社会から、いろんな形で差し出され、あてがわれる。新時代のニュートレンド、とか、そんな形で。

どこかでずっと、「今の社会の流行りと自分」の答え合わせをしている。

時代に見合う、社会に認められる自分ならOK

それになってるかなってないかを、自分でジャッジしてはダメ出ししたりして、そうやって・・・・

自ら自己肯定感を低める生き方をするようになっていた、というか。

それが時代の流れだったし、時代の本筋だったから、疑うこともなくその世界の中を生きていたような気がします。


この時代の生き方の最適解はここ


それがあったのが、きっとこれまでの、、、、昭和の時代。


そうじゃない人は、異端児と言われていたしね。


でも今・・・

この10年前後から、それがどんどんじわじわと変化してきて


本当に、そんなもののために・・・・

あてがわれてきた幸せの形のために、自分は生きたいのか?と言う疑問、

私は、俺は、本当はどう生きたいんだろうって言う疑問を持って

「自分として生きる」「自分の幸せ」があるはずだって、そんな予感を感じながら「じゃぁどうやって生きていきたい?」を探して、試行錯誤・・・新たな、自分だけの道を、進もうとしている人がどんどん、どんどん増えている気がしています

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本当に、、、、

今は、時代の、生き方の

すごい変化の節目にいる気がしてしまう。


いつの間にか、自分で考える力を失い、そしてまた、放棄してたのかもしれません。

それが、社会だから、普通だから、常識だから、これがきっと答え、そう言うものだから、と。

本当はそれ、幻なのにね。


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文さんも今、その変化の節目を超えられてる最中なのだろうな、と。


文さんがこれまでに進んできた道も、文さんのベストで選び、進んできた道。どれもその時の自分の正直で、本音で、だからこそ、精一杯進んできた道。

でも、もしかしたら・・・・

ちゃんとしなきゃとか、いいお母さんでいなきゃとか、稼がなきゃとか、社会に胸を張れる活動を、語れる肩書きや資格、立派な実績を、とか、

それを、やらなきゃって

認められる自分でいなければって、何かを一生懸命頑張ってきたけれど


そうじゃなくても、もう、いいのかもしれない。


認められるために必要だと思っていた、「こうあるべき」は実は幻で、そうじゃなくても私は認められるし、大丈夫だし、

だからこそ

これまでの私も頑張って一生懸命生きてきたけれど、

その自分のことも、否定はもちろんしないけど。

これからは、もっと・・・

「私がどうしたいか」その本当の気持ちから生きていいよね、と

そんな風にね、考え方や生き方を変えた、コロナからのこの1年なのですよね。きっと。


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生き方は、多様でいい。もとい。

本来、人の生き方は、多様でしかない。

誰1人として同じではない。

なのに、つい、引き寄せられてしまう

「この時代の生き方」

「この時代を生き抜くために必要な◯◯」

ここ最近なら、女性でももっと自由に、もっと稼ごう、稼げる、とか。

愛され女子とかね。苦笑


そして、正解を教わってばかりきた私たちは、つい探してしまう


「どれが正解なんだろう」「私に合うのはどの生き方なんだろう」って。


外の正解に、そのどれが自分にベストマッチなのか、と。

「時代の中の大きな声」こそが、正しい気がして、ついそれになろうとしたり。でも、そうじゃないんですよね。



私がしたい生き方を私はしていいし

それこそが私の喜びであり幸せ


そこに


肩書きや、資格や、稼ぐ金額がどうとか、普通はとか

何歳ならとか、母親ならとか、結婚してるしてないとか

そう言うことは、もう全然関係なくて


私は本当はどうしたいか


それこそが何より大事で

そこから、暮らしや、生き方や人生を作っていい


それが、他の誰かの「幸せな生き方」と同じである必要は全くなくて

私の世界が私の喜びで成り立っているのなら

真ん中の私が幸せで笑顔でいられるのなら

幸せも笑顔も、勝手に広がっていく


だから


私が私を、一番に、望むままに、あらゆる選択肢の中から選んで、幸せにしていい


だとしたら、私はどうする?


