...と、そういうことが書きたかったのかもしれない

自分は物事を考えるとき、言葉を使って考えているかというとそうでもなくて、
言葉で世界を理解する習慣のようなその檻から抜け出して、何かが先に光ったかもしれないぞというときに、それを言葉で追いかけている。
言葉で追いかけて、それを一度文字で書き起こして、それを読み返すという行為を繰り返して、到達しようとしていたものがこれで合っているか確かめようとしている。これがうまくいったとき、読み返すという行為を通じて、これまで自分が認識していなかったものが初めて目の前に現れてくる。

これを達成するために、自分の中で使いたくない言葉があって、それは外部からやってきて、自分の処理が追いつかないままになっている言葉。これを使うと歩調が乱れて、どこを歩いているのか分からなくなる。。。

自分にとって教訓めいたことが書けそうだと思って書き始めたが、あのとき光ったものはこれだったのか。実践的なことを言うならば、こうやってアウトプットの場を持つことで、自分が世界を認識するやり方、そして次のアクションが明らかになってくるのではないか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?