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サッカーのことで初note書いてみる。

初めまして、脇嶋 秀人(ワキシマ シュウト)です。

5歳(幼稚園)から19歳まではサッカーだけをやってきたサッカー少年でした。

高校2年の時に「20歳までにプロになれるのか、なれないのかをハッキリさせたいから大学には行かない」というビジョンを描いていた私は海外への進路を考えてると高校3年の6月頃に監督に伝え、知人の代理人を紹介していただき、海外でプレーする道を探ることとなった。

そして、ウルグアイのプロチームと代理人を通じて契約の打診をしていく中でようやく練習生としての受入先が決定した。おそらく高校3年の8月頃だったと思う。

卒業後、すぐに渡米予定であったが、シーズンの都合上4月となり、急遽付属の大学に籍だけ置くことにした。休学届けを出し、入学式だけ出席してその日より休学するという恐らくこの世にそんなクレイジーな大学生は居ないだろう。大学側の対応をみる感じ、確実にこの大学では居ないという感じであった笑

休学後、日本で自主練を続けていたある日(2014年2月頃)、練習生として当初は月々7万円で組まれていた寮費を「30万円じゃないと受け入れられない」という破格の価格を提示してきたことをきっかけに価格交渉できず、別チームを探すことになった。

今度はOBのプロ選手が在学時代に利用した代理人を紹介していただきアルゼンチンやペルーのプロチームを模索し、ようやく受入先が決定し、6月に渡米をする運びとなった。

しかしながら、またも渡米直前に阻まれてしまう。

代理人より「年齢的(19歳)に受け入れられないとチームに言われた」という最初からわかるであろう理由で断られ、もちろん納得できず、返信や連絡を取ろうとするものの代理人と現在まで音信不通。

実は同時期に、父が諸事情で無職になっててとても金銭的に行ける状況じゃなくなっていた。

ショックで立ち直れずに2ヶ月ほど部屋に引きこもってしまう。そして、2ヶ月後の2014年9月頃にJFL所属1チーム、東北1部リーグ所属1チームずつ練習に参加してみないかと監督から勧められるも、海外での挑戦しか頭になかった当時の私は今更日本でプレーすることに魅力を感じず、サッカーを休むことを決断し、大学復学へ。

今日はここまで!読んでくれてありがとうございます!



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