その、問と選択を今、文さんは、ゆっくり、丁寧に、そして、楽しみながら。繰り返している最中なのだろうなと、そんなことを感じています。


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ほんと、人って面白いものです。


本当は、主婦が好きで、のんびりしてたくて、子育てじっくりしててもいいのに

働いて、稼がないと夫に好きなこと言えないとか、収入ないのに好きなことしちゃいけないとか


子どもといる時間が何より大事なのに、稼いで自立しないと、働かないとダメよねとか


立場に、身分に貴賎なんてないと言いつつ、働いてるママは偉くて、働いてない主婦は肩身が狭いとか


本当は家事は好きじゃないのに、家事ができない女なんてと、変に頑張っては疲れてみたり


ほんとは、めんどくさがりで大雑把な暮らしでいいのに、素敵なくらしを目指してはめげてみたり。笑


そういうことじゃない。

そういうことじゃ、なくて。


自分の本望を叶えた生き方を、誰もがして良くて

それは、誰かや社会から許可を得るものでもなく

ただ、あなたが望むあなたになれば、いいだけのことで


あなたがあなたの本望に気づいて、それを世界に放ったなら

それを叶える布陣は組まれるのに


あーだこーだと、その本望ではなんかいけない気がすると

誰かに嫌われたり認められないんじゃないかと

目を逸らしてしまう、

むしろ本望の逆ばかりしようとさえする、この面倒さであり・・・まぁ、それもまた、可愛げです。苦笑


生き方にいいも悪いもない

幸せに正解不正解もない

豊かさに稼いでる稼いでないもない


ただ、あなたはどうしたいのか

どんな暮らしだったら嬉しくて楽しくて

毎日に心満たされ

朝、今日が始まる喜びと共に目覚め

夜、今日はいい日だったと眠れるか


それだけのこと。

本当に、ただそれだけのことで

それが、どんな生き方だって良くて

どの生き方も、誰の生き方も、全て全て


あなたがそれを望むならそれでいい、それがいい

それをジャッジしあったり、いい悪いっていう必要はなくて

この世界に限りなく無限の無数のライフスタイルがあっていいし

それでも世界は成立する

ということに他ならないんじゃないか。



なーんて話を、あの日は文さんとしたのです。


稼がなきゃダメかな、なんて思いもしたけれど、でも本当は、今この時しかない、我が子との時間を、楽しみたかった。

稼げてない負い目もあったけど、それを誰より気にしてるのは自分だった。

暮らしを支えてくれる旦那様だっている。それに、ただ、感謝して生きる自分でもいい。

今は、ミニバスを始めたお子さんの練習の応援や付き添いに忙しいけれど、文さんはその時間こそが、とても楽しくて幸せ。

もちろん、稼いで行けたらいいなと思うけれど

子育ては子育てで、とても大事だなと思うし、この時間を大切に過ごしたいと思っていて、子どもと一緒にいる時間が好き。今しかない、今逃したらもう感じられない幸せが、我が子との関わりが、今ここにある。


ウミガメと一緒に泳ぎたい、だから、ウミガメが見れる奄美大島にも行こうと思う。

それから、着物が好き。だから、着物のある暮らしを楽しみながら、着物を着たい人と繋がっていきたい。そうして一緒に街歩きができたら嬉しい。


やりたいことって、世のためとか、社会のためなんて、立派な大義名分がなくてもよくて、些細だけど自分をとても幸せな気持ちにしれくれることだった。

だから、それを選んでもういいよね。

誰かや何かと比べることなく。

そう思えるようになってきたそうです。

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知人から着付けの手解きを受けて、着付けができるようになった文さん。

初めて福岡に降り立った今回、文さんは私のための着物を用意してくださって、それを着付けてくださいました。


着物に慣れてなくても、さっと着れる、新しいお着物。


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なんと帯は、マリメッコの柄。

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とっても、新しくて(私にとっては)斬新だけど、着てみると可愛くて。

それをさっと着付けてくださって、「人生初福岡」の私を、太宰府天満宮に連れて行ってくださいました。

お子さんのこと、街のことを話しながら、一緒に散策して。

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この時世ならではの、静かな人気の中で、私は太宰府天満宮の気の大きさに圧倒されて。生い茂る緑のむくむくとした圧巻のパワーが満ち満ちしていた、太宰府天満宮。

ここに私を連れてきたかったと嬉しそうに一緒に歩いては、写真をニコニコしながら撮ってくれました。

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この日の文さんがね、本当に楽しそうで、嬉しそうで。

一緒におみくじ引いたり。

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のんびりお散歩して。

鳥居のところや、本殿の入り口で写真を撮ったり

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にかって笑うと歯が出ちゃうの!って恥ずかしそうにも嬉しそうにも笑う文さん。


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写真を撮るのが好きで、たくさん撮ってくれたり。

(いつか本格的にカメラの世界に足を踏み入れるのだろうと、私はそれが楽しみです。)



それから、太宰府にあるデザイナーズ建築のスタバにも行って。

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たまたまお店に居合わせたおばさまが私たちの着物姿を褒めてくださって、束の間のおしゃべりを3人で。


参道を歩いて、とっても素敵なお店の裏庭に入って食べた、梅ヶ枝餅。おいしかった〜〜〜^^

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とっても植物の名前に詳しいと思ったら、実は学生時代は、専門で勉強されたのだとか!!だから、文さんは植物もとても好き。

いろんな木の名前を知っているから、教えてくれるのです。さらりとね。それがまた私は楽しかったな。


あの日の時間全部が、私の心の滋養になったと言っても過言ではなく、あの日のことをこうして今思い出すだけでも、その滋養はじわっと、溢れ出します。


私たちは、知らず知らずの間に「頑張ること」をよしとしてきたような気がするし、その染みつき方は結構深い。苦笑

その「頑張る」が、自分の本当ののぞみからのものだったら、きっといくらでも「頑張れてしまう」のだけれど、案外そうじゃないもののために頑張っていることが少なくなくて。

誰かのため、何かのため、評価や人目を気にして、とかね。

そして、自分の置かれた立場につい引け目を感じて、、、、

子育て中だって、誰かの、社会のためになれる存在なんだって、認めて欲しくて、とかね。

でも、そういう、【ほんとうののぞみ】からではないもののための頑張りって、いっときはぐっとがんばれても、どうしても、疲弊してしまうし、消費感、浪費感があったりする。


私たちは、頑張らないと生きていけないのだろうか

もとい

この与えられた命を、なんのために使うことができたなら「頑張ることでさえ厭わずむしろ喜び」と思えるんだろうか

本当は、ただただ、幸せになりたくて生きたいだけだとしたら、あなたにとっての幸せって、何??


大事なのは、そこ、なのですよね。


文さんは今、そこをゆっくり丁寧に、確かめ味わいながら、命の時間を、もう一度選び始めてる。


あの日2人で過ごした時間、そこには何にも「頑張り」はなかったけれど、文さんがこの時間をとっても楽しみにしてくれていて、たくさん、楽しんでくださったから。

私は、本当に、楽しかったし、文さんに会えたことが嬉しかったし、こうして今・・・・何度思い出しても、こうしてタイピングしていても、ついにやけてしまうほどの、私の大切なかけらになっています。^^ それがまた、嬉しい。^^

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それでいい、それがいい。


文さんが文さんとして。

心の求めるままに。

その喜び、楽しみ、嬉しいと思うこと、安心すること、

やってみたいと思うこと、

ほんとうの、ほんとうののぞみのままに

文さんの心からの喜びのままに生きることが

そのまま、周りの人の喜びにきっとなると、私は感じています。

だから、どうぞこれからは、もっともっと、存分に。


文さんの好きなこと、やりたいことを選んでいく時間を重ねて欲しいな。そしてその時間の話をこれからも聞いてゆきたいです。


着物を楽しみたい人が着物を着れるようになって、一緒に街歩きしたりお出かけできたら嬉しいな。そんな繋がりがたくさん増えていったらいいな。


そんな話をしていた時の文さんは、何より、嬉しそうで、そのお顔もウキウキとされていました。

これから、その喜びが、形となっていったらいいなぁと、あの日から私は思っています。^^

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文さんが喜び満ちてゆかれることこそが、文さんの生きる道。


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自分が喜ぶことをしている時の女性は、とても美しいです。

私はそんな文さんに、また会いたい。

喜びと楽しさで繋がり、満ちあってゆきましょう。


これからの文さんを、千葉から応援しています。そしてまたお会いしましょう!


今回のshutterは、以上です。

